名取市のささかまぼこ職人 佐々木圭司さん

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復活!懐かしのぷりぷりささかまぼこ
1分版復活!
懐かしのぷりぷりささかまぼこ
89歳の手わざ!懐かしさのささかま
5分版89歳の手わざ!懐かしさのささかま
~宮城 名取市~
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佐々木圭司さん

地元を元気づけた「手作りささかまぼこ」

復活した懐かしの味

半世紀ぶりに復活した「手作りささかま」
半世紀ぶりに復活した「手作りささかま」
2011年の大津波で甚大な被害を受けた宮城県名取市に、「なつかしい!昔よく食べていた味だ」、「ぷりぷりとして歯ごたえがいい」と、年配客が絶賛するささかまぼこがある。それは、津波で絶望のふちに立たされたかまぼこ製造会社「ささ圭」が、半世紀ぶりに復活させた手作りささかまぼこ。店を再開して「希望」という名で売り出すと、地元の人々を大いに元気づけた。立役者は、この会社の創業者である佐々木圭司。当時89歳。既に会社経営は息子の圭亮(けいすけ)に任せ、第一線からは退いていたいわば隠居の身。その圭司がよみがえらせた懐かしの味の秘密に迫る。

工場跡地でみつかった金串の山

工場跡地で当時を語る圭亮
工場跡地で当時を語る圭亮
名取市閖上地区にあった3つの工場は全て津波で流され、従業員3名が犠牲になった「ささ圭」。長年かけて少しずつ改良を重ねてきたかまぼこのレシピも、何万人という得意先情報も全て失われた。
社長の圭亮は当時を振り返って言う。
「これで終わり、一巻の終わり。廃業するしかないのかなと思いました。」
一度は従業員たちに解雇通告をしたという。ところが圭亮は、工場跡地から偶然発見されたあるものに心が動いたという。それは、ささかまぼこの製造に使っていた金串だった。
「掘っても掘っても出てくるわけですね。それをどんどん、毎日毎日掘りだして・・・」
工場跡地でみつかった金串
工場跡地でみつかった金串
圭亮は従業員たちとおよそ3000本もの金串を拾い集めると、父の圭司と息子の堯とともにていねいに洗い、曲がったものは金づちで打って矯正した。そうこうするうち、誰とはなしに「もう一度ささかまぼこを作ることができないか?」と考えはじめていた。圭亮が会長職に就いていた父の圭司に相談すると、圭司は言いきった。
「全て手作りならばできる。石臼さえあれば、金串に手付けして焼いたらできるよ。」
しかしそれは、全員でかまぼこ作りの原点に立ち返ること、そして昔ながらの製法を知る圭司と妻のあつが製造現場で主力となって働くことを意味していた。

みなで、一丸となって

その後、名取市増田地区に唯一残った店舗を改造して手作り工房を併設することが決まると、7月1日の開店を目指して一気に動きが加速していった。魚の身をする石臼を遠方の業者に発注すると、事情を聞いて無償で譲ってくれた。5月、店舗で工事が始まると、地元の人たちから「いつ開店するの?」「がんばって」と声をかけられた。追い風を感じながら、圭亮は資金繰りや営業に飛び回った。

工房に立った89歳の圭司(2011年)
工房に立った89歳の圭司(2011年)
工房が完成したのはオープン直前のこと。いよいよ会長夫妻が試作のためにちゅう房に立った。その姿は、「手作りで本当にできるのか?」と不安を抱えていた従業員たちの心を奮い立たせた。
石臼を使った魚のすり身作り
石臼を使った魚のすり身作り
孫以上に歳の違う若者を含む従業員たちとの試作は、一筋縄ではいかなかった。まず、石臼で魚肉をすると、機械で刃を使った場合とは異なり魚肉の繊維が残るため、弾力のあるささかまぼこができる。つまり、すり身作りはささかまぼこの味を決定づける重要な工程のひとつだ。
石臼を使った魚のすり身作り
石臼を使った魚のすり身作り
しかし、すり身の仕上がりは、その日の気温や調味料を入れるタイミングによって変わり、柔らかすぎれば串につけて成形できず、硬すぎれば食感が損われる。技術の習得は非常に難しい。圭司には、すり身を少し触っただけでそのよしあしが分かった。「これでは焼けない」と圭司に何度もだめ出しされ、試行錯誤が繰り返された。
気の抜けない手焼き作業
気の抜けない手焼き作業
また、手焼きの工程では、熱くなる金串を頻繁に返し、まんべんなく火を通して全体にうっすら焼き色をつける。ちょっと目を離すと焼き加減がむらになり、焦げて売り物にならない。慣れない作業に、時にやけどもしながら、みなで手焼きのこつをつかんでいった。
圭司のたたき技でついたデコボコ
圭司のたたき技でついたデコボコ
中でもみなを驚かせたのは圭司の「たたき」技。中心に串を刺したすり身を、型に入れて上から手でたたいて成形する技術だ。圭司がピシャピシャと軽快な音を立ててたたくと、表面にデコボコが残る。いとも簡単そうに見える作業なのだが、ここにもささかまぼこの味と品質を左右する秘密があった。孫の堯(ぎょう)はこう説明する。
会長夫妻と工房で働く、孫の堯
会長夫妻と工房で働く、孫の堯
「私も実際にささかまぼこをたたくんですが、やはりちょっと会長のようにうまくできないんですね。会長のたたき具合だと縮むっていうことがないんで、非常にきれいな形に焼き上がるんです。壊れずに焼けて、弾力のある歯ごたえになる。」
「たたき」は力加減が大変難しく、まだ誰も圭司の右に出る者はいない。それもそのはずだ。かまぼこ屋に生まれ幼いころから家業を手伝っていた圭司が、長い年月をかけて身体で覚えた技なのだから。

人々を励ました「手焼きささかまぼこ」

7月1日、店舗再開の日。圭亮は昨日のことのように鮮明に覚えている。

再開したころの店内の様子
再開したころの店内の様子

7月1日、店舗再開の日。圭亮は昨日のことのように鮮明に覚えている。

「朝8時にはみなさん店の前に待っていました。店開けたら、わーっと入ってきて。あ、こんなにみなさん待っててくれたんだって、まぁびっくりしました。毎日、いろんな方に来ていただいて、あー、生きてたって喜び合って。一時期はいろんな人が集まる場所になってました。ここが再会の場になったというのが第一にうれしかったですね。」
手作り工房での再出発を記念して
手作り工房での再出発を記念して
特にチラシを作って宣伝をしたわけでもないが、ささかまぼこ店再開の知らせは口コミで広く人々に知れ渡っていたのだった。日本中からもらった支援へのお礼に、地元の品を送りたいという人が多かった。89歳の職人が伝える手作りささかまぼこは好評を博し、名取市の復興のシンボルとなった。従業員の技術が向上するにつれ、製造量も伸びていった。

これからも変わらぬ味を・・・

これからも変わらぬ味を
2012年10月、ささ圭は工場を再建。生産量も順調に戻ってきている。
震災から6年。
工房に立つ会長夫妻は今も健在である。
あつが串をすり身に刺し、圭司がたたく。仲むつまじく息がぴったりのふたりは、手作り工房の最強コンビだ。
製造部長 赤川善昭さん
製造部長 赤川善昭さん
震災直後の混乱の中で、当時89歳の創業者が決して品質に妥協しない姿勢を間近で見ていた製造部長の赤川は言う。
「住む家もままならないのに“やっぱり焼くんだ”という、会長のかまぼこ作りへの気持ちと信念ですよね。それは、受け継がなきゃなと今も思ってます。」
孫の尭
孫の尭
そして、常務取締役に就任し、工房で圭司と働く孫の尭も・・・
「石臼ですったすり身を手で成形して手焼きする昔ながらのささかまぼこは、味もそうなんですけど一番はやっぱり弾力だと思うんですね。適度に凹凸を作ったささかまぼこっていうのが、やはり一番おいしいと思っております。かんだときにプリッという音が聞こえるような食感を目指してます。新しいことにももちろん挑戦をしていきますが、この手作りの伝統は、曲げることなく続けていきたいと思っています。」

卓越した本物の技と精神は、着実に若い職人たちへと受け継がれていく。
佐々木圭司さん

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福島県伊達市月舘町

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