文研ブログ

2021年10月19日

メディアの動き 2021年10月19日 (火)

#345 あなたの声が選挙報道を変える ~『市民アジェンダ』の報道が持つ可能性

メディア研究部(海外メディア) 青木紀美子


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あなたの「声」で社会が変わる。

これは西日本新聞社「あなたの特命取材班(あな特)」のキャッチフレーズです1)。「あな特」は市民から寄せられた疑問や困りごとを記者が取材する「ジャーナリズム・オン・デマンド(JOD)」のプロジェクトとして2018年に始まり、地方紙を中心に各地のメディアがパートナーとして参加するJODのネットワークを全国に広げてきました。その力を示す連携報道が、2021年度の新聞協会賞を受賞しました。JODのパートナーである中日新聞社と西日本新聞社が、愛知県知事のリコール署名が佐賀県内で組織的に大量偽造されていたことを明らかにしたスクープでした。

取材のきっかけは市民からの「あな特」によせられたメッセージで、これを裏付ける具体的な証言も「あな特」取材班とLINEでつながる「通信員」から得られたといいます2)。新聞協会賞の受賞作品紹介には「民主主義の根幹を揺るがす重大な事実を、発行地域が異なる両紙が見事に連携してあぶり出した調査報道」とあります3)。「あな特」への言及はありませんが、今回の特報は、両社の取材力の賜物であると同時に、西日本新聞社が「あな特」を通して育んできた市民との信頼関係が持つ力、またJODのネットワークを通して、全国のJOD取材班とつながる市民が各地のジャーナリストとともに民主主義を見守るパートナーシップの可能性を示すものでもあります。

「あなたの声が選挙報道を変える」

2020年に行われた大統領選挙や地方選挙で、アメリカでは多くのメディアが、政党の戦略や政治家の主張、専門家が挙げる争点ではなく、市民が関心をよせる課題を出発点にした「市民アジェンダの選挙報道」にチャレンジしました。西日本新聞社が始めた「あな特」のJODとも重なる、市民の声に耳を傾けることから始まるエンゲージド・ジャーナリズムの試みの1つです。

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アメリカ中西部シカゴの公共ラジオWBEZは、この「市民アジェンダの選挙報道」のために声を寄せてほしいと市民に広く呼びかけるとともに、特にコロナ禍で大きな影響を受けた人たちの声を重視し、影響が大きかった人々のもとに足を運び、意見を寄せてほしいと働きかける「アウトリーチ」に力を入れました。健康影響と経済影響を考慮し、データをもとに人口比で△死者が多かった地区、△感染者が多かった地区、△初めて失業した人が多かった地区を特定し、その地域の住民が集まるイベントなどに参加し、聞き取り調査を行いました。


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アウトリーチの中心になったWBEZのエンゲージメント担当のプロデューサーのキャサリン・ナガサワさんは、住民にプロジェクトのねらいを説明し、話をしながら関心事を探り、その中から有権者が地域の政治家に取り上げてほしい、解決に力を入れてほしいと思う課題は何かを汲み取る努力も重ねました。また、地域で活動する市民グループや他の言語のメディアとも連携し、英語だけでなく、スペイン語、ベトナム語、中国語を含め4つの言語で質問や意見を受け付けた結果、オンラインと対面の聞き取りをあわせて2200件以上の声を集めました。


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質問が多かった期日前投票の仕組みや医療格差の問題などについては特集記事を出し、より広いテーマとして、△コロナ対策、△医療へのアクセス、△地域への投資、△治安と刑事司法改革など5つの課題を抽出し、取材の重点に掲げ、選挙戦中、そして選挙後にも地域の政治家に問うことを約束しました4)


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こうした「市民アジェンダ」に沿った発信は、選挙後も続けました。また、コロナ禍の影響が大きかった3つの地区では、住民から集めた質問を地元の政治家にぶつける公聴会型のオンラインイベントも開催しました。地域の住民から信頼されるネットワークや組織の協力を得たほか、多様な背景を持つ住民に配慮し、アラビア語、スペイン語、ロヒンギャ語の通訳もつけ、イベント1回あたり平均で5000人近くが視聴したということです。


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あなたの声が政治報道を変える

WBEZは、有権者の関心が高い課題について、有権者自身が政治家や行政担当者に直接、質問や意見を投げかけることもできるよう、課題ごとに予算や政策決定権限を持つ地元の政治家を一覧にし、その連絡先、政策や実績、それに対する市民グループなどの意見、さらに世論の動向などを説明する記事のリンクを1か所にまとめたページもつくりました5)。自分の住所を入力することで地元の政治家の情報を検索できるようにもなっています。意見や要望を伝えたくてもどうしたらよいか分からないといった有権者の声に耳を傾け、「ニュース記事とはこうあるもの」という定型に縛られない形で、市民が活用できるツールを提供しました。

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211018-88.JPGWBEZのエンゲージメント担当プロデューサーとして「市民アジェンダ」のとりまとめの中心になったキャサリン・ナガサワさんは、このように市民の声を取り込んで発信内容をかたちづくることは、市民とジャーナリストの距離を縮め、また、多様な人々が持つより幅広い経験にもとづく疑問や意見、解決策などのアイディアで、人数も経験も限られるジャーナリストの視野を広げ、発信内容をより豊かにするものだと話しています。



211018-99.JPGWBEZ政治・行政担当デスクのアレックス・キーフさんは、一連の取材を通して「市民は自分たちの声を聴いてほしいと切実に願っていることを実感した」と言います。長年の経験から、政治ニュースがともすると政治インサイダー情報のようになりかねないことを意識し、わかりやすく説明する努力はしてきたものの、コロナ禍を機に、市民の関心に応え、市民が暮らしの中で生かせる発信の必要性に目が開かれる思いをしたと言います。


あなたとともに報道を変える

選挙報道の出発点として市民の声に耳を傾けたWBEZの試みは、市民が選挙報道にとどまらず、政治報道、さらにはより広い報道のアジェンダ設定にも貢献できること、また、民主主義が機能しているかを市民とジャーナリストのパートナーシップで暮らしに身近なところから見守る可能性があることを示唆しています。西日本新聞社の「あな特」とJODにも重なり、情報があふれる中での埋没、多様な視点の欠如、信頼の低下など、メディアが直面する危機に、どう向き合い、どう報道のありようを見直していくか、人々の声に耳を澄ましながら見極めていく実験でもあります。

こうしたエンゲージド・ジャーナリズムの実践や実績について、文研では「放送研究と調査」で報告したほか、早稲田大学次世代ジャーナリズム・メディア研究所とオンライン講座を共催しています。今回ご紹介した内容は、第1回講座6)のゲストスピーカーとしてキャサリン・ナガサワさんが話をした内容とプレゼンテーションにもとづくものです。

講座の第2回は10月23日(土)、ゲストにはWBEZの名物番組『Curious City』の初代プロデューサーで、その成功を機にメディアのエンゲージメントを支援するビジネスHearkenを起業したジェニファー・ブランデルさんを予定しています7)


1) あなたの特命取材班 (西日本新聞社)
https://anatoku.jp/

2) 「リコール署名偽造」あな特投稿が端緒 地域との信頼関係の成果(西日本新聞社)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/812147/

3) 署名大量偽造 連携し特報(新聞協会賞2021年度受賞作)
https://www.pressnet.or.jp/journalism/award/2021/index_2.html

4) You Told Us What You Care About This Election Season. Here’s How We’ll Report On It(WBEZ)
https://www.wbez.org/stories/wbez-ca-2020/23b8de3d-cf5e-4cc0-978b-dbf797ad1991

5) Whose Job Is It Anyway? Your Field Guide To Local Government In Chicago(WBEZ)
https://www.wbez.org/stories/whose-job-is-it-anyway-your-field-guide-to-local-government/18c4d2cd-b8b9-4744-9a2f-fb67cf73f84c

6) 次世代ジャーナリズム・メディア研究所:NHK放送文化研究所共催 オンライン連続講座 「市民とともにつくるエンゲージド・ジャーナリズム」第1回
https://www.waseda.jp/inst/cro/news/2021/06/29/6233/

7) 次世代ジャーナリズム・メディア研究所:NHK放送文化研究所共催 オンライン連続講座 「市民とともにつくるエンゲージド・ジャーナリズム」第2回
https://www.waseda.jp/inst/cro/news/2021/10/15/7271/