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リポート

復興への知恵を多くの人に役立てていただくために、講演やトークセッションの模様をテキストで公開しています。

復興カレッジin仙台
建築家と考える 新生東北のデザイン

  • 開催日時:2012年3月6日(火)
  • 開催場所:宮城県仙台市 東北大学
  • 放送日:Eテレ(東北ブロック)2012年4月15日(日)午後3時00分~3時50分

会場 仙台市 東北大学

出演者プロフィール

小野田 泰明(おのだ やすあき)さん
東北大学大学院 工学研究科教授

東北大工学部卒、東北大大学院助教授を経て2007年に同教授。専門は建築計画学で、建築のソフトとハードを繋ぐ「建築計画者」として各地の先駆的施設を手掛ける。震災後に結成された、建築家による復興支援ネットワーク『アーキエイド』の発起人・実行委員となり、中心的メンバーとして活躍している。他にも、石巻市復興ビジョン懇談会など多くのプロジェクトを牽引している。

小野田泰明さん 写真

小嶋 一浩(こじま かずひろ)さん
横浜国立大学大学院建築都市スクール“Y-GSA”教授 CAtパートナー

東京大学大学院修士課程修了、同大学院博士課程在学中の1986年に設計組織シーラカンス(のちC+A、2005年よりCAtの改組)を共同設立。東京理科大学教授を経て2011年より現職。建築家として国内外の多数のプロジェクトを手がける。『アーキエイド』実行委員・代表理事。Y-GSA小嶋スタジオとして牡鹿半島鮎川浜の復興支援に取り組んでいる。

小嶋一浩さん 写真

福屋 粧子(ふくや しょうこ)さん
建築家 東北工業大学工学部建築学科講師
福屋粧子建築設計事務所代表

建築家として、これまで『森のひとかけら(大地の芸術祭出典作品)』『梅田阪急ビルスカイロビー tomarigi』などを手がける。震災後は『アーキエイド』発起人・事務局長として、被災地域と遠隔地サポーターを繋ぐ活動を行ってきた。また牡鹿半島ではプロジェクトのリーダーとして、被災地でのまちづくりを中心とした復興支援活動に携わっている。

福屋粧子さん 写真

中田 千彦(なかた せんひこ)さん
建築家 宮城大学大学院
事業構想学部デザイン情報学科准教授

東京藝術大学美術学部建築科卒業、コロンビア大学建築・都市・歴史保存大学院建築修士課程修了。京都造形芸術大学環境デザイン学科助教授や、建築誌の副編集長などを経て、2006年からは宮城大学准教授。日本伝統のデザインと機能性の追及を求める建築家集団rengo DMSでも活動。アーキエイドでは、主に南三陸町の復興支援に取り組んでいる。

中田千彦さん 写真

第6回目となる復興カレッジ、今回は建築家たちによる復興支援がテーマです。去年3月の震災直後、全国の建築家や、建築を学ぶ学生たちが集まり、東北復興支援のためのネットワーク「アーキエイド」が結成されました。伊東豊雄さんや妹島和世さんといった、世界的に有名な建築家たちも賛同者に名を連ね、現在270人以上の建築関係者が参加しています。活動開始から1年、アーキエイドは被災地の住民とともに、様々なプランを考えてきました。今回はアーキエイドに参加する建築家たちとともに、この1年の活動を振り返り、被災地の住民たちと共に目指す新しい東北の姿について語りあいました。

建築家による復興支援「アーキエイド」

関口
“アーキエイド”とはどういう意味で名付けられたのでしょうか?
小野田
“アーキテクト(建築家)”に、“エイド(支援する)”をつけてアーキエイド。建築家による支援という意味です。被災地の漁村集落は、海の恵みをうまく取り入れるために、100年、200年…場合によっては400年と年月を積み重ねて作られてきたわけです。それが今回の津波でいっぺんに流されてしまいました。もう1度暮らしやすい町にするためには知恵が必要で、そういう知恵を支援してくれる人たちの仲介になるようなネットワークが必要だ、という意味でアーキエイドです。ネットワークには、町づくりの専門家も入っているし、建築家も入っているし、土木の専門家も入っています。産業の問題などもあるので、その専門家も入っています。建築家というのは、もともとクライアント、お施主さんのお話を丁寧に聞きながら、それを具体的な形にする仕事だったりします。そういう人を接着剤に入れることで、全体が非常にうまく回るんじゃないかなと考えています。ただ、物を、家を作るということだけじゃなくて、全体の情報をまとめてコーディネートする、そういう役割です。建築家がもともと持っているそういう力を今回の支援に積極的に使ったら、もっといい未来というか、夢のある、希望のある復興ができると思ったんです。

司会 関口知宏さん

東北大学大学院 教授 小野田泰明さん

関口
どういった理由でアーキエイドに参加されたのですか?
福屋
私は仙台の大学で教えているんですけれども、東京に家があったので、ちょうど帰ったところで地震がありました。やはり東北の人たちのことが物凄く心配になるじゃないですか。津波の被害を受けた範囲が沿岸500キロにもわたります。凄く広いというのもよく分かっていたので、自分一人では何もできるわけがないと思いました。何をしたらいいだろうと考え合う会が必要だと思ったんですね。それが広がって、そういうことに参加したい建築家がいるんじゃないかというので、呼びかけを始めようと思って、アーキエイドに参加しました。
小嶋
僕も宮城県で携わった仕事もあって、連絡を取りたいんだけれども全くつながらないとか…ウェブサイトも全部落ちてますよね。でも、今行くのはたぶん迷惑にしかならないし、行くこと自体が大変だろうなと。僕らは建築家として、津波にしろ原発にしろ、起っていることに一人一人が現地に乗り込んでいっても邪魔にしかならないといったことが、最初の頃の話でした。アーキエイドは“プラットホーム”という言い方をしているんですけれども、そこに情報が集まって、何か求められることがあったらそこに対して求めが来て、動けるようなものを作る準備をしておいた方がいいんじゃないかと思ったんです。
中田
私は震災のときには宮城県内におりまして、情報もほとんどなく、周辺のことしか分かりませんでした。徐々にいろいろな被害のことが情報で入ってきたときに、途方に暮れるわけですね。なんとか東京にたどり着いて、小嶋先生や皆さんがお集まりになっているところ、アーキエイドを始めようとしているところに同席させていただいた瞬間に目が覚めたというか、我に返った。建築家という職が何をすべきか、具体的な方法は分からないんですけれども、行動するしかないなと。

東北工業大学 講師 福屋粧子さん

横浜国立大学大学院 教授 小嶋一浩さん

――アーキエイドのプロジェクトは現在、主だったもので16に及びます。その中でも大きな活動場所が宮城県の牡鹿半島です。

小野田
なぜここなのかというと、被災エリアの中で最大の半島です。島は独自の文化が保全されながらも陸とくっついている。特にこの金華山沖は日本でも有数の漁業基地なんです。日本に住む人たちが、海からの恵みをずっと、うまく取り入れてきた文化が凄く良く残っている。住んでいる人たちが、漁村と漁業文化を育ててきた凄くいい場所なんですね。そういう場所は独自の文化を持っていて、それを丁寧に育てながら復興していかないと、なかなかうまくいかないだろうなと。
福屋
ここは、それぞれの地域に住んでいる人が固有の浜の状況というのを持っていて。約30浜あっておよそ5000人の方が住まわれているんですけれども、被災の程度も浜ごとに全く違います。例えば、首都大学東京のチームが担当している新山浜という所は、家屋の被災はほとんどありません。そのちょっと上の東京工業大学が担当している浜は、東側から津波が来たんですけれども、ほぼ全部家屋が流されてしまって、被災率、家が残っている率はゼロパーセントです。そういうことも、行ってちゃんと調査して初めて分かることなので。まずは、記録をちゃんととって、それに合わせて将来の計画を考えていくというのを、やっていこうかなというふうに考えていました。
小野田
実際の復興は、早くたくさん、半島も半島じゃない所にも一律にしますから。「丁寧にやらなければいけないところについては、やはり集中的に支援をした方がいいですよね」という話を石巻市の担当の方として、「ああ、そうですよね」と。凄く理解があって、アーキエイドと石巻市と、そこに暮らしておられる住民の方たちでコミュニケーションしながら「一緒に復興のことを考えましょう」と。仮設住宅ができてすぐで、とてもそういう余裕がないようなときだったんですけれども、うまく受け入れていただいてプロジェクトがスタートした形ですね。

アーキエイドの牡鹿半島支援プロジェクト

牡鹿半島でアーキエイドの活動が本格的に始まったのは、去年7月です。全国の建築家たち27人と、学生100人あまりからなる15のチームが、住民とともに復興へのプランを考えるための4泊5日のサマーキャンプを行いました。この活動は石巻市とも連携し、アーキエイドが作ったプランが市の震災復興基本計画にも反映されることになっています。
参加者たちはチームごとに分かれて、担当する浜の現地調査を開始。福屋さんの東北工業大学チームは、小渕浜(こぶちはま)を訪れました。住民の話を丁寧に聞き取りながら、浜全体の地形を調査し、被害の様子や元の町の姿を調べ、住宅や施設の再建を考えていきます。
小渕浜は、2つの港の間に住宅や養殖の作業場が広がっていました。津波は浜の両側から押し寄せ、港に近いエリアはほとんどが浸水。新たな町づくりに当たっては、安全な高台に住居を確保しながら、仕事場である漁港へのアクセスを良くすることが課題です。住民からは、小渕浜にある2つの港の迅速な復旧を求める声が上がりました。港を1~2年で復旧させなければ、せっかく育った後継者が都会へ去っていってしまうというのです。
住民の意見と調査の結果を踏まえ、福屋さんたちが提案したのは、集落を高台と港に近い斜面沿いの2か所に分けて作ることで、安全性と漁業の利便性を両立させるというプランです。「なるべく地形を削ったり盛ったりせず、既存の町の構造をなるべく残して作っていくというのが、牡鹿半島全体にとって重要なんじゃないかと思います。」福屋さんはそう語ります。
一方、小嶋さんのチームが担当しているのは、人口1400人、牡鹿半島最大の集落、鮎川浜(あゆかわはま)です。小嶋さんたちは、漁業と観光が一体となった復興プランを提案しました。港には漁業体験施設と食堂を作り、海の幸を楽しめる観光スポットとして整備します。今回の津波で浸水したエリアはスポーツ公園として利用、浜の中心に活気を取り戻します。住宅地の一部は浜に近い高台に移し、震災前のように海を身近に感じながら住めるように考えました。
各チームはその後も頻繁に浜に通い、住民の意見を元にプランの改良を重ねています。これからはじまる復興への工事に向け、具体的な提案をしていく予定です。

住民に寄り添ったまちづくり

関口
人件費など、お金がどうなっているのかが疑問なのですが…。
福屋
大学の活動としてやっている部分もあるので、レンタカー代などは大学から出ますが、それぐらいです。ボランタリーな活動として始めているので、お金はなくて当然と思ってずっとやっています。ただ、遠方から通ってきて模型を作ったりする必要なお金というのももちろんあって、それは仕方がないので、大学と教育活動の一環として何とか大学から出して頂けるというのがありまして。おそらく全ての大学がそうだと思います。 牡鹿半島の状況は、すごい勢いで変わっています。もっと安全でもっと利便性が高くて、浜にも近くて、といういい場所がどんどん見つかってくるんですよ。調査を続けていくと見つかってくるんです。ですから、活動を続けていかないといけないと思うんですよね。
関口
素晴らしいなと思いますけれども、あれだけの住民の意見が、まとまるものなんでしょうか?
小嶋
どこかで折合いを付けないと、凍りつかせてもどうしようもないよな、とは皆さん思っているわけですけれども。

――牡鹿半島の住人・大澤俊雄さんに、アーキエイドの活動について話を聞いてみました。

大澤俊雄さん
アーキエイドに対しては、大変ありがたく感じております。私たちは何にもなくなって、地域がどのようになるのか、誰も考える余裕がないし、模型も展示していただいて。「私たちの地区は将来、このような感じになるんだ」と。その模型一つで、地元が希望を持ったということに、まず本当に感謝しています。ただ、VTRに出てきているのは、お金があって余裕がある人たちの話なんです。そうではない人たちの声が出ていないような気がするので、そういう人たちの声もぜひ、聞いて頂きたいなと思います。

大澤俊雄さん

福屋
まだまだ住民の方の話を聞いていかなければと思いますが、楽しいんです。浜の方とお話をすると、元気をもらうんですね。自分たちはこういうふうに生きていきたいんだということが、はっきりしている人が多くて。「漁に出るから、だから町はこういうふうになっていないと駄目だ」っていうことまではもう分かっていて、心の中に多分イメージもあるんだけれども、単にそれがうまく形になっていないだけなんですね。だから、そこをちょっとだけ手伝うと。
小野田
日本なんか、駅前などはみんな同じような風景です。バイパス沿いなんかも、どこの町を走っているか分からない。安く、早くというとああいうふうにどうしてもなってしまう。だけど今、先生方がおっしゃったように、各浜というのはそれぞれ獲れるものも違うし、地形も違うから、どうやって集落を作っていこうかというのは、何百年も苦労した結果がそこにあったんですよね。今回は一気にそれがなくなったから、直そうというときに、違いをやっぱり丁寧に掘り下げながら作ってあげないと、本当に駅前みたいになってしまう。もしかすると、お金も行き渡らないから駅前にすらならないかもしれない。そうすると、やっぱり一緒に考えてくれる、伴走してくれるデザイナーがちゃんと入ることが不可欠かなと思います。例えばフランスなどではワインツーリズムなんていうのがあります。小さな村みたいな所にシャトーがあって、そこで一生懸命いいワインを作っていて。それは隣の村のシャトーとは全然違ったりするんです。そうすると、そこでワインを楽しんだり、そこにあるチーズとかいろいろなものを楽しむと、「ああ、これはおいしいね。こういうやり方があったんだ」って言って、国とか自分の所に帰って、それをまた取り寄せたりとか。それと同じようなことの海洋版が、たぶん牡鹿半島みたいなとても豊かなところではできると思うんです。
小嶋
経験値はたくさんある建築家が集まって、「ここはいいよね」ってみんなが言っているのだから、相当いい場所なんです。そのいい部分が、牡鹿半島以外の人たち、できれば東京とか、あるいは海外の人たちに、せめて1泊してもらえるようなメニューを用意できるだけで、全然、流れが変わるだろうと。それがないのに高台をどうとか、防潮堤をどういうとかいう話ばかりしたって、ちっとも元気にならない。仮設の食堂でもいいけれど、普通のものだけじゃなくて、わざわざ食べに来るような場所です。いっぱいあるんです、食材は。それをどういうふうに出せば、例えば関口さんも、わざわざ東京から小屋を訪ねに来てくれるのかと、そういう話なんです。

復興のシンボルとなる建築とは?

最優秀となった「リトルスペースの森」

宮城県・七ヶ浜町(しちがはままち)は、仙台から車で40分ほどのところにある海沿いの町です。この町の中心部にある七ヶ浜中学校は、地震で壁の一部が崩れるなど大きな被害を受けて使用できなくなり、新しい校舎に建て替えることになりました。そこで町では、アーキエイドのサポートを受け、復興のシンボルとなる新校舎のデザインを全国から募集することにしたのです。昨年12月に募集が始まり、寄せられた提案は53点。その中から特に優れたものが選ばれ、今年2月、最終選考に残った5つの提案の公開プレゼンが行われました。審査員は町役場の職員や、小中学校の校長先生、そして建築の専門家たち。審査委員長は、アーキエイドの小嶋一浩さんです。会場には、七ヶ浜の町の人たちも集まりました。
町の再生の中心となり、しかも長期にわたって使える校舎を作るため、審査の際には、様々なポイントがありました。まず、町の防災拠点となる、地域に開かれた建物であること。将来、小中一貫校として使えること。そして復興のシンボルとなること。こうした条件を、限られた時間と予算の中で実現させるプランを求めたのです。厳しい審査委員の目にかない、最優秀となったのが、東京の建築家、乾久美子(いぬい くみこ)さんの作品『リトルスペースの森』です。木でできた大小の建物“リトルスペース”を校舎内に散りばめ、子どもたちが楽しく過ごせる空間を作ります。廊下と教室を一体にして利用するなど、明るく開放的な校舎のプランを考えました。今回の審査結果をもとに、七ヶ浜町ではさらに議論を重ね、2年後には新校舎を完成させる予定となっています。

小嶋
防災や、耐震性とかは当然ですよね。町の方から何度も、復興のシンボルという言葉もありましたけど、 どんな建物がこれから何十年も使われていくのか。特にこれは学校ですから、どういうふうに子どもたちが生き生きとそこにいるか。子どもたちがいて、その場所が何か本当に生き生きしてくるということがシンボルになるんです。“リトルスペース”という小さい箱みたいなのがいっぱいあって、ロの字型のガラス張りの空間があって、そうすると、子どもたちがどこにいても、全体が見えるような校舎なんです。普通の校舎は、教室の中に子どもが入っちゃうと、廊下を授業中に歩いても全然見えないじゃないですか。そういうのとはまったく違う、何百人もの子どもがここにいるってことが町の人からも分かる。地形もすごく上手に読み取って作っていて、この学校は七ヶ浜の一番真ん中の、一番高いとこに敷地がある。すごくいい敷地ですね。3階まで上がれば、周りの全部の浜が見える。子どもが元気に育っていく町ということに未来を感じるわけですよ。
関口
いろんな意味で、建築家のイメージも変わりました。例えば、モニュメントと言ったら、いかに何だか…こんなものを作るのかなというイメージの方があるわけですけど(笑)。

小野田
それは昔の建築家ですから(笑)。やっぱり建築家自体もすごく進化していて、小嶋先生がおっしゃったように、“物”としてのシンボル性でなくて“空間”、子どもたちの本当に楽しんでる声が作品だという。今後アーキエイドでは、建築のサポートもしていきます。今までだと、この建築家がこれで発注したんだからこれでおしまい、という進み方でした。そうではなく、被災地でそれぞれ取り組んでおられる、もしくは今まで蓄えてこられた知見を、お互いにこういう場合だから、交換しようよと。結果として、いい復興ができればそれがベストなんじゃないかと。そういったことがアーキエイドの役割と思います。普通ではなかなかできないことですが、被災地は本当に大変なことになっているので。特に、学校作りは人づくりじゃないですか。やっぱり地域が復興していくなかで、人づくりはすごく大事だから、学校は本当に丁寧に作らなきゃいけないんです。
小嶋
僕らがちゃんとやらなきゃいけないなと思っている理由の一つは、あまりにも大規模な被災をしているので、1つの建物を作るために税金を使うのが大変だというくらい、地方にお金がないんです。今度の被災で、高度成長期のようにとにかくスピードってことだけ言って、案も見ないでお金が一番安い設計者を選んで、という方法に戻ろうとしている。スピードだけで中身を問わないとか。誰も知らない間に何かができたり、建てたとか、そういうのじゃまずいでしょう。例えば、1つの建築を良くすると町が良くなるんだ、というようなことを、みんなにも共有してもらうために。あるいは小さな浜が1つ良くなると、こんなふうに牡鹿半島全体が良くなるんだ、ということを共有してもらうためには、今はとにかくやろうという感じです。
中田
シンボルっていろんな形がありますよね。例えば、ようやく今建築が復興のシンボルとして、立ち表れようとしてる時期に、さしかかってると思うんですね。アーキエイドの1つのプロジェクトにしていただいている、「ながしずてぬぐい」というプロジェクトがあるんですが、それはまだがれきが山積みになっている夏の時期に、頭に巻いて、みんなでがれきを片付けて汗を流そうっていう。その風景に必要なシンボルとして、手ぬぐいのデザインを我々がしたんですね。その海の美しさと、地元の人が海に対する敬意をものすごく持っていることを引き受けて、波の形をした図版を作って。
去年の夏には、これと、前のバージョンを制作して、地元の方にお配りしたんですね。作るのにはお金がかかりますので、日本全国の方にお力添えを頂いて。

宮城大学 准教授 中田千彦さん

関口
これもシンボルですね。七ヶ浜の中学校だって、子どもが育っていくことが町のシンボルと言えばそうですが、住民の方もそのシンボルを求めているような部分ってあるんですかね。
中田
ちょっと言い方が切ないんですけど、最初は支えになるものが欲しかったと思うんですね。今は、握りしめて力を出せるようなものを心の中に持つことが、とっても大事なことになってると思うんです。フェーズが変わっていると思うんですが、そこで建築家が提示する絵姿っていうのは、とても何か頼りがいがあると思うんです。それを頼りにしてもらっているからこそ、我々の仕事があるし、我々はやりがいがあるんだと思うんですけど。

住民とともに進める復興~宮城大学チームの南三陸支援プロジェクト

宮城県、南三陸町の長清水(ながしず)地区。住民およそ170人のこの集落は、津波で9割もの家屋や漁業施設を流されてしまいました。3月4日(日)、この地区でワカメ漁の作業をするための「番小屋」の上棟式がありました。朝8時からの棟上げ作業に集まったのは、地元の住民と、仙台からやってきた宮城大学のチームです。このプロジェクトは、長清水の住民たちの「屋根付きの作業スペースが欲しい」という声を受けて始まりました。長清水を支援していたアーキエイドの宮城大学チームが寄付を呼び掛けたところ、国内外の企業から資金や材料の提供があり、今年1月から建設が始まったのです。
建物の設計をしたのは、宮城大学の大学院生です。建設には地元の住民が積極的に動き、基礎工事も住民がほとんど自力で行いました。棟上げには、漁師や会社員、美容師など、集落の人々が総出で集まり、学生たちと一緒に材木を組み上げる作業に当たりました。参加者たちは、宮城大学の学生がデザインした、お揃いの手ぬぐいを首に巻いています。およそ2時間ほどで、小屋の骨組みが出来上がり、上棟式が行われました。
「こうやって改めて形になると本当に、より勇気をもらって、前にどんどん進めていけるなっていう実感をいただいています。」住民の須藤さんは、そう語ります。

中田
実はここまでやるのに1年かかっているんですね。震災のあとにすぐに、何を作るかというプロジェクトがたくさん発生していたと思うんですけど、私がアーキエイドに関わったときに、すごく大事だなと思ったのは、ただ何か置く、誰かが持って来たものを、引き受けるっていうだけでなくて、例えば、高台移転のことも、浸水した部分にどういう生活を再生するかということも、熟慮しなければならないことがたくさんあって。それをいろいろと検証したり、または駄目出しをされたりしながら、丁寧に取り扱うということを地元の方と協働できたということに関しては、やっぱり時間が必要だったと思うんですね。
小野田
今回の場合、あの建物を作っているだけじゃなくて、まず「a book for our future」という、長清水がこういう未来になるといいのでは、というプロジェクトがありました。みんな本当に、絶望のどん底にあるなかで、デザインができる子どもたちに被災地に行ってもらって、住民に聴き取りをして。それから手ぬぐいになって、それから高台移転のディスカッションをして、計画を一緒に作ると。それであの番小屋で、一緒に建物を設計して、実際にそれができつつある。それからまた今度、高台移転、公営住宅…と、ずっとひとつの物語としてつながっているんです、川のように。その中で、だんだんコミュニティがもう一度再生していく。そこがすごく大事なことなんじゃないかなと思います。

――会場には、長清水集落の支援活動のリーダー、及川博道(おいかわ ひろみち)さんが来てくれました。

及川博道さん
中田先生はじめ、日本の皆さん、すべての皆さんに、いろいろご支援いただいてますけども。まだまだ大変な状況でありますが、現実と向き合いながら背中を押していただいてます。僕が思うに、長清水集落、南三陸町の戸倉地区は、本当であればとてもすごい、自分たちで何でもできる人たちで。避難所時代には水道も電気も自分たちでつなげましたし、今回の小屋も9割以上自分たちの手で作っています。ですが、頼らなきゃいけないぐらい、きつい状況にいて。本当はかっこ悪いと思うようなことが起きてるんですけども。でも、その中で、頼りたい人、中田先生に会えたのは良かったなという声を聞いています。

及川博道さん

小野田
今回の災害というのは、ほとんどすべてのものを持っていってしまったから、コミュニティが原始の段階に戻って、できる人ができることをやるという状態になる。及川さんもそういう感じで、長清水ではすごく有名なリーダーですけど、地域のリーダーが出られて、そのリーダーは支配するリーダーじゃなくて、みんなを助ける存在だと。下から支える本当の意味で、たぶん人間の社会って、こういうふうにできたんだなという感じのリーダーがいろんなところにできたというね。
それはやっぱり民主主義の芽であったり、地域が自発的にもう一回頑張る芽だったり、人間が生きるということの芽だから、それを自発的な組織、例えばアーキエイドとか、ボランティアのいい団体が入ってきているので、そういったものが横に連携しながら、一人じゃないんだよと、みんなで一緒に頑張って、日本を面白くしていこうよというふうになっていかなきゃいけなくて。

――最後に、出演者たちに今後のビジョンについて聞きました。

中田
たまたまこの震災に立ち会った自分の覚悟と言うと、それはやっぱり後世に、若い世代にバトンを渡せるような社会を作らなきゃいけないことだと思います。新しい、若い力を育てることが、このアーキエイドの僕自身が関わってる使命だと思っていて。それは町作りがあったり、小屋を作ることだったり、勉強会であったりすると思うんですけど、それに精進するということで、腹をくくって、やっていくんだと思うんです。
小嶋
たまたま震災が起こったときが、経済の成長を前提にしたようなモデルというのが本当にいいのかって、考え始めた時期でもあったんです。震災がなかったら、僕個人は鮎川というところにも行かなかったでしょうし、牡鹿半島のこともたいてい知らなかった。何か否応なしに考えなきゃいけない状況が起こったときに、それをただ元に戻すとか言っても仕方がない。前からあった問題とつないで、それぞれの場所で、それぞれの住民も見守っているところで、モデルを作っていかなきゃいけない。そういうことの先にしか、経済成長ではないもの、自分は今楽しいなと思えるとか、豊かだと思えるような社会なんてものはないんじゃないのかと。そういうことをアーキエイドを通して続けていくのかなと思います。5年も経ったら何かしら実現してきますから、そのときに「あいつら何やってたんだ」とならないように、努力が必要だと思います。
福屋
私としてはアーキエイドという活動や、被災地に関わる建築家の人はもっと増えてもいいんじゃないかなと、正直思っていて。だから、もっとシェアをして、必要としてるところに、個別にちゃんと関われるような仕組み作りっていうものにいきたいなと思ってます。これだけみんな苦しい中活動していると、いろんな知恵がたまってきてるんですよ。だから、これを眠らせてしまうのはもったいないから、みんなでそれをちゃんと記録して、共有していってというのがすごく重要だなと思っています。
小野田
これから政府の税金が、ある程度被災地に投入されます。とは言え、日本だってそんなにお金があるわけじゃないから、みんなからもらった税金をどうやったら大事に、きっちり使っていけるんだっていうことを考える必要があります。それと、一刻一秒を争う復興のスピード感に、バランスを持たせるために、専門家が一緒に入って、いいコミュニケーションしますよという、そういう仕組みにせざるを得ないと思います。そうすると必然的にアーキエイドの活動の場が増えるし、地域の自立性も上がるし、全体のお金の節約にもなるし。たぶん、そういう方向にいくべきだと思います。こうすればできるんですよ、ということを広めていくのが、やっぱりアーキエイドの役割、使命の1つかなと思っています。
関口
長いお時間、皆様にお付き合いいただきありがとうございました。今日は大変面白い、建築という観点から見た復興という面白さもありますけれども、日本の未来ということからしても、何かすごく面白いことのアピールになったと感じました。今日はありがとうございました。