BSオンライントップ > BSコラム > 渡辺支配人のおしゃべりシネマ館「溝口健二監督・雨月物語」

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col_mon_110711_01.jpg 「山田洋次監督が選んだ日本の映画100本 家族編(50本)」 7月17日(日)は溝口健二監督の「雨月物語」。戦国時代を舞台にした上田秋成の原作を、川口松太郎と依田義賢が脚色、名カメラマン・宮川一夫が作り出した幻想的な映像美が高く評価され、ベネチア映画祭で銀獅子賞を獲得した世界的な名作です。

前にも書きましたが、映画が公開された昭和28年(1953年)は日本映画の絶頂期で、この年のキネマ旬報ベスト10は激戦となり、(1)今井正の「にごりえ」(266点)、(2)小津安二郎の「東京物語」(244点)、(3)溝口健二の「雨月物語」(227点)、(4)五所平之助の「煙突の見える場所」(207点)が上位を占めました。今回、4作品とも放送されますので、ご自分の目で作品の価値を再確認する良いチャンスです。

溝口健二監督は1898年5月16日、東京生まれ。日露戦争後、父の事業の失敗で家が倒産したため幼少時は貧しかったといいます。小学校の同級生に後に「愛怨峡」(37)、「祇園囃子」(53)、「雨月物語」(53)などでコンビを組む作家・川口松太郎がいました。15歳で浴衣の図案屋に奉公に出ますが17歳で母と死別、姉の援助で画家・黒田清輝が主宰する洋画研究所に学びます。多くの名監督がそうであるように、溝口健二も絵画の素養(絵心)があったということです。また、父とは不仲でしたが、母と姉への思慕が深く作品に投影されているのも、わかるような気がします。
20歳のとき神戸の新聞社の広告図案係になりますが1年でやめ、東京の姉の家に居候しながら活動写真や読書に没頭するうち、監督助手として日活撮影所に正式に入社、24歳で監督に昇進します。初期には外国文学の翻案やメロドラマなど多彩な作品を手がけ、キネマ旬報で日本映画のベスト10が始まった最初の年(1926)、28歳の溝口健二は「紙人形春の囁き」でベスト10入り(7位)を果たし、早くも女性を描かせれば当代随一という定評を得ます。翌年、「慈悲心鳥」が7位、29年「都会交響楽」が10位、33年「滝の白糸」が2位、そして36年「祇園の姉妹」が待望の1位、「浪華悲歌」が3位となり、ついに頂点に立つのです。「祇園の姉妹」も来年1月に放送する予定です。その後も「愛怨峡」(37)が3位、「あゝ故郷」(38)が3位、「残菊物語」(39)が2位、「浪花女」(40)が4位、「芸道一代男」(41)が4位、「元禄忠臣蔵 後篇」(42)が7位と抜群の安定感で、日本を代表する大監督となっていくのです。

戦後、一時期スランプに陥りますが、黒澤明の「羅生門」がベネチア映画祭で金獅子賞に輝いた翌年、溝口監督の「西鶴一代女」(52)はベネチア映画祭監督賞を受賞、フランスのヌーベルバーグにも大きな影響を与えたと言われています。さらに翌53年の「雨月物語」、54年の「山椒大夫」もベネチア銀獅子賞と、3年連続受賞の快挙を果たします。その後、「近松物語」(54)、「楊貴妃」(55)、「新・平家物語」(55)、遺作となった「赤線地帯」(56)を撮ったあと、56年5月、西鶴の「大阪物語」を準備中に体調を崩し入院、8月24日に白血病のため58歳で亡くなります。

渡辺俊雄(わたなべ・としお)

1972年、アナウンサーとしてNHK入局。10年以上「衛星映画劇場支配人」として映画に関連する番組の制作や出演、ナレーションを担当。

渡辺俊雄(わたなべ・としお)

投稿時間:12:00 | カテゴリ:映画

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