文研ブログ

2020年9月 4日

メディアの動き 2020年09月04日 (金)

#268 安倍首相2度の退陣表明 ~中継で伝わったこと、伝わらなかったこと~

放送文化研究所 島田敏男


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安倍総理大臣は8月28日(金)17時からの記者会見で、自らの判断で職を辞する考えを国民に向けて表明。「持病の潰瘍性大腸炎が再発し、国民の皆様の負託に自信を持って応えられる状態で無くなった」と、その理由を率直に語りました。新しい薬の投与を受けて効果は確認できたものの、「病気と治療を抱え、大切な政治判断を誤ることがあってはならない」と自らに言い聞かせるように発する言葉は、これまでになく丁寧でした。

 在任中、繰り返し「国会答弁が早口で聞きづらい」「活舌が悪い」といった批判を受け続けてきた安倍総理。自らの決断で余力のあるうちに身を引くことを決めたという事実が、中継から説得力を持って伝わってきました。

 この中継を見ていて私は13年前の1度目の退陣表明を思い出し、国民に対する政治家としての責任感が強くなったものだと一種の感慨を覚えました。

 2007年(平成19年)9月12日(水)予定されていた本会議での代表質問を取りやめて行われた突然の辞意表明会見。この時は辞任の理由について「海上自衛隊によるインド洋での給油活動を継続させるために局面を変えるべきだから」と繰り返し、自らの健康状態の悪化には一切触れませんでした。この1か月半前、安倍自民党は参議院選挙で敗北し、野党の協力がなければテロとの戦いの活動継続に必要な特別措置法の改正ができない厳しい状況に追い込まれていたのは確かです。

 しかしそれ以上に、持病の潰瘍性大腸炎の病状は悪化していて公務継続がままならず、この点を公にしたのは当時の与謝野馨官房長官(故人)でした。与謝野氏は「安倍総理が自ら伝えなかったのは健康状態だ」と述べました。そこには政治指導者は自らの健康について国民に明らかにする責任があるのだと、若い安倍氏をたしなめる風がありました。

 それと比べると今回の退陣表明会見は、国の政治をつかさどる立場に相応しい「余力を残して身を引く」という判断を鮮明に示したものでした。桂太郎を超える憲政史上最長の通算在任期間、大叔父の佐藤栄作を超える連続在任期間を記録したことが、こういう余裕ある判断を生んだのは確かでしょう。

 しかし、この中継で伝えられることが無かったのが安倍氏の胸中にあった打算でしょう。このまま持病との格闘を抱えながら政権を担当し続けても、新型コロナウイルスとの戦いで圧倒的に勝利できるとは限らない。今後の展開次第では1年遅れの東京オリンピック・パラリンピックの開催も確実とは言えない。経済活動の低迷が長引けば企業の倒産、失業者の増大といった危機的な状況は、政治の責任に帰することになる・・・

 安倍総理が首脳外交に情熱を傾けたのは確かですが、拉致問題でも北方領土を巡る問題でも大きな進展は無く、現在の厳しい世界の状況のもとで楽観的な見通しを持つことはできない・・・

 こうした恐ろしい想定を口にすることはできないでしょうから、当然、中継の中で触れられることはありませんでした。ただ、世界の転換点とも言えるコロナ禍の下で、この記者会見を見て、聞いていた視聴者の側には、政治指導者の中にある懸念がうっすらと透けて見えたことでしょう。

 来年9月までの安倍氏の残任期を担う自民党の後継総裁選びは、党員投票を省略した両院議員総会で行われることになりました。菅官房長官、岸田政務調査会長、石破元幹事長が競う見通しですが、最終的に誰が国会で総理大臣の指名を受けたとしても、安倍長期政権の前に立ちはだかったコロナ禍の厳しさは変わりません。

 これにどう立ち向かうのか。国民は今まで以上に、一つ一つの政治判断に目を凝らしていくことが必要になると思います。