文研ブログ

メディアの動き 2020年10月26日 (月)

#278 コロナ禍の中で力を発揮する「エンゲージメント」を柱にしたジャーナリズム

メディア研究部(海外メディア)  青木紀美子


新型コロナウイルスの感染拡大で、人と人の物理的な距離を保つソーシャルディスタンスが求められる中、市民や読者・視聴者との双方向のつながりを育む「エンゲージメント」に重点を置くジャーナリズムは、孤立の不安を和らげ、市民の疑問に応え、コロナ禍が生んださまざまな問題の解決に資する役割を果たしています。読者の依頼を受けた調査報道、ジャーナリズム・オンデマンド(JOD)を実践する西日本新聞社の「あなたの特命取材班」とJODのパートナーの地方紙やテレビは、23社あわせておよそ8万人に上るLINEの「通信員」やフォロワーとのつながりを強みに、コロナ禍における人々の疑問や困りごとに応える記事を発信してきました。

世界でも、これまでのエンゲージメントのネットワークと経験を活かし、新たなつながりを広げ、コロナ禍の中での情報ニーズに対応する取材・報道が各国で行われています。ここでは2020年10月にバーチャル開催された世界最大級のデジタル・ジャーナリズムの組織、オンライン・ニュース協会(Online News Association)の年次総会ONA20 1)で、秀でたオンライン・ジャーナリズムに贈られる賞のエンゲージメント部門の賞「Gather Award in Engaged Journalism」 2)を受賞した2つのプロジェクトと最終候補に残ったプロジェクトをいくつか紹介します。

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 4000件を超えるコロナ禍に関わる質問に答えてきた
 カリフォルニアの公共ラジオSCPR(KPCC+LAist)のエンゲージメント・チーム 3)

2019年に続き2年連続でGather Award in Engaged Journalism を受賞したアメリカ西部カリフォルニア州ロサンゼルスを拠点とする公共ラジオSouthern California Public Radio (KPCC+LAist) 4)は、アメリカで感染が急速に拡大した2020年3月に新型コロナとその影響に関わる質問に答えるプロジェクトを立ち上げました。ウェブサイトの投稿フォームのほか、携帯電話を使ったショートメッセージや電話などで質問を受け付け、インターンを含めたエンゲージメントのチーム7人がニュースルームの記者やディレクターと協力して、1件1件の質問にできるだけ具体的な情報を盛り込んで返信してきました。内容は、感染のリスクや予防策、連邦政府や州政府によるコロナ関連規制の内容などから、失業保険、生活費や家賃の助成、食材の支援、住まいを失った人がどこで援助を得られるかまで、多岐にわたりました。その内容から人々の関心や暮らしの中の課題の移り変わりを学んで取材に生かし、関心の高いテーマについては記者が解説して質問に答えるオンラインのセミナーを開催しました。集めた情報を1か所にまとめたウェブサイト 5)も作り、更新しています。インターネットの普及率が低い地域には郵便で情報を届けました。3月から10月のおよそ7か月に、カリフォルニア以外の州や海外からも含め、あわせて4300件の質問を受け、全てに回答。多い時には1分間に10件の質問が届いたこともあったといいます。質問を寄せた人の多くが他では得られなかった重要な情報を入手できたと評価しているということで、エンゲージメントの責任者アシュリー・アルバラードさんは「パンデミックの中で、エンゲージメントが持つ意義はより明確になった」と話しています。


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 ニューヨークの非営利メディアDocumentedのスペイン語の新型コロナ関連情報「リソースガイド」 6)

今回が初めての受賞となるDocumented 7)は、移民のための情報発信を目的に設立されたニューヨークの小さな非営利オンラインメディアで、スタッフ3人が運営しています。スタッフは、移民の人々がどのような情報を求めているかを知るために地域での集まりなどに足を運び、その情報ニーズに大手メディアの報道が応えていないこと、またプライバシーを重視する人が多いことを知り、家族や友人とのチャットに使われているWhatsAppを使ったスペイン語のニュースレターの配信を試みることにしました。WhatsAppはアメリカなどで、日本におけるLINEに近いかたちで利用されているアプリです。スペイン語の発信としたのは、十分な英語力がない中南米からのヒスパニック系の移民が多いためです。当初は利用者がなかなか増えませんでしたが、パンデミックに見舞われ、コロナ禍に関わる情報に焦点を絞った発信を始めてから、利用者が増え、質問や情報が多く寄せられるようになりました。専門家の協力も得て、個別に質問に回答するとともに、寄せられる質問や情報をもとにした調査報道を行うようになりました。また、簡略な説明のグラフィックの記事や、文字が読めない人たちのための音声記事の配信も始めました。役立つ情報をまとめた「リソースガイド」のサイトも作ったところ、読者が他の記事よりも長い時間をかけて読む傾向がうかがえました。移民の間に流布される疑わしい情報も寄せてもらい、スペイン語のテレビネットワークUnivisionの地元局の力を借りて真偽を検証して報告、誤・偽情報を見分ける方法を伝えるオンラインのライブイベントも開催しました。このほか、コロナ禍の中での暮らしの困ったことや、助かったこと、他の人と共有したい話などを音声で送ってもらい、人々の声のコラージュとして配信しました。

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 コロナ禍の前は一方向の発信    →    コロナ禍を受けて双方向に情報が循環するように 8)

オーディエンス・エディターのニコラス・リオスさんは、コロナ禍の中でのエンゲージメントの経験を通して「人々は自分たちがどのような情報を必要としているかを、我々よりもはるかに良く分かっていることに気づかされた」と話しています。以前は一方向だった情報発信が、コロナ禍を受けて、上の図のように双方向に情報が流れる循環に変わったといいます。

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 アルゼンチンの大手紙La Nacionのマルチメディア記事の一部と、
 国外に取り残された個々人の物語を集めたウェブサイト 9)

賞の最終候補に残ったアルゼンチンの新聞La Nacionのプロジェクト 10)は、コロナ禍で政府が国境を閉鎖する「ロックダウン」を実施した際に、アルゼンチンから出たまま、国外に取り残された渡航者2万人あまりが直面した困難の実態を伝えるためのエンゲージメントを試みました。ソーシャルメディアなどを使って配布した調査票に記入してもらうかたちで2000人以上の状況や滞在地、連絡先などの情報を集め、これをもとにデータベースを作り、全体状況を伝える記事をマルチメディアで発信しました。世界各地から情報を寄せる人たちが帰国するまで、およそ2か月にわたってWhatsAppなどで対話し、お金が無くなったり、犯罪被害にあったりしながら、帰国の道を探る140人以上の物語を伝えました。また、アルゼンチンから出国できなくなった海外からの渡航者の取材も同じように行いました。こうした報道の一方で、アルゼンチンに帰国できない人たち、アルゼンチンから母国に帰ることができない人たちを家族や支援者とつなぐ役割も果たしました。

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 非営利調査報道メディアThe Marshall Projectが受刑者向けに発行するNews Inside 11)

最後にもう一つ、Gather Award in Engaged Journalismの最終候補で、社会的に隔離された中でのエンゲージメントが、コロナ禍に限らず大きな意味を持つことを示したジャーナリズムの例を紹介します。アメリカの刑事司法制度やその運用面の問題を専門に伝える非営利の調査報道メディアThe Marshall Project 12)のNews Insideです。編集責任者のローレンス・バートリーさんは自身も長年、服役した経験があります。17歳の時に映画館内で起きた少年どうしの争いに巻き込まれて銃を発砲し、人を殺めた罪で27年間、服役しました。2018年の仮釈放後にThe Marshall Projectの記者になり、2019年、受刑者のためのNews Insideを創刊しました。刑務所ではインターネットやテレビ、新聞、書籍など情報へのアクセスが制限されているため、こうした刑務所のルールに抵触しない内容に編集した雑誌として配布しています。刑法の改正や、被告や受刑者の権利、釈放後の社会復帰など、受刑者にとって重要な情報を提供するとともに、受刑者から寄せられる情報をもとに調査報道を行っています。コロナ禍の中では、刑務所での感染拡大の実態や予防策についても情報を発信してきました。創刊から2年に満たないNews Insideはカナダを含め、500以上の施設で配布されるようになり、教材としても使われています。

厳しい状況に直面する人たちのため、新型コロナの危機の中でも力を発揮しているEngaged Journalism。その背景にある考えや多様なエンゲージメントの具体例については、放送研究と調査の2020年3月号でまとめるとともに、実践者の思いや軌跡を6月号7月号8月号の3回にわたって紹介しています。また、今回、紹介したプロジェクトをはじめ、多様なエンゲージメントを試みるジャーナリストが情報交換をする場「Gather」 13)をGather Award in Engaged Journalism賞のスポンサーでもあるオレゴン大学Agora Journalism Center 14)が設けています。



1) https://ona20.journalists.org/
2) https://awards.journalists.org/awards/engaged-journalism/
3) https://medium.com/engagement-at-kpcc/how-kpcc-embraced-its-role-as-las-help-desk-and-what-we-ve-learned-along-the-way-10b548ea23ca
4) https://www.scpr.org/
5) https://laist.com/how-to-new-la/#
6) https://documentedny.com/2020/04/21/guia-de-ayudas-para-inmigrantes-durante-la-pandemia/
7) https://documentedny.com
8) https://medium.com/documentedny/how-we-changed-our-pandemic-coverage-thanks-to-our-audience-c6ef3de39a44
9) https://www.lanacion.com.ar/sociedad/varados-viaje-pesadilla-sin-fecha-regreso-nid2360497
10) https://origenblogs.lanacion.com.ar/projects/original-online-reporting/stranded-abroad/
11) https://www.themarshallproject.org/tag/news-inside
12) https://www.themarshallproject.org/
13) https://medium.com/lets-gather
14) https://agora.uoregon.edu/