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リポート

復興への知恵を多くの人に役立てていただくために、講演やトークセッションの模様をテキストで公開しています。

復興カレッジin釜石
被災地の子どもを支えよう

  • 開催日時:2011年12月18日(日)
  • 開催場所:岩手県釜石市
  • 放送日:【Eテレ(東北ブロック)】2012年2月5日(火)午後2時00分〜2時50分

今回の復興カレッジのテーマは「被災地の子どもを支えよう」。岩手県釜石市で開催しました。東日本大震災で親を亡くし、遺児となった子どもはおよそ2000人に及ぶとみられています。また、多くの子どもたちが、保護者が家や仕事を失ったことによって、経済的に苦しい状況におかれたり、学習の機会が奪われたりしています。
そこで、最前線で子どもの支援に取り組む専門家たちに、被災地の子どもたちのために何ができるのか、語ってもらいました。

会場 岩手県釜石市 市民交流センター

出演者プロフィール

八木俊介(やぎとしゆき)さん
あしなが育英会 チーフディレクター

阪神大震災の遺児の経済支援と心のケアにとりくみ、国内初の遺児のためのケア施設「レインボーハウス」を開設。東日本大震災では震災遺児への特別一時金の支給とともに「東北レインボーハウス」建設へと活動中。震災から5年10年が経過していくなかで子どもたちが何を思い、どんな支えが必要か、語っていただきます。

八木俊介さん 写真

渡辺由美子(わたなべゆみこ)さん
NPOキッズドア 理事長

“全ての子どもが夢や希望を持てる社会の実現”を目指し、経済的困難を抱える子どもたちのための無料の学習支援(タダゼミ)などを実施。12月から釜石市教育委員会とともに釜石でも無料ゼミを開催する予定です。経済状況が子どもの学習に及ぼす影響や、どのように進学・受験を支えていけばよいのか、語っていただきます。

渡辺由美子さん 写真

──まずは、あしなが育英会の八木俊介さんの講演です。あしなが育英会は1988年に設立され、事故や病気などで親を亡くした遺児へ奨学金を支給する活動を行っています。八木さん自身、10歳のときに父親を交通事故で亡くし、奨学金で大学に進学しました。その経験から、自らも遺児たちの支えになりたいと考え、あしなが育英会で20年にわたり、遺児の支援に携わってきました。 あしなが育英会が震災遺児の支援に乗り出したのは、1995年におきた阪神・淡路大震災です。八木さんらは避難所を訪ね歩き、遺児となった子どもたちを探して、奨学金の支給や心のケアなど様々な援助を行いました。今回の東日本大震災ではその経験を生かし、発生直後から遺児をサポート。あしなが育英会に寄せられた約62億円の義援金をもとに、一時金の支給や遺児のための心のケア施設の建設準備を進めています。 震災遺児に寄り添い続けた17年の歩みの中で、子どもたちが震災後、どんな思いを抱え、またどんなサポートを必要としているのか、語っていただきました。

震災遺児の心のケア

八木
今回の東日本大震災で、お父さんお母さんを亡くした子が、2000人ぐらい生まれてしまいました。17年前の阪神・淡路大震災のときは、6400人の方が犠牲になられて、遺児、孤児が573人。ですから今回の震災では、人数で比べると3倍から4倍、悲しい思いをしている子どもたちが生まれてしまったなあ、と思っています。まず、神戸の阪神・淡路大震災のお話をさせていただければと思っています。これは阪神の震災遺児が描いた「黒い虹」という絵です。お父さんと妹を亡くした小学校4年生の男の子が、地震から半年後に描いた絵なんですね。この子以外にも、たくさんの子が黒い絵を描いたり、黒いスイカの絵を描いたり、ショッキングな絵を描く子が凄く多かったんです。

あしなが育英会 チーフディレクター
八木俊介(やぎ としゆき)さん

 
あしなが育英会の支援は、当時は奨学金がメインでした。それで高校生、大学生になって、奨学金で学校に行ってくださいねと。でもそのときは、小学生や中学生、まだ学校に行っていない子がいっぱいいたんです。その子たちに、高校生になるまで援助は待ってね、と言えるような状況ではなかったんですね。子どもたちの心の傷をなんとかしたいと思って、親を亡くした子どものケアをしてくれるお医者さんや、カウンセラーを日本中探しました。でも、遺児のケアをしてくれるところはなくて。それならあしなが育英会で、独自に子どもたちの心のケアをしなければいけないんじゃないかな、と思いました。それで黒い虹を描いた子どもにちなんで、子どもたちの心が明るくなったらいいなと思い『レインボーハウス』という心のケアセンターを建てようと思ったんですね。

阪神・淡路大震災の遺児が描いた
『黒い虹』

神戸レインボーハウスの建設

兵庫県 神戸市 神戸レインボーハウス

火山の部屋

神戸市にある、あしなが育英会の施設「神戸レインボーハウス」。阪神・淡路大震災の遺児が、いつでも立ち寄り、悩みを相談したり、同じ体験を持つ仲間と交流できる場として1999年に作られました。 毎年1月には、かつてここに通った遺児たちが集まり、亡くなった家族や友人を偲び話し合う会を開きます。震災から17年が経ち、家庭を持って子どもとともにやってくる遺児もいるようになりました。 遺児が心を癒すため、安心して思いや悲しみを表現できるよう、レインボーハウスには多くの工夫が施されています。言葉にならないイライラを思い切り爆発させて暴れられるよう、壁や床が柔らかいマットになっている「火山の部屋」。母親の胎内をイメージした丸い椅子に座り、一人になって泣いたり、考え事ができる「おもいの部屋」。円になって座り、互いの顔を見ながら思いを語り合う「おしゃべりの部屋」…。遺児たちは、ここで仲間やボランティアたちとともに、ゆっくり過ごすことができるのです。

震災遺児が抱える思い

八木
親を助けられなかった、親が自分をかばって死んでしまったと思って、罪悪感を抱えている子が凄く多かったんですね。阪神・淡路大震災が起きた朝の5時46分、小さな子がいる家は大抵、家族で川の字で寝ていたんです。地震がないと言われていた関西でドーンと揺れて、子どもをかばうように親が覆いかぶさって。その上から屋根が落ちてきたり、柱が落ちてきたり、というふうにして亡くなったケースが多かったんです。その子どもたちの罪悪感や、死にたいという気持ちをどうしたらいいんだろうと。ずっと考えながら、悩みながら、このレインボーハウスの活動をしてきました。

阪神・淡路大震災の経験を遺児が語る

──今回、八木さんと一緒に釜石に来てくれたのは、阪神・淡路大震災で7歳のときに両親を亡くした、大学4年生の西山雅樹さんです。親を失った衝撃、そしてその後の困難の中で、どんな思いを胸にかかえて生きてきたのか、体験を語ってくれました。

西山
震災当日は、子ども部屋で2つ歳の離れた兄と寝ていたんですが、部屋が凄く揺れて、床に家具やガラスが飛び散って。それから1時間ぐらいして、祖父が窓をこじ開けて救助してくれて。外に出たら周りは本当にガス臭くて。2日目の夜かは覚えてないですが、遺体となったお父さん、お母さんが運ばれてきました。圧死だったんですが、苦しいことはなかったと言われました。でも今だから思うんですけど、両親の最期の顔があまりにも悲惨だったんですね。その冷たい遺体がお父さん、お母さんとは思えなくて。みんなで騙しているんじゃないか、両親はまだ生きていて、いつか迎えに来てくれるんじゃないかとずっと思っている部分がありました。 周りから、お父さん、お母さんはいないんだよ、頑張らなあかんよ、と言われながら生活をして。頑張らなきゃいけない自分と、それを否定したい自分がいて。そんなときに、ちょうどあしなが育英会と出会いました。 何回か育英会の集まりに参加した後に、初めて自分の中で、お父さん、お母さんがいないんだな、と。もう帰って来ないんだな、と思いました。そのとき凄く悲しくて、一人で泣いていたのをよく覚えています。 生きていれば自分の周りの、おじいちゃん、おばあちゃんや、お兄ちゃん、親戚の優しくしてくれるおじさん、八木先生、そういう人たちが先に亡くなっていく。亡くした辛さをこれ以上味わいたくないな、と思ってふさぎ込んだり、友達とも関わりを持つのをやめようかなと思っていたことがあるんです。本当に死にたいなと思っていたこともあって、でも何で今があるのかというと、比べるのは良くないと思うのですが、自分より本当につらい目にあって苦しんでいる人がいるのに、その人が何か目標を持って頑張っている姿があったからなんですね。自分の同年代の子が頑張っている姿を見て、自分も負けてられないなって。あの子ができるんだったら、自分もやってやろうと思って。どうせ生きるなら、やりたいことをやったらいいし、楽しく過ごした方がいいじゃないか、と思えたんですね。多分いろんなきっかけがあったと思うんですけど、それが自分の中では支えになって、改めて頑張って生きようというふうに思いました。

西山 雅樹さん

震災遺児を支えていくために

八木
17年前の西山君は、本当にただのやんちゃ坊主でずっと暴れていました。なぜこんなに暴れるのか全然分からなかったんです。一昨年ぐらいに別の機会で講演する機会があって、そのとき彼が、ずっと両親が死んだことを受け入れられず、3年も4年もみんなが騙しているんじゃないか、両親が帰って来るんじゃないかと思っていたという話を聞きました。そういうことに気付くのは凄く時間がかかったり、ましてやそういうことを振り返って語るっていうのが、10年以上かかるんだなとその時分かりました。 レインボーハウスを作って、震災遺児の子たちに、心のケアのために何が一番役に立ったのかな、ということを聞いたんです。すると、同じような境遇の友達と出会って仲良くなったことだと。お父さんやお母さんは亡くなってしまったけれども、レインボーハウスの友達は、お父さんが最後にくれた贈り物だ、と言ってくれる子がいました。学校の友達や近所の友達ではない、同じような境遇の友達の存在は凄く大事なんだな、と彼らが教えてくれたんです。

今回の東日本大震災で遺児になった子たちにも、長期で継続的な支援が必要だと思っています。長期的に支援することは難しいんですね。阪神・淡路大震災の時は1月に地震があって、3月にオウムの事件がありました。それでもう3月以降は、震災のニュースが全くなくなってしまったんです。報道がなくなると支援がなくなって、忘れ去られて、「あれ、阪神・淡路大震災って何人亡くなったんだっけ」と。1年経たないうちに、そんな感じになったんです。実際に東北以外の日本でも、離れれば離れるほど、言葉は悪いですが震災のことが風化しているところもあると思うんですよね。ですので、支援はいろいろあると思うのですが、とにかく長期的な支援が大事なんじゃないかな、というふうに思っています。 そして、子どものために大人のケアをしなければならないと思っています。子どもの心の状態は保護者の方たちと連動しているというのは、いろいろな調査でも分かっています。ですから、親が不安だとそれが伝染して子どもが不安になってしまう。保護者だけではなく、学校の先生や近所の方たちのケアも必要です。 本当に子どものことは何年も何年もかかったりしますので、ぜひ皆さんに、温かくずっと見守って頂いて、お力を貸して頂ければと思います。

──被災地の子どもたちが直面する大きな問題が、学習環境の悪化です。文部科学省の調査では、岩手・宮城・福島の3県で100校を超える小中学校が、元の校舎を使えず、ほかの学校に間借りするなど不自由な学習環境にあることがわかりました。このため、特別教室を使う授業が出来なくなったり、遠くの仮設住宅から長い距離を通学するため、授業を早く切り上げたりするなど、学校生活に影響が出ています。また、親の失業や、仮設住宅での生活によって、多くの子どもたちは静かに学べる環境を失い、希望の進路に進むことが経済的にも困難になっています。一刻も早く、子どもたちが安心して学び、進学するための環境づくりを行うことが、求められています。 『復興カレッジin釜石』、後半はNPO法人キッズドア理事長の渡辺由美子さん、釜石中学校教諭の佐藤謙二さん、そして、あしなが育英会チーフディレクターの八木俊介さんで、子どもたちのために何ができるのか話し合いました。 司会は、NHK盛岡放送局の村上由利子アナウンサーです。

被災した子どもたちの状況

佐藤
釜石市は12月11日現在、死者、行方不明者が1060人です。商店街を中心に5メートル以上の大津波が押し寄せて、町は壊滅的な状況となりました。小中学校ですが、被災した生徒と被災していない生徒の温度差があります。釜石中学校では被災した生徒が2割、保護者の経済的な影響を受けた生徒は3割です。被災した生徒は、部活用具、家、思い出の品々を失って、喪失感から強いストレスを受けています。ただ、被災していない生徒もストレスがないかというとそんなことはなく、やはり釜石市内の町並みが壊滅的になっているというところから非常に喪失感があり、ストレスを受けています。

釜石中学校 教諭 佐藤謙二(さとう けんじ)さん

NHK盛岡放送局 村上由利子(むらかみ ゆりこ)アナウンサー

村上
渡辺さんは、NPO法人キッズドアの代表として、被災地の子どもたちの学習という部分を支援することで、格差をなくしていこうという活動をされていますね。
渡辺
「全ての子どもたちが夢や希望を持てる社会の実現を目指して」ということで、東京では低所得で塾に行けない子どもたちに勉強を教えたり、児童養護施設に行ったりしています。3.11の大震災があって、きっと東北でもたくさんの子どもたちが困るだろうということで、何かできないかと考えました。「震災によって、将来の夢や希望をなくす子が一人でも出ないといいよね」と強く思ったんですね。

NPO法人キッズドア 理事長 渡辺由美子(わたなべ ゆみこ)さん

無料の学習支援

キッズドアが行っている支援の1つが、無料の学習塾「タダゼミ」です。経済的な理由で塾などに通えない、 小学生から高校生を対象に、無料で勉強を教えています。 もともとは2010年に東京で、子どもの格差解消プロジェクトとしてスタートしました。主に大学生のボランティアが先生となって指導し、勉強方法やスケジュールなどもきめ細かくアドバイスします。震災後は、東北でも「タダゼミ」は行われています。

貧困の連鎖を防ごう

渡辺
日本というのは非常に教育にお金がかかる国なんですね。経済的に厳しい家に生まれたお子さんは、充分な教育が受けられなくて、進学や就職で不利になってしまう。結局、そのお子さんの世代も必然的に貧困になってしまう。いい企業に入れない、フリーターになる、という率が非常に高いんです。私たちは「貧困の連鎖」と呼んでいるんですが、親の貧困が子どもに相関し、繋がっていくことが非常に大きな問題だと思っています。
八木
あしなが育英会の子どもは、両親のいない子、母子家庭の子、父子家庭の子がいますけれども、母子家庭の子どもですと、お母さんは月に仕事の収入が10万円ぐらい、遺族年金や手当などを入れて、だいたい年収が200万円ぐらいなんです。ですから、本当に一番低いところで。レインボーハウスでは学習塾などもしています。ケアも大事ですが、やはりとにかく勉強。特に今感じているのは、小学生、中学生ぐらいからきちんと勉強をする癖ですとか、ちゃんと子どもの面倒を見てあげるとか、そういうことの大切さを強く感じています。

被災地の中学校での学習支援

宮城県南三陸町の戸倉中学校では、中学3年生全員が去年10月からキッズドアのタダゼミを受けています。戸倉中学校は津波の直撃をうけ校舎が水没。生徒や教員の大半が家を失って仮設住宅で暮らし、授業は隣の市の学校の校舎を間借りして行っています。授業が終わって帰りのスクールバスが来るまでの毎日1時間、中学3年生たちが集まって、受験対策として自主学習を行っています。そこに週に2回、キッズドアのボランティアスタッフが入って勉強を教えているのです。教材は東京の企業が無償で提供しています。 震災で、教師たちも被災している中、生徒全員への細やかなケアが難しいという問題もありました。キッズドアの支援はそんな教師たちの負担も軽くしています。タダゼミは今、仙台や会津若松、釜石でも実施され、110人の子どもが参加しています。

戸倉中学校でのタダゼミの様子

佐藤
釜石中学校の生徒もこのゼミに参加させていただいてます。非常に面白く、楽しく、分かりやすいという感想が出ています。先生たちが年齢が近く、お姉さん、お兄さんのようで質問しやすいと。ここは私、教える立場としてはちょっと複雑なんですけれども(笑)。ほかにも、他校の生徒と学べる点があります。同じ目的、同じゴールを目指して、頑張っているのは自分だけではないと。人が頑張る姿を見て自分も頑張れると、そう話していました。
渡辺
東京で言えば、貧困状況にある子はお金がなければ何もできないので、そういう子たちのサポートをしますけれども、この震災でいろいろなものをなくしてしまった子どもたちも状況的には同じで「本当は大学に行きたかったけど、行けないかもしれない」とか、「本当は部活をやりたかったけど、やっぱり部活は無理だな」って思ってしまうような子たちを、支援したいと思っています。
村上
むしろ被災して、夢や希望がなくなってしまうかもしれないというところへの支援なんですね。
八木
経済的にも精神的にも大変な子ほど、底の方から支えてあげないと。底の方から支えて、「塾があるよ」とか「こういうふうにしたら勉強がちょっと分かるんじゃない?」とかいう、本当に懇切丁寧なやり方が必要です。結局、大変な子ほど手間が掛かって、大変な子ほど手厚くしないと、余計に格差、学力の差が開いていくな、と思います。

──ここからは、釜石市の小中学校の校長先生に答えてもらったアンケートの内容を紹介しながら、今後の支援について話し合っていきます。

進学に関わる長期的な経済支援が必要であることはもちろんですが、学校生活、例えば部活関連費、学習関係費などに関わるさまざまな経済的支援が必要
義援金が目立つ学校に行っている。多くの子どもが被災した中、集金が苦しい。全児童への経済的支援がほしい

(釜石市内の小中学校校長へのアンケートより)

渡辺
いくら一生懸命学習支援をして学力が上がっても、家に高校進学をさせるお金がなかったら、その子は進学できません。私たちNPOでお金を渡して、これで行ってください、ということはできないので、いろいろな団体が得意なことをしながら連携して、子どもの夢を諦めさせないために、どうするのかというのを考えていくのが大切だと思います。
八木
見落とされているのが、もともと遺児で、津波で家をなくした子たちです。ほかにも、もともと一人親家庭で、津波の被害を受けてより大変になってしまった子どももいます。そんな子たちが大勢いますと、ことあるごとに行政など、いろいろなところに伝えているんですが、なかなか支援につながりません。もしかしたら遺児や孤児と同じように、大変な子がいるんじゃないかと想像をして、その子たちのために活動をするというのは、貴重なことというか、キーポイントになるんじゃないかなと思うんですよね。
職を失った親の心配や、ストレスからくる家庭の不協和音に苦しんでいる子どもへのケアが必要
家族の団らんや家庭学習が十分にできない住居で、安らぎの場がない

(釜石市内の小中学校校長へのアンケートより)

八木
子どもの居場所、心も含めて落ち着ける場所みたいな所を、地域や皆さんでもう一度考えてみて下さい。僕が子どもたちに「レインボーハウスってどんなところ?」と聞いたとき「屋根がある大きな公園」って言っていたんです。これは町づくりや、地域の自治の話にもなるかもしれないですけれど、そんな大きな温かい目で子どもたちや、子どもたちの家庭全体を見守っていただきたいなと思います。

──会場からも質問が寄せられました。

質問
14歳になる息子に、最近震災のストレスが出てきまして、薬や眠剤を使わなければ、とても寝れない状況におかれています。親としてはただただ見守るしかなくて。学校にも行けなくなったり、学力も半分ぐらいまで低下してきています。本当にこの先、どうしていったらいいのかなと毎日、考える日々を仮設住宅で送っているのですが…。
渡辺
本当によくわかります。子どものPTSDは今ぐらいの時期から、2年後3年後が凄く多かったという阪神・淡路のときの状況もあるぐらいで。あれだけの経験ですから、PTSDになってしまう子が出てくるのは仕方ないと思うんです。1日も早く元の状態に、というお気持ちはすごく良く分かるんですが、そうやって焦る気持ちがさらに悪くしちゃうということもあると思うんです。この震災の、子どもの支援というのは長くかかる、絶対継続してやっていこうと私たちは思っています。もし受験に失敗しても、高校で取り戻すことは充分にできると思います。子どもの人生はまだまだ長いので、今駄目だからずっと駄目っていうことはありません。諦めないでずっとその夢を支えることをどうするのか、保護者の方はもちろん、周りにいる人たちがみんなで考えて、長い目で見ていくということが大切かなと思います。
質問
私たち自身も被災をして、たぶん精神的に凄くショックを受けています。それで、普通の生活に戻していくことにも、とてもたくさんの困難とか、難しさを抱えながら進んでいます。そこで子どもを見守る側の私たち大人がどのようなことを、今後志していけばいいのか。そのことについてアドバイスをいただけませんか。
八木
まずはゆっくり、休めるときに休んでいただくのが一番いいかなと思います。ご自身が普通の生活を取り戻されるように、ちょっと深呼吸をしていただくとか、休憩をしたりすることから。すると、こういうことができるかもしれない、ああいうことができるかもしれない、という気持ちの余裕や、体の余裕が生まれるかもしれません。阪神のときにも、やっぱり皆さん、1年や2年頑張っていらっしゃいましたけれども、頑張り続けることは、人間、絶対にできません。
渡辺
休んだあとで、もし皆さんに余裕があるんだったら、ぜひ子どもに声をかけてほしいんです。周りの大人が自分のことを気にしてくれているというのは、子どもは凄く安心するんです。こういう大変な状態で、なかなか子どもに目がいかないと思うんですが、声をかけて「大丈夫?」って言ってあげるだけでも、子どもは落ち着くところがあると思います。声をかけてみて、無視されてもくじけないということを続けていただけると、そこから温かいものが生まれてくるのかなと感じています。

村上
最後にひとことずつお伺いしたいと思います。
渡辺
やっぱり「諦めない」ということが大切だと思っています。震災から9カ月以上が過ぎて、確かに東京などでも震災のニュースは少なくなってきています。でも社会から風化されていくと、支援活動をするのも大変になるんですが、諦めたら終わりなので、諦めないで支援を続けていこうと思っています。そして、支援される側と言いますか、皆さんも諦めないことが大切だと思います。お子さんが夢をお持ちなら、どうにかそれを叶えさせるために何かできないかと思うこと。NPOを探してみようとか、どこかに行ってみようともがくことで、道は開けてくると思います。格好悪くても諦めないで、粘り強くやっていくことが、凄く大切だと思っています。
佐藤
震災後、子どもたちに、このつらい体験との葛藤により前向きな面が見られています。これは「心的外傷後成長(PTG)」と呼ばれるものです。人とのつながりの大切さを感じ、感謝、思いやり、それから進路への意識が高まります。こういう人になりたい、という思いが生徒から出ています。確かにつらい体験なんですけれども、このプラス面に視点を当てて、行事を組み入れて、活動していくことで学校全体が復興していくと。そういうことを考えています。
八木
僕は子どもたちに教えてもらってばかりです。本当に大事なのは、許したりだとか、信じたりだとか、待ったりだとかという、この3つなのかなと思いました。何かすぐ、短期間で恩返しをしなさい、と言うより、もっともっとこの先、20年後、30年後に、もっともっと大きい恩返しをしてくれるんじゃないかな、というような、子どもたちは大人たちの希望になると思うので、それを信じたいなと思います。
村上
長期的な支援と言葉では簡単に言えますが、これは「普通」になるまで、続けて行かなければ何の意味もないことで。これはマスメディアとしても、皆さんに伝えていくことが必要だなと、私も改めて感じました。今日は、本当にありがとうございました。