太古の森の贈りもの

久慈で出土した琥珀
「北限の海女」で知られる岩手県久慈市。ここには、豊かな海の恵みもさることながら、世界に誇る大地の恵みがある。それは、あめ色に輝く宝石、「琥珀(こはく)」。実は久慈は琥珀の世界三大産地のひとつなのだ。久慈の琥珀は他の産地と比べても特に古く、約8,500~9,000万年前の白亜紀後期に、まだ恐竜が地上をかっ歩していたころの地層から産出される。赤みをおびた茶褐色でしま模様が入っているのが特徴だ。

琥珀に閉じ込められたコオロギの仲間の化石
1997年には世界初かつ最古となる、約8,700万年前の「鳥類羽毛の後羽」化石が出土。同様に、カマキリ、コオロギ、ガといった昆虫や植物などを、まるでタイムカプセルのように閉じ込めた琥珀も次々発見され、古代生物の謎を解明する手がかりとなっている。
日本人と琥珀

さまざまな製品に加工される琥珀
やわらかい光をたたえる琥珀には古代から神秘の力が宿ると信じられ、世界各地で魔よけや安産のお守りとして用いられてきた。日本では、1998年に北海道千歳市にある柏台遺跡から約2万年前(旧石器時代)の「琥珀製小玉」が出土。世界最古級の琥珀製宝飾品として注目された。久慈での琥珀採掘は縄文時代中期ごろ始まったとみられている。奈良県を中心に点在する古墳から出土した数々の琥珀玉類が久慈産だったことから、古墳時代に久慈から大和朝廷に琥珀を運んだ「アンバー・ルート(琥珀の道)」の存在も明らかになった。
室町時代になると、当時の江戸や京都での需要が高まり、久慈の琥珀採掘が産業化。江戸時代には、お香や線香、防虫剤、医薬品、塗料などへの用途も広がり、南部藩の貴重な財源となった。2011年の震災後、久慈の琥珀から新たに発見された物質に高い抗アレルギー活性と美容効果があることが判明。被災した久慈の復興を願い「クジガンバロール」と名付けられ、化粧品や建築資材の表面加工剤など、久慈琥珀の新しい活用方法が切り開かれようとしている。
“ささやき”に耳を傾ける琥珀加工

琥珀の原石

琥珀を研磨する小山

研磨されて現れたつややかな琥珀
「琥珀は1つ1つ違います。個性ってありますので、削ったり、磨いたりして見ているうちに、琥珀の方から“こんなふうにして欲しい”っていう、ささやきみたいなものが聞こえてきます。」
そう語るのは、久慈で30年以上琥珀と向き合ってきたベテランの職人、小山太郎。琥珀の原石は、大きさ、形、色、模様の入り方がそれぞれ全く異なる。硬度が低いため衝撃に弱く、不純物が入っていると研磨中にボロボロと壊れてしまう。採掘から加工まで、取り扱いには細心の注意が必要だ。
小山はまず、採掘された原石を観察して加工プランを立てる。そして、切断、研削、成型、研磨の順で作業を進めていく。全ての段階で琥珀をじっくりと見つめ、琥珀の“ささやき”に耳を傾け、丹念に手をかける。まるで魔術師のように、それぞれの原石の中で眠っていた魅力を最大限に引き出して生まれ変わらせるのだ。
震災と水害を乗り越えて

久慈の琥珀産業を支える若い職人たち
2011年、東日本大震災が起きたときには観光客と琥珀製品への注文が激減。直接的な被害はなかったものの仕事量が減ったことで、それまで小山と一緒に仕事をしてきた仲間が去って行った。そして2016年、台風による水害で採掘場が崩れ、半年ほど琥珀の採掘ができなくなった。家が被災し1か月以上仕事を休んだ仲間もいた。しかし、琥珀は久慈の宝だという信念をみなで共有して、新商品の開発などをバネに少しずつ回復していったという。
「地元の宝である琥珀を全国のみなさんに知っていただいて、遊びに来てくれるお客さんが増えてくれれば、地元の町が活性化して元気になるので。」
こう語る小山に次の目標について尋ねると、照れ笑いしながら答えてくれた。
「ここで琥珀を削ったり磨いたりしている若いメンバーたちに、少しでも、技術というんですか、大層なもんじゃないんですけども、残していきたいなと思っています。」
日本で唯一の琥珀博物館
小山が勤める久慈琥珀博物館は、琥珀の採掘・加工・販売までを手掛ける国内で唯一の博物館だ。大正時代まで使用されていた坑道跡を見学できるほか、長い歳月をかけて琥珀ができるまでの仕組みや、巨大な原石、虫を閉じ込めたタイムカプセル、世界各地で採掘されたサンプル、考古・歴史資料、琥珀工芸品などが展示され、琥珀の全てを学ぶことができる。冬期以外なら琥珀の採掘や研磨も体験可能だ。