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ドキュメンタリー
2017年07月28日

「玉木宏 音楽サスペンス紀行~マエストロ・ヒデマロ 亡命オーケストラの謎~」by茂手木

玉木宏さんといえば硬軟幅広い役柄をこなす実力派ですが、私たちの脳裏には何といっても、もう10年前になる「のだめカンタービレ」の千秋役で見せた颯爽(さっそう)とした若手指揮者の姿が焼きついています。その玉木さんが旅人としてヨーロッパを駆け回り、秘められた謎を追う今回の番組の主人公こそ、正真正銘のプリンスであり、戦前欧米で活躍した日本人指揮者近衛秀麿 このえ ひでまろなのです。

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近衛秀麿(1898~1973年)は日本のクラシック音楽の先達であり、オーケストラの父とも呼べる人ですが、亡くなって44年も過ぎ、今はその名を知る人も少なくなりました。有名なベルリンフィル最初に指揮した日本人で、戦前ドイツを中心に世界各地のオーケストラを指揮して活躍。しかし時のナチス政権下で迫害されたユダヤ人を救う活動もしていたというのです。

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秀麿は公家の名門近衛家に生まれ、兄は首相も務めた近衛ふみ麿まろ。財力にも人脈にも恵まれ、当時日独友好のシンボルとして音楽大使の役も務めていました。そんな立場の、いわばナチス協力者にも見える男が、裏でユダヤ人を救う?それは本当なのか?そんなことが可能だったのか?

秀麿本人は、戦後その著作の中でユダヤ人救出のことを、慎重に事実関係を伏せ、ごく限られた表現で記しているだけで、詳しいことは分かっていませんでした。戦時中の対独協力にせよ、ユダヤ人との関係にせよ、戦後かなりのあいだ人々の間で語ることがタブ-になっていたのです。ただごく限られた家族にはその一端を語っていました。

番組では玉木宏さんが秀麿の行動の謎を追って、ヨーロッパ各地で当時を知る関係者を訪ね、貴重な証言を引き出しました。ドイツ、ポーランド、フランス、ベルギー…。


証言者のほとんどが90歳以上、最高齢は107歳の方もいました。

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そして驚くべき事実が次々と明らかになってきたのです。ナチスの眼を欺き亡命者を導いたレジスタンスの女性、最後の国境越えを案内する“パッサー”と呼ばれる男性、秀麿が最後に組織した私設オーケストラメンバーの遺児による決定的証言…。

謎が謎を呼び、玉木さんの旅は行きつ戻りつ核心へと迫ります。人生ありったけの力を振り絞った証言者たちの迫力は、俳優、出演者という立場を超えて玉木さんにも番組スタッフにも力を与えてくれました。

ポーランドのワルシャワでは、映画「戦場のピアニスト」で名高いピアニストのシュピルマンと秀麿の意外な縁が垣間見え、またナチスに音楽演奏を禁じられる中、秀麿が当地で行った謎のコンサートの再現も、現地音楽家たちの協力を得て実現しました。(この再現コンサートの全貌は、当日深夜BSプレミアム「死の都に響いた未完成交響曲」で放送します。

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秀麿が亡くなって44年の歳月がたちます。私事になりますが、その最期のいっとき筆者は秀麿の指導を受けたことがあります。アマチュアの学生オケの一員として何回か練習していただき、さあ本番という直前、急死されました。わずかに接した最晩年の秀麿は、この番組で描かれた活躍ぶりからは遠い、穏やかでやさしい語り口の、長身でやや猫背の好々こうこうだったことを思い出します。当時はほぼ引退状態で、たまに学生の指導などしていたものの、秀麿の死は日本の音楽界にとっては大きな出来事でした。予定されていたコンサート本番は、ベテラン指揮者・渡邊わたなべあけさん(故人)が急遽駆けつけ、追悼の会となりました。

秀麿の急逝により、戦時中の行動を本人から直接聞く機会は失われました。また本人の遺した膨大なメモ、記録、楽譜等も未整理のまま近衛家に眠ることになりました。

その資料を、御家族や音楽プロデューサーの菅野冬樹さんが、少しずつ整理し行動の記録を明らかにする中から今回の番組企画が立ち上がっていったのです。

来年は秀麿の生誕120年。いまだ資料には未整理のものもあり、秀麿の謎も完全に解明されたわけではありませんが、番組を通じて人間と音楽の力を信じ、愛したこの巨人の存在体感していただければ幸いです。


★放送予定→番組情報はこちら
スーパープレミアム「玉木宏 音楽サスペンス紀行 ~マエストロ・ヒデマロ  亡命オーケストラの謎~」
【BSP】7月29日(土)午後8:00~9:59

(関連番組)
「死の都」に響いた「未完成交響曲」~1943.9.28 戦火のワルシャワ公演を再現する~
【BSP】7月29日(土)午後11:45~0:34

茂手木 秀樹(もてぎ ひでき)

【コラム執筆者】
茂手木 秀樹(もてぎ ひでき)

1976年 NHK入局。2009年退職。NHKエンタープライズEP。今回、学生時代の縁もあって番組プロデューサーとして参加。