BSオンライントップ > BSコラム > 渡辺支配人のおしゃべりシネマ館「新藤兼人監督・裸の島」

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col_mon_110530_01.jpg「山田洋次監督が選んだ家族の映画50本」、6月5日(日)は、通算12本目となる新藤兼人監督の「裸の島」です。映画が公開されたのは昭和35年(1960年)。60年代に入り、街にはアイビールックの若者が闊歩(かっぽ)し、映画界では松竹ヌーベルバーグが台頭、洋画では「ベン・ハー」「アラモ」などの超大作がヒットする一方、「太陽がいっぱい」に主演したアラン・ドロンの人気が急上昇したころでした。

こうした中、ひときわ異彩を放ったのが新藤兼人監督の「裸の島」です。瀬戸内の小島で13人のスタッフと2人の俳優が合宿生活しながら映画を作るという、これまでの常識をくつがえす画期的な方法を押し通し、ほとんどセリフがない無声映画に近い作品を作りあげ、モスクワ映画祭でグランプリを獲得、キネマ旬報ベストテンでも、堂々6位に食い込みました。ちなみに、この年の1位は「家族の映画50本」にも入っている市川崑監督の「おとうと」でした。

新藤兼人監督は、1912年4月22日、広島県生まれ。先日、99歳になりましたが、現役最高齢監督である新藤さんは、去年、自らの体験をもとに98歳で「一枚のハガキ」を作りあげ、東京国際映画祭で審査員特別賞に輝きました。この夏一般公開されるこの映画が「映画人生最後の作品」と、おっしゃっていますが、何しろ超人的な方なので、私はまだまだ、お作りになるのではないかと思っています。そういえば、新作「一枚のハガキ」でも、「裸の島」の乙羽信子さんと同じように、小柄な大竹しのぶさんに水くみをさせるシーンがあります。きっと新藤監督にとっては、重要なシーンなのでしょう。超高齢監督としては、1908年12月11日生まれで、100歳を超えた今も映画を撮り続けているポルトガルの超人マノエル・ド・オリヴェイラが有名ですが、新藤さんも偉大なる鉄人です。

新藤さんは広島市近郊の石内村の豪農の家に四人兄弟の末っ子として生まれましたが、経済恐慌のあおりで家は倒産し、一家離散となります。最近、映画にもなった「石内尋常高等小学校 花は散れども」(08)でも描かれていますが、体は小さいが負けん気の強い新藤少年は、立川文庫を読みふけり、広島市内で上映されていた活動写真に夢中になります。そして、22歳の時、尾道の映画館で山中貞雄監督の「盤嶽の一生」(33)を見て、映画監督を一生の仕事にすることを決意し京都へ向かい、新興キネマ撮影所の現像部にもぐりこむのです。
京都で現像の仕事をしたあと、東京撮影所の美術部に転籍、溝口健二監督の「愛怨峡」(37)の美術助手をつとめます。このころから自己流のシナリオを書き始め、脚本部に移籍します。溝口監督とは因縁が深く、「元禄忠臣蔵」(42)では建築監督をつとめ徹底した時代考証を学び、自作のシナリオも提出しますが、それを読んだ溝口監督に「これはシナリオではありません。ストーリーです」と一喝された話は有名です。
しかし、この悔しさをバネに猛勉強した新藤さんは、戦後、マキノ正博や溝口健二作品のシナリオをまかされるようになり、47年、吉村公三郎監督の「安城家の舞踏会」(この作品も山田洋次監督が選んだ家族の映画50本に含まれています)がキネマ旬報ベスト1に輝き、シナリオライターとしての地位を固めるのです。

50年には日本の独立映画の草分けとなる「近代映画協会」を設立し、自身初の監督作品「愛妻物語」(51)を発表、自作の脚本を自ら映画化する独立映画作家として歩み始め、「原爆の子」(52)、「縮図」(53)、「どぶ」(54)、「第五福竜丸」(59)などの力作を作り続け、「裸の島」に至るのです。
その後、キネマ旬報ベストテン入りした作品だけでも、「人間」(62年・6位)、「母」(63年・8位)、「悪党」(65年・9位)、「本能」(66年・7位)、「かげろう」(69年・4位)、「裸の十九歳」(70年・10位)、「わが道」(74年・6位)、「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」(75年・1位)、「竹山ひとり旅」(77年・2位)、「北斎漫画」(81年・8位)、「さくら隊散る」(88年・7位)、「ぼく東綺譚」(92年・9位)(注:「ぼく」は正しくは「さんずい」に旧字体の「墨」)、「午後の遺言状」(95年・1位)、「三文役者」(00年6位)と、人間の根源的な部分に迫る意欲作を撮り続けています。映画監督になって60年、監督した作品は48本、脚本を手がけた作品は230本を数えるなど、日本映画史上これだけ長きにわたって活躍し続けた監督はいません。

新藤さんとは何度かお会いする機会がありましたが、そのエネルギーの源は、小柄ながら分厚い胸板と、旺盛な好奇心にあると確信しています。お話もお上手で、私は新藤さんが文化勲章を受章された2002年に、受賞記念パーティーの司会を引き受けたことがありますが、その時のスピーチの見事さは、今も心に残っています。

渡辺俊雄(わたなべ・としお)

1972年、アナウンサーとしてNHK入局。10年以上「衛星映画劇場支配人」として映画に関連する番組の制作や出演、ナレーションを担当。

渡辺俊雄(わたなべ・としお)

投稿時間:12:00 | カテゴリ:映画

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