お知らせ

「現地発・明日へブログ」は、2016年5月を持って更新を終了いたします。
長い期間にわたりご愛読ありがとうございました。
ブログを書いていただいたみなさんにも現地の今を伝えていただき、ありがとうございました。
復興に向けた、喜び、悲しみ、様々な思いがよせられた貴重な記録です。

東日本大震災プロジェクト事務局

新沼暁之

「自衛隊。」

あの侍達を書こうと思った。
何度も思った。。

アルバムを整理していた。

一枚の写真が出てきた。
彼等の帰還日に撮った一枚。。

120723_N01.jpg

侍達の帰還の日

震災前まで 自衛隊とは何ぞや? 自衛隊とはいったい…。
強く思っていた。

震災。 彼等の動きは早かった。

助かった。

一緒に動いた。
御遺体も一緒に捜した。
一緒に洗った。

一緒に動くうちに 彼等からただならぬ 命と愛国心を感じた。
風呂も入らず、泥だらけの 彼等の顔、
作業服に言葉にならない感情を覚えた。

「あんたら凄いよ… もっと前にでなよ。」
俺の言葉に
「自分等はいつも 裏方ですから…」と
臭い、臭い靴下を脱ぐ 侍達に涙した。

メシを食う。
身体を休める。
侍達は徹底してた…
いつも人の目につかない 場所で…。

我が家族
我が命 振り返らず
僅かな可能性の命を捜す 彼等を知った。

自分を情けなく思った。。
間違いなく 彼等は俺達を、日本を護ってくれていた。
助けてくれていた。

彼等は腑抜けじゃねぇ 気がつかない俺が腑抜けだった。

テレビドキュメントで観た。

自分の部下の家族の安否を気遣い、上官に対し一時帰省を嘆願する上司。
上官は怒鳴った「ふざけるな!」
シビレタよ。。

愛と魂、人間、男を感じた。

泣いたよ。

侍達の帰還の日
朝から不安だった。
侍が居なくなる被災地が 不安だった。。
怖かった。

何か伝えたくて
ありがとうを伝えたくて
魂の引継ぎをしたくて…

仲間に頼んで ツギハギだらけの幕を 作ってもらった。。

泣きながら手をふった。

ありがとうって 強く強く思った。

後日、一通の手紙がきた。
繋がりができた隊員だった。

俺達の写真と短いメッセージ。
「すぐにわかりました。 誰が書いたのかを…
新沼さん、俺嬉しいよ。
泣いて手紙が書けないよ。 ありがとう。」

汚ねぇ字で書いた
そのノートは何度も書き直し
何度も破り捨てた跡が。
残るペン跡。滲む涙跡。

オレモマタナイタヨバカヤロウ
アリガトウサムライタチヨ

新沼暁之
 

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気仙沼 大島

  長い沈黙の末 明日から気仙沼大島支援が 始まる。。

  気仙沼大島 宮城の離島。 小さな島の一つ。
  橋は無く 連絡船とフェリーな島。。

120622_Ninuma01.JPG

  島ってわかんないけど
  島民から 正規の金額を取って 船で運ぶ。
  当たり前の様で 当たり前じゃないのか?

  その逆か…。

  俺は島民は安いと思ってた。

  通常だった。。

  俺は相棒のハイエースで行く…

  往復7000円オーバー。

  島民は島に一台、
  本土に一台車を持つ。

    辛いよな…。

  父ちゃん母ちゃん カッコいいよ。

  うん…スゲえょ。。

120622_Ninuma02.JPG

  津波でさ

  フェリーも流されて
  体力、気力も流されて
  フェリーの本数も終発時間も大幅に変わった。

  どっちのゴールにも 灯りもない。

  人出不足の被災地。

  仕事、残業しなきゃ なんねぇ島人が居る。

  人より頑張んなきゃって 踏ん張る島人が居る。。

  ここで生きると 島人が居る。。。

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  灯りが無くて フェリーの本数が無い。

  灯りが無くて フェリーの本数か無くて 残業できねぇ。

  灯りが無くて フェリーの本数が無くて 残業ができなくて 解雇された。


 

  出番だ。。


 

  とある団体から 多額の支援金を協力頂いた。

  大島を支援したいと…。
 

  フェリーさんも 動いてくれると 約束してくれました。。

  大島。

  本当に待たせたね…

  半年位かかっちゃった…


 

  俺の勝ちだ。。


 

  新沼暁之


 

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一年・・・手をかしてくれよ

ご無沙汰してました。新沼です。
一週間も早いですね。

今週はと言いますと何やかんやで取材ばっかり受けてましたね。
ボランティアも一年続けているとみなさんが・・・
俺なんかよりもっとがんばっている人が居るのに。。

前回も話したけど、一年だよ一年。
時間が立つのは早いですね。

どうですか?皆さんは?
なにが変わりましたか?
なにか変わりましたか?

普通の暮らししてますか?
停電した不便を忘れて電気を震災前の様に使っていますか?
断水した不便を忘れてシャワーを流しっぱなしでシャンプーしてますか?
水を流しっぱなしで歯磨きしてますか?
ガソリンスタンドのガセネタで、結局買えないのに、普段はしないアイドリングストップまでして
ならんだあの時のことを忘れて、無駄にドライブしてますか?
あんなに歩いて移動したのに今は車で移動してますか?
店も営業してなくて『お金なんて必要ない』なんて思った
あの日の事を忘れてバンバンお金使っていますか?
家族を大切にしてますか?
大切な人を大事にしてますか?
高速道路無料を利用してエンジョイしてますか?
空を観てますか?
あの夜凄く綺麗だった星空
何も無さ過ぎて見上げるしかなかった星空。
まもなく同じ位置に星座が並ぶよ。。
観てますか?星。
すごく綺麗だったのを鮮明に覚えています。

わからないうちに、人知れず消えた星の光もあっただろう。
あの日、沢山の命が一瞬で消えた。
助かった命も寒さによって消えた。

一年。
まもなく一年。

ベビーブームらしい
震災後ベビーだ。
支援先で出会ったお母さんに赤ちゃんが出来たって。。
娘さんを亡くしたお母さんだ。。
頑張るって。。。
お腹を触りながら『お姉ちゃんの分まで大切にするからね』って

俺・・・『そっか…そっかぁ……』ってそれしか言えなくってさぁ
こらえてたんだけどダメだったね。。
お母さんもそんな俺を見て泣きながら『うん…うん……』ってさ。。

皆頑張れ!
沢山沢山!
愛し合え!!

支援先でもさ。反省
やはり一年支援してるとさ
作業がタンタンとしてるって言うかさ・・・
気づかないうちにさ。。
『イナズマ』落ちるようなことがあってさ。

当たり前の様にソーラーパネルをつけてさ
バッテリーつけてさ…
当たり前の様に支援先の被災した人と話してさ…

凄く明るくてさ…
凄く笑っててさ…
俺もヘラヘラ話してよ…
『いつも来てくれてるよな?頑張り過ぎんなよ』とか言われたぐらいにして。

『まぁ先も長いからお互い頑張って行きましょうね』なんて話してたらさ
旦那さんに『俺は何に頑張っていいかわかんねぇから、笑う事を頑張るんだ』
なんて言うからさ
『同い年ぐらいなんだから、情け無いこと言わないでくださいよ』って言ったの。

娘2人亡くしたんだって。。

いつもの様にソーラーを設置して
使い方を説明して・・・
それから・・・それから・・・。

点灯式をして。。
言われたよ。
『この家に一年振りに灯りがついたよ。』
一年振りに我が家に灯りだぜ!?

忘れてたよ。
まだまだなんだよな。
凄い言葉だった。

まだ居るんだよ。
皆さん。。

俺は自分の事なんかどうでも良いんだよ。
未だにライフラインも整っていない
まだ見ぬスタートラインにも立っていない人たちを
どうにかしてやりてぇんだ。。

ブランドのカキが沢山沢山取れるんだって
貴重だよな。
津波に耐えた奴らだ。。

だけどまだ水が出ないから・・・
水すら出ないから。
出荷出来ないんだって。。

酷ぇよな。。

俺も頑張るから。。
誰か助けてやってくれよ。
手をかしてくれよ。。

被災地に冷たい雪が降る
あの日のように。

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“あの日”のような雪

新沼暁之

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「明かり」のプレゼント

ご無沙汰してました。 新沼です。
一週間振りの更新
俺の一週間は色々ありすぎて何から話して良いのやら・・・

そう言えば、バスガイド依頼の連絡がきたかな。。
『新沼さんの収入にもなるはず』と 最初ね、嬉しかった。
被災地を知っているから沢山の人に現状を伝えられると思ってね。
向こうの提案してくれた人も俺の気持ちを知ってくれててね。。
素敵なプランが沢山あった。
でもね・・・ 最後に『高台の道の駅で買い物支援』『中尊寺見学』ってあってさ。
 断っちゃった。。

せめてさ・・・ 頑張っている人を助けてあげてほしくてさ・・・
牡蠣だって野菜だって米だってある。
道の駅までたどり着けない人をさ。。
それが支援だと思うんだよな。

そして中尊寺って。。。 被災地はついでか?
そんな気持ちじゃないだろうけどさ。

最後に世界遺産見て盛り上がって帰るより
被災地から帰り、車中で色々な事を
考え。
話し。
感じて欲しかった。。

でも『伝えたいんだ』 ゴメンね。。
希望にそえなくて。

次。。
震災後1年を前にして、行方不明者の捜索も各地で力が入る。
何度も足を運んでいる宮城県河北の大川地区もそうだ。

大川小学校・・・知ってますか?
大変な数の教師、生徒が亡くなったところ

俺にとっても特別なところ

今まで人として支援活動をしてきた。

そこは人としてだけではなく
人の親として、人の子として、
支援と言う言葉としてなく。

最初はね
先生、子供達の慰霊碑に街灯をプレゼントしたんだ。。
まだ行方不明の教師や子供達も居たからね。

電気すらきていない、この寂しすぎる場所に。
灯りをつけたかった。
見つかっていない皆の目印にしたくって。
魂達にも見つけて欲しくてね。

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慰霊碑の後ろに街灯をプレゼント

苦情は来ないと思ったけど 沢山連絡はきたかな。。
『日中手を合わせに行きたいけど無神経にインタビューするマスコミ が・・・。
灯りがついたおかげ で、夜でも行けるようになったよ』とかね。
嬉しかった。
子供達も喜んでくれてるかなって思った。
学校側ともコンタクトがとれるようになってね。
 
季節は流れてクリスマスが来るんだ。
そしてもう一度プレゼントしたんだ。。
その日の俺のブログが以下のこれ。

教頭先生から連絡が有りました。
『子供たちがクリスマスツリーの企画をしています。
叶えてあげたいけどあの場所には電源がありません。
もう一度力を貸してくれませんか?』がはじまりでした。

『是非ともやらせてください』・・・

始まりました。

まずは支援で利用しているシステムを2つつけました。

つけて、想像しているうちに色々な案が浮かんで来ました。
慰霊碑の前で出会った遺族の方達が話していた、
『今年は家では飾れない・・』 言葉は違うが盛大にしてあげたかった。。

やってあげたくても、 してあげられない遺族の代わりに・・・

できる範囲の大きなツリーを用意した・・
子供たちが遠くからでも見つけてくれる様に沢山の電飾を用意した。

必ず喜んでくれると思った。

子供たちからの誘いで仮校舎で一緒にツリーをつけることになった 。
泣きながら飾りをつける子供たちもいた。
泣いてる先生方もいた。

次の日、報道陣は勿論のこと家族でも制限が入る
月命日の会にもお呼びだて頂いた。
『涙そうそう』を歌ってくれた。
涙が止まらなかった。。

先生方の協力のもと仮校舎から被災した本校舎へとツリーを運んだ。

電飾の飾りを父兄さんと行い、電源を入れた。
皆からとめどなく流れる涙があった。
どんな気持ちなのか・・
わからない、
わかる訳ない、
だから今までずっと支援してきた。

夕暮れになり、いっそう際だつイルミネーション。
待ちに待った沢山の関係者が訪れる。。

震災後、一番素敵な支援をした。
一番涙し感動した。

出番は終了。

子供たちに『オッチャン頑張ったかい?』
心の中で大満足しながら、記念撮影をした。

写真には、子供たちのオーブが身体にまとわりつくだけではなく、
俺の周りにたくさん・・・

『喜んでくれたかな…』 涙が止まらなかった。。
今日12月9日は俺、37歳の誕生日
一番素敵な日になりました。

120301_NiinumaTakayuki_02.png

37歳の誕生日に涙

-…-…-…-…-…-…-…-…-…-…-…-…-…-…-…-…-…-…-

何度も言うよ。
一年経つよ
『がんばろう日本』
なんて当たり前に目にする。

違うだろ…
『そんなもんじゃねえだろ日本』だろ
本気で生きようよ。

新沼暁之
 

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俺の支援活動

はじめまして 初ブログになります。

文章列、乱文に問題がありますがお許しくださいませ。

私、岩手県の大船渡市に在住して居ます。
新沼暁之と申します。
以後よろしくお願いいたします。

さて、まず第1回目として私の軽い紹介から・・・

震災前、私は飲食店等いくつか経営をし生きていました。
色々な話がありますが、満を持して2011年3月1日 、
兼ねてからの念願だった地元でのクラブ経営。
僅か10日で、津波で・・・。
そうです。 私も被災しました。

120210_Niinuma_01.jpg

クラブの被災状況

家族は無事でした。

あとは全部流されました。
財産、買ったばかりの車、子供達の通う学校、思い出。

1年経つね…あの日から。

家族が無事だったから、 何か出来ることはないかという事で
震災翌日から支援活動を始めた。
地元の避難所を回り、
必要な物を聞いて回り、
集められる範囲で集めるというものだ。

私は地元で神輿の団体を持っている。
100人を越える大所帯だ。
その会員達も必死に動いた。

中には、家族を亡くした者、家を無くした者。
現実を考えたくないと、行動する者も居た。
思い出せば毎日泣いていたな…俺も。
格好つけて見せなかったけど。

ボランティアも体力と気力だけでは続かないところも現実で
個々に生活に戻っていった。
本当に助かった。
皆の心意気に感動した私は会の代表として
今でも支援活動を続けている。

支援内容も随分変わり
物資の調達配布に始まり
現在は、被災地支援を行う団体に手を借り
電力の復旧がされていないところを自然エネルギーを使って支援している。

被災地500キロ、
街灯が無い・・ 今度はそれだ。

驚いたでしょ?
まだ電気が無い暮らしをしてる人が居るんですよ。
強いよね。

被災地は復興のスタートラインにも立っていない!

それを伝えたいからブログも引き受けた。

正月1、2日は休んだが震災後365日被災地を歩いている。
支援活動範囲は 地元岩手の宮古市に始まり茨城県まで及ぶ。
もちろん、福島南相馬でも支援をした。
正しい知識を得るために放射線除染則の資格も得た。
おかげで支援車両もひと月1万キロ突破!

120210_Niinuma_02.jpg

支援車両

凄い車なんですよ。
屋根にソーラーパネルがついています。
電気の無い被災地で支援するので、丸ノコ等々使える車になってます。
今度教えますね。

人々が目にできないところ
そこで生活している人
俺でしか伝えられないこと。

伝えます。

新沼暁之

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