FILE047:「“学校の怪談”のヒ・ミ・ツ」
2008年9月16日放送
常光徹(民俗学)
何気ない日常に込められた、人々の「思い」とは?日々の営みや民間伝承などから、そこに込められた意味を探る学問である、民俗学。そんな民俗学のフィールドをさらに身近な「学校」という場所に求めたのが、国立歴史民俗博物館副館長、常光徹だ。もともと中学校の教師だった常光は学校で生徒たちが話す「学校の怪談」に注目し、聞き取り調査を始めた。そこには様々な怪談が存在していた。学校はまさに民間伝承の宝庫だったのである。7年間、全国数百校から1000話以上の話が集まり、その結果、学校で生まれる怪談には、ある共通の構造があることを発見した。発生場所は、通常の教室とは離れたトイレなど、子供たちに負の想像をかきたてるモチーフと結びつくことで、さまざまな怪談が各学校で生成してきたのだという。なぜ、学校で怪談が語り継がれるのか?怪談を全く信じないという太田。怪談話そのものに強い関心を示す田中。爆笑問題の二人が、学校の怪談の意味について常光と論じ尽くす。
常光徹(つねみつ とおる)
今回の対戦内容
常光徹(つねみつ とおる)/爆笑問題(太田/田中)
太田:僕は擬人化って思うんですけど、愛着とか、例えば仏像を拝んだりっていうことも、擬人化じゃないですか。本当はものなのに、ものじゃないように感じているっていうのはね。
常光:そうですね。木なんかでも、古木というか、巨樹というか、ずっとその何百年も年を経てくると、木霊といって木に霊が宿る。その木を切ると何か悪いことが起こるっていう。だから、今太田さんが言ったように、そういう年を経たものに対する、やっぱり独特の感情を持っていますね。
太田:やっぱりおれはね、どうしてもそこら辺を疑ってみろと。そんな怖がるなと。物語の中には、実は気を付けろよと。おまえのその思い込み、気を付けろよっていう。怖がるだけじゃなく、こんなものねえんだよ、本当はっていう、何かその思いが実は現れていて、そこが抜けているんじゃないですかね。
常光:だからね、私たちの民俗学なんかでも、見慣れたものを見慣れないように見るということが、基礎なんですよね。当たり前のことを、自明のことはついつい見過ごしてしまうんだけれども、自覚的に対象化してみると、実はそういうごく当たり前のことの背後に、さまざまな興味深い面白い事実があったり、歴史があったりするわけですよね。
先生の対戦感想
常光徹(つねみつ とおる)
太田さんの身振り手振り、豊かで、エネルギッシュなしゃべりにびっくりしたというか。
即興というか、その場のやり取りですからいろいろな話題が出たように思います。広い意味では繋がっているとおもいますけれども。田中さんは要所要所をピッと押さえて、無駄のない質問とか、会話をされる方だなと感じましたね。
やっぱり、話題がかけ離れてると、なかなか学校の怪談というところにひきつけるというには、ちょっと距離があったような気がしますけれども。でも、学校で言うと、真面目な田中さんと、ちょっと一風変わった太田さん、ていうところで、同じクラスだったら結構、いい雰囲気じゃないですかね。私が中学校の教員をやっていたときにちょうど中学生だった世代ですね。問題意識というか、環境問題にしても社会問題にしても大変お持ちだなというふうには感じましたね。
話題が学校の怪談だけに収まらない、といいますかね、どんどんどんどん広がっていく。それだけ豊かな知識と鋭い現代認識を持ってるんじゃないかと思いましたね。
爆笑問題の対戦感想
田中:割と僕はああいう話が好きっていうか、子どもの頃それこそ怪談みたいなものって割と好きな方でしたね。トイレの青い手っていうのも、最初は多分、上の学年から伝わって来ているんですよね、まず。で、学校に行ったら、やっぱりそういうふうにお兄ちゃん、お姉ちゃんから聞いていてみたいな・・・。すごく懐かしかったです。
しぐさの話もすごく面白かったですね。『えんがちょ』にしても、霊柩車の親指を隠すのとか。そういう話を聞いて、うちのスタッフやいろいろな人と話したら、全然違いますからね、やっぱり。こういう話は、結構盛り上がるんですよね、いつも。
まあでも、太田がずっと最後の方に言っていた、いわゆる形をぶち破ってどうのって、価値。ただのものなのに、それが人以上になるみたいなことっていうのは、太田ともう二十何年一緒にいますけど、ものすごく分かりますね。霊柩車に親指を立てるのもそうだし、あとは心霊スポット。それこそお墓をけった話のその日なんですけど、まず厄払いみたいなことでおはらいを受けるんですね。テレビ番組ってよくやるでしょ。それで、どこかでお札をいただいたんですが、太田はまずそれをわざと落っことして足で踏ん付けたんです。そこまでやることはないだろうと思いましたけどね。でもそれは、いわゆるそういったことへの、いわば挑戦的なことだったのかなぁって・・・。
太田:擬人化とよく言うんですけど、「そんなもの単なるものだろう」っていう気持ちがあると同時に、それが愛着みたいな、「それを大事にしよう」っていう気持ちがすごく大事なのとどっちもあるからね。ばかばかしいと思うんだけど。でも、よくよく考えてみれば、この国はそういうことで守られてきた国でもあるから。
それから、学問っていうのは宿命的に全部そうなんだけど、統計を取って調査をして・・・。柳田国男なんかもそういうところがあったわけですよね。この地域にはこの神話が、民話がってね。でも、そういう一つの『分類』をすることで、分かりやすくなると同時に、何だか分からないものはなくなっていくような気がするし、説明するとつまらなくなってくることもあると思うんですよね。だから、そういうものは本来やろうとしているところと逆行するものを、必ず含んでいると思いますけどね。
ディレクター観戦後記
今回は民俗学者、常光徹先生にお話を伺いました。常光先生は中学校の教師をされていた頃から生徒たちに「学校の怪談」を聞かせてもらい、そのストーリーの多様さに驚き、ついにはそれを民俗学的に研究をされた方です。いままで民俗学といえば地方の古老に話を伺うというスタイルが当然とされていた時代に、民間伝承は身近な場所にも存在するということに価値を見出し、異端とされながらも日本の都市伝説を民俗学の土壌に載せたパイオニア的存在。
そんな常光先生は、中学の教師をされていたということもあり、一見するとお優しそうなのですが、どこか生活指導の先生を思い出させる風貌。初めてお会いしたときは、中学時代に戻ったような気分がしました。さらに、その後先生にご質問しようとしてお電話しても・・・研究室にほとんどいない!いつもどこかでフィールドワークをされているというフィールドが大好きな方です。更には携帯電話をお持ちでないので連絡がとれない!焦りながらの収録でしたが、博物館の貴重な資料などを見せていただき、お話は何気ないものに潜む意味など、興味深い話をお聞きすることができ、楽しい収録でしたが・・・トイレの話題になると、放送していいのかどうか悩む言葉が続々と登場し、ドキドキものでした。
プロデューサーの編集後記
小学3年生位の頃、学校のすぐ裏手にあった空き地に、廃車となったバスが捨てられていました。ある時、クラスメートの誰かが言いました。「あのバス、夜になるとボロボロの服を着た車掌が乗っていて、ププーっと(クラクションが)鳴るらしいよ。」 噂はあっという間に広がり、私を含めた何人かで確かめに行くことになりました。夜、親たちを言いくるめて集まった有志で、恐る恐るバスに近づくと・・・・。
その時の自分が「おばけ車掌」の存在を、どの程度信じていたのか、今となっては思い出せません。ただ少なくとも「そんなことがあっても不思議ではない」という気持ちが今よりずっと強かったと思います。
子どもたちの怪談は、大人たちから見ると、設定が強引だったり、物語に飛躍があったりします。でも、したり顔で世の中のことをわかった気になっている大人よりも、「わからない」ことをわかっていたかもしれないのです。浦沢直樹さんの「20世紀少年」というマンガには、子どもたちが空想した、ある意味稚拙で破滅的なストーリーが現実のものとなってしまったら、ということがスリリングに描かれています。少年の想像力が、常識的な大人社会を襲う物語と言いかえることもできるでしょう。
太田さんの「『思い込み』にとらわれるな、という警戒心が怪談を生んだのかもしれない」という発言はそんなことを思わせもしました。
さて、冒頭にご紹介した、おばけ車掌のバスですが、実際に夜に行ってみると、結局何も起こらず、翌日私たちはその冒険譚をクラスで誇らしげに披露しました。そしてそのバスは、中でトランプをしたり、大人の週刊誌を回し読みしたりする「秘密基地」(どこが秘密なのかわかりませんが)となっていきました。常光先生の言う「オカルト的なものとの距離のとり方」を学び、現実を知る大人にまた一歩近づいたようです。
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