FILE011:「生物が生物である理由(わけ)」
2007年10月2日放送
福岡伸一(分子生物学者)
今回訪ねるのは、生物の細胞内で起こる分泌現象の研究や、狂牛病の感染・発症メカニズムの研究などで知られる気鋭の分子生物学者・福岡伸一青山学院大学教授。彼は、長年の研究生活を通じてある一つのテーマを胸に秘めてきた。「生命(いのち)とは何か?」という根源的な問いがそれである。今年「生命(いのち)」についての思索をまとめたエッセイがベストセラーになるなど、彼がたどり着いた生命観が今、日本中の注目を集めている。
福岡によれば、私たち人間の体は分子レベルで観察すると、早い部分で数時間、遅い部分でも一年の間にすべて新しい分子に入れ替わってしまうという。私達の体は常に改修され続けているようなもので、食べることで得る様々な分子は体のあらゆる場所におくりこまれ、それまで体を構成していた分子と常に入れ替わりながら、また新たに体を築き上げて体を維持しているらしい。「生命(いのち)とは何か?」この問いに対する答えは一体何なのか?爆笑問題と福岡教授の生命を巡る論戦が、今夜、あなたの生命観を覆す!
福岡伸一(ふくおかしんいち)
福岡伸一のホームページ「福岡研究室」はこちら。
http://www.chem.aoyama.ac.jp/fukuokalab/ (NHKサイトを離れます)
爆笑問題の対戦感想
田中:そうですねぇ。
太田:また、思ったより分かりやすくてぇー、とか言うんだろ、お前は。
田中:マネすんなって!お前がそう言うから、別のことを言おうと思って考えてんだよ!
太田:だから、思ったより分かりやすかった、だろ?
田中:違うよ!あの・・・マウスで実験して、食べ物の分子が体の隅々までいきわたって、体の分子と入れ替わるっていうのは、ホントびっくりしましたね。へえっーって思いましたね。すごいこと考える人がいるんですね。
太田:生物の本質が「分子の流れ」だとすると、じゃ、人間はただの媒体でしかないのかなって思っちゃうんですよね。地球のすべては、限られた分子の循環の中にある・・・ということでしたけれども、僕が思うに、宇宙全部が常に繰り返しなんだと思うんですよ。
田中:お前ホント、そういう壮大なロマンを語るのが好きだよな。
太田:邪魔するな!話の途中だろっ。で、宇宙が始まってからもう100億年以上たっているらしいけれども、今日の福岡先生の話を広げれば、もしかしたら、ビッグバンのときから宇宙全体の営みを担ってきた分子が今、俺の体を形作っているかもしれないわけですよ。ずっと昔に宇宙を作ったエネルギーと同じエネルギーが、この世に満ちている。ビッグバンを発生させたものがここにもあるわけですよ。ここからはまあ、勝手なおれの空想なんだけど、おれたちはビッグバンを作った一つの要素から成り立っているんだから、このおれたちがもう一回集まって、ワーッともう一回、ものすごいビッグバンを起こせるんじゃないかなっていう気がしてくるんだよね。
田中:そんな爆発が起きたら俺たちどうなるんだよ!みんな死んじゃうのか?
太田:なんでいつも自分の視点からしか考えられないのかな、お前は。もっと壮大な宇宙の誕生と死について語ってるんだよ。
田中:で、なんだよ。
太田:俺が言いたいのは、俺達が生きている宇宙が終わってもまた新たな宇宙が生まれて、1回宇宙を経験した上での宇宙っていうのがあり得るんじゃないかっていう話。
田中:第2宇宙か?宇宙セカンドシーズンみたいな?
太田:そんな世界があったら楽しいなと思ったわけ。
田中:分子からそこまで話を広げられるのはお前くらいかもな。
ディレクター観戦後記
最先端の科学へ挑んだ今回ですが、内容は「世界の本質」を問う極めて哲学的なものとなりました。科学的な根拠を出発点にどんどん広がっていく福岡先生と爆笑問題さんの議論・・・いかがでしたか?
ご出演いただく先生方の研究室は、本当にそのの個性を反映しているなぁといつも思うのですが、福岡先生の研究室もまさにそうでした。入って最初に見えるのは、敬愛するJ.S.バッハの楽譜!その隣には、オランダの画家・フェルメールの名作「牛乳を注ぐ女」の絵ハガキ・・・。この他にも美しいものを存分に楽しもうとする福岡先生のセンスを思わせる様々なものが出迎えてくれます。
常々「科学者にも文学が必要だ」と主張されている福岡先生の研究室は、いろんな時代の芸術家がそれぞれのやり方で表現した作品と現代科学の営みを、重ね合わせて見つめていることが感じられる場所でした。今この時だからできる科学者の表現を真剣に考えている・・・福岡先生は取材して最も強く感じたのはそのようなことです。
もちろん、真剣に考えているからといって、先生がいつも机にかじりついている・・・という訳ではなさそうです。研究室を見渡してみると天井には仏・ブルゴーニュ地方のワイン畑地図、そして、ロッカーの上には大切に額に入れられた「チーズ博士認定証」が・・・。実は、福岡先生のインスピレーションが生まれるのは、大地の恵みが凝縮されたワインを堪能している瞬間なのかも!?しれません。
プロデューサーの編集後記
福岡先生の「全ては『文体』の問題」とのお言葉、実に印象的でした。
同時に、フランスの批評家、ロラン・バルトの「零度のエクリチュール」を思い出しました。その背景に価値評価を含まない“零度”の文体は存在しない、もちろん、人はその決して到達することのない理想の“零度”を夢想するのだが・・・なんて、フランス思想がご専門の方、勝手な解釈であったらごめんなさい。おそらくは、その夢=文体は時代によって塗り替えられていくものだという福岡先生ご自身おっしゃるところの「諦観」が、私に正に“零度”を思い起こさせたのです・・・。素人の妄想、つまらぬ連想ゲームであればお許しください。
Yディレクターの観戦記にも「科学にも文学が必要だ」という福岡先生のご発言がありましたが、もう一歩調子に乗って言えば、「科学こそ文学になってしまい、文学こそ科学になってしまう」際どい瞬間があるのではないでしょうか。あるいは、「科学的過ぎて、文学になってしまう」と言うべきでしょうか・・・。そうしたダイナミックな逆説に触れる瞬間こそ、この番組の醍醐味だと思います。
映像が映像の論理を追求し「過ぎてしまう」時に、何が見えるのか?いましばらく、みなさんご一緒に、毎週見守っていただければ幸せです。
つぶやき
KEYWORD
生命
人間
思想

