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メディアの動き 2023年01月19日 (木)

#443 シリーズ「深刻化するネット上の誹謗中傷・いま何が必要なのか」(1) ~「発信者情報開示」の制度改正で被害者救済は進むのか?残された課題は?

放送文化研究所 渡辺健策

 亡くなった女性プロレスラー、木村花さんに対するSNS上の誹謗(ひぼう)中傷の問題などをきっかけにインターネット上の悪質な投稿への対策強化が議論され、他人の権利を侵害する投稿をした当事者の氏名などを明らかにする「発信者情報開示」の手続を簡易・迅速化する法改正が2022年10月に施行されました。繰り返される深刻なネット被害に対し、新たな制度は十分にその力を発揮できるのでしょうか。このブログでは、①被害者の救済を進める発信者情報開示制度の改正の効果と課題、②発信者側の匿名表現の自由とのバランスをどう図るべきか、③いまマスメディアに期待される役割とは、という3回シリーズで考えます。
 第1回は、制度改正の効果と今後の課題について、誹謗中傷の被害者の訴訟代理人として救済を求める多くの裁判で対応に当たっている東京弁護士会の小沢一仁弁護士へのインタビューです。

wkj_2301_1_1.jpg 小沢一仁 弁護士
2009年弁護士登録。インターネット上の誹謗中傷投稿の削除や発信者情報開示請求など、被害者救済の裁判を数多く手がける。常磐自動車道のあおり運転殴打事件の際に加害者車両に同乗し犯行の様子を携帯電話で撮影していたいわゆる"ガラケー女"と人違いされた女性のSNS被害(2019年)や、山梨県道志村のキャンプ場で行方不明になった女児の母親に対する誹謗中傷(同年)をめぐる裁判などを担当。

―― ネット被害に対する損害賠償訴訟を数多く担当されている小沢さんからご覧になって今回の発信者情報開示の制度改正をどう評価していますか?

小沢:制度改正によるメリットの部分と、なおうまくいっていないデメリットの部分を合わせて考えると、全体としては手放しで喜べない、つまりまだプラスの評価はしにくいと思っています。

<何がどう変わった?改善点は>

―― 個別の論点ごとに伺いますが、まず評価できる改善点は?

小沢:まず評価できる点は、アクセスプロバイダー(=インターネットに利用者の端末を接続する通信事業者など)に対する発信者情報の開示請求の手続きが従来より早くなりそうだというところです。改正施行後、これまでに審理を終えた事件では、申立てから審理が終結するまでおよそ5週間しかかかりませんでした。従来は、簡単な事件でも半年以上かかっていたと思います。

(総務省 プロバイダ責任制限法改正の概要説明資料より)
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(筆者注)従来からの制度では、誹謗中傷を受けた被害者が発信者を相手に損害賠償裁判を起こす場合、まずSNS事業者に対し発信者特定の手がかりとなるIPアドレスなどの開示を求め、その後、発信者とインターネットを接続する通信事業者に発信者の氏名等の開示を求めなければならない。損害賠償請求も含めると3段階の手続が必要で、時間と費用がかかるため、被害救済をあきらめざるを得ないケースが多かったと指摘されている。

―― 従来は発信者を特定するだけで半年とか1年以上かかることが多かったそうですが、どんな効果が期待できるのでしょうか。

小沢:具体的には今後の実例のなかで実績を積み上げていくしかないですが、少なくとも今までより早く発信者情報を入手することが期待できます。今回導入された新しい手続きは「非訟手続」なので裁判所の裁量によってある程度柔軟にできる、決定が出るのも早い。ただし、新制度で開示命令が発令されたとしても命令を受けたプロバイダー側は異議の訴えというのができて、その場合はやはり裁判手続に入るのでこれまでと同じように時間がかかります。だからプロバイダーが「うちは全件異議の訴えを行う」みたいな態度を取ってしまうと、この制度の簡易迅速化のメリットは全部つぶれかねません。結局はプロバイダーの姿勢によるので、これはもう各事業者の理解を得るしかないと思います。

―― 開示される発信者情報の対象の見直しという点では評価できる点はありますか?

小沢:悪質な投稿そのものの発信者情報の記録が残っていなくて誰が発信したか特定できない場合でも、その投稿をした人物がログインした時の記録があれば特定できる、それが開示対象に含まれるかがこれまで裁判でもたびたび争点になり、ケースごとに裁判所の判断が分かれていました。今回の法律改正でログイン時(およびログアウト時)の発信者情報も開示対象に含まれることが明確になりました。これはかなり大きな改善点だと思います。

wkj_2301_1_3.jpg 常磐道あおり運転殴打事件のNHKニュース映像より(2019年8月31日放送)

小沢:私が裁判を担当した常磐道あおり運転殴打事件の時に加害者の車に同乗していて犯行の様子を携帯電話で撮影していた、いわゆる"ガラケー女"と人違いされた女性のケースでも、人格を否定するような明らかに権利侵害に当たるネット被害を受けているのに、ログイン時の情報が対象外と判断され、裁判で敗訴したことがありました。その点、今回の改正で、投稿とログインの時間的に一番近いところで接点を見つけてその通信を媒介した事業者は開示対象者にあたるとしっかりと決めてくれた。その点が立法的に解決されたというのは大きいです。

<残された課題は>

―― 改正後もなお課題として残されているのはどんな点でしょうか?

小沢:プロバイダ責任制限法には、通信ログ(=通信履歴・記録)の保存について規定がなく、通信ログを保存するかどうかをインターネット接続事業者の判断に任せています。極論を言えば「そもそもうちは何も残していません」なんていう事業者も中にはいます。その点を何とか保存を義務付けてくれないかと思っています。半年とか、可能であれば1年間は、保存すべきということを法律で定めてほしいです。

(筆者注)『電気通信事業における個人情報保護ガイドライン』では「業務の遂行上必要な場合に限り通信履歴を記録することができる」と定めており、必要以上の長い期間、通信ログを保全しないことが原則になっている。多くの通信事業者のログ保存期間は3か月ないし半年程度と言われる。

―― 道志村の女児不明のケースでも母親に対する誹謗中傷の通信ログが提訴時にはすでに消えていたものもあったと聞きましたが?

小沢:通信ログが残っているかどうかということは、すべての案件で問題になるんですけど、道志村不明女児の件でも母親が個人攻撃ともいえる誹謗中傷の投稿を受けてから提訴の検討まで1年くらい経っていたので、当初の投稿の通信ログはもう消えていて、直近の投稿に絞り込んで対応せざるを得ませんでした。最近でこそネット上の被害が増えているから、被害にあってすぐ弁護士に相談に行く人が増えていますけど、あの頃は少なくともそこに思い至るかというとそうではなかったと思います。

wkj_2301_1_4.jpg 山梨県道志村女児行方不明のNHKニュース映像より(2019年9月23日)

―― 保存が義務付けられていないというだけでなく、そもそも通信事業者がログを実際に持っているかどうかも通信事業者側にしか分からないですよね。

小沢:現状では「ログは残っていない」と言われると、その通信事業者の言っていることを性善説で信じるしかないみたいな状況です。法律で、こういう種類の情報をいつまでは取っておくことと決めてくれれば被害者救済には役立つと思います。

―― 実務の面から見て、他に課題と感じるところはありますか?

小沢:あとはダイレクトメールの問題ですね。誹謗中傷の被害の実態として最近目立つのは、例えばツイッターだったら攻撃する相手のフォロワーに対してダイレクトメールを多数送りつけて、誹謗中傷の情報を広めていく、受け取った人が「なんかこんなの来たんだけど」と反応を書き込むことで次々に拡散していく、フォロワーというのは基本的に本人にある程度は親和的な人たちなんですけど、そういった人たちの信頼が失われたりフォロー解除になったりという実情があるわけです。元々プロバイダ責任制限法というのが色んな人から見える場所における不特定多数の通信における権利侵害に対する救済を念頭に置いているので、一対一の通信はそもそも対象にしていないんですよね。今回の改正でもこの点は変わりませんでした。それを逆手にとって誹謗中傷を広めるケースが出て来ているので、なぜこの点は救済のケアができないのかと疑問を感じています。発信者の「表現の自由」や「通信の秘密」を必要以上に制限しないためというのが理由の一つだと思いますが、開示請求を認める際の要件面で一定の高いハードルを課していることで、バランスが取れているといえないだろうかと思います。被害としては何年か前から目立ってきているので、何とかしてほしいという思いがあります。

<メディアへの期待>

―― 小沢さんが裁判を担当された"ガラケー女"人違い案件、それと道志村不明女児のケースもそうですが、そもそも発端としてマスメディアの報道があって、その情報が広まった環境の中で誹謗中傷が発生したという側面もあります。そうした観点では当事者とも言えるマスメディアに今後何を期待しますか。

小沢:誹謗中傷に対する抑止力としては、他人に対する誹謗中傷を書いたら自分の身元に関する情報が開示される可能性が高いんだということを強く認識させることが抑止になると思うんです。何か違法なことを書き込んでも責任を追及されることがめったになければ、そうした行為を助長してしまうんですよね。それが例えば通信ログの保存期間が一律1年間義務づけということになれば、「1年も通信履歴を取られたらいつ賠償請求されるか分からないからちょっとセーブしよう」という抑制が利きやすくなります。だから何らかの形で通信ログ保存が法制化されたり義務化されたりすれば被害者救済はしやすくなる。そういったところの必要性をメディアが訴えていってほしいし、必要な手続きをしたら発信者にすぐたどり着くようなそういう仕組みになってほしい。被害に苦しんでいる被害者の声をクローズアップして正しい世論形成をしていってもらうことが一番ありがたいと思います。

―― 救済以前の段階で、そもそも誹謗中傷の被害の発生・拡大を抑止するという点では、マスメディアにはどんなことを期待しますか?

小沢:例えば、人違いによる誹謗中傷の被害なんかの例でいうと、やはりネットで炎上すればマスメディアの人にはすぐ人違いだと分かるわけじゃないですか。そういう時には少なくとも「この人ではないですよ」という伝え方はできる。実際あの時は、メディアだけでなく警察に対してもそう思ったんですけど、人違いで攻撃を受けているあの女性は指名手配された容疑者に同行している"ガラケー女"と同一人物ではないんだ、と公式に否定してくれれば、それですぐ解決する話なので、ネットの情報が間違っていたら訂正情報の方を広めてほしいという点でメディアへの期待はありますね。

―― 最近マスメディアの中にはネット上の偽情報に対してファクトチェックを試みる動きも出ていますが?

小沢:偽の情報を否定する時には、ある程度多くのメディアが歩調を揃えて複数社同時に出してもらえたらなと思います。訂正情報を報じるのが1社だけだと、「特定のマスメディアの誘導だ」といって疑う人たちも居て、それがまた炎上につながる。だから例えば警察取材等で「違うんだ」という確実な情報を得たら、マスメディアから一斉に流してもらえると本当はありがたい。もちろんいろいろなケースがあるから、すごく難しいことですけど、強い影響力をもつマスメディアの"火消し"の対応というのは今後考えてもらわないといけないことかなと思います。

<インタビューを終えて>

 今回インタビューをさせていただいて最も強く感じたのは、数多くの裁判対応でネット被害者に向き合ってきた実務家だからこそ言える現場の教訓の重さでした。制度改正によって手続きの簡易迅速化の面では一定の改善が期待される一方で、通信ログの保存期間の問題やダイレクトメッセージによる被害への対応など、法制度の現状に起因する課題がなお残されていることをあらためて認識しました。
 実は、今回の制度改正をどのようなものにすべきか検討してきた総務省の有識者会議の議論でも、従来からの制度が誹謗中傷の被害を受けた人たちにとっては費用と時間の負担が重い、決して使い勝手の良いものではないことは繰り返し指摘されていました。それでもなお、投稿の発信者が誰であるかを容易には明らかにせず、一定の歯止めをかける制度上の仕組みを維持した背景には、匿名の発信者の「表現の自由」を最大限尊重すべきだという考え方がありました。
 次回、シリーズの第2回は、発信者側の「匿名表現の自由」にどう向き合うべきか、そして第3回は、マスメディアに期待される役割とは何かを考えたいと思います。