「爆笑問題のニッポンの教養」スペシャル:『表現力!爆笑問題×東京藝術大学』
2009年8月17日放送
8月17日(月)よる10:00〜11:13<73分スペシャル>
「表現力!爆笑問題×東京藝術大学」
自分を表現するってどういうこと?その答えを探しに、爆笑問題が、芸術教育の最高学府・東京藝術大学探検ツアーに乗り込む。太田・田中が藝大ブラスバンドを相手に指揮者体験。半年に一度行われる絵画やデザインの講評会に飛び入りして、言いたい放題。
そして、ツアーの締めくくりは、やっぱり!激論。藝大の学長や教授陣、そして数百人の学生たちを巻き込んで、「本当の表現とは何か」について語り合う。当番組のテーマ曲を担当するジャズ界のカリスマ、菊地成孔も参加。
真夏の藝大スペシャルは、暑くて、熱い!
宮田亮平(東京藝術大学学長)
菊地成孔(ジャズ界のカリスマ)
今回の対戦内容
/爆笑問題
太田:つまり、表現なんて別にどこの舞台でもいいやって思っているから。
菊地:でも、彼らは選んだわけだから。
太田:そうそう、だからこそおれから見ていると、すごく不安なんじゃないかなと思ってるわけ。
菊地:あの、自分を表現するんだっていうことは、比較的たやすく出来るんじゃないかと思うんですよ、皆さん。それよりも、それが出来た後、それが社会の中でどうやって消費されるかの方がかなりでっかい問題になっちゃっていて。皆さんそのことを言ってるわけじゃないですか。だけどぶっちゃけちゃって、全員自分を表現するのが目的で、方法は何でもいいんだ。全員そうなりましょうっていって。
太田:なりましょうって勧めているわけじゃないけどね。
菊地:もちろんそうだけど、ある時そうなって、もうフルートとか関係ないんだと。オルガンも関係ないんだと。オルガンは裸で弾けばいいと思うけどね。
太田:オルガンは裸で弾けばいい?
菊地:一発だと思うけど、まあそれはともかく、そうなっちゃったら、それは一種の社会変革じゃないですか。話グルッと戻っちゃって。社会が変わることになっちゃいますよね。ジャンルがなくなるんだから。
だから、ジャンルをどれだけ守るのか守らないかの話と、どれが社会の真ん中に来るかっていう、要するに状況の話っていうのがくっついちゃっているから。
太田:つまりそうするとね、どこで自分を許せるかっていう問題だと思うんです。
菊地:僕が思うのは、生々しさっていうのがどんどん増していると思う、かえって。パソコンなんかによって。今日だって、生まれて初めて、テレビでいっぱい見ているけど、初めてこの至近距離で田中さん見るっていうことで、ちょっと興奮しているわけですね。その生々しさがあるわけ。で、その生々しさも、実はそんなにもたないんだけど。2時間ぐらいたっちゃうと、もうああ、テレビで見ているあの感じだっていうふうに戻ってきて、ちょっともう今眠いんですけど。
田中:眠い?眠いって何ですか?
菊地:暑さもやられちゃって。あるんですけど。だけどオルガンもそうだし、クラシックもそうだけど、漫才もそうだし、ジャズもそうなんだけど、いざ聞いたらすごいね、生々しいねっていうのが10年前、20年前よりはるかに上がっていると思うんですよ。
田中:今の方が?
菊地:うん、マスメディアが発達したおかげで。
先生の対戦感想
宮田:今日はね、まずは現場を見てもらいたいと思っててね。音楽や美術、それにお二人は感動してくれたのかなって。でも、学生たちが討論の中で言っていた、芸術で食べて行くのは難しい、だからどうしたらいいか、それに対して答えは実はないんだよね。ただ、芸術の面白さっていうのは、待っていては厳しいからうんぬんっていう話じゃなくて、前に出ていけば必ず人は感動してくれるというところにある。ホールで待っているのではなくて、自ら出ていくということ。それをやっぱりつくづく感じた。あそこで僕は、太田さんに牽制を掛けられたけど、僕が答えることではないし。めちゃめちゃ歯がゆかったんだけどね。
あとね、ああいうふうにスピード、スピードって言われてもね、僕の中ではめちゃめちゃ速いと思っているわけだよね。自分の中でイメージがわいたら即作る。でも作るには作品によっては2か月掛かるものもあるわけだよね。それはね、彼の言う、即伝わる、とはちょっと違うのだけどね。でも、作り上げてしまえば、今度はずっと残るわけですよね。言葉は即しゃべる、即伝わるという武器はあるけど、その後は忘れ去られていくという辛さがある。だからどっちがいいかだよね。
彼は自分がテレビや舞台の現場にいるから、余計にその場で良かったって言わせなければ帰せないし、自分も帰れないっていう部分があるんですよね。僕らはそうじゃないからね。彼らの危機感というか、そういった部分での違いは、前回もちょっと感じたけど、今回もまた感じましたね。
でもこれだけ学生と先生たちとが一堂に集まる機会もないからね、だからみんな多分今日はね、酒を飲んでワーワーやると思う。いいきっかけになりました。ありがとうございます。
菊地:全体の感じは・・・懐かしいっていうかね。60年代ぐらいにテレビでよく討論会とかあったじゃないですか。テレビタレントであり漫才師であるっていう方が、芸大っていう場所で学生や先生と話すっていうことのいい意味での古さっていうか。新しいものがいいっていうんじゃなくて、ある種もうどっちも古典的なものであって、そういう安定的な古さの懐かしさ、良さが出た感じだと思いますよ。このキレキレの先端の話じゃないっていうね。そこが良かったですね。癒しがありましたね。
音楽というメディアは即時的なメディアで、その場で演奏され、作曲に何年も掛ける人はいるかもしれないけれども、演奏が一瞬であるのに対して、一番時間的なスパンが長いのは彫刻、その次は油絵というふうに、絵画的なメディアは最初から時間的な構えが全然違うんで、それを無理繰り切羽詰まったその場の瞬間でやれと言われても、油絵を目の前に描くわけにいかないしね。だから、議論の構え方として、美術の子たちがその感覚は違う、と言い、音楽の子たちは自分たちの身に降りかかることだということで反応するということがあっても全く不思議ではないと思います。
メディアが変わって社会が変わるに従って、学生の感じも変わってくるって、これもまた一方で当たり前のことであって。今日はこういう形式だったので、普段接している学生の顔よりも熱い感じでしたけどね。討論会っていうメディア自体が人を熱くさせるからしょうがない。まあ、とにかく暑かったですよ。
爆笑問題の対戦感想
田中:今日は本当に指揮をやらせてもらったり、パイプオルガンを弾いたり、いろんな美術作品とかね、ちょっと変わったパフォーマンスとかも見れて、普通に仕事というよりも、何かこう、何て言ったらいいのかね、文化祭を見に来たみたいな感じで、遊びに来ちゃった感じで楽しかったね。
太田:何でゲストに進行だの何だの、いろいろ任せちゃうんですか、我々は。
田中:ほんとにね。でも、何かこの場所と環境が素晴らしくて、本当に楽しんだね。
太田:いやあ、楽しかったよ。だけど、まあ声ちょっと枯れちゃったね。やっぱりね、いい環境だけど、屋外っていうのはね、もうやめよう。本当に声を張らないとね、ならないんだよ、屋外って。
田中:確かにね。
太田:でも非常に充実した時間を過ごさせていただき・・・
田中:すげえ疲れてんじゃねえか!
太田:へろへろになってます。
田中:一番思い出すのは、チッポっていう人がやっぱり思い出しちゃうね。インパクトが強くて・・・。
あとオルガン!もうちょっとね、パイプオルガンすごいからね。うん。
太田:ほんとだよな。あの気持ち、せっぱ詰まったあの気持ちは、本当によくわかる。
でも、気が付いたらまたいつものおれの悩み相談みたいになっちゃって申し訳なかったなと。学生さんたち相手に悩みぶつけてどうするんだっておれも途中から思っていたんだけど。
田中:思ってたのかよ!
太田:それにしてもみんなすごく鋭い。不毛だって言ってた彼女、糸がね、それぞれの糸がっていう表現はやっぱり面白いなと思ったね。オリジナルだよな。今日のテーマにもなってたけど、おれもやっぱり学生時代は、唯一、金だの何だの考えずに、芸術っていうものを追求出来る、それをやっていて許される時代だったなとも思うしね。それでも若いときっていうのは、それでいいのかって悩んじゃうんだけど、今から考えると、すごくいい時代だって思うな。
田中:まあでも本当に楽しかったね。でもちょっと宮田学長とは、物別れ的な感じで、第三弾があるんじゃないかな・・・。
ディレクター観戦後記
2009年7月14日、関東地方に梅雨明けが発表された日に、今回の収録は行われました。
セミの声が鳴り響く真夏の東京芸大スペシャル、いかがでしたでしょうか?
ファンファーレのお出迎えに始まり、指揮者体験、パイプオルガンの無限の音色、油画専攻の“自由”すぎる傑作たち、学内就職率No.1デザイン科でのそれぞれの表現力。随所でちょっと“普通”じゃない感じが漂いながら・・・、最後の公開討論では、本当の表現とは?という1テーマを巡って、学生の皆さんや先生方のキラキラした言葉がたくさん飛び出した激論になりました。
かなりの暑さのなか展開された1日限りの藝大ツアーでしたが、実は私の脳内ではずっとベートヴェンの交響曲第9番が流れているような、ずっとそんな感じでした。
ベートヴェンの交響曲第9番「合唱」は、年末に各地で演奏されるいわゆる“第九”です。この交響曲を日本で初めて全曲演奏したのは東京藝術大学音楽学部(旧東京音楽学校)なのです。
だから、というわけではないのですが、公開討論でだんだん議論が白熱してくるあたり、第4楽章の男声と女声の合唱がどんどん重なってくるあたりと交錯してくるようで、その場の空気に酔っていくような、どんどん気持ちよくなっていく感じでした。(ちょっと危ない)
藝大ブラスを前に指揮を体験した太田さんが、「気持ちを一緒にすることがすごく難しいね」と言っていました。それでも、最後の討論では、みんなそれぞれに違う意見を言っていましたが、気持ちは一緒だったように思います。
自分を表現したい、自分を伝えたい、今や誰でも手軽に・気軽にできることに、こんなに真摯に向かい合っている姿に間近で触れることができて、本当に気持ちいい収録でした。(編集はとても大変でした)
プロデューサーの編集後記
「そんなものはみな大したことでない」という詩があります。表現、というと思いだす、
棒のような細長い人体彫刻を作り続けたアーティストの言葉です。
そんなものはみな大したことでない。
絵画も 彫刻も デッサンも
文章、はたまた文学も、そんなものはみな
それぞれ意味があっても
それ以上のものでない。
試みること、それが一切だ。
おお、何たる不思議のわざか。
(「ジャコメッティ 私の現実」矢内原伊作 宇佐見英治編訳 みすず書房)
こんなにきっぱりとはいかない世の中になってきました。この番組だって、放送に出た瞬間から、昔だったら考えられないような数の感想や意見がネット上にあふれ、視聴率などのデータで分析され、猛烈に消費されていくわけです。
これは、何でも「わかったような気になる」世界と言い換えることもできそうです。
こんな時代に「個性」「自分の表現」なんて本当にあるのだろうか?批評眼はもちつつも、批評家にならないで、ものを作ったり、伝えることは難しい・・・アーティストといわれる人だけでなく、たぶんみんなの悩みです。
今、表現って何だ、という結論がでるはずもない問いに、いつものごとく、どかんとぶつかってみました。何か、批評でないものが少しでも残っていただけることを願いつつ。
爆笑問題、東京藝術大学の教授陣、学生たち、菊地成孔さん、本当にありがとうございました。
最後に、最後の討論を聞きながら頭に浮かんできた、表現の極意かもしれない赤塚不二夫さんの名言を。
「もっと、真面目にふざけなさい」
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