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リポート

復興への知恵を多くの人に役立てていただくために、講演やトークセッションの模様をテキストで公開しています。

みんなで話して決めていく 
~宮城・岩沼市玉浦の集団移転~

  • 放送日:【総合】2012年11月18日(日)午後3時05分~3時53分

 被災地に全国から知恵ある人を招き、住民とともに復興への道筋を探る「復興サポート」。今回は、住民が主体となって進める岩沼市の集団移転事業について取り上げました。

 岩沼市には、昨年の東日本大震災で、高さ7メートルを超える津波が押し寄せ、200戸以上の家が流され、150人の人が亡くなりました。沿岸部の6つの集落は壊滅的な被害を受け、住民たちの多くは、被災後いち早く集団移転を決意し、海岸から内陸に3キロ入った玉浦地区の西側に新しい街をつくることになりました。

 そして、岩沼市では、去年の11月から、岩沼市の震災復興会議議長で東京大学教授の石川幹子さんの協力のもと、住民の有志が移転先の街歩きやワークショップを通じて、新しい街のイメージ作りを行ってきました。復興サポートでは、今年の2月に「地域ミーティング みんなで新しい街を作ろう」というタイトルで、それらの街づくりの話し合いの様子を放送しました。

 去年、秋から冬にかけ住民の有志が、街づくりのイメージ作りを行っている頃、岩沼市は国や県との間で集団移転計画の手続きを進めていました。そして、被災地の中ではいち早く、今年の3月に国の認可を受け、さらに5月に県の認可を受けると、正式に住民と市が一堂に会する「まちづくり検討会」を発足させました。

 今回は、去年2月の放送で取り上げた初期の街歩きやワークショップの様子とともに、その後の「まちづくり検討委員会」で自治体と住民が一体となって議論を重ね、街のデザインを具体化させていったプロセスを追いました。

 現在、岩沼市の集団移転事業は、東日本大震災の被災地の中で、最も進んでいます。今回は、住民が納得した上での街づくりが、どのようにして可能になったのか、その秘密を探ります。

※「地域ミーティング みんなで“新しい街を”作ろう」(2012年2月26日放送)のリポートは、復興サポートのホームページの以下のサイトで見ることができます。
https://www.nhk.or.jp/ashita/support/meeting/20120226_iwanuma/index.html

2011年11月:移転先の街歩きとワークショップ

 住民たちが街づくりについて考えたいと最初に集まったのは去年11月です。この頃は、まだ集団移転先など具体的なことはほとんど決まっていませんでした。話し合いの会場である玉浦公民館に集まった参加者は、まず津波に襲われた地域を歩き、被害の状況を見つめ直すことから始めました。

 住民たちに協力したのは、岩沼市の出身で東京大学教授の石川幹子さんです。石川さんの専門は、都市計画。これまで、住民参加の街づくりを、全国で手掛けてきました。石川さんは今回、住民との話し合いの中から新しい街のプランを作成し、市に提案したいと考えていました。街歩きでは、まず一人ひとりの津波の体験を全員で共有することから始めようと考えました。

 被災当時の状況について語り始めたのは、ある農家の男性です。長谷釜という集落では、津波から逃げ遅れた住民たちが、道路沿いで16人、田んぼで12人ぐらい亡くなったと話しました。また、この農家の男性は、この地方でイグネと呼ばれる防風林が、大きなダメージを受けたことについても話をしました。イグネとは、江戸時代以来400年の歴史をもつ、奥羽山脈からの吹き降ろす冷たい風から家々を守り続けてきたもので、この地方の美しい景観を作り上げてきたふるさとのシンボルです。そのふるさとの貴重な財産が失われてようとしているのです。

 街歩きを終えた後には、これからどのように街の復興を進めていくのか、自由にアイデアを出し合うワークショップが行われました。参加者は5,6人ごとのグループに分かれ、テーブルには、地図が広げられ、住民から出た意見を、協力者の学生がメモにして、張り付けていきます。ワークショップでは意見が出やすいように、2つのルールが決められていました。

1.思ったことは、どんどん言う。
2.人の意見は非難しない。

 思いつきの意見であっても否定はされないということから、住民からは、自由なアイデアが飛び出してきます。

「これから大切になるのは観光。ピラミッドを造って、人を集めよう」
「大きな複合施設を建てて、道の駅に使ったり、介護施設に使ったりしよう」
「落葉樹のケヤキなどを植えて、イグネを復活させ、その中に高齢者が野菜作りを楽しめるような農園を作ろう」

 石川さんは、自由に意見を言うことは、大切なものが残っていく重要なプロセスだと考えています。

石川教授:
もうみんな好きなこと言う、自由に言う。そこでみんなが意見を出してしまえば、(全体を)見回してみるゆとりが出るわけですね、そうすると、物事の大事なもの、枝葉のもの、それは自ずとわかるんです。一番大事なエッセンス、それをみんなで拾い出して、それを大事に着地させる。(自由な話し合いは)そういうプロセスだと思ってます。

国や県に集団移転事業の手続きを

 住民と石川さんたちが街づくりの話し合いを進めている頃、岩沼市は、国や県との間で集団移転事業の手続きを進めていました。陣頭指揮を執ったのは、建設部長の渡辺泰宏さんです。

 市では、まず住民アンケートを実施し、移転希望者の数を把握、事業予算の見積もりを急いでいました。同時に、移転先の場所について、住民の代表と話し合いを始めていました。

 移転先の候補に挙がったのは、海岸から内陸に3キロほど入った、玉浦地区の中心部。ここには、沿岸部の子どもたちも通う玉浦中学校もあり、家を失った被災者にとっても、なじみの深い生活圏です。岩沼市は、この中心部の西側に広がる農地をかさ上げして、新しい街を作ろうと計画。土地の所有者たちとの交渉を始めていました。
 建設部長の渡辺さんは、土地の地権者を集めて説明会を行いましたが、地権者からは、「私たちも被災しているし、被災者と同じ地区ですから協力しましょう」という理解ある姿勢が示され、一般の公共用地の買収に比べると、交渉は比較的スムーズに進んだと言います。

新しい街でも集落ごとに暮らしたい

 石川さんは住民の有志とワークショップを行うだけではなく、仮設住宅にも度々足を運び、移転先での暮らしについて話し合ってきました。仮設住宅で暮らす多くの人たちは、集団移転を希望しています。石川さんはなるべく多くの声を吸い上げることが、たとえ時間はかかっても、新しい街のプラン作りに大切だと考えていました。仮設団地の集会所に集まった住民からは次々に意見が出ました。

「井戸端会議ができるスペースがあればいい」
「(それまで一緒に暮らしてきた)みんなの顔見て過ごしていると一日一日が楽しいの。家族が無事でも、わかんないとこ行っても、毎日面白いことなんてないんですよ」
「やっぱりこの年になれば、みなさん近所隣り、今まで一緒に生活した人とともにこれから先、人生終わりたいんですよね」

 海岸沿いには6つの集落がありました。仮設住宅の住民たちからは、新しい街でも集落ごとにみんなで一緒に暮らしたいという、強い希望が出されました。

2012年1月:移転先の街のイメージを作る

 今年1月に、住民と石川さんたちは、玉浦公民館に集まり、再び話し合いの場が設けられました。11月から行ってきたワークショップでの議論を受けて、集団移転先の街づくりについてさらに意見を出し合い、新しい街のイメージ図をまとめようとしていました。集団移転事業に対する国の認可がまだ出ていなかったこの頃、渡辺部長など市の担当者は、オブザーバーとして参加していました。

 会場には、玉浦地区の白い地図を用意しました。どんな家を建て、公共施設を配置していくのか、ここに理想の街を描き出します。

 住民たちは、石川さんが用意した、一軒の家に見立てた小さなタイルを地図の上に置き始めました。地図上では、タイル一枚当たり、100平方メートルおよそ30坪になります。各集落の家は色ごとに分かれています。集落ごとに移転したいという、住民の強い希望が形になっていきます。

 具体的な街のイメージを前に、住民から次々と意見が出ます。女性たちからは広場が欲しいという意見が出ました。

「小さいお子様がいらっしゃる家庭もあるんで、(広場には)多少の遊具は必要かと思います」
「子どもだけじゃなくて、犬の散歩のために来る人もいれば、お年寄りがお散歩に来ることもある。ベンチがあれば、集まってくる人たちは、みんなで子どもたちを見守れるし、みんなで一つの場所にいるというのは、すごく理想的な感じかなと思うのです」

 住民の意見を受けて、早速学生たちが“広場”と書いた紙を地図上に置きました。男性たちからは住宅の区割りについての意見が出ました。

「この線で囲まれた20haの居住地区を縦割り横割りにしただけでは、仮設住宅を広げてここに持ってきたようなものなのさ。そうすると、隣近所の付き合いでストレスがどうしてもたまるんじゃないかなと思うんです」
「一軒一軒の縦割りだけじゃなくて、幅広い道路をつくるなり、何かこううまく工夫して区割りをできないものかなと思うのですよ」
「例えば、(居住区を)丸形にする。ヨーロッパなどに行くと、(周囲を)一周できる道にして、さらに道路を真ん中に通して丸い敷地に家を建てたり……」

 住民の提案を聞きながら、石川さんが、新しい街の全体像を地図上に描き始めました。街はイグネに囲まれ、家は集落ごとに集まっています。中心部には集会所。その周りを家と道路が丸く取り囲みます。所々には、希望の多かった広場や公園が描かれました。そして、これまでの住民の声から、この街作りのテーマが記されました。

1.仲が良い、コミュニティの絆。
2.歩いて楽しく暮らせる街。
3.自然との共生。

住民・男性:
周りに誇れるような街をつくるということが、多分、生かされた者の使命と思っています。もとの家の広さは無理だとしても、その生活していた環境、残していきたい文化や習慣、ぜひそういったものを、街に織り込んでいければ、必ずこの街に来てよかったと思えると思うんです。

 およそ20ヘクタールの農地に1000人が住むことになる新しい街。ここ岩沼では、自ら動きだした住民たちが、2カ月をかけて理想の街のイメージを作り上げました。石川さんと住民は、このプランをまとめ、市に提出することにしました。

2012年6月11日:「まちづくり検討委員会」の発足

 岩沼市は他の被災地に先駆け、今年3月、集団移転事業について国の同意を、5月には県の同意を得ました。そして翌6月、住民と市が一堂に会して集団移転先の新しい街について議論する「玉浦西地区まちづくり検討会」を正式に発足させました。

 壊滅した6つの集落から、それぞれ地域の代表一人、女性一人、若い世代一人が参加。移転先近くの住民も加わります。岩沼市役所からは、渡辺部長をはじめとする担当者と、都市計画のコンサルタント会社が参加。委員長と副委員長には、学識経験者二人が選ばれました。石川さんなど、専門家もアドバイザーとして加わります。

 街づくりの方針を確認した後、早速3つのグループに分かれて、話し合いが始まりました。ここでも、住民が意見を言いやすいワークショップの手法が取られました。

 用意されたのは、丸い紙。街づくりに必要な施設などが色分けされています。緑色は公園。薄いピンクは、集落の名前が記された住宅地です。この集団移転の総事業費は100億円あまり。行政側は、その予算を睨みながら住民の声に耳を傾けます。

「親が集会場に行った時に、子どもが近くで遊べる公園が入る?」
「ここは風が強いから、外回りには緑地帯」
「ここ大きな道路でしょう。かなり交通量が多くなるのね。こっち側に家があると騒音がけっこう……」
「だからここにも桜並木とか何か緑があれば、このすぐ脇にいいのかな」

 この検討会では、行政側があらかじめプランを用意することはしません。住民たちの話し合いによって、街の形を決めていく方針です。地図の上に薄い紙を置き、住民の提案を具体的なイラストにして書き込んでいきます。

調整池の敷地に公園的な機能を持たせたい

 しかし、住民が希望する公園に、課題があることがわかりました。問題になったのは、調整池です。これは大規模な住宅地を造成する際、大雨などによる洪水を防ぐため、建設が義務づけられているものです。調整池は公園の中に作られることになっていましたが、池にはテニスコート6面の大きさが必要です。これでは公園のために残された面積はわずかです。
住民が広い公園や広場を望んでいるにもかかわらず、これでは十分な面積を確保することができません。調整池と公園をどう両立させるか。市の担当者に課題が突きつけられました。

 数日後、市の担当者は、解決策を見つけたいと、建設中のスーパーマーケットの工事現場に向かいました。ここの調整池は地下に造られ、その上の敷地も駐車場として有効利用されると聞いたからです。

 住民の希望を叶えるためにはいい方法ですが、しかしその一方で、この工法を選択すると建設コストが増えます。さらに完成後のメンテナンスも必要となり維持費もかかることがわかりました。

市の担当者:
街づくりに対してみんなの思いもあるしね。その反面事業者としてコスト計算もしなくちゃなんないし・・・。

 市役所の担当者たちは、コンサルタント会社も入れて、計画を練り直しました。そして、何度も設計をやり直し、一つの結論にたどり着きました。
公園の敷地を、段階的に掘り下げ、グラウンドなどを作る方法です。普段はほぼ全面を公園として使えますが、大雨のときは浸水して、調整池の役割を果たします。これなら建設コストも抑えられ、住民の希望をかなえることができます。

渡辺部長:
私たちが(住民を)引っ張るんじゃなくて、私たちが引っ張られる形もありました。それで、情報提供しながらお互いにやっていこうと。住民自らの手で街づくりをするのはいい選択だと思っています。

8月22日:道路の配置を考える

 街づくり検討委員会のテーマは、道路の配置に移りました。公園などの施設を、どのように道路で結んでいくかを考えます。住民たちは、道路に見立てた赤や黄色のひもを使って、地図上に道を描いていきます。

 被災した海岸沿いの集落では、道はゆるやかにカーブし、街を歩くと四季折々の緑や花を楽しむことができました。住民たちは、それを再現しようとしていました。さらに、街路樹として、かつて集落にあったイグネや松林を再生させようとしていました。

 しかし、そこで緑の多さに不安を訴える声が挙がりました。一方で、その不安に対して、緑の大切さを訴える男性からの意見も出ました。

住民・女性:
すごく木が多くて、緑が多いというイメージなんです。でも、木ってどんどん大きくなって、最終的に管理が難しくなると思うんですけど、そういう面で、すごくお掃除が大変だと思うんですけど…。だから、私は木というのは極力最小限でいいのかなっていう……。
住民・男性:
イグネっていうか、緑がなかったら寒くてしょうがない。そして、今までの集落のイメージを思い浮かべてみると、やはり緑が豊富なんだ。おらほの町内でも8割以上みんなそう言うの。だから、イグネも(掃除が)大変だかわかんないけど、緑豊かな集落、一気に作るんだから、何とかこの形にしてもらいたいな。

 この段階で市は初めて、住民の意見をもとに図面を作成しました。さまざまな議論の末に出来上がった、新しい街のイメージ図。集落の間にある小さな公園。それをゆるやかに曲がった道がつないでいます。東側には大きな公園とスーパーなどの生活利便施設が配置されました。公園をつなぐカーブした緑道、調整池のある大きな公園や生活利便施設の配置も、住民のイメージどおりです。

8月29日:市が作成した図面を住民に提示

 1週間後に開かれた委員会の冒頭で、市が作成した図面が提示されました。しかし、この案に対し、前回緑の多さについて不安を訴えた女性が、再び声を挙げました。

住民・女性:
(緑を)管理するってことを、やっぱりきちんとやっておかないと。桜並木にアメリカシロヒトリって、いきなりつくじゃないですか・・・。(毛虫の毛が)、風で飛ぶでしょう。小さい子どもに刺さったら、腫れるんですよ。
住民・男性:
全然、緑はいらないって言うの? そんなんだったら良い町なんてできないでしょう!
住民・女性:
いらないじゃなくて‥‥‥‥。そういうの大事ですよね。私、なんか間違ったこと言っていますか?

 緑をめぐって住民の間で意見の食い違いが出ました。そこで東北大学教授の小野田泰明さんがアドバイスをします。小野田さんの専門は、都市づくりと建築です。今回の震災では、東北の複数の市町村で復興のためのアドバイザーを務めています。

小野田:
(緑の管理に関して)非常に正しいことをおっしゃっています。過大な管理が必要な緑地を作ったら、管理できなくなって、放置される。そして、虫だらけになって手つけられないから、後で刈り取るということが起きてしまうんですよ。だから、日常的管理がしやすいように、緑道にはこんないっぱい木を植えないで、管理可能な規模に抑えていく。

 アドバイザーの小野田さんの意見を取りいれ、緑の量について再検討することになりました。さらに小野田さんは、住民が集まりやすいように公園をなるべく街の真ん中に作ることを提案しました。

小野田:
ただ管理すると管理になるんですけど、こういうのだったら草刈りをみんなでするのに集まって、後でちょっとバーベキューをやってコミュニティの維持が保たれるっていう、そういう効果もあるんですね。

 市は、図面を修正することにしました。住民の希望をさらに取り入れ、ほとんどの道路をゆるやかにカーブさせました。そして、緑の量をやや縮小。集会所も住民が集まりやすいよう、真ん中に配置しました。

9月4日:集合住宅の位置を検討

 9月4日、この日の委員会では、住宅地についての検討に入りました。市から、住宅地についてのひとつの図面が提示されました。ここには、すでに住民が合意していた6つの集落の配置に加え、市営の集合住宅の位置も示されていました。これに対して、一人の住民から意見が出ました。

住民・男性:
せっかく、各地区と隣接して集合住宅を考えてくれるのはいいのですが、こういう道路があって、この中に集合住宅がおさまってしまうと、この集合住宅全体が分断されてしまう‥‥‥‥。

問題になったのは、集合住宅の位置です。真ん中に集まり、道路に囲まれています。ここの住民は孤立するのではないか、という意見です。これに対し、市の職員が説明に立ちました。

市担当者:
ここは単なる公営住宅ということではなく、そこには中央にきちんと高齢者対応の施設的なもの、ケア的なものを配置し、将来的にはそこを高齢者に対応できるように用途替えをする・・・

 将来的には高齢者施設への転用を考えているという行政側。これに対してアドバイザーの小野田さんから意見が出ました。

小野田:
集合住宅をあんまり一か所に固めてしまうと、そこだけお年寄りの方が多かったりとか、そういう形になるので、まあ管理の問題があるので、ある程度集約させながらも、うまくミックスさせるのが普通なんだけど・・・

 住民や小野田さんからの指摘を受けて、市の担当者たちは、もう一度集合住宅の配置を考え直すことにしました。緑道を一本挟み、集合住宅を対角線上に配置することで、周辺の住宅地との分断に配慮しました。これで、新しい街の大まかな見取り図が出来上がりました。

9月12日:新しい街の模型が完成

 9月12日、街づくり検討委員会は一つの区切りを迎えていました。この日、市は、これまでの議論をまとめた新しい街の模型を用意していました。去年、住民の有志が新しい街の議論を始めてからおよそ1年。積み重ねてきた努力の結晶です。

 街の模型を見ると、かつての集落のように、緑豊かで、ゆるやかに曲がった道路が延びています。住民が集う公園には、集会所が作られ、緑の道で繋がっています。東側には、調整池のある大きな公園。子どもたちが思い切り遊べる広さが確保されました。住民と行政が一緒になって話し合い、一つ一つ決めてきた新しい街の姿です。

住民・男性:
最初はね、やっぱり俺たちもどうなんのかなと思ってね、心配してたけどね。だから、これからもっと詰めていくんだと思うけどね。まあ、いい町になるかなあと…
住民・女性:
まあ、こういうふうに住民も参加して作る町なので、それは岩沼市に感謝ですね。

ようやく得られた住民の合意。行政側も一安心です。

井口経明市長:
何といっても、地域住民の方たち主体で街づくりに取り組んでいただいた。そして石川教授をはじめ、学者の先生方や街づくりの実践家の先生方のいろいろなご意見等もどんどん出していただいたということもありますので、岩沼市としては少しオーバーかもしれませんが、被災地としてモデルになるような新しい街が作れると(思っています)。ほんとによくやっていただいているし、これからもそういう方向でしっかり進めていかなければならないと思っております。

 10月下旬。仮設住宅では、集落ごとに住民たちが集まり、誰が、どこに家を建てるか、住宅の区割りについて、話し合いが始まりました。移転用地では、造成工事が急ピッチで進められています。

 時間がかかっても、みんなで話して決めていく。一見遠回りのような方法を選んだ岩沼市が、今、被災地の集団移転事業の先頭に立っています。住民の入居予定は2014年春。これからも、話し合いは続きます。

石川幹子さんのプロフィール

石川幹子(いしかわ・みきこ)東京大学大学院工学系研究科教授

宮城県生まれ。東京大学農学部卒業。ハーバード大学デザイン学部大学院卒業。専門は都市計画。代表的な作品に岐阜県各務原市の「水と緑の回廊計画」。中国四川大地震の復興計画にも携わった。都市計画において、未来の理想図を具体的に描くことを重視し、岩沼市においても、震災復興会議議長として、他の被災地に先駆けてグランド・デザインを作成した。2008年「内閣府 第2回みどりの学術賞」受賞。著書に『都市と緑地』『21世紀の都市を考える-社会的共通資本としての都市2』などがある。

小野田泰明さんのプロフィール

小野田泰明(おのだ・やすあき)東北大学大学院教授

金沢市内の鋳造所に生まれる。東北大学卒業後、UCLA客員研究員などを経て現職。専門は都市・建築学。建築のハードとソフトをつなぐ建築計画者として知られる。建築設計で日本建築学会作品賞を受賞(阿部仁史と共同)。東日本大震災以降、宮城・岩手の自治体の復興アドバイザーを務める他、建築家による復興支援ネットワーク「アーキエイド」の中心メンバーとして活動。