会津美里の陶芸家 宗像利浩さん

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会津美里 “登り窯”とともに生きる
1分版会津美里 “登り窯”とともに生きる
会津本郷焼 火と土の神に挑む
5分版会津本郷焼 火と土の神に挑む
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宗像利浩さん

「伝統を守る」とは、探求し続けること

東北最古の“登り窯”を守る

東北最古の“登り窯”を守る
会津盆地の南西に位置する福島県会津美里町は、およそ400年脈々と続いてきた会津本郷焼の里。会津本郷焼は、領主、蒲生氏郷が鶴ヶ城の大改修に伴い、薩摩から瓦工を呼び寄せて瓦を作らせたのが発祥と言われ、作陶に欠かせない良質の陶土、水、木に恵まれた豊かな風土で育まれた。 ここには東北最古の『登り窯』がある。全長20メートル、幅約5〜6メートル。山の斜面に登るように築かれており、その風貌は古代遺跡か異国の住居をほうふつとさせる。
江戸中期に作られたという登り窯
江戸中期に作られたという登り窯
「どうしても登り窯でないとできない品物があるんですね。登り窯の条件と、自分の目指すものが一致した時にはいいものになるような気がします。
江戸中期に作られたという登り窯
江戸中期に作られたという登り窯
よく焼きしまった、いい土味のものが出来ます」と言うのは、この登り窯を代々守ってきた宗像窯(むなかたがま)の八代目当主、宗像利浩。宗像が登り窯に火入れをするのは数年に一度。個展に出品するなど、特別な条件がそろったときだ。薪は赤松。火を絶やさぬよう細心の注意を払いながら三日三晩かけて焼成する。しかし、気温や温度もさることながら、窯内部の場所によって仕上がりは異なるという。宗像は、「昔から火の神様がその人に宿ると名品ができると言われますね。土も灰も調合も化学的に完璧だからといっていいものができるかは分からないです。火の神様に感応できるかどうかですよね」と言って笑う。陶芸とは、なんとも奥の深い世界だ。

先祖伝来の技を磨き、育み、つなぐ

素焼きをせず釉薬をかける「生がけ」
素焼きをせず釉薬をかける「生がけ」
宗像窯の起源はおよそ300年前にさかのぼる。代々神官をしていた先祖が布教活動の傍ら始めた焼き物作りがやがて専業となり、代を重ねる中で数々の技を培った。18歳でこの世界に入った宗像も、その伝統を受け継ぎさらなる高みを目指してきた。貫いているのは、地元で取れる陶土を使い、素焼きをせず乾燥させただけのもろい器に釉薬(ゆうやく)をかける「生がけ」という珍しい技法。
素焼きをせず釉薬をかける「生がけ」
素焼きをせず釉薬をかける「生がけ」
宗像利浩作「禾目瑠璃天目茶碗」
宗像利浩作「禾目瑠璃天目茶碗」
器の形が崩れやすく難しい作業だが、釉薬が器に密着してはがれにくくなる。焼き上がりの色合いを決める釉薬にも、地元で採れる顔料やナラ材の灰を使う。先祖伝来の釉薬の配合と焼成方法に改良を重ね表現の幅を地道に広げてきた宗像は、伝統を受け継ぐことを駅伝に例える。「私が八代目ですけど、駅伝選手みたいなもんですよね。とにかく何とかつないで、それによって何かが生まれる時がある。私から息子へ、いつか良い形でたすきを渡せるようになっていたいと思いますね」と。
宗像利浩作「禾目瑠璃天目茶碗」
宗像利浩作「禾目瑠璃天目茶碗」
宗像利浩作「禾目利鉢」
宗像利浩作「禾目利鉢」
やがて宗像は、自身の代表作となる器を完成させる。黒茶の釉(うわぐすり)に薄茶の細い縦筋が無数に入る「禾目(のぎめ)」という紋様と、平らで潔い縁と端正な丸みが特色。自分の名前から「利」の字をとって『禾目利鉢』と名づけた。
宗像利浩作「禾目利鉢」
宗像利浩作「禾目利鉢」
2003年、宗像はこの作品で文部科学大臣賞を受賞。2010年、パリで海外初の個展が開かれた。次はイギリスで開催という、そんな矢先に東日本大震災は起きた。

新たな器作りで挑んだ
大震災からの再起

2008年に修業先から戻った九代目、利訓
2008年に修業先から戻った九代目、利訓
大震災により、工房の半分が壊れたばかりか、代々守り抜いてきた登り窯が崩壊。幸いガス窯は無事だったことから、営業は1か月以内に再開できた。しかし、原発事故による風評被害で客足がぱたりと止まり、その状態が数か月続く。海外で個展を開催する話もいつの間にか立ち消え、このまま本郷焼を続けていけるのかという不安がよぎったという。
2008年に修業先から戻った九代目、利訓
2008年に修業先から戻った九代目、利訓
宗像は、九代目となる息子、利訓(としのり)と話し合い、「風評被害が収まるのを待つのではなく、福島の土で作る会津本郷焼をより積極的に外に発信しよう」と決めた。
柿のへた茶碗に使う黒土
柿のへた茶碗に使う黒土
宗像は「柿のへた茶碗」の作陶に取り組んだ。「柿のへた茶碗」は15〜16世紀に朝鮮半島から渡来した高麗茶碗のひとつで、茶碗を伏せて真上から見たときの高台が柿のへたに似ていることから、この和名がついた。土そのものの侘びた風情が特徴で、いつか挑戦してみたいと思っていた器だった。原料として使うのは、砂利が多くて粘土質の少ない黒土。石や草の根といった不純物を丁寧に取り除いてから得られる陶土は、扱いが非常に難しく、頭に完成形がきっちり描かれていないと崩れてしまう。
柿のへた茶碗に使う黒土
柿のへた茶碗に使う黒土
「思い切って一歩踏み出してみると、なかなか深いものがありましてね。考えてるだけでは全然見えてなかったものが見えてきました。」宗像はこの新たな挑戦にのめり込んでいった。すると、少しずつ状況が好転し物事が前に進み出した。
弟と息子と3人で営む鉄工所
再生した登り窯にて。
東大寺別当による復興祈願式
2012年5月、宗像窯と親交のあった人々が発起人となった「宗像窯 登り窯再生プロジェクト」が立ち上がり、全国から支援金が寄せられたのだ。修復工事には栃木県益子焼の窯元がボランティアで参加。2013年春、土木技術者によって耐震構造が施された登り窯が復活した。
弟と息子と3人で営む鉄工所
再生した登り窯にて。
東大寺別当による復興祈願式
宗像は当時の気持ちを振り返る。「改めて登り窯の偉大さが分かりました。両親をはじめ先祖がつないでくださったすばらしい方々が宗像窯を取り囲んで、見守ってくださっているんだって。その伝統を感じて感謝の気持ちでいっぱいになりました。風が吹いてきた気がしますね」と。
完成した登り窯で、宗像は「柿のへた茶碗」を焼いた。ガスや電気窯ではなかなか表すことのできない、土そのものを感じられる温かい作品が生まれた。
宗像利浩作「柿のへた茶碗」
宗像利浩作「柿のへた茶碗」
「まだまだ会津本郷焼って知られていないと思うんですね。土の軟らかさや温かさは五感でくるものなので、ぜひじかに触れてみていただきたいです」と語る宗像。見つめているものはずっと先にある。自分に託された区間を走り切って最善の形で息子に「たすき」をつなぐべく、日々土と向き合い火の神様に挑み続ける。

会津本郷 せと市

会津本郷 せと市
写真提供 会津美里町
毎年8月第1日曜日に開催される「せと市」。この日、普段は静かな会津本郷焼の里が一変する。地元の会津本郷焼に加え東北各地の窯元の器が、軒を連ねた露店にずらりと並ぶのだ。しかも通常よりお得な価格で売られるため、全国から3万人とも、5万人ともいわれる客が押し寄せてくる。まだ辺りが暗い朝4時、ドーン!と鳴る花火を合図に、我先にと客が走り出てきて買い物レースが始まる。値段交渉も「せと市」のだいご味だ。そこかしこで「もうちょっと安くならない?」といった声が飛び交う。どれにしようか、あれにしようか、と迷いながら通りをぶらりと歩くのはきっと楽しいことだろう。
遠藤弘行さん
宮城県石巻市雄勝町

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