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リポート

復興カレッジ in 亘理
心のケア~悲しみに寄り添う~

  • 会場:宮城県 亘理町中央公民館大ホール

──まずは、東北大学教育学部准教授で、臨床心理士の若島孔文(わかしまこうぶん)さんの講演です。若島さんは臨床心理士として、不登校や引きこもりのケア、犯罪被害者の心のケアなどに取り組んできました。震災後は、東北大学臨床心理相談室でチームを作って仮設住宅を回り、被災者と交流する活動などを行っています。今回は若島先生に、被災地でよくある悩みについてお話して頂きました。聞き手は、NHK仙台放送局の柴原紅キャスターです。

東北大学 教育学部准教授
臨床心理士 若島孔文さん
聞き手 NHK仙台放送局 柴原紅

柴原
では最初のお悩みです。「うちの子が、今はすごく元気に遊んでいます。元気で嬉しいのですが、このあと何か問題が出てくるのではと心配してしまうんです。」これはどうしたらよいですか?

あえて問題を作らない

若島
実際に私たちが会って相談をすると、周りの大人の方がむしろ、先のことなど現実に問題があるので不安定になっていますが、子どもの方が心の処理機能も高く、元気になっていきます。 そのときにどうしても、「この子は後々何か出てくるんじゃないか」という目で見ていたら、子どもにそういうメッセージが伝わりますよね。それで子どもが逆に影響を受けてしまうようなことがあると思います。だから今もし元気だったら「元気なのに裏にとても重いものを持ってるんだ」と、心理学者のようなことを考えるのはやめて、これまで関わっていたように関わってあげる。それがいいだろうと思います。

──震災で仕事がなくなり、生き甲斐がなくなってしまったと感じるようになりました。

できることから始めてみる

若島
小さくてもいいので、できることから始めてみましょう。重要なことは、カウンセラーがどれだけ頑張っても、こういうことをその人にさせることはできないんです。自分自身が、小さくてもいいので、できることから始める。それがとても重要です。

──どうしても眠れません。すぐに目が覚める、寝つけない、寝たり起きたりを繰り返したりします。

寝る時間、場所を変えてみる
寝ようとする以外のことをしてみる

若島
そういう方がたくさんいらっしゃいます。消防団などで震災に関わっていた人たちの中にもたくさん見られます。睡眠薬を使うのも手ですが、ここでは違うことを言いたいと思います。 いつも寝ようとする時間があったら、その時間をずらしてみる。前でも後ろでもいいです。眠れないというパターンができあがっていますので、寝ようとする時間を変えてしまいます。 眠る場所を変えるのもひとつです。例えば寝室に行って眠れないのであれば、みんながいるところで横になってみるなど、少し変えてみましょう。 例えば消防の方で、眠れないという方がいました。12時ごろに寝ようとしていたのを、1時間ずらして1時に寝るようにしてもらいました。次来られたときには「以前よりだいぶ眠れる日が増えました」と言ってですね。さらに「1時に眠るように決めたんですけども、12時くらいから眠くてしょうがないんです。どうしても1時になるまでは眠ってはいけませんか」と質問を受けました。「そりゃ眠かったら寝てください!」と(笑)。 眠るというのは、自分ではなかなかコントロールできないものなんです。なので、眠ろうとする以外のことをやってみる。何でもいいです。例えば「時間がなくて読めなかった本を読む」などですね。私は眠れないときにトイレ掃除をしています。これは一般的に役に立つと思います。

──震災の後、どうしても亡くなった方のことばかり思って、涙も止まらないような毎日です。

時間を決めて供養する

若島
本当に、とても辛いことだと思います。供養などをする自分なりの時間を毎日決めて行ってみましょう。PTSD(災害など強い衝撃を受けたあとに、その記憶が突然よみがえる現象)という言葉を聞いたことがあると思いますが、一般的な記憶とPTSDに見られる記憶のあり方というのは違いがあります。例えば…。
━━(客席へ)若島「今朝、何食べられましたか?」
━━(客席)男性「パン」
「パン」と答えられました。「朝、何食べた?」と言われたら、「何食べたっけ?」と記憶へのアクセスをこちら側からして、そして「パン食べたよね」と思い出す。一般的な記憶はこちら側からアクセスして、引っ張り出してくる。しかしPTSDの場合だと逆です。向こう側から、アクセスしていないのに入ってくる。 記憶というものは「ずっとあること」、それが重要だと思います。なぜなら、亡くなられた方が存在したということを、その記憶のおかげで証明できる。ただ、それが逆ルートから入ってくると、日常生活は苦しくなります。だから、自分で時間を決めてこちら側からアクセスする。一般的なルートでその記憶にアクセスできるように作り変えてみましょう。

──震災以降、すごく胸がざわざわして落ち着きません。

好きなことをしてみる

若島
ざわざわしたら、好きなことをしてみましょう。ざわざわ自体をコントロールすることはなかなかできません。ですが、ざわざわしたときに、不安になって否定的なことを考え、マイナスに行ってしまうことをなんとかしてみましょう。 遺体に関わる作業をしていた方に、そんな症状が出ていました。その方は男性ですが、私は、好きなグラビアを探すようお願いして、ざわざわしてきたときにそれを見るようにしてもらいました。するとその方は、ざわざわしたのでグラビアを見ようと携帯に画像で入れていたそうですが、見るまでに自分のしていることが面白くなってしまって、すると自然にざわざわが収まっていたということです。それからはざわざわが、たまに出ても否定的にならなくなりました。 ざわざわするような、好きなものと結び付けた方がいいです。ノリのいい音楽であったりですね。そうすると、このノリのいい音楽とざわざわが結び付けば否定的にはなりませんね。高倉健さんの「網走番外地」とかもいいですよ。ゴーッとこうざわざわするようなすごい映画、そういうのでもいいです。

──お悩みに対してお答えいただきましたが、PTSDに関して、気をつけなくてはいけないケースというのは?

PTSD 心配なケース

若島
PTSDというのは特別な病気で、例えばあるデータでは60%が自然に、自分で処理して良くなっていくと言われています。うつなど他の神経症では、そのようなことはあまりありません。PTSDは、普通の方が特別なストレスを受けたことによってなるので、時間が少しずつ解決してくれます。これを知っておくことはとても重要です。 また、時間が経っても全然良くなっていかない場合には、専門的な相談機関に行ってみたり、照会してみるのもいいと思います。もちろん、私たち東北大学の臨床心理相談室に連絡くださっても結構です。 悩みをできるだけ前向きな考えに変化させて、あまり深刻にしすぎないことが大切ですね。 意識してもなかなかそうはできませんが、とにかく行動してみる。頭の中だけで前向きになろうとしても全然なれませんし、私もそう前向きな感じには、分かっていてもなれません。とにかく行動して、できることからやってみる。これがとても重要だと思います

──続いては、上智大学グリーフケア研究所所長、髙木慶子(たかきよしこ)さんの講演です。 高木さんは長年にわたって、死を迎える人のための心のケアを専門に活動してきました。1995年、高木さんは住まいのある神戸で阪神淡路大震災を経験。九死に一生を得た高木さんは、すぐに被災者に寄り添い、遺族の悲しみを癒すための活動を展開します。その経験をふまえて、大阪池田小児童殺傷事件やJR福知山線脱線事故など、大きな事故・災害の遺族のケアにも取り組んできました。 さらに、大きく深い悲しみは人の心にどう作用し、またどうしたら癒していけるのかを研究する、日本初の「グリーフケア研究所(グリーフ=悲嘆)」を設立。多くの著書を通じて、悲しみについての理解を深めてもらうための活動をしています。 阪神淡路大震災から16年、悲しみの中で、人々はどんなことを思い、どう対処したらよいのか。体験を通じて語っていただきました。 

悲しみに寄り添う

髙木
ここにお集まりの皆様方のほとんどが3月11日以降、とてもとても辛い日々を耐えていらっしゃったと思います。耐えていらっしゃった皆様方に、私はお見舞いを第一に申し上げたいと思います。
私自身も阪神淡路大震災で、もし、ベッドから振り落とされていなかったら確実に死んでいたでしょう。今まで寝ていたベッドに大きな戸棚が重ねられていた、その様子を見たときに、私は確実に生かされたと思いました。体が震え、心が震え、固まってしまいました。声を出したくても声が出ない、足を一歩出したいのに出せない。完全に自分が固まってしまうという体験をし、その後にライフラインといわれる電気も、水道もガスも、そして交通手段も、電話も、今まで当たり前と思っていた生活を取られてしまって、本当に辛い日々を過ごしました。

もっと辛かったのは、一緒に働いていた同僚が、教え子が、そして私の友達が、本当に親しかった方々が亡くなっているという現状を見せつけられたときです。
「高木先生、母親が亡くなったんです」、「子どもが亡くなったんです」、「主人が…」ということが、ぽろぽろ出てまいりました。そして一緒に、遺体が安置されている所にお祈りに参りました。
ご遺体が300体ぐらい安置されている場所で、1週間、2週間すると、ドアを開けただけで本当に臭ってくるんです。臭うと私はそこに入るのを躊躇します。ところがご遺族の方は、ドアを開けてさっとそこに入っていかれます。横にいながら「なんと私は冷たい人間なんだろう」と思いました。
私はやはり赤の他人なんだ、この方は家族なんだ。私は後ろから付いて行って、その臭いがたまらないと思う気持ちを抑えながら、ご遺体の前でご一緒にお祈りいたしました。毎日繰り返しましたね。その経験が今回生かされました。

皆さまには今日ここで、悲しんでいいのよ、苦しんでいいのよ、辛くていいんですよ、自分の悲しみ苦しみを否定しないでください、ということを申し上げたかったのです。 私たちは、悲しみ、苦しんでいることをコントロールなんてできません。ですから、悲しいときは悲しんでいいんです。自分を許してください。自分の感情を受け止めていただきたいんですね。

上智大学グリーフケア研究所 
所長 高木慶子さん 

──6000人以上の命が奪われた阪神淡路大震災。残された遺族は、大きな悲しみと喪失感に長い間、苦しんできました。高木さんは遺族の会を作って、互いに悲しみや悩みを語り合う場を作ったほか、子どもを亡くした母親たちの声を、震災から2年後、3年後、4年後と継続的に集め、その思いを分析し、記録に残していく研究に取り組みました。 そこには、今回の東日本大震災でも共通する心の叫びがありました。

震災遺族の思い

髙木
阪神淡路大震災から約16年半経ちますが、私は今までずっと、遺族、特にお子さんを亡くされた方々のケアに協力させていただきました。2年半後の調査ですが、お母様方に今どういう風なお気持ちですか?ということを書いていただいた中に、こんな声がありました。

──震災から2年9か月後、調査に協力した34人の母親のうち、30人近くが同じ気持ちを持っていました。

子どもを亡くした母親の声

この悲嘆が決して消えることはないと思うし、消えてほしくない」
「時が止まってしまっている」
「私はいくつかの顔を持っており、元気そうにふるまっている。その方が問題ないから。」

(阪神淡路大震災後のアンケートより)

髙木
これは皆さんが今経験していることではありませんか?「悲しんでいいのよ」と私が言ったとしても、周りに「あの人はいつまでくよくよしてるの」と言われたくないから、悲しみをこらえる。家を出たらこういう顔、家族に対してはこういう顔…。三つも四つも五つもの顔を持って、使い分けている。これが悲嘆者の多くの方の思いだろうと思います。

子どもを亡くした母親の声

「震災のあの時のあの苦痛を追体験するとき、子どもがすぐそこにいるように感じられ、心が安らかになる」

(阪神淡路大震災後のアンケートより)

髙木
これこそ「生き残り症候群」です。なぜ自分が生き残って家族が亡くなったのか、ということなんですね。生き残ったことに対して、自分が罪悪感を持っているわけです。だから、あんな苦しみ方で亡くなった、それを自分も共有する、ということで安心できる。美味しいものを食べる、とんでもない。自分が好きな映画を観る、とんでもない。好きな音楽を聴く、とんでもない。いつまでもいつまでも、自分の家族が亡くなった、その傷みや苦しみを自分が背負っていないと自分が許せないという思い。こういう方が本当に多いんですよ。

周囲にして欲しかったこと

「一人にしてほしい 何もしてほしくない」
「夫と娘の面倒を見てほしかった 本当の一人になりたかった 今でもときどきそう思っている」

(阪神淡路大震災後のアンケートより)

髙木
この方はマンションが全壊して、1歳半のお子さんを亡くされた。「まったく一人にしてほしかった。もう泣くだけ泣かせてほしかった。もう狂うだけ狂わせてほしかった」とおっしゃるんですね。でも周りが悲しませてくれないんです。また、夫がいて子どもがいたら、ご主人や子どもに悪いと思うでしょう?生き残ってくれた大事な大事な娘の前で「お母さんはこんなに悲しいの」と言ったら「私が死んだ方が良かったんでしょう」と言われるんですよ。それを避けるために、一生懸命頑張る。悲しむ時と場所をいただきたいということですよね。

周囲にして欲しくなかったこと

「おしつけがましく私の状態を解明しようとする」
「一人一人の感情をひとまとめにしてしまう」
「がんばれ、若いからまだやり直せる、などの言葉」

(阪神淡路大震災後のアンケートより)

髙木
「あなたはこうだったからこうなのよ」「いいじゃないの、まだあなたにはご主人が残ってらっしゃるから」など、おしつけがましく、悲しみに沈んでいる方の状態を解明してあげようなんて、本当におこがましいと思います。 それから、一人一人の感情をひとまとめにしてしまう。これは心理学、あるいはグリーフケアをしようとする人間が本当に気をつけないといけないことなんですね。例えば「東日本大震災においては、今の状態、こうなんです、人の心はこうなんです」なんて。「勝手に言わないで」と言いたくなりませんか?一人一人の悲しみや苦しみは違います。 また「頑張れ、まだ若いからやり直せる、などの言葉」。驚いたのは、「今まであなたは頑張らなかったからいいのよ、だから生きてこれたのよ、大丈夫よ、今から頑張れば」と。私の目の前で子どもを亡くした方におっしゃったんです。それも精神科医の先生がですよ。 「今まであなたは頑張れたのだから、これからも頑張ってね」という応援の言葉はいい。皆さんはそれを言ったら許していただけますよね?でも、頑張れ頑張れって第三者が言うべき言葉ではないと思うんですね。 。

悲しみに寄り添うには

髙木
このお話のまとめとして、「悲しみに寄り添う」と一言申し上げたいと思うんです。 「寄り添いってなに?」と聞かれるのですが、私の場合には、こういうことを心がけてまいりました。相手のおっしゃることを、まったく評価しないということなんですね。自分の持っている物差しでは測らないということなんです。おっしゃることをそのまま、「そうねえ」といって聞き入れることです、丸ごと。 もう一つの心構えは、相手に対する尊敬と、信頼を持つということなんですね。ああでもないこうでもない、という答えや結論は出さない。聞くだけ聞く。特に、最後のターミナルにいらっしゃる方は時間がないんです。自分の人生の嫌なことをもう、ばんばんばんばんと怒りをおっしゃる。その怒りが否定であろうと肯定であろうと全面的に受け止めますね。そうでないと人は静かに死ねないんですよ。 ご遺族もそうです。ご自分の怒り、悲しみを出すだけ出さないと、自分の心が収まらないんです。それに協力するんですから、こちらは相手の方に対する心からの尊敬と信頼を持って、そのまま受け入れる。 悲しみ苦しんでいる方に寄り添うということは、辛いんですよ、問われますよ、私自身が。問われながらも、解決できない答えを一緒に探すのが、寄り添う人であろうと考えております。

──最後は、お2人に会場からの質問に答えていただきました。

悲しみに寄り添う

質問
被災住宅で孤独で亡くなっている方が大勢いると伺っています。孤独死ですね。コミュニティや人間関係、そこが不安な感じがするのですが?
髙木
阪神淡路大震災の後、5年間仮設住宅をずっと訪問していました。皆さん慣れない住まいで知らない方々のところで生活が始まります。私は仮設中の方々をつなぐ役割をしていました。一軒一軒回ってお友達の輪を広げていく。するとそこにコミュニティができるんですね。それは孤独死を避けるためなんです。 奥様を亡くした方が、なかなか外に出てこられませんでした。鍵も開けていただけない。それで私はとうとう裏から忍び込んだことがあるんです。そしてその方に非常に怒ったんです。「これだけ皆が心配してるのにどうして開けないのよ!」と。「あなたのために怒ってるんだからしっかり聞いてください」と怒ったら、その方が「俺は怒られたら強いんだ」と、お締まりになった感じで。 その方は「二人だけで生活してきた、自分の妻がなぜ亡くなったのか。本当に辛かったんだ」と言いたくてしょうがなかった。でも知らない方には抑えていらっしゃった。それを私にぶつけることによって解放されて、仮設のリーダーになったりしたんですよ。 ある一時期に非常に落ち込んで、もう声をかけてもお答えにならない方もいらっしゃると思いますが、やはりそういう方々を繋ぐというのが我々がすべきことでもあると思います。
若島
孤独死の問題もやはり、神戸と今回とは私は違うと思っています。神戸のときは孤独死をあまり予測できていなかったんです。でも今私たちは、そんな問題が起こりえるということを、最初から仮設の皆さんにお伝えすることができます。 いろんなことがあったと思いますが、今こうやってここにいるということは、それまで自分、あるいはご家族、あるいは地域の人などの力と共に前に進んできたことだと思います。 私たちは自分の専門とは多少違うことでも、皆さんのお役に立てることがあったら、ニーズに従ってやっていきたいと思っています。本当に我々は無力ですので、ちょっとでもやれたらな、と思っております。
髙木
皆様方、本当に今日はおいでいただきましてありがとうございました。 今日からはこういう形でお目にかかった皆さまお一人お一人に、これから生きるために十分な力、もの、勇気、希望、お与えくださいませ、ということを、今日からのお祈りの中でお願いすることを約束して、私のメッセージとしたいと思います。これからも一生懸命頑張って、生きていっていただきたいなあ、と思いますので、皆様方に力が与えられますように、お祈りさせていただきます。