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リポート

復興への知恵を多くの人に役立てていただくために、講演やトークセッションの模様をテキストで公開しています。

漁業から町は生まれ変わる 
~岩手・陸前高田市広田町 Part2~

  • 開催:2012年9月2日(日)
  • 放送日:【総合】2012年9月23日(日)午前10時35分~11時23分

 被災地に全国から知恵ある人を招き、住民とともに復興への道筋を探る「復興サポート」。 今回のレポートは、9月23日(日)に放送された「漁業から町は生まれ変わる~陸前高田市広田町Part2~」をまとめたものです。 この陸前高田市広田町では、今年春に「漁業の再生」をテーマに復興サポートを作りました。今回は、さらに地域全体の再生のために何ができるかを考えました。

 番組の内容は、まず前回の「復興サポート」で提示された漁業再生へのアドバイスと、それを受けて現地で始まった取り組みを紹介。後半は、漁業を起点にして、「地域全体の再生」をどうするかについて議論し、新たなアドバイスとして、漁村などの普段の暮らしの魅力を体験してもらう新しいツーリズム「民泊」の先進事例(長崎県・五島列島 小値賀島)を紹介しています。
 今回の復興サポーターは、前回もご登場いただいた三重大学の勝川俊雄准教授。さらに、長崎県五島列島の小値賀島で、「民泊」事業で成果を上げている高砂樹史(たかさご・たつし)さんをゲストとしてお迎えしました。

 岩手県陸前高田市広田町は、市の中心部から南東へ車で20分、海に突き出た広田半島にあります。東日本大震災の津波によって、300軒を超える家が流され、50人以上が亡くなりました。いまも、およそ120世帯が仮設住宅で暮らしています。漁業関係者も、漁船や養殖施設が流されるなど、大きな被害を受けました。

ワカメの養殖漁師:
家も船も工場も全部流されて、すっからかんですからね、怖いものねえぞっていう感じですよね。だからこそ、なんかこう、震災後はね、もっとより良いものを求めてやりたいなとか思うんですよね。

前回ミーティングを振り返る(2012年4月放送)

 今年の春、三重大学准教授の勝川俊雄さんを復興サポーターとして招き、広田で第1回目のミーティングを開きました。きっかけは、広田の漁師から届いた一通のメール。勝川さんは、海洋資源の専門家として、ノルウェー、ニュージーランド、オーストラリアなど、世界の漁業のあり方を視察した経験から、日本の漁業の再生への提言を続けています。メールの内容は、その勝川さんから広田の漁業再生についてのアドバイスを得たいというものでした。

勝川:
漁業をより魅力的にね、そしてまたよりいい状態で次の世代にバトンタッチできるような形で復興していく。そのために我々に何ができるかということを一緒に考えていきたいと思います。

 実は、震災以前から、三陸の漁業は深刻な事態に陥っていました。進む高齢化。そして、後継者不足。水産物の市場での値段も伸び悩み、生活は苦しくなっていました。勝川さんは、震災前の状態に戻すのではなく、漁業で十分生活が成り立っていくように、新しい漁業のあり方を探しながら再生していこうと話します。そして、漁業再生に向けて3つの知恵を提案しました。

知恵(1)
販売ルートの選択肢を増やす(自分たちの海産物を買ってくれる新しいルートを複数開拓する)
知恵(2)
眠っている宝を外の人と探す(外から来た人の目で、地元にある海産物や農産物などの眠っている価値を再評価する)
知恵(3)
来てくれるファンを増やす(海産物を目当てに訪れる観光客を増やす)

 3つの提案それぞれに対して、会場からは活発な意見が述べられました。勝川さんは3つの提案を実現することで「三陸から日本の漁業を変えてほしい」と、今後の広田の漁師たちの活動への期待を込めて、第1回目のミーティングを締めくくりました。

※第1回のミーティングについては、復興サポートのホームページの以下のサイトにリポートが掲載されています。 https://www.nhk.or.jp/ashita/support/meeting/20120422_rikuzen/index.html

第2回ミーティング 漁業の再生から地域全体への再生へ

 今年の9月、第2回目のミーティングが開催されました。前回のミーティングの後にどのような新たな活動が始まったのかを、まず参加者全員でVTRで確認することになりました。

VTR1 販売ルートを開拓する

 1回目のミーディングがあってから1ヶ月余りが経った陸前高田市広田町。ミーティングで漁師たちに提案したことを、具体的な形にしたいと考えていた勝川さんは、東京の居酒屋チェーンの仕入れ担当者を広田に連れてきました。この居酒屋チェーンでは、広田からも魚を買い付けたいと、仕入れ担当者は、この日、直接取引を漁師たちにもちかけました。漁師たちにとっては、販路を広げるチャンスです。しかし、漁師たちは、本当にうまくいくのかと、期待と不安が入り交じった表情でした。

 翌朝3時、勝川さんが連れてきた居酒屋の仕入れ担当者は、広田の漁師とカゴ漁に出ました。店に出す魚を見つけるためです。

 広田半島の沖合は、北から来る海流の親潮と、南からの黒潮がぶつかる、世界でも屈指の好漁場です。しかし、仕入れ担当者が目をとめたのは、意外な魚でした。 

 「ドンコ」というこの魚。傷みやすく、遠くには出荷できないため、市場では、よい値段がつきません。

 もうひとつ、注目したのは、「ケツブ」。毛ガニをとるためのカゴに大量にかかりますが、殻が硬くて処理に手間がかかり、市場では売れません。これまでは海に戻していました。

 仕入れ担当者は、「我々からみると宝の山なんですよね」と、このドンコとケツブが商品になるかもしれないと言い始めました。

漁師:
まさか、これが喜ばれるとは思わなかったな。どういう形で使うのかな・・・。

 漁を終えて漁師の家に戻ると、台所で居酒屋チェーンの料理長などスタッフが待ち構えていました。ケツブとドンコが、店に出せる料理になるか、早速試作が始まりました。

 まず、ケツブの刺身を試食すると、仕入れ担当者は、「甘みありますね」「言われなきゃサザエですね」と高評価。ドンコの肝和えに対しては、「これは。売れますよね・・・」「めちゃくちゃうまい、ほんとヤバい」と絶賛しました。この2つの商品を、まずは試験的に、いくつかの店で出してみることになりました。

 6月上旬、初めて東京に出荷する朝がきました。これまでは見向きもされなかったドンコとケツブが、今日の水揚げの主役です。

漁師:
俺たちにとって厄介者が金になるんだもの。ホント夢みたいな話だ。

 朝、広田を出発した魚が東京の店に到着したのは昼過ぎです。早速、仕込みが始まります。自分たちの魚は、都会でどんなふうに食べられているのかを知りたいと、広田の漁師たちも仲間とともに上京していました。

 店のメニューを見てみると、ドンコもケツブも、看板メニューのひとつに抜擢されていました。店にお客さんがやってきました。すると、広田のケツブが入った刺し盛りに、どんどん注文が入ります。

女性客:
おいしい!
男性客:
コリコリしておいしいです。サザエみたい!

 広田の漁師さんが、直接お客さんに話しかけます。お客さんから、おいしいです!という声が聞かれました。

漁師:
現場見てさ、スゲーやる気になるし。仲間も絶対自信もったはずだ。
仲間の漁師:
お客さんにこうして食べてもらうっていうのは、漁師冥利に尽きる。今度はうちに帰って漁をやるにも、この姿が映るから励みにもなるのよ。

VTRを見終えての会場の感想

 ミーティング会場に集まったのは、漁師たちや地元広田で農業など他の仕事に携わっている皆さんです。

女性:
今まで捨てているものが、作り手によって宝になって・・・、やっぱり見る目っていうんですか、それが違うと宝になるんだなって思いました。
女性:
こういう足がかりをつけてくれて、すごいことだなってすごく感動してるんです。外からみて指導してくれるって大事なんだね・・・。
男性:
やっぱりこういうふうにしてお客様に出されたものをみたり、その感想が聞けるっていうことは、(漁師にとって)喜びだと思いますよね。
勝川:
今回、ツブ貝だとかね、ドンコだとか、そういうようなものがお金になるようになったんですが、今まで通り漠然と獲って、それを市場に並べていても、こういう変化は起きなかったんですね。じゃあ、何で起きたのか。それは、直接消費者に売る人に現場に来てもらって、売る人の目線で魚の価値を見てもらったからですね。
 ケツブだけではなくて、いろんなものがまだまだ広田にはあると思いますので、外でこういうノウハウを持っている人たちと積極的に組んでいけば、新しい販売ルート、眠っている宝、これからもどんどん見つかると思います。

 今後、さらに広田にケツブなどの下処理をする新しい加工場を作りたいという夢をもっている漁師もいます。
男性:
そこまでやれば当然雇用も生まれる。やはり息子や孫に「漁業というもんはいいもんだ。養殖というのはいいもんだ」と思ってもらうためには、そうやって変えていかないと、ダメだと思うんですよね。
女性:
広田に住んでいる以上には、広田がどうにかなってもらわなければ、住んでいても寂しいだけだから。私たちは(歳だから)もうあちらさんの世界にいくだけなのだけれども、これからの人たちは、生活していくにはやっぱりね、(稼ぐところがないと)。工場があって働ける。そうするとここもひらけて、若いものも住んでいられるし、楽しい町になるんじゃないかなと思って・・・。
勝川:
こういう形でね、漁業が利益をあげて、それによって地元の雇用が増えていく。そしてまた、広田が元気になる。まあその、第一歩を踏み出したのかなと、思います

来てくれるファンを増やすことはできるのか

 震災で人口の流失が進む中、漁業を足がかりに町の未来をどう築いていくのか、話し合いは地域全体の再生へと広がっていきました。

勝川:
今までのところ、(前回の知恵の)一つ目「販売ルートの選択肢を増やす」と二つ目「眠っている宝を外の人と探す」に関しては一歩踏み出しました。それで、次に、「来てくれるファンを増やす」という三つ目が、地元の未来にとってとても重要になります。
 例えば京都の日本海でブランドガニがあるのですが、そのブランドガニを食べるために、毎年何十万人もの人が冬の日本海に行くんです。そこで京都府がアンケートを取ったんです。「カニがなくてもここに来る?」と。そしたら8割が「行かない」と言うんです。  つまり、ブランドガニの価値というのは、漁師の売り上げだけじゃないです。人が来ることによって、その地方全体が大きな恩恵を受けるわけです。広田もせっかくこんなに水産物のいいものがたくさんある。これを、来て食べてもらう。そうなれば、広田全体に対して大きな効果があるわけです。

 来てくれるファンを増やす、観光客を増やすことに関して、会場から意見を求めました。

女性:
観光客っていうのは、見たことはない・・・。それぞれの家庭のお客さんがちょこっと来るぐらいだから。わざわざ観光客として来たのは見たことないですね。
女性:
(広田には)観光の主となるものが何もないからね・・・。
女性:
宿泊施設がみんななくなってしまって、今では民宿ひとつになってしまったところが、ちょっと残念ですね。
女性:
道路事情が悪くて、とにかく大型バスが入れないからね。車でしか来られない。

 会場からは、人を呼ぶことに対するマイナスの意見が次々に挙げられました。そこで、そのようなマイナスをプラスに変えた例として、長崎県の五島列島の小値賀(おぢか)島の例がVTRで紹介されました。

VTR2 民泊によるツーリズム

 長崎県の佐世保からフェリーで3時間。長崎県、五島列島の小値賀島は、広田半島とほぼ同じ面積に、2800人が暮らしています。目立った観光名所もないこの島に、いま年間1万人以上の観光客が押し寄せています。

 島を訪れた大学生に同行してみると、着いたのは旅館ではなく、漁師さんの普通の家でした。

男子学生:
本当に普通のとこに泊まりにきたんだなって。久々におばあちゃんの家に行ったみたいな感じがします。

 いま小値賀島では、漁師の家などに泊まり、島のありのままの暮らしを体験するプログラムが人気を呼んでいます。

 その日のおかずにするために、獲れたての魚をさばきます。島ではそんな当たり前の光景が、都会からの観光客には新鮮に映ります。この島では、普段の暮らしの中にある様々な仕事を体験できるのです。この体験型の旅行は「民泊」と呼ばれ、小学生から大学生、そして家族連れなどが訪れています。

 この島で民泊が始まったのは6年前。その背景には、島の厳しい現実がありました。高齢化が進み、子どもの数は激減。働けるところがないと、若者たちは島を出て行きました。人口は、多かった時の1/4にまで減りました。

 このままでは島の未来が危ない、立ち上がったのは、都会から島に移り住んできた一人の男性。高砂樹史(たかさご・たつし)さんでした。

 高砂さんは、この島の暮らしに魅了され、大阪から移住してきました。離島だからこそ残った本当の豊かさ。その良さを都会の人にアピールできれば道は開けると、高砂さんは考えました。そこから、島の暮らしを都会の人にまるごと体験してもらう「民泊」を始めようと思いついたのです。

高砂:
家族と一緒にここに移住したぐらい感動したので、そういう当たり前の生活をそのまま島の人たちに提供してもらい、島の人たちと交流できれば、みんなやっぱり感動してくれるんじゃないか、と。

"観光客をふつうの家に泊める"という民泊への呼びかけに、最初島の人たちは戸惑いました。初めは、方言で大丈夫か、食事は口にあうか、不安でいっぱいでした。

 魚が嫌いだという子どもを泊めることになった家では、最初は悩んだ末にハンバーグを用意しました。恐る恐る獲れたての刺身を勧めると、子どもはひと口食べ、またひと口。「いつもの魚と違う!」と、全部平らげてしまったといいます。

 “普段のままが一番いいんだ”、そう気づいた島の人たちの間で民泊の輪が広がっていきました。今では、民泊などの売り上げは年間1億円を超え、島の大きな産業に成長しています。

民泊の主人:
町全体がなんかこう生き生きしたような感じになっているね。にぎやかですよ。なんかお祭りみたいな感じになって。

 観光を取り仕切るNPO法人おぢかアイランドツーリズム協会も生まれました。観光客が増えるにつれ、島に戻ってくる若者や移住してくる人たちも増えました。NPOはそうした人たちの雇用の場ともなっています。島の暮らしに魅せられて、移住者はすでに100人を超えています。

VTRを見終えての会場の感想

男性:
やっぱり、都会の人にとっては、こういうのがいいんだって思いましたね。
女性:
大変いいことだと思いますし、広田にもいいものがいっぱいあるんですけど、交通の便から地形の面から、何かひっかかりがある気がします。
男性:
都会から女房子ども連れて、広田半島に来る。普通は考えられませんよ。広田には、何もないじゃないですか。ちょっと難しいと思いますよ・・・。

 会場では、小値賀島のツーリズムに感心する一方で、広田では難しいのではないかという意見が述べられました。そして、会場にVTRで紹介した小値賀の高砂樹史さんが登場し、直接民泊の話をうかがうことになりました。

ゲストの高砂樹史さんが魅せられた「本当の豊かさ」

高砂:
えっと、昨日14時間かかって来ました。不便なところから不便なところに来たので、朝6時に出て、着いたのは夜8時ですかね。それぐらいすごく遠い。
 東京からもうちの島に結構たくさんお客さん来てくださるんですが、距離的には、東京からうちまでと、うちの島から上海に行くのと、どっちが近いかというと、圧倒的にうちの島から上海に行くほうが近いんです。とても不便なところです。
 みなさんが広田は車でしか来られないって言ってましたが、なんて贅沢なことを言ってるんだろうなと思います(笑)。でも、僕はそういう不便なところに、なぜ行ったのか。何もないから。何もないからここに住みたいっていう。もう本当に首かしげると思うのですが・・・・。  そこで、キーワードになるのは、「本当の豊かさ」です。
 例えば、(小値賀島には)生活圏内にコンビニがない。きちんと日曜日になったら商店街が閉まる。そして、お米もそれから野菜も、それからもちろん魚介類も自給をして。広田もそうだと思いますが。晩御飯の時に、一家団らんで、今日あった出来事を話しながら、ご飯を食べる。こんなに人間らしい暮らしをしているところはないじゃないですか。それが、なんて言うか、僕らが育った(都会の)町にはもうない。
 でも、そういう中で、僕自身が移住をして、すごくショックだったのは、島に残りたいと思ってる子が結構たくさんいるのに、仕事がないから島から出ざるをえない。仕事と言えば本当に役場の職員の募集が何年かに一回あるぐらい。農業では食っていけないという現実があって、若い人たちの働ける場を作るために、何とかしなきゃいけない。だから民泊を一緒にやりましょうと呼びかけたのです。

広田で体験できる豊かさを見つける

 小値賀島の方が広田町よりも何もないところなんだ、不便なんだという高砂さんの話を聞いて、会場からは、広田町でも、観光客に提供できる体験メニューがあるはずだと、思い思いのアイデアが語られ始めました。

女性:
ちょっと不安もあるんですけど、野菜の収穫とか畑の体験とか、そういうことぐらいはできるかな。子どもたちと遊ぶのも、楽しみだなと思ったりしてます。
女性:
海から陸を見た時の広田がすごく好き。だから、よその人にも見てもらいたいなと思います。広田は景色が最高です。
男性:
体験に関しては、広田は事欠かないと思うんですよ。漁船漁業でも、刺し網にしても、かご漁にしても、はえ縄にしても、その四季折々のものが、全部体験になると思うんだよね。
男性:
基本は、船に乗ってもらうということなんでしょうね。そして、例えばワカメの刈り取りとかね。
勝川:
船に乗ってね、あ、ワカメってこんなふうになっているんだと見るだけで、みんな驚きますよね。
女性:
コンブ干しがあるし、ウニむき体験とか。

勝川:
人手がかかるやつがいいですよね、みんなで体験できるやつ。
女性:
じゃあ、干し柿作り!
女性:
昔のお菓子づくり。昔地元で作った、カマモチとか米粉まんじゅうとか、ゆべしとか・・・。
女性:
(うちは)マキのお風呂だから・・・。子どもたちはなぜだか、火燃えるの好むから。震災の時には、よその人たちも(マキの風呂に)入れてやったし。
高砂:
みなさんは、自然とお付き合いするプロだと思うんですよね。自然とお付き合いして、自然と生きているプロだと思うんですよ。例えば、マキで火を焚くっていっても、できるだけ少ないマキでたくさんのお風呂を沸かすコツがあると思います。そういうことを上手に伝えていただくと、すごくお客さんは喜ぶんじゃないでしょうか。

男性:
津波の体験語り。石碑が建ってるんで、それを全部まわって歩く・・・。

 広田半島には7つの石碑があります。明治29年と昭和8年の大津波を受けて、広田半島に建てられた石碑には、子孫のための教訓が記されています。
「低いところに住家を建てるな」
「津波と聞いたら 慾捨て逃げろ」
 先祖の遺した教訓を大切にしていきたい、そうした思いも含めて津波体験を語ろうという提案でした。

まとめ 漁業を超えて、地域を豊かにする

高砂:
今日の午前中に、広田のみなさんに「海を恨んでいませんか」と聞いたんですよね。そしたら、海からずっと生活の糧をもらっている俺たちだから、海を恨みたくてもね、恨めないし、そして、これからもやっぱり海と一緒に生きていくしかないってお話を聞かせていただきました。
 本当にすごいと、思いました。これだけの震災を受けながらも、自然と一緒に、海と一緒に生きていこうと覚悟されている方々がいらっしゃるっていうことが、すごく可能性があると思います。

 今回の復興サポーターの勝川さんは、「最終的なゴールというのは、この半島できちんと雇用を作って、若い人たちが戻ろうと思ったら、いつでも戻れる。そして豊かな生活ができるようにすることだ」と言います。そのためには、まず漁業が変わること、そして、漁業が地域を変えていく力になることが大切だと繰り返し話しました。
 第1回のミーティングの後の動きを振り返り、そして今回の第2回のミーティングを終えて、勝川さんも会場の人々も、何かが確かに前に向かって動いているという手応えを確実に感じたと言います。
男性:
こうやって、販売ルートにせよ、眠っている宝にせよ、まず現実に実になってきてるわけでしょう。今回の民泊も、こうやって話を聞くと、本当に何となくできそうな感じがしてくる、何か希望がもてるような話だったと思います。
男性:
ゴロンゴロンゴロンと進んでいくような感じ。そういう期待感っていうんでしょうかね、新しく生まれ変わっていく何かが、今日の会の中には確かにあったなと思いました。

 ミーティングの翌日、勝川さんと高砂さんは、地元の人々と広田の宝探しを行いました。胃腸の薬になる野草のセンブリを見つけたり、アワビやウニを採るための和船の船大工さんにお会いしたり・・・・・。旅人の心を魅了する本当の豊かさは、この陸前高田市の広田半島にも、まだまだたくさんありそうです。

勝川俊雄さんのプロフィール

勝川俊雄(かつかわ・としお)三重大学生物資源学部准教授

1972年東京生まれ。東京大学農学生命科学研究科にて博士号取得。東京大学海洋研究所助教を経て現職。研究の傍ら、政策提言のほか、漁業者や消費者とともに持続可能な水産資源管理や漁業の制度改革に向けて活動を行う。著書に『日本の魚は大丈夫か 漁業は三陸から生まれ変わる』など。

高砂樹史さんのプロフィール

高砂樹史(たかさご・たつし)おぢかアイランドツーリズム

大阪府生まれ。1999年まで夫婦共に秋田県に拠点を置く、劇団わらび座の劇団員。 その後、魅力的な子育て環境を求め、2005年家族で長崎県五島列島の小値賀町へ移住。小値賀町の魅力を全国に発信し、体験型観光「民泊」の事業化を進めるなど、町の観光事業を育ててきた。