FILE086:「<私>探し」
2009年10月6日放送
永井均(哲学)
「私はなぜ私なのか?」「なぜ私は存在するのか?」
子どものころに抱いた素朴かつ根源的な疑問に50年以上にわたって挑み続けてきた孤高の哲学者・永井均。
「他者とのかかわりの中にしか<私>は存在しないのでは?」という太田との対話は、デカルトからオズの魔法使いにまでおよび、ヒートアップしていく。
「もし太田のコピーが100人いたら?」など、永井が次々に繰り出すユニークな思考実験を通して浮かび上がる、深遠で比類なき<私>とは?
今回は、哲学と真っ向勝負!
一見何の役にも立たない哲学。しかしそれは、人間存在の基礎研究であり、人工知能から生死の倫理にまで根底で関わる問題なのだ。
たまには本気で、哲学と真っ向勝負!
永井均(ながいひとし)
1951年生まれ。慶応義塾大学卒業、同大博士課程単位取得。
信州大学、千葉大学教授を経て日本大学教授に。『〈子ども〉のための哲学』『〈私〉の存在の比類なさ』『私・今・そして神』『マンガは哲学する』『なぜ人を殺してはいけないのか?』等、著書多数。
今回の対戦内容
永井均(ながいひとし)/爆笑問題
永井:僕の場合は子どもの頃にですね、ある疑問を持ったわけです。それはどういうのかというと、いっぱい同じぐらいの背格好の子どもがいるのに、その中で何でこいつが僕なんだろうと。永井均という名前だった、今もそうですけど、そいつが何で僕なんだと。他のやつは僕じゃないって、全然違いますね。殴られても痛くもかゆくもないですね。こいつだけ痛くて、こいつの目からだけ世界が見えていて。それで、まあこれだけ体が動かせて、こいつ、何でこいつなのかっていうのがまあごく小さい時に思った問題ですね。
太田:いくつぐらいの時?
永井:それは漠然と思ったのは幼稚園の頃に思ったんです。
太田:幼稚園!?
永井:それは漠然とね。その今言ったのに近い形で思ったのは、小学校の3〜4年ですね。
田中:そんなこと考えないよね。
太田:はえー、スピード王だな!
先生の対戦感想
永井均(ながいひとし)
爆笑問題のお二人は、テレビの通りですね。これが仕事って、何か大変だな。だって、次々とこういう、わけの分からない話をする人のところに来て、週1回とはいえ、話を聞いて、何かリアクションしなきゃならなくて。これはまあ、普通の人ではとても出来ないですね。大変な方だなと思いました。面白かったです。
これをみた人で、哲学に引き込まれる人がいたら引き込みたいですね。でも、これで引き込まれるって相当変な人ですね・・・。
爆笑問題の対戦感想
田中:まあ答えは見つからない、毎回そうですけど。それが先生は50年以上ずっとそれを追求しているっていう。当然答えは出ないって分かっていながら、それでも行くっていう。なかなかそこまで一つのことって、まあ一つって言ってもね、もちろんそこからいろいろ派生していくんでしょうけど。おそらく僕らが今日ここで何か思うような疑問とかっていうのは、過去に何百、何千回って多分考えたりもしたことなんでしょうけれども。哲学をずっと研究している人っていうと、何か気むずかしいおじさんみたいなイメージが何となくね。そういう感じではなかったですけどね。
太田:たまたまここのところずっと臓器移植のことで考え事をしていたから、本来だったらああいうことっていうのは、医学ですからね。で、政治もかかわってくるわけで。そこでスパッと判断せざるを得なくなっているわけでしょ。社会の動きと政治の動きとそして医学と。でも、そこで問題になるのは、中心にあるのは、じゃあ死ってどこからっていう線引きっていうのは、むしろすごく哲学的なことなので。ジャンル別って言ってられないような状況ですよね。
おれはね、哲学と他の学問と、何か同じ目的でないような気がしているので。先生みたいにその中にいるんじゃない、ちょっと無責任な立場で見れるから。他の学問のいいところと、何となくつじつまを合わせることなんかも出来るんじゃないかという気がしている。
ディレクター観戦後記
世界的な不況とも言われる今日。
現実に、そしてすぐに役に立つことが重視され求められる空気が日常をおおっているように感じます。
さて、「私とは何か?」などという問いを考えることはいったい何かの役に立つのか。そんな暇はない!と誰かに通りすがりざまに言い返されてしまいそうです。でも、「なんで僕はあの子として生まれてこなかったのかな?」とか、「僕が生まれてきた意味って何だろう?」とかいった問いは、おそらく誰しも幼い頃にぼんやりと考えたことのある問いではないでしょうか。
いつのまにか私たちはそのような問いを役に立たないと決め込んで、捨てたか忘れてしまったのかもしれません。もしかすると、それらを捨てず忘れずにいたのがあるいは哲学者と呼ばれる人々なのかも―。
そして、番組を作りながらふと思ったのは、何かを問う時、「役に立つかどうか」という問い方そのものが本当に正しいのかな、ということ。
むしろ「役に立つかどうか」からこぼれおちてしまうもの、そんな物差しでははかりきれないようなものをこそ問うことが哲学することなのかもしれません。
「役に立つ」ものはたしかに生きていく上で必要です。でも、私たち人間はただ生きるだけでなく、よく生きることを欲するものだから、それだけでは足りないのかも―と、おこがましくも哲学っぽいあれこれをつづってしまいましたが、今回の永井均先生×爆笑問題のお話は、この<私>の哲学を始めることを誘惑するものだと思います。
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