FILE070:「シンプル最高/再考」
2009年4月28日放送
原研哉(デザイン思想)
「デザイナーズマンション」や「デザイン家電」など、“デザイン”という冠のついた商品があふれ、刺激的なスタイリングをデザインと称する風潮がある。しかし、そもそもデザインとは、付加価値ではなく,形の合理性を探り当てる営みである。それは時に「シンプル」という言葉に短絡されがちであるが、日本を代表するグラフィックデザイナーであり、武蔵野美術大学教授・原研哉は、「シンプル」という言葉をこそ捉え直すべきだ、と主張する。
果たして、原の考える「シンプル」とは何か?原にとってシンプルを再考することは、日本人デザイナーとしての自身のアイデンティティを再考することでもある。
“何もないが、すべてある”。茶の湯の精神のように、簡素の中に想像力を働かせて豊かな幻想を感じさせることこそが、日本が世界に誇る“シンプル”の思想だと言う原。過剰な装飾を一切排除したその作品の数々は、世界のデザイナーや研究者から高い評価を得ており、国内外でいくつもの賞を受賞してきた。
デザインの本質とは何か?デザインから見えてくる日本文化の独自性とは何か? 日本から世界へ、新しいデザインの在り方を問いかける第一線のデザイナーと爆笑問題が、徹底的に語り合う。
原研哉(はらけんや)
今回の対戦内容
原研哉(はらけんや)/爆笑問題
原:僕なんかが言いたいのは、日本の伝統ということをね、今見ましょうということではなくて、そういう感覚があると、僕らの中に。そういう感覚資源を使って、今、今ですよ。今という社会、時代の中に何か作りたいなと。そういうものに聞き耳を立ててみると、その今ガサガサした世界だけれども、その中に結構いい、寄与出来るいいものが、今の社会の中で取り出せるかもしれないっていう気がするわけね。
太田:ていうのは、もう要するに我々の何ていうのかな。アイデンティティじゃないけれども、根っこがそういうところだから、スッと気付かないうちに、もうそれ言いっこなし、言いっこなし、言いっこなしで、ウッと行っちゃうことが、おれは一番それが日本人はものすごくいとおしいんだけど、そういう日本人ってすごくいとおしいんだけど、じれったいしばかだなって思うのね。で、やぼでいい。やぼなことを言えよと、もっと。つまり言いたいことを言えばいいじゃんって思うんだけど。
原:でも、それとても共感します。あの、日本のね、その僕はその謙虚なところっていうの、これは結構いいんじゃないかと思うんです。
太田:いいよ、そりゃ。
原:自分たちの住んでいるところが、世界の中心だと思っていないですよ、日本人は昔から。
太田:思ってないですね。
原:いつもアジアの端でとか、小さな島って。全然小さくないんですよ。日本ピンセットでつまんでヨーロッパの方に持っていったら、大変なことになりますからね。そういう小さくもない国なのに、自分たちはアジアの端で、まあつつましく生きているみたいな感じ。これね、だけど世界のことを日本ほど一生懸命見てね、アンテナを張っている人たちはいないわけ。
太田:いない。でも、それね、怪物になるんですよ、時としてそういうやつらが。
先生の対戦感想
原研哉(はらけんや)
経験したことのないときめきでした。自分がしゃべる話は、予想外にすーっとお二人に入っていく感じで、妙な突っ込みもなく、逆にお二人の話から話題が一気に深まったように思います。
ギャグを言ってしまったあとに、田中さんがどの程度突っ込むかで、どんなギャグだったかが決まる
という話はものすごく興味深かったです。なぜ漫才が二人なのかという理由が分かった気がしました。
「ボケ」と「突っ込み」ではなく「タマ」と「ラケット」で、大田さんが取り出すタマを田中さんがその都度最適な方向に打ち分けているんだな、ということがお話をしているうちに分かってきて、そのコンビネーションの絶妙さに尊敬の念が湧いてきました。
デザインもお笑いも、手前勝手に表現しているのではなく、やはり共感される道筋を即妙に探し出しているものだと思うので、そういう基本的な態度に、気持ちの奥深い所で共鳴できていたと思います。
自分にとっては記念すべき時間でした。
爆笑問題の対戦感想
田中:この美術やデザイン的な先生は何人かね、やっているけど、今日の先生は、口調はもちろん柔らかいんですけど、もうちょっと僕らにちょっと近い感じは、すごくあったかなっていう気がしたね。
太田:なんだか共感し合っちゃったよな。
田中:どうしてもデザインっていうと、形だ、何だっていうふうに思っていたんだけど、なるほど、と思わせる、先生の“考え”というか“アイデア”みたいなのは、すごいよね。俺は、「ちょっとこの見方を、角度を変えてみると、ほら、こんなに面白いでしょう」みたいなことが、まったくだめな人間なんだよね。例えば絵を描くにしても、どんどんいろいろ余計なものを足していって収拾がつかなくなるタイプというか、いわゆるやぼな方だから、こういう人って何か、すげえなって思うよ。
太田:俺たちは2人とも先生がデザインするタイプの人間じゃないってことだね。
田中:一番すごいなって思ったのは、香水の箱ね。あれってデザインとも思わないぐらいのものじゃない。だからもう考え方なんだろうね。形がこうだからキレイでしょ、じゃない。ちょっとだけすき間を開けることによって、人が見るでしょっていう、そういう微妙なところっていうのはね。
今日、これから会うのはグラフィックデザインの人ですって言われた時に想像もしないことでしょ。だから、先生のシンプルで、ちょっとずらすことによって分からせる、目立たせるっていうのは、本当になるほどと思ったね。
太田:あと、日本人が空っぽだとか、世間って話が出たじゃない。あれは俺も本当によく考えることなんだよね。怪物になるっていう・・・。
例えば、戦後すぐの日本人がそうだったんじゃないかと思うことがあるんだよね。戦争ということにワーッと行ったんだけど、それが今度はまた終わった瞬間に、逆の方向にワーッと振り切れたっていう。で、それは、結局どっちも何か本当じゃないところで、ワーッと行っていたのかもしれないっていう・・・。その感じって何なんだろうって、本当に今日思ったよね。
ディレクター観戦後記
「何もないけれど、そこにすべてがある」
収録のなかで登場したこの言葉、私が実感したのは、原先生のポスターを拝見したときでした。
爆笑問題のお二人も驚嘆していた、ボリビアのウユニ塩湖という場所で撮影された「地平線」のポスターです。
真っ白な大地と、薄く青みがかった空、そこに、ぽつんと佇むひとりの人間。
地球と人間だけがシンプルに撮れている、と原先生は仰っていましたが、このポスターは、シンプルという言葉では足りない、もっと大きく深く強く静かな・・・とにかく、もっと色々な何かがあるように感じました。
それはつまり、原先生のいう「空っぽ」ということなのかもしれません。言葉にしない、情感やイメージ、ニュアンス、空気感のようなものすべてを内包する、大きな大きな空っぽの器、それをそっと差し出されているような・・・。
そこにどんなものを見立てるか、見出すか。一方の太田さんは、その空っぽな精神性がときに暴れ出すことを指摘していました。
程度の差こそあれ、きっと私たちが持っているであろう“空っぽ”さを、形にして言葉にして、見せてもらったような、そんな収録でした。
プロデューサーの編集後記
たとえば原始人は原始人の世界を「シンプルだなあ」とは思っていない。世界は複雑から始まり、シンプルな感覚を発見していく、という話。私の場合、デトロイトやベルリンのテクノミュージックにハマっていく過程がこんな感じでした。はじめに聴いた時は、ひたすらリズムが反復され、特徴的なメロディーもない、殺伐とした音楽だと思いました。
しかし聴き続けていくと、ある瞬間から、リズムがはねるタイミングや微妙にずれながら反復するシークエンスや一音一音の音色などが、たまらなく気持ち良くなってくる。だんだん抒情的なわかりやすいメロディーや歌詞がついた音楽が、むしろ「これみよがし」で邪魔なものがいっぱい入った音楽のような気がしてくる。興味を持たない人が聞いたらメトロノームのような、リズムと効果音のガイコツのようなテクノ音楽に、はっきりと「抒情性」を感じ、そぎ落とした美学に惹かれていくのです。もしかしたら、原始人が感じたかもしれない力強いリズムへの衝動に立ち返る行為といってもいいかもしれません。
「何もないけど何でもある」世界。それはもちろん何でもそぎ落としていけば見えてくる世界ではない。ギリギリのところで選び取ったシンプル。それは美学であり哲学なのだ、と感じました。
つぶやき
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