FILE019:「この世はすべて錯覚だ」
2007年11月27日放送
北岡明佳(知覚心理学)
止まっているはずのものが動き出し、回転し、揺れ、そして、消える…
錯視デザイナー・北岡明佳が生み出すイラストを眺めていると、不思議な感覚に襲われる。
その計算し尽くされた線分や曲線、色彩のリズムが、思わぬ錯覚を誘う。
北岡は世界的な錯視研究の第一人者。これまで10数年に及ぶ研究で、数々の画期的な錯視現象を発見。『錯視デザイン』という新しい領域を開拓し、2,000以上に及ぶ錯視デザインを発表してきた。まさに『錯視界の魔術師』だ。
『見る』こととは何か? 我々は一体この世界をどう認識しているのか?
眺めるだけで思わず脳が揺さぶられてしまう北岡の錯視デザインを手がかりに、この世界を『見る』ことの本質に迫る。
北岡明佳(きたおかあきよし)
北岡明佳のホームーページ「北岡佳明の錯視のページ」はこちら。
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/ (NHKサイトを離れます)
番組でご紹介した錯視デザインはこちら。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20071127_illusion.html
爆笑問題の対戦感想
田中:錯視デザインって、3Dアートとか、トリックアートとかそういうものを想像していたんですけど、思っていたのと全然違って、すごくびっくりしましたね。あの止まっているのに動いて見えるのとか、初めての体験でしたね。
太田:面白いですよね。最近、自分が考えていたことと、先生の研究がリンクしてる
ようなね。結局、我々は主観で見ていて、実際とは違った印象で見てしまう。実際のものの影の部分を見ている。錯視図形や錯視デザインって、そうした現象を単純化したものじゃないですか。そんな錯視のメカニズムが分かれば、もうちょっと色んな物事を冷静に見ることができるヒントになるような気がするんだけど…。
ディレクター観戦後記
“ふだん目にしている世界がもしかしたら、本当の世界ではないのかも知れない…!?”
たしか中学生の時の生物の授業でのこと。「イヌやネコは白黒の世界しか見てない可能性が高いし、人間の視覚も限られた世界しか見ていない。みんな見ている世界は違う」と当時の生物の先生。そのことを初めて知らされた時の自分は、まるで奈落の底へ突き落とされたようなショックを受けたのを覚えています。両親も、仲のいいクラスメートも、悪友達も、そして大好きなあの娘も、誰もが違う世界を知覚し、その中で生きている---。
“ならば、僕らはお互いのことを本当に分かり合うことなんかできるのだろうか?”
ちょうど悶々とした思春期を迎えつつあったあの時から、ずっと胸のどこかにその命題を抱え続けてきた気がします。
それから十数年---。北岡先生の錯視デザインと出会い、番組収録の中で爆笑問題の太田さんも感じていたのと同じように、今回、再びその疑問を再び突きつけられることになりました。この世はすべて錯覚で成り立っている? 些細なケンカの原因も、隣人に対して誤解や妬みや憎しみが生まれてしまうのも、国と国の戦争がいつまでも止まないのも、すべては錯覚のせい?
「錯視は美しい」と北岡先生はおっしゃいます。これまでに2000以上の錯視デザインを生み出してきた先生によると「錯視量が多い錯視図形ほど美しい」そうです。錯覚が誤解やコミュニケーションのすれ違い.だけでなく、美や文脈(ストーリー)をも生み出す可能性を秘めていることを経験的に感じ取っていらっしゃるのかも知れません。
錯視は美しい---。錯覚の世界にしか生きられない我々にとって、それはある種、天からの啓示のように思えるのは僕だけしょうか?
プロデューサーの編集後記
個人的な思い出話で恐縮ですが、大学時代、“揺れ”をはらんだ教授の講義が好きでした。
“ブレ”ではありません、“揺れ”です。つまり、教壇という一段高い場所から、確立した学問というものを教え授けるという立場そのものに対して、つい懐疑を感じてしまうメンタリティーとでも言うべきでしょうか・・・。
一体、自分がなにほどのものなのか?「無知の知」ではないですが、知れば知るほど、終わりの見えない「真理」(真理というものがあるとして?)を、語る資格が自らにあるのか、つい自問自答してしまう・・・、そしてそれが、結果押し付けになってしまい、学生たちの新たな創造性を奪ってしまうのではないかと、それを恐れる・・・。
自らの「特権性」を疑い、申し訳なさそうに?語られるその姿にかえって親しみと畏怖の念を感じたものです。
この世はすべて錯覚だ、とはいささか奇を衒い過ぎ、視聴者のみなさんにあまりご賛同いただけない
タイトルか・・・とも思いましたが、しかしこれに似たセンスの大ヒットの存在を思い出しました。
養老孟司さんの「バカの壁」です。人間、みな所詮は自分の思い込みからは自由になれない・・・。
この本が大ベストセラーになった時代は、どこかで多くのみなさんが、直感レベルで、自らの「錯覚」に
対して自覚的になっているのか、とも思いますが。
錯覚と錯覚が織り成す社会は、これまた錯覚の増幅・・・。なにやら、出口なしの鏡地獄、ほとんど気分はマトリックスですが、しかし、自らの視界が錯覚であると自覚できるだけでも、他人の
錯覚への多少の想像力と寛容が生まれようというもの・・・。そこに希望を感じたい、とも思います。
ちなみに冒頭で触れた、“揺れ”がある教授ほど“ブレ”がなく、自らの学問世界に自信を持ってらっしゃいました。
たおやかな“揺れ”を持ち続けること。自らの「錯覚」と付き合い続けるセンスを忘れずにいたいものです・・・これもまた私の錯覚が為せる技ではあるのですが(笑)。
つぶやき
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