福島県いわき市のいわき絵のぼり職人 高橋謙一郎さん
キャラクター

子どもたちを見守るように

端午の節句の風物詩

繁栄を誇るように音を立てて翻る絵のぼり
繁栄を誇るように音を立てて翻る絵のぼり
写真提供:いわき市
福島県いわき地方の伝統工芸品「いわき絵のぼり」。端午の節句に、子どもたちの健やかな成長を祈り飾られる大きな旗だ。長さは約5メートル。かつては家々が数を競うように掲げ、塀に沿って並んだ旗が落とす影で、通りが暗くなるほどだったという。
「武者のぼり」や「節句のぼり」とも呼ばれ、甲州、中部、九州にも伝わる「絵のぼり」。その起源は室町時代にまでさかのぼる。元々「のぼり(旗指物)」は、武家に代々伝わる旗紋や家紋を染めた旗で、武士が戦の時に敵と味方を区別するために使ったものだ。室町時代末期、武家には、5月頃になると虫干しをかねて兜(かぶと)を屋内に飾り、庭先に「のぼり」を立てる風習があったという。戦乱の時代に、風にたなびく「のぼり」は、人々の目に「乱世」の象徴として映ったにちがいない。しかし、時が流れて平和な江戸時代に入ると、のぼりは「繁栄」や「立身出世」の象徴へと変化。次第に、「子どもたちに幸せな人生を送ってほしい」という願いを込めて、庶民たちも端午の節句の祝い事として飾るようになっていった。
「鍾馗(左)」と「八幡太郎義家・勿来の関(右)」
「鍾馗(左)」と「八幡太郎義家・勿来の関(右)」
ことに福島のいわき地方では、時の藩主が奨励したこともあり、絵のぼり文化が隆盛を極めた。疫病から守り学業成就を助けるといわれる中国の神・鍾馗(しょうき)の勇姿にはじまり、源平の合戦や戦国時代の名場面など、にぎやかな図柄が次々に登場。「元気で健やかに育って欲しい」、「一旗あげて欲しい」といった願いを込めて立てられた。

面白いことに、庶民が当初飾っていた絵のぼりは紙製が主流だったという。さすがに紙では長持ちしない。やがて、国産綿花栽培と綿布が普及してくると、耐久性のある木綿地を使った絵のぼりの製法が培われていった。その伝統を継承する職人をいわき市に訪ねた。

本物を未来に残していきたい

店内はカラフルな絵のぼりがびっしり
店内はカラフルな絵のぼりがびっしり
絵のぼり職人・高橋謙一郎は、祖父が大正時代に独立創業した工房の三代目。東京大学を卒業して塾の経営をしていた高橋は、40歳のときに家業を継ぐことを決意。以来30年、いわき市無形文化財に指定されている伝統技術をかたくなに守りつづけている。


「せっかく先祖が江戸時代から完成させてきたものなので、消したくないと思って。本物を未来に残していきたいですね。」
木綿地の下に敷く手本
木綿地の下に敷く手本
絵のぼり作りの工程は、すべてが手作業だ。まず、木綿地を裁断したら、湯で煮て精練し、糊づけをして天日に干す。そこまでの大変な準備を経て、ようやく「下絵」にとりかかる。謙一郎が、木綿地の下に図柄の手本を敷き、上から薄墨でなぞる。その手さばきに迷いはない。筆はなめらかに滑り、みるみる武者の姿が現れる。そのスピードに驚くと、謙一郎は笑って言った。
真っ白だった布にみるみる図柄が現れる
真っ白だった布にみるみる図柄が現れる
「うちの初代のじいさんなんか、もっとすごくてね、シュシュシュッと何も見ないで描いたものです。このあと『下染め』といって、この上に色をつけていくんですが、それが難しくなるんですよ。下染めする者が迷うんですね。だから私はそういうことがないように、これでもていねいにやってるんです。」

謙一郎は、祖父が下絵をフリーハンドで勢いよく描く姿を、子どものころ面白がってよく見ていたそうだ。「門前の小僧、習わぬ経を読む」というが、謙一郎の学びも幼少期から知らぬ間に始まっていたに違いない。
薄い色から濃い色へと塗り進める
薄い色から濃い色へと塗り進める
「下絵」の次の工程は「下染め」だ。顔料と豆汁(ごじる=大豆を煮出してふのりを加えたもの)を混ぜた染色液を、刷毛で下絵にそって塗り込めていく。顔料は紫外線に耐性があり色あせにくく、豆汁には色を定着させる効果がある。風に吹かれてどちらを向いてもよいように、大きな布を宙に吊って両面を塗る。着物や甲冑、波などには、下絵にない細かい模様も描かなければならない。非常に細かく根気のいる作業だ。
四代目・高橋総一郎
四代目・高橋聡一郎
担当するのは、9年前にこの道に入った謙一郎の息子、四代目となる聡一郎。「下染め」までに数々の工程を経ていると思うと、大きなプレッシャーがかかる。当初は失敗を恐れるあまり慎重になりすぎて、決して口うるさくはない三代目から「遅い」と言われることもしばしばだったという。しかしいつの間にか、元々黒く描かれていた扇を黄土色にしてみたり、兜(かぶと)の青かった部分を緑に変えてみたり、自分なりにアレンジする余裕も生まれた。そんな聡一郎が9年経ったいまも特に気を使うのは、色に陰影をつける作業だ。
“ぼかし”が作品に立体感を生む
“ぼかし”が作品に立体感を生む
「オレンジの上に赤をのせたり、緑の上にキンベロという藍に近い濃い色を重ねてぼかしを入れていきます。そうすると絵に立体感が出てきます。特に顔のぼかしは、けっこう緊張しますね。」

図柄にもよるが、「下染め」を1枚仕上げるのにおよそ3日はかかるという。しかし、なぜこんなに大変な作業が修行で最初に任されるのか?「手本をなぞる下絵のほうがよほど簡単そうだ」と言うと、謙一郎が説明してくれた。
「下染めをやると、絵の意味と内容をしっかり理解できます。そして、下染めができるようになればその作業のことがわかってますから、よい下絵の線を描けるんです。」
墨入れの中でも最も緊張する「目入れ」
墨入れの中でも最も緊張する「目入れ」
色づかいで多少遊べる余裕が出てきたという聡一郎が、これから何としてもマスターしなければならない技がある。それは、「墨入れ」。「下染め」後の絵の輪郭や毛髪、さらには最も重要な「目」を墨で描いて仕上げる作業だ。



「自分で何本かだけやってみたことがあるんですけど、線1本狂うだけでもう全然違ってくる。顔なんて特にですけど、表情が変わったり。筆をなかなか入れられなくて、下染めより全然難しい」
と語る聡一郎。
墨入れで絵のぼりに命が吹き込まれる
墨入れで絵のぼりに命が吹き込まれる
そして謙一郎は、「これで失敗するとごまかしがきかない、最後の作業です。一番怖いのはね、色が垂れることなんですね。たくさんつけた方が、すーっと長い線を引けるでしょ。だからつけたくなるんですけど、調子に乗ってたくさんつけると色が垂れたりするんです。だからこう、微妙に調整してる。自然にやってるんですけど」と言う。

つまり、絵のぼり職人の技を極めるには、とにかく恐怖心に打ち勝ち、何度も何度も絵を描くことに尽きるようだ。経験を重ねる中で、染料の特性や筆・刷毛のくせを覚え、ありとあらゆる加減を体で覚えていくしかないのだ。
写真
「手間暇かかる、面倒な仕事。時代に合わないやり方をしていると思いますね。でも、先代たちが完成させてきた技術で、それを伝統として引き継いだからには消したくないと思ってるんです。」
謙一郎の思いと技術は、息子の聡一郎へと受け継がれようとしている。

子どもたちを見守る「絵のぼり」

再開したころの店内の様子
聡一郎は、4年前に長男が生まれ父になった。子どもをもち、仕事に向き合う意識が変化したという。
「絵のぼりは、おじいちゃんおばあちゃんが孫のために贈ってあげるものですよね。記念になるものなので、自分も息子が生まれて、より一層ていねいに仕上げるように心がけてます。」
高橋家の絵のぼり。代々、祖父から孫へと贈られてきた
高橋家の絵のぼり。
代々、祖父から孫へと贈られてきた
戦後、アパートやマンション暮らしをする人が増えるにつれ、絵のぼりを飾る家の数は徐々に減少。機械染めによる安価な商品の普及も追い打ちをかけ、絵のぼり職人の数も減った。そして、2011年の原発事故の影響で、「いわき絵のぼり」を取り巻く環境はさらに厳しくなっている。子どもをもつ家庭の多くが遠方へ避難して、いまもその状況が続いているためだ。
原発の近くのみなさんも絵のぼり...
「原発の近くのみなさんも絵のぼりが好きで、よく飾っていたんですけど、住まいを離れてしまって、自分の家に戻れないっていうんで。若者たちがふるさとに帰ってきて、生活がしっかり立ち直って、また昔の光景が復活して欲しいと思ってるんです。子どもの元気な成長を見守るように。そういう願いを込めて絵のぼりを描いてます。」

子どもたちの未来のために・・・。福島に、ふたたび多くの「いわき絵のぼり」がはためく日が来ることを切に願う。

高橋謙一郎さん
福島県いわき市平正月町

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見守る目〜福島 いわき絵のぼり〜
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1分版見守る目
〜福島 いわき絵のぼり〜
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〜福島 いわき絵のぼり〜
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