FILE032:「世界は編集されている?」
2008年4月1日放送
松岡正剛(編集工学)
世にあふれる膨大な情報・・・。これらを全て「編集」して新しい知の形を生み出そうとする現代の「知の巨人」松岡正剛。元々、雑誌の編集者だった松岡は、編集によって文章や表現の意味が「がらっと」かわることを経験。会話や思考など普段、人が無意識に行っている行為も「編集」という観点で捉え直すようになる。そして「編集」をひとつの方法論にまで高め、単一的なモノの見方では見えてこなかった意味をあぶりだす「編集工学」を生み出した。最近、松岡が行ったのは、歴史の再編集だ。従来の空間的・時間的な制限の中で歴史を解釈するのではなく、一見無関係に見えるモノを編集により、つなげることで新しい見方を提示しようとしている。ダリとジミ・ヘンドリックスとの関係とは?そこからは、決して教科書に出てこない、生きた歴史を読み解く可能性が生まれるのだ。爆笑問題の漫才を、「すぐれた編集手法を使っている」と評価する松岡。編集は全ての世の中の見方を変えるのか?新しい教養論をお送りする。
松岡正剛(まつおかせいごう)
今回の対戦内容
松岡正剛(まつおかせいごう)/爆笑問題
田中:編集工学って聞いたんですけど、それはどういうことなんですかね。
松岡:編集はテレビの編集と同じです。要するにインプットする状態のいろいろな情報とか知識だとか出来事と、それをこう語ったり再生したりするっていうのは変わりますよね。それが編集だと僕は思っていましてね。
田中:っていうことは、例えば我々が普通に体験したことを友達に面白おかしく話そうみたいな時に、まあいろいろ組み立てたりするじゃないですか。
松岡:それも編集。それから子どもが絵日記を書くのも編集だし。恐らくね、人間の脳とか、その能力っていうのは中途半端で入ったことや出来事を再生する時に、どうしても同じようにはならないようになっていると思うんです。
太田:インプットとアウトプットが違うっていうことは、こうやって先生が読まれてきた本も、それがその作家の中で起きている…
松岡:ずれが出る。で、ずれが重要だろうと。その間に僕は関心があるんですね。
太田:間で何が起きているか。
松岡:そうそう。
田中:それは個性みたいなことですか。
松岡:個性だったり、言語というものが持っている不埒なおぼつかなさだったり。例えば、悲しみとか笑いとか、おかしみというものも、何かそういう間のずれで起こってくるんではないかなと思うんですよ。
先生の対戦感想
松岡正剛(まつおかせいごう)
大変面白かったですね。僕自身の話よりも、ついつい、爆笑問題の持っている芸能や社会に対する見方に、僕の方が逆に入っていって。二人は、潜在しているものがこういつも表面のところまで突き出しているというかね。普通はこれを隠して、芸にするわけですが、やっぱり笑いというものの持っている特徴でしょうね。それがガーッと突き出ている。しかも表面だけで良いものとは見ていない。自分の意識とか、格闘とか、悩みとか、こういうようなものをうまくぶつけているなという感じで。大変面白かったです。
爆笑問題の対戦感想
太田:何か悩み相談になっちゃったよね。
田中:そうですね。まあ俺とかには当然何の相談にもならないので・・・
太田:自分が今、ちょうどタイムリーに思っていることの話が出来たんで楽しかった。
田中:普段は、俺とかとは難しい話はしないもんね
太田:一切しないね。分かるわけないものね。
田中:ほんと、よく分からないです。
太田:分かったふりしているだけですから。
田中:まあ僕はそういう人間ではないので。例えば、掘り下げて本当に考えれば、中にはそういうふうに気付かないで思うことも実はあるのかも分からないですけど。深く考えていくみたいなことは、僕はしたことがないですね。大体はどうでもいいっていっちゃあれだけど。どうでもいいは失礼ですね。
太田:ブラックホールだよね。人間ブラックホール。
田中:だからといって、つまらなくもないんですよ・・・。今日は楽しかったです。
ディレクター観戦後記
今回は、「編集」がテーマでした。
我々ディレクターも番組の編集をします。これ、結構大変なんです。
なぜ大変かというと、視聴者の方々がどう感じるかを考えて編集するからです(当たり前のことですね・・・すみません)。
「この言葉は難しいだろうか、しかしただやさしいだけでは手ごたえのないものになってしまう・・・」
「わかりやすくしないと・・・、でもわかりやすくしすぎて知的な興味をひかなくなってしまったら・・・」
こんな偉そうなことを言っている自分自身、本当によくわかっているのかどうか・・
・にもかかわらず、なんとも、正解のない、試行錯誤が続きます。何百万の視聴者の方々ひとりひとりの気持ちをすべてわかることは、どんなに努力しても叶わぬ夢だと思わされる瞬間です・・・。
しかし、今回、松岡さんがおっしゃられた「ズレ」の話でちょっと気楽になりました。
こちらでつくったモノと視聴者の方が感じるモノに「ズレ」があるから面白いという話です。だから、皆さんも番組の内容にご意見がありましたら、どんどん教えて下さい。そのズレがまた新しい思考をもたらしてくれるはずなのですから。
プロデューサーの編集後記
私はどうも不埒な性分らしく、同時並行で何冊も本を読み散らかすという悪癖があります。家で、職場で、電車で・・・、家でも、居間で寝室でトイレで風呂で・・・という按配で、困った「活字中毒者」で、とりあえずあちらこちらで読みまくります。本に限らず、電車が停車すれば、ホームに貼られたポスターを、最近ではさらに病状?が進んだせいか、風景まで目に映るものはすべて「読み」ます・・・。とまあ、最後は言い過ぎですが、あながち冗談でもありません。「読む」スイッチが入れば、読めないものはありません(笑)。
この「不埒さ」、実はかなり編集工学の大事なエッセンスなのではないか、などと申し上げたら松岡さんに叱られるでしょうか。番組作りという仕事のど真ん中に「編集」というプロセスがある職業柄、編集工学はずっと意識してきましたが、柔軟なものの見方考え方を追求する時、欠かせない認識の方法論だとあらためて思います。この世のすべてを「編集」という視点から捉えると、様々な可能性が生まれます。既成の枠組みがズラされて、新たな文脈での読み解きが浮上する、様々な出来事の隠された意味が、時代との呼応関係の中で見えてきます。こうした様々なところに補助線を走らせるセンスは、ネットサーフィン時代の想像力の楽しみをさらに後押ししてくれるものではないでしょうか。
同時並行の乱読はその意味では有効です。頭をシャッフルさせてくれ、異なる文脈同士を勝手につなげることで、いつも新たな発想の仕方をいつの間にか教えてくれる、というわけです。幸か不幸か、人間は主体としての一貫性を維持しようとするもの、ならば、偶発的な遭遇という「事故」に出会うよう仕向けていくことで、新しい展開が生まれる・・・。私の「悪癖」も、創造の源泉であるとすれば、あながち捨て
たものでもない。そんなズルイ自己肯定の理屈も、様々な本を読み漁る「編集」から身についた悪知恵でしょうか(笑)。
・・・ですから、家で職場で、「読み散らかし」た本の数々を見て呆れ不快感を持つ方々、ぜひ、優しく見守っていただければ、と。夢の創造の跡なのであって、決して整理できない男の不精の跡ではない、のですから・・・・。
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人間
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