FILE005:「ヒトはなぜ死ぬのか?」
2007年6月22日放送
田沼靖一(生化学)
ヒトはなぜ死ぬのか?
この謎を問うため、爆笑問題が訪ねるのは東京理科大学薬学部の田沼靖一教授。
人間の体は元々、自然と死ぬようにプログラムされている。田沼は細胞に最初から組み込まれている「死の遺伝子」を発見した。細胞の死を実際に見る爆問!
死の仕組みを知り尽くす田沼は、そこから逆に、癌、アルツハイマーなど難病治癒の糸口を見つけようとしている。
死とは何か?生きるとは?生化学者と爆笑問題が語りつくす。
田沼靖一(たぬま・せいいち)
田沼靖一 のホームページはこちら。
http://www.ps.noda.tus.ac.jp/yakugakubu/index.html (NHKサイトを離れます)
放送内容が書籍になりました。詳しくはこちら
http://www.nhk.or.jp/bakumon/book_dvd/
爆笑問題の対戦感想
田中:自分の細胞をあまり見ることってあまりないと思うんですけど、僕のはグチャグチャでしたね。何か…、ちょっと気持ち悪かった。それから、田沼先生はちょっと吉幾三さんに似ていた気がします。髪形とか、目の感じが少し…。
それはさておき、毎度のことですけど、何ていうのかな?「人間はなぜ生きているのか?」とか、ちょっと暗い話になりますよね。太田さんがいつも熱くいろいろしゃべってくれるので、ちょっとあの…。あれ、太田さんの感想は?
太田:…。
田中:ちょっと、何黙ってるの?
太田:何か言うの?
田中:何か言うだろ、普通は。
太田:感想といってもね。まあこれからですよ、感想というものは…。
田中:何、それ…。
太田:まあねぇ…。今日の田沼先生はアポトーシスっていう「死」がテーマでしたが、僕自身が「死」と向き合わないと、本当のことは分からないだろうというキモチがずっとあるからね…。
だけど、やっぱりみんな死ぬのが怖いのかな?僕は怖くないけど、そういう話って避けて通るんだよね。それをもうちょっと探っていくのは、文学的なものよりも科学の方なんでしょうね。
落語のオチと「死」についての話にしても、そうやっていろいろなことを科学的に、あるいは科学であることを文学的にとか、哲学的に見るとか…。やっぱりそういう境界線の部分に、何かものすごく面白いことがある気がするんだよね。だから言ってみれば、この番組ってそういうことでしょ?
我々芸人と、番組を制作している人たち、作り手側はみんな文系。先生は理系。文系と理系がぶつかりあって、一つのことを表現するっていうこと自体が、そういうことに近いんじゃないかということですよね…。
プロデューサーの編集後記
「生は死の中にあり、死は生の中にある・・・」という類の話は、ある種、中国の古典名言に始まり、現代の様々な国々の数多くの文学作品にも見え隠れするモチーフですよね。私も個人的には、そうした感覚に違和感はなく、寧ろ、なんとなくイメージの上では、どこかで慣れ親しんできたような気すらしていました。その辺はやはりアジアの住人という、自らが育まれた土壌のおかげもあるのでしょうか・・・?
しかし、実際、今回、田沼先生によって「死の遺伝子」の存在が明らかにされ、しかもそれがどのように機能するのかを映像で目の当たりにすると、あらためて、“文学的なレトリック”を越えたリアリティーを突きつけられたように思いました。事実は小説より奇なり、ではありませんが、しばしば我々の想像力を越えたところに、現実は実に興味深い「考えるヒント」を与えてくれるように思います。
そして同時に、この「現実」は再び「夢」の世界への誘いでもあるという逆説は、“絶妙”ですね。科学的な解析から、同時にまた、豊穣な文学的なイメージの世界が広がり始めるのですから・・・。科学の解析は、時に心地よく、文学的な感傷を裏切ります。しかし、その「切断」の後に、また、不思議な「連続」を用意してくれているように思うのです。
してみると、この過程そのものが「胡蝶の夢」・・・。なにが現実で、なにが夢か。太田さんがおっしゃるところの文芸班の人間としては、しばし、このメリーゴーランドの中を駆け巡り、夢想し続けるためにも、さらに“壮大なフィクションとしての科学”を知りたいと思いました。様々な知が融合する「サロン」・・・ひとまずの実現は特番で!?
つぶやき
KEYWORD
生命
人間

