南相馬市の染職人 西内清実さん
キャラクター

高橋謙一郎さん
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子どもたちを見守るように

相馬野馬追は“旗まつり”

繁栄を誇るように音を立てて翻る絵のぼり
本陣(雲雀ヶ原)に向かう行列
打ち上げた旗を騎乗してつかむ神旗争奪戦
打ち上げた旗を騎乗してつかむ神旗争奪戦
福島県相馬地方に千年以上続く「相馬野馬追」。その昔、平将門が野馬を敵兵に見立てて軍事演習をしたことから始まったといわれる勇壮な祭りである。毎年7月末、江戸時代に相馬家が治めていた奥州中村藩の5つの郷から、鎧兜(よろいかぶと)に身を固めた500余りもの騎馬武者たちが出陣。雲雀ヶ原という祭場に集結して甲冑(かっちゅう)競馬と神旗争奪戦を繰り広げる。それはまるで、動く戦国絵巻だ。ことに、騎馬武者たちの背でヒラヒラと踊る色とりどりの“旗指物”が目を引く。
豆乳を混ぜた顔料で染めた赤い月。周りより透けずに光を反射するため、夜空に浮いて見える
豆乳を混ぜた顔料で染めた赤い月。周りより透けずに光を反射するため、夜空に浮いて見える
旗指物とは、勝利の祈りを込めて先祖伝来の旗印(旗紋)を絹羽二重に染め上げたもの。旗印には、信仰する日月星や神仏、勇猛な獣、縁起物など実にさまざまあり、江戸時代には2600種類を数えたという。旗指物には、戦場で敵の矢を避ける他に、もうひとつ大事な役割がある。
中学3年生のときから、かれこれ25年野馬追に参加しているという騎馬武者・前田敏文さんに話を聞いた。
野馬追に向けて早朝練習するメンバーを見ようと、雲雀ヶ原にやってきた前田敏文さん
野馬追に向けて早朝練習するメンバーを見ようと、雲雀ヶ原にやってきた前田敏文さん
「自分の看板っていうの?やっぱり誇りを持ってるよね、自分の旗指物に。甲冑競馬で勝ったり、神旗争奪戦で御神旗を取って、羊腸の坂を登って武勲を上げるっていう。坂を上がってくると旗でみんな分かるじゃないですか、うちの旗だって。『来た!』、『取った』って。そうすると家族とか身内が、仲間が喜んでくれる。」
このように、野馬追には欠かせない旗指物だが、前田さんは、相馬地方と双葉地方を合わせても、旗指物を染められる職人はたったひとりだと言う。

「自分たちの旗指物っていうのは、西内さんしか作れない。甲冑競馬とかやったりすると風になびくじゃないですか。そうするとやっぱり傷みが早くなる。雨の日の野馬追が続いても傷みが来るから、5年に1回くらいかな。西内さんにはもう何本も作ってもらってますね。」

‘西内さん’とは、85歳(取材当時)の染職人・西内清実のことである。

侍たちが慕う旗指物職人

店内はカラフルな絵のぼりがびっしり
染職人・西内清実
西内は、南相馬市原町区で1930年に創業した着物染物店の2代目。子どもの頃から父を手伝って仕事に必要な知識と技を身につけ、20歳のときに群馬で1年修行した後に家業に入った。この地域では染め物が盛んで、全盛期には23もの染屋が軒を連ねていたという。しかし、着物文化の衰退とともにその数は徐々に減り、いつしか西内のところだけになった。
店先で客を迎える西内と妻・久子
店先で客を迎える西内と妻・久子
野馬追が近づくと、西内の店には騎馬武者たちが頻繁にやってくる。ここなら、鎧兜以外の支度をすべて調えることができるからだ。傷んできた陣羽織の襟の修繕を頼みにきた遠藤貴大さんもその一人。聞けば、遠藤さんが野馬追に初めて出陣したのは、31歳のときだったという。
陣羽織の修繕を依頼に来た遠藤貴大さん
陣羽織の修繕を依頼に来た遠藤貴大さん
「旗見ると一丁前だなと思うんだな。」
「うん。西内さん、きれいな浅葱色(あさぎいろ)で染めてくれたので。」


遠藤さんの初陣に際し、遠藤さんのおばあさまが大切に取っておいた旗指物用の絹の反物を、西内が染め上げた。
遠藤家の旗印はギザギザとした昔の蔵の鍵
遠藤家の旗印はギザギザとした昔の蔵の鍵
「目立つんだ。なぁ、あんまり目立ちすぎて怒られってんだよ。」

珍しい旗印の登場に「あれはどこの誰だ?」と大きく注目された逸話を懐かしがるふたり。
西内が染めた旗を指した遠藤さん。絹の旗は風をはらまず、パタパタと良い音がするという
西内が染めた旗を指した遠藤さん。絹の旗は風をはらまず、パタパタと良い音がするという
「たぶんみなさん口を揃えて言われると思いますけど、(西内さんは)なくてはならない人ですよね。いなくては成り立たないですよ、私たちは。やっぱり何でも知ってらっしゃいますし。旗だけじゃなくて、昔の歴史とか、野馬追での楽しい出来事とか。それ聞けるってのはやっぱり貴重ですよね。だから、まだまだ元気でいてくれないと困るんです。」

野馬追バカってのは、オレのこと

日本の伝統色の見本帳と試しに染めたはぎれ
日本の伝統色の見本帳と試しに染めたはぎれ
染めない部分にていねいに防染糊を置く
染めない部分にていねいに防染糊を置く
ムラにならないよう、両面に色を何度も引く
ムラにならないよう、両面に色を何度も引く
旗印は、絵図のない難解な古文書でしか残っていないこともあり、西内は長年の間にそうした資料を読み解けるようになった。浅葱(あさぎ)、群青(ぐんじょう)、鶯(うぐいす)、山吹(やまぶき)、朽葉(くちは)など、旗印に指定されるのは多様な日本古来の色。しかも、朽葉色ひとつとっても、赤味を帯びたものから黄味を帯びたものまで幅広い。微妙に色の配合を変えるだけで、色に深みが増す。西内は旗の色にこそ自分のセンスが現れると言い、何度もはぎれを試しに染めては、納得がいくまで色を調整する。

染めない部分にていねいに防染糊を置く
染めない部分にていねいに防染糊を置く
ムラにならないよう、両面に色を何度も引く
ムラにならないよう、両面に色を何度も引く
色ができたら、天気、気温、湿度を常に計算しながら進める染の作業だ。まず、米の粉で作った防染糊を、染めない部分に置いて乾燥させ、その上に刷毛で色を引く。乾いたら再び色を引き、色むらが出ないようにこの作業を表と裏で3〜4回ずつ繰り返す
蒸す前におがくずをまんべんなく掛ける
蒸す前におがくずをまんべんなく掛ける
次に、色を定着させる蒸しの作業。再び全体を染料で湿らせ、上からまんべんなくおがくずをかけたら、蒸箱に入れて高温で蒸す。その後、友禅流しをして余分な染料と糊を洗い流して干す。物によっては更に染めの作業をし、縫製を経てようやく完成だ。
30分ほど蒸し箱へ入れて色を定着させる
30分ほど蒸し箱へ入れて色を定着させる
西内にとって野馬追の旗づくりは楽しい。自分が手がけた旗を行列や祭場で見ただけで胸がワクワクする。羊腸の坂を駆け上がるのを見れば心が躍る。

「満足するわい、やっぱり旗見てたら。出てこらんねかった人と出てきた人は、旗印見るとわかっから。出て来ねぇと何か体悪くしたんでねっかって余計な心配すんだ。だから、出てきて手ぇ上げられると、とたんにこっちは、ああ元気出てきたなと思って。あっちはオレのとこなんか見っと、じっさんまだ元気でいたか?って、ただそれだけよ。ほんで満足。」
西内と息子・清祐
西内と息子・清祐
だが、野馬追だけでは生計は立たない。染屋と呉服販売の両輪でやっとだ。それでも西内には苦楽を分け合う息子・清祐がいた。長年、手間の掛かる絹の染めは西内が、陣屋幕などの綿の染めは清祐が担当。西内が疲れをみせれば、清祐が手を貸してくれた。二人三脚で様々な局面を切り抜けた。あの大震災が起きた年も—。

2011年5月、津波と原発事故の影響で開催が危ぶまれていたその年の野馬追が、「鎮魂の祈り」と「復興のシンボル」として執り行われることが決定。西内の元には、「津波で流された陣屋幕などの一切を新調したい」と大量の注文が入った。

「野馬追っていうのはお祭りでねぇんだ、絆。野馬追は原子力とは別っこだ。なんぼ縮小したってやる。人数出なくたって。」

西内は一時避難していた清祐を呼び戻し、一緒に寸暇を惜しんで働いた。清祐は、妻と子どもたちが避難していた山形と南相馬を行き来して頑張っていたという。規模を縮小して開催された野馬追だったが、多くの人々が避難先から駆けつけて再会を喜んだ。
大きな陣幕を手描きで染める清祐
大きな陣幕を手描きで染める清祐
この頃から、西内は染料の調色以外は全てを清祐に任せるようになっていった。ところが、一家の大黒柱となった清祐を突然病魔が襲う。2013年の暮れ、清祐は体調を崩して検査入院した病院で急逝。51歳だった。当初は原因不明だったが、後になって特殊な悪性リンパ腫だったと知らされた。
「力になってた奴が、ほいつがやっぱりいなくなられると、片手どころではねぇわい、両手もがれちまったようなもんだべ。」

それでも、西内の元には旗指物の注文が入る。野馬追に間に合わないかもしれないと言っても、それでもいいから作って欲しいと。職人として頼まれた仕事は断れない。

「まだやんねっきゃなんねぇと思っから。何とか息子の分もやんねっきゃなんねぇだんべ。」

81歳で再び一線に立った西内。体は昔のように動かない。だが、妻の久子、清祐の妻・実恵と、3人で力を合わせて家業を続けている。

「あいつ、染屋バカだ。いつまで年取って仕事やってんだべって言われたって、“親愛のバカ”だから。ペーして(決して)何とも思わねぇもん。生きてるうちはできる。仕事できるうちは生きていることだから。」

家族の誇りを染め上げる

水の中で美しい色が現れてくる、友禅流し
水の中で美しい色が現れてくる、友禅流し
西内を支える清祐の妻・実恵
西内を支える清祐の妻・実恵
友禅流しを終えて笑顔を見せる西内
友禅流しを終えて笑顔を見せる西内
西内が旗染めの数ある行程の中で1番好きなのは、近くの水無川で行う友禅流し。蒸した旗を、澄んだ水の中で勢いよく振って、おが屑、防染糊、余計な染料を落とす。

「水の中できれいに色出てくるのが非常に楽しみだ。きれいに抜けて出てくればうれしい。最高だよ。ここまでなって乾燥して初めて、良くなったか悪くなったか分かる。」

西内を支える清祐の妻・実恵
西内を支える清祐の妻・実恵
この川には幾度となく清祐と通った。今は、清祐に代わり実恵が手伝う。野馬追がすぐそこに迫った初夏の風物詩となっている。

「旗は見える。旗はちゃんと見えることになってっから。そして母ちゃんは弁当しょって、暑いのに父ちゃんのためにもっていくんだよ。その弁当持って行く目印がこの旗だから。『オレの父ちゃんの旗、あそこに行けば父ちゃんがいる』って。だから、オレだって野馬追の時期になれば、他のこと投げても野馬追さかかるんだ。」

友禅流しを終えて笑顔を見せる西内
友禅流しを終えて笑顔を見せる西内
西内が染め上げる旗指物。それは、家族の“絆”と“誇り”の象徴なのだ。
西内清実さん
福島県南相馬市

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サムライ魂を染め上げる~南相馬 染職人~
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1分版サムライ魂を染め上げる
~南相馬 染職人~
野馬追バカの旗づくり~南相馬 染職人~
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5分版野馬追バカの旗づくり
~南相馬 染職人~
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