『第3の道』と積極的雇用政策 アンソニー・ギデンズ氏

写真 アンソニー・ギデンズ
イギリスの社会学者。大きな政府による市場への介入でもなく、市場に重きを置く新自由主義でもない、「第三の道」を提唱。ブレア政権のブレーンとして知られ、ニュー・レーバーの雇用政策や社会保障政策に大きな影響を与えた。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス名誉教授、労働党上院議員。

イギリスでは、財政状況が厳しい中で、なぜ個人の職業能力を高めることに財政を投じることが社会の利益になると考えるに至ったのか。「あすの日本」プロジェクトの取材班は、労働党政権のブレーンであるギデンズ氏にインタビューを申し込んだ。待ち合わせた国会議事堂内に入るために緊張しながら保安検査を受けていると、突然、使い古したかばんを持った初老の男性が笑顔で声をかけてきた。ギデンズ氏本人である。まさか上院議員が1人で出迎えに来るとは思わず、その気さくな性格に取材班の緊張もほぐれ、インタビューは始まった。

-「第3の道」と福祉制度の関連は、どう考えればいいのでしょうか?

第3の道とは、世界が大きく変化する中で困難な思想となってきた中道左派路線を現代化する試みです。第3の道の論は、20年前、1980年代後半にさかのぼります。当時、膨大な変化が社会や経済に大きな影響を与えていたのは明らかでした。最たるものがグローバリゼーションの激化です。その他にも、経済に影響を与えた要因は多くありました。例えば、ブルーカラー、手作業労働者の割合が減少し、ホワイトカラーの割合が増加したこと。インターネットのような電子通信技術が開発され、市民の生活が変わったこと。市民と政府の関係など。よって、第3の道は、これらの変化を理解して、中道左派の中核にある価値を維持する試みでした。例えば、連帯社会を維持し、不平等を抑制し、社会的弱者を援助する一方で、これまでの多くの政策がもはや適合しないことを認識する。第3の道とは、重要なイノベーションを意味しました。第3の道と呼ばれた理由は、第2次大戦の20年後に呼ばれた第1の道を打破することでした。それは、途上国において優位を占めた社会主義の伝統的見解、ケインズ派経済学でした。それが第1の道。第2の道はサッチャーとレーガンによる新自由主義で、それは20〜30年間も続き、現在でもその影響が残っています。これらの観点に対して、我々は代替として第3の観点を求めていました。こうして、世界で多かれ少なかれ成功している中道左派の党は、第3の道の党になりました。多くの人は、第3の道と言えば、トニー・ブレアやビル・クリントンに関連づけますが、それだけでなく、世界中に適用されます。全ての中道左派の党は、従来の思想を逆転させる必要がありましたから。選挙で勝つために革新的な思想を迫られました。