文研ブログ

2023年3月31日

メディアの動き 2023年03月31日 (金)

#468 "不偏不党"と"表現の自由"で揺れるBBC 

メディア研究部(海外メディア)税所玲子

世界の「公共放送の母船」とも形容されるイギリスBBC。その看板スポーツ番組に、解説者として出演するサッカー・イングランドの元主将のギャリー・リネカー氏が、政府の移民政策の批判を約890万のフォロワーを持つ個人アカウント上でツイートし、同局のジャーナリズムの原則の1つである「不偏不党」と「表現の自由」をどう両立させるのか大論争になっています。

ロンドンの観光名所、オックスフォード・ストリートから数分のところにあるBBC本部の玄関脇には2.5メートルのジョージ・オーウェルの像があります。1941年から2年間、BBCの対外宣伝放送に携わった作家の横には、「もし自由に意味があるとするとすれば、それは相手が聞きたくないことを告げる権利のことだろう」との言葉が刻まれ、「権力監視」と「表現の自由」をうたっています。

BBC1_W_high.jpg BBC本部の前にあるジョージ・オーウェルの像

もう一つ、BBCのDNAと呼ばれるのが「不偏不党」(impartiality)です1) 。伝統的な二大政党の時代には左右のバランスをとることとも理解されていましたが、政治・社会が多軸・多様な今、「どの立場にもくみせず、偏見のない状態をいう」とBBC関係者は説明しています 2)。この原則は、国王からの「特許状」に明文化され、いかなる勢力にも偏ることなく、事実に基づいた報道を目指す その姿勢が、信頼の源となってきた、とBBCの職員は胸を張ります。

BBC2_W_high.jpg「不偏不党」が明記されているBBCの特許状 
(BBCのホームページより)

今回の論争のきっかけとなったリネカー氏のツイートは、3月7日、イギリス政府が打ち出した移民政策についてのやりとりの中で起きました。英仏海峡を小舟で渡り入国を試みる移民が後を絶たず、政府は対策としてこうした手段で入国した人には亡命申請を認めないという法案を発表しました。
これに対し、難民を自宅に受け入れるなどの支援を行っているリネカー氏は、「1930年代のドイツが使ったのと変わらない言葉で、最も弱い立場の人たちに向けられた残酷な政策だ」と厳しく批判したのです。

BBC3_W_high.jpg問題となったリネカー氏のツイートを伝える英Daily Mail紙 
(Daily Mail ホームページより)

これに対し、与党・保守党の議員から批判の声が上がり、首相官邸の報道官も「受け入れられない」と述べました。一方、ネットでは支持の声が広がりました。

実はリネカー氏の「不規則発言」は今回が初めてではありません。EU離脱や保守党へのロシアからの献金を批判するツイートを繰り返し、ネット時代にあった「不偏不党」のあり方を模索するBBCにとって、その苦悩を象徴するような存在でした。

BBCは、2010年代からソーシャルメディア(SNS)での活用を進めてきました。取材者個人が批判されたり、いわゆる炎上事件が起きたりするリスクは認識しながらも、ネット空間での視聴者との対話が、これからは避けて通れないと判断したのです。

しかし、格差、移民、ポピュリズムなどの課題を抱えたイギリスは、2016年のEUからの離脱を問う国民投票をきっかけに対立が噴出します。国のあり方をめぐる論争は、自分が何を大事に思うのかという「価値」を際立たせ、記者たちは右からも左からも「偏向だ」と批判されることが増えていきます。

そして2019年、難航するEU離脱交渉を終わらせることを公約に掲げて総選挙に勝利したジョンソン首相は、交渉の行方を追及するメディアにいらだち、対決姿勢を強めます。BBCの受信許可料の不払いに対し刑事罰を科す制度の見直しを試みたり、Channel4の民営化計画を打ち出したりするなど揺さぶりをかけました3)

BBC4_W_high.jpgBBCデイビー会長就任を伝えるBBCニュース
「不偏不党を守らないスター出演者の解雇も辞さず」

そんな緊張が漂う中、2020年9月に会長に就任したティム・デイビー氏は、「不偏不党」の徹底を最重要課題に掲げます。当時、欧米では、#MeToo運動や黒人の人権擁護の運動が広がっていましたが、デイビー会長は、報道や社会番組に関わる者は、政治志向を推察される言動はもとより、キャンペーンへの参加も許さない姿勢を打ち出し、SNS利用のルールを厳格化しました。キャスターや記者の中には、管理を嫌い他局に移る人も少なくありません。またSNSでの発信を当然と考える若い職員の間には不満がくすぶっていると伝えられています。

ただ、リネカー氏は、BBCの職員ではなく、フリーランスとして番組に出演しています。リネカー氏は、自分はガイドラインの対象でないと考えていたと主張しています。一方、BBCからすれば、135万ポンド(約2億2000万円)と局で最高報酬を得、抜群の知名度を持つリネカー氏には特別な責任が伴うとの考えがあったようです。

リネカー氏がツイートの削除を拒否したことを受けて、ついにBBCは10日、「SNSの利用について、明確な方針の合意が得られるまで」番組の一時降板を要請したと発表しました。

BBC5_W_edited.jpg

リネカー氏を支持する出演者による番組ボイコットを伝える新聞各紙
(BBCのホームページより)

ところが、このBBCの決定に、リネカー氏を支持する他のサッカー番組の司会者や出演者による番組ボイコットが起きました。また一部の選手が、試合後のBBCのインタビューを拒否する考えを選手組合に伝えたため、プレミアリーグは、すべての選手と監督が、リネカー氏を降板させた番組のインタビューを見送る方針を示しました。

土曜日のイギリスは、朝から晩までテレビやラジオでサッカー番組が組まれています。しかし11日は、多くの番組が放送できなくなり、テレビでは文化系番組の再放送で、ラジオではポッドキャストの放送で編成の空白を埋めることを余儀なくされる、異例の事態に陥りました。

BBC6_W_edited.jpgシャープ理事長に対する議会での聴聞の様子を伝えるBBCニュース

この大混乱は、BBCにとって最悪のタイミングで起きました。
今年1月、シャープ理事長がジョンソン元首相の約80万ポンドのローンの保証人の仲介に関わっていたことが発覚。シャープ氏は、ジョンソン氏のロンドン市長時代やスナク首相の財務相時代のアドバイザーを務めていました。保証人の仲介は理事長の選出のさなかの出来事だっただけに 「お友達人事」との批判を浴び、選出のプロセスが適切だったか外部調査が進められていました。
13日には、議会下院でリネカー氏の問題と不偏不党について、文化相に対する緊急質問が行われ、 野党からは、「権力に対しモノを申した人物を降板させるのはおかしい」「BBCへの信頼を傷つけたシャープ氏こそ辞任すべきだ」などの声があがりました。

混乱の収拾を図るため、デイビー会長はリネカー氏と話し合い13日、番組に復活させる方針を示すとともに、SNS利用のルールを見直す考えを示しました。声明の中でデイビー会長は、視聴者に謝罪するとともに「BBCは、特許状で不偏不党を誓っている。まだ表現の自由も同じように大事だと考えている」と述べ、2つの価値のはざまで苦悩していることをあらわにしました。

 BBC7_W_edited.jpgデイビー会長へのBBC記者によるインタビュー動画
(BBCホームページより)

ところでこの騒動をBBCの報道部門は、過去の自局のスキャンダルの時と同様に、客観的に報じています。出張先のアメリカでデイビー会長へのインタビューを行った特派員が、「視聴者はリネカー氏でなくあなたの不偏不党に疑問に投げかけている。政府や与党・保守党、右派のメディアの圧力に屈したのではないか」「BBCにとって不偏不党と同じく信頼も大事だ。その信頼を失った今、辞任すべきではないか」と問う様子を収めた動画は、全編、ネットで公開されています4)

 BBC8_W_edited.jpg BBC外観

誰もがネットを通じて自由に発信できるようになり、多様性が重視される今の社会で、不偏不党はどう実践されるべきか。問題をきっかけに議論が 広がっています。

BBCの元報道局長で、現在、ネットメディアTortoiseを率いるジェームズ・ハーディング氏は、BBCのラジオ番組で、「公金で支えられる放送局が提供するニュースや情報は公平でなければならないが、政治的な問題の判断は個人に委ねられるべきだ。すべての作家、監督、音楽家、スポーツ解説者、科学者、経営者のオピニオンを管理するのは無理がある」と行き過ぎた管理に疑問を呈します。
また外部規制監督機関・放送通信庁(Ofcom)の元会長のパトリシア・ホジソン氏も「BBCのブランドを傷つけないように表現の自由を行使すべきで、そのことによって、視聴者の多様な意見を尊重することにもつながるのではないでしょうか」と述べています5)

一方、偽情報や誤情報が飛び交う時代だからこそ、正確で信頼できる情報が必要で、それを担保する情報の多様性や不偏不党は譲れないとの主張も聞かれます。BBCのデイビー会長はもちろん、元会長のマーク・トンプソン氏も、かつて「不偏不党がなくなるくらいなら、BBCがなくなった方がよい」とまで言い切りました。

BBCの歴史の編さんに携わったウェストミンスター大学のジーン・シートン教授は、「そもそも不偏不党は不完全なものだ」といいます。放送が始まった100年前を振り返り、「当時世界は“新しいメディア”によって、大企業の利益が国民の利益よりも優先されたり、海外のイデオロギーによって世論が影響を受けたり、戦争の宣伝によって政府やメディアに対する国民の不信が高まったり、国民が分断されることが懸念されていた。そうした懸念を克服するために国民の声を反映する場、議論の出発点となる情報が必要だったのだ」と説明します6)

この言葉は、今の時代にも、そのまま当てはまると思います。

日本のメディアが未曾有の災害によって変化したと言われるように、BBCは戦争や政権交代など社会の変化の中で生じる影響から、編集権の独立をいかに守るかという組織防衛の歴史の中で成長してきました。

激動のメディア環境の中で、これまで試され、再構築してきた ジャーナリズムの原則にBBCが向き合い続けることで、ネット時代の不偏不党の姿が見えてくることを期待しています。そして、それは、世界の公共放送にも示唆に富むものになるでしょう。


1)Impartialityは「公平公正」の訳も使用される。本ブログでは、BBCが「予断を持たないバイアスのない状態」との説明を受け、検察官が任務遂行にあたって用いる不偏不党の概念に近いと考え、同訳を使用している。

2)BBCの編集方針に関する議会証言 https://committees.parliament.uk/oralevidence/3201/pdf/h / 編集指針Editorial Guideline で求めるのはDue Impartialityとされ、問題に相応(due)の対応を求めている。意見が対立する問題について同じ秒数を配分する必要はなく、1つの番組でなく放送全体で判断されるものだと説明されている。また21世紀の不偏不党のあり方について検討したBBCの報告書“From Seesaw to Wagon Wheel”(2007)では、不偏不党は、正確性やバランス、公平性、客観性、透明性など様々な要素が組み合わさってできるものだとした上で、「視座の広がり」も重要で「より多くの意見を取り入れることで実現される」と強調している。https://www.johnbridcut.com/documents/seesaw_to_wagon_wheel_report.pdf

3)いずれの政策も、途中で見直しとなり、実現されなかった。

4)Gary Lineker: BBC director general Tim Davie’s interview in full https://www.bbc.com/news/av/uk-64928580

5)Press Gazette, BBC to review social media rules for all staff in bid to resolve Gary Lineker row, March 13 2023

6)Jean Seaton, History of the BBC: impartiality https://www.bbc.co.uk/historyofthebbc/100-voices/inventingthefuture/impartiality/