高橋智裕

一歩前へ 〜動き出した薄磯〜

今年に入り、放置されていた薄磯地区の基礎の解体が本格化しました。
震災以降、ずっと見て来た悲しいばかりの光景。

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基礎の解体が本格化した薄磯地区

でもそれは同時にご遺族が故人へ想いを寄せる、故人が最後に居た場所。
これまで先人が築き上げて来た薄磯という地域を形成して来た跡。それが間もなく更地になります。
あるご遺族は、「お葬式の時のような気持ちに似ている」と、例えました。
今まで幾度となく触れて来た場所にコンクリートの断片やショベルカーが置かれ、
あの姿が無くなってしまった場所に立つと、
そのご遺族の言っている意味が少しだけわかるような気がしました。
町を再生させるためには、避けては通れない工程。
時間が止まったままの薄磯が歩み始めたことを考えれば喜ばしいこと。
そう理解はしているけれど、それでも、涙が出てしまいます。
作業が始まってしまえば、本当に早い。
あっという間にすべての基礎が薄磯から姿を消すでしょう。

140218_T02.jpgそれでも、私はあの日から今までの閑散とした悲しみに包まれていた光景を
忘れてはならないと思います。

どんなに新しい街ができて美しい薄磯になったとしても、
たくさんの人たちがこの場所に戻って来たとしても、
絶対にこの2年11か月を忘れてはなりません。
毎日・毎月・毎年、ご遺族は、各々の故人が最後に居たであろう場所に足を運び、
線香や花を手向け、毎回、涙を流し、毎回、自分を責め故人に謝罪してきました。
その大切な場所が間もなくすべて消えてしまいます。

140218_T03.jpgだからこそ、忘れてはならず、だからこそ、伝え続けて行かなければなりません。
そして、次世代にしっかり継承しなければなりません。
二度と犠牲者が出ないように。
この日の薄磯は、素晴らしく奇麗な朝でした。

140218_T04.jpg高橋智裕
 

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一歩前へ 〜3度目のお盆〜  

福島県南相馬市小高区。
原発事故の影響で警戒区域に指定され、2012年4月16日に指定が解除されるまで
自由な往来ができず、解除になってから1年以上が過ぎた今も、
そこでの人々の日常はありません。 震災から3度目のお盆の小高区は、
震災前のそれとはまったく違い、今年も“田舎のお盆”の光景は皆無でした。
子や孫を迎え、笑顔がそこかしこに咲く、夏の微笑ましい時間は、
今年もこの地にはやってきませんでした。 “警戒区域解除”で、
前に進んだような錯覚に陥りがちですが、今も順調に進んでいるわけではなく、
雑草や痛んだ建物、津波で流された生活の跡が、
まるであの日から時が止まってしまったかのように、今この時も存在しています。
夏が間もなく終わり、また秋がやってきます。

あの日から、変わらぬ光景が広がる南相馬市小高区。

130819_01.jpg130819_02.jpg130819_03.jpg130819_04.jpg130819_05.jpgのサムネイル画像高橋智裕

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一歩前へ 〜金沢で豊間小学校の写真展開催〜

石川県金沢市内の銀行で、「とよ小のみなさま」と題して、ミニ写真展が始まりました。
この写真展は、震災後、豊間小学校が別の小学校を間借りして授業を受けているころから、
2012年4月に母校に戻ったころ、そして今年5月までの学校での日常を撮りためてきた
たくさんの写真から80点を選び展示されています。
子供たちの笑顔やふざけあっている場面、先生が仮装している姿の写真など、
観る人が笑顔になれる写真ばかりです。

被災地以外での震災に対する意識が希薄になってきている現在、
できるだけ多くの人に、あの時から今も被災地で暮らす子供たちの元気な姿を見て頂き、
子供たちや東日本大震災に対してもう一度関心を持って頂ければと思います。

あれから2年4ヶ月を迎えますが、
今もこの子供たちは、仮設住宅や借り上げ住宅から通い続ける生活を送っています。

130702_01.JPG金沢市内で始まった写真展「とよ小のみなさま」の展示風景

展示されている豊間小学校の日常の写真。

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高橋智裕

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一歩前へ 〜3年目の運動会〜 

先日、豊間小学校で、運動会が開催されました。

素晴らしい青空のもと、新たに今年入学した1年生16人も一生懸命、走り回っていました。

昨年の運動会は、マスコミも多く訪れ、震災からの復興をテーマにした震災色の濃かったものでしたが、
今年は、震災前に行われていた運動会に近づいたものになりました。

水谷校長先生は、「震災前は、こうだったんだよな。良くここまで来れたな。」と、
感慨深げに話していました。

また、津波で娘を亡くしたご遺族も、今年の運動会には観戦に訪れ、
ほんの少しですが、一歩踏み出すことが出来たのかなと。
ただ、小学校から数分歩くと、基礎だけが残る薄磯の町並みが、今もそのまま残っています。
これから、本格的な街の復旧活動が始まる時期ですが、
地元の人たちは、震災前の街の思い出を心に秘め、変わりつつある街を見守っていきます。

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現在の薄磯

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高橋智裕

 

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一歩前へ ~冬期 豊間・西会津交流~

夏にも行われた豊間小学校と西会津小学校の交流会が1月18,19日の2日間、
西会津町の施設で行われました。

いわき市は、福島県にあってもほとんど雪が降らず、
たとえ降ったとしてもすぐに融けてしまうほどのものです。

逆に、西会津町は、日本でも有数の豪雪地帯の福島県の西部、会津地方に位置し、
この日も1mほどの雪が積もっていました。

同じ福島県でもこれだけの気候の違いがあるということを豊間小学校の子供たちは身をもって経験しました。

 “子供は風の子”という歌詞がありますが、まさにその通りで、寒さなどどこ吹く風で、
長い時間、西会津小学校の子供たちと雪の中で走り回っていました。

夏にも会っている双方の子供たちは、再会を喜び、楽しく2日間を送っていました。

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雪の中を足を取られながら駆け回る豊間・西会津の子供たち。 

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そり遊びを楽しむ子供たち。

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あたり一面銀世界の中に立つ豊間小の子供。

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かまくらを作り、その中に入り喜ぶ子供たち。

高橋智裕

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一歩前へ 〜大きな地震〜

12月7日午後5時18分、三陸沖を震源としたM7.3の大きな地震が発生しました。
いわき市は震度3という発表でしたが、揺れは1分以上にも及び、
去年の震災のように途中から揺れが大きくなり、あの日を思い出しました。

地震発生直後、取材の為に家を出て豊間小学校に向かいました。
途中、帰宅時間と重なっていた為、渋滞が普段よりも激しく、
また、ガソリンスタンドには給油のために長い車の列が作られていました。

沿岸部に向かう道は、途中、県警の検問があり、警察官に話しを聞くと、
「(東日本大震災)当時の教訓を生かして、市内沿岸部に続く道には各所に検問を設け、
車両の流入を規制しています」と。

豊間中学校に入ると、職員室で教頭先生に状況を確認しました。
部活動で残っていた中学生46人、学童保育の小学生4人、
そして、子供たちを迎えに来た保護者が校舎3階の教室で待機していました。
中学生の女の子のなかには、当時の状況を思い出し泣いている子もいました。
ただ、大きなパニックにもならず、先日行った抜き打ちの避難訓練が役に立ったようです。

小学校の先生も、児童全員の家庭にメールで安否確認をして全員の無事を確認しました。
地震から約2時間後、津波注意報が解除され、待機していた人たちは帰途につきました。
いわき市内は、被害も無く、無事に乗り切りました。
しかし、この地震で大きな不安が露呈しました。
それは、防災意識の希薄と、子供たちの心の問題です。

前者は、“津波注意報”では、避難しない沿岸地域に住む人たちが多いこと。
そして、後者は、去年の震災を思い出しパニックになってしまう子供が出ているということ。

この2つの問題は、早急に問題提起して、本気で取り組まなければならないものだと思います。
あの日、多くの人たちを亡くしたことを、
ひとりひとりがしっかり意識の中に留めておかなければならないと思います。

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津波注意報を受け、教室で待機する生徒たち

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情報収集をする豊間小学校の先生たち

高橋智裕

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一歩前へ 〜子供たち単位での交流〜

程久保サッカークラブ(東京都日野市)が、東日本大震災で甚大な津波の被害を受けた地区にある
豊間サッカースポーツ少年団(いわき市)の子供たちにユニフォームを寄贈しました。

程久保サッカークラブは、東日本大震災以降、被災地のサッカーをしている仲間にユニフォームを届ける活動をしています。
今回は、現在も定期的に市を訪れ支援活動をおこなっている
災害支援団体ゲットライブリー(代表 浅野勲さん)の呼びかけで実現しました。

子供たちは豊間小学校の校庭でミニゲームをして交流を深めました。
汗を流した後、「大変だと思いますが、サッカーを続けてください。私たちはいつも応援しています。」と声を掛け、
ユニフォームと団員全員で書いた寄せ書きを豊間スポーツ少年団の団員に手渡しました。

同行した保護者は、「これを縁に、これから交流を深められると嬉しいです。本当にありがとうございました。」と、
再会を誓い合いました。

このような子供たちの交流や出会いが、彼らが大人になった将来、
大きな輪になって日本中に広がっているのではないかと、今から楽しみです。

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 室内で談笑する子供たち

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豊間小学校の校庭でミニサッカーをして汗を流しました

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ユニフォームを手渡されがっちり握手をする子供たち

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 両チームの団員と保護者

高橋智裕

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一歩前へ 〜大盛況に終わった豊間地区復興祈念祭。〜

9月29、30日と、豊間小学校で復興祈念祭が行われました。

この催しは、被災した地区の人たちが、何もないところから試行錯誤、右往左往して実現させた、
被災者による文字通り復興を祈念する催しになりました。

震災で小さな胸に大きな傷を負った子供たちに、おとなの頑張っている姿を見せることで、
頑張れば出来るという気持ちを持ってもらいたいという思いがありました。

いまだに復旧がままならないいわき市豊間地区。
それでも必死に前に向かって歩んで行く大人たちの心が、子供たちに伝わったのではないかと思います。

この被災された方たちの思いに、たくさんの愛の手が差し延べられ、
当初思っていた以上に大きな催しとなり、多くの来場者が訪れてくれました。

この復興祈念祭が、未来への架け橋となるよう、心から願ってやみません。

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地元の人たちで構成された実行委員会

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開催前から動き回っていた役員

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準備も懸命に行っていた。

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鎮魂の花火

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キャンドルで会場を彩った

高橋智裕

 

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一歩前へ 〜豊間地区復興祈念祭が開催されます。〜

9月29,30日と、被災した地区にある豊間小学校を会場に、「豊間地区復興祈念祭」が開催されます。

この復興祈念祭は、今までのものと違い、被災した地区の人たちが企画運営するものです。
主に、豊間小中学校のPTAの役員さんが企画立案から、毎日忙しい合間をぬって活動しています。

いまだに基礎だけの町が目の前にあり、このPTAの人たちもご家族や親類、そして、家も失っています。
それでも、「頑張れば何でも出来る」ということを子供たちに見てもらいたい、希望を持ってもらいたいと奮闘しています。

以前にも書きましたが、この豊間小学校は、震災の日、約400人の人たちが避難し、そして、一夜を過ごしました。
その後、町が壊滅的な状態となり、1年間校舎を使うことなく、ようやく今年から再開し、
豊間中学校の生徒たちと一緒に学校生活を送っています。

たくさんの尽力があって、再開した豊間小学校での復興祈念祭。
多くの人たちにこの地区の皆さんの頑張りと、明るく元気に過ごす子供たちを見にきて欲しいと思います。

復興祈念祭には、私が今年4月から撮りためている、この小学校の子供たちの学校生活の写真200点も展示致します。

復興祈念祭で展示する写真の一部です。

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豊間小学校の子供たちです。

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一歩前へ 〜西会津交流と始業式。〜

毎年、豊間小学校と西会津小学校は夏と冬に交流会を行っています。

昔、西会津の学校で火事があり学校の楽器がすべて焼けてしまった時に楽器を寄付したことから交流が始まりました。
通常だと夏はいわきで、冬は西会津での交流ですが、この夏は震災で沿岸部が壊滅してしまったため、
西会津の人たちが招待する形で行われました。
始めは打ち解けられずにいた子供たちですが、時間が過ぎると次第にとけ込み、別れ際は名残を惜しんでいました。
この交流で、人との繋がりはいつでも引き継がれていくものだと感じました。
保護者の中には、第1回目の交流の時に児童として参加していた人も。
これからも“縁”を大切に、毎日を過ごしてもらいたいと思います。

27日からは、豊間小学校で2学期が始まりました。
被災地の状況は変わりませんが、1学期同様に元気に過ごして欲しいと思います。

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西会津小学校の子供たちと交流した豊間小学校の子供たち。

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別れを惜しむ両学校の児童たち。「冬にまた会おう」という声が聞こえた。

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27日に2学期が始まった豊間小学校。

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高橋智裕

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一歩前へ 〜愛知の高校生が福島県を視察。〜

愛知県の日本福祉大学付属高校の生徒たちが、
福島の農業や観光の風評被害について現地視察するために会津を訪れました。

同校は、現在も阪神大震災への支援を行ったり、親を亡くした子供たちの支援活動をしたりしています。
9月に行われる文化祭では、東日本大震災をテーマに取り上げ、様々な問題を提起して行くということです。
被災地から遠く離れた子供たちがこういった行動を自発的に起こしてくれることは、大変ありがたいことです。

彼らは、会津坂下町の農家を訪れトマト収穫を実際に行い、気温の高いビニールハウスでの作業に驚いていました。
作業後、農家の方から現状の説明を受け、生徒たちは積極的に質問をしていました。
思っていたよりも現状が厳しいということを知り、どうすればこの被害を収めることが出来るのか、各々思いを巡らせていました。
高校生が実際に現地を訪れ、現地の人たちとふれあい、今までテレビの中の世界を体感することによって、
どんな思いが芽生えるのか、それを地元に帰ってどう生かすのか、これからの彼らの活動に注目です。

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地元の人から説明を受ける生徒たち

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実際にトマトの収穫を体験する生徒たち

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地元の人たちも入っての記念撮影

高橋智裕

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一歩前へ 〜警戒区域解除の楢葉町〜

 今月10日に警戒区域の指定が解除になり、まだ宿泊はできませんが行き来に制限がなくなった双葉郡楢葉町。
いわき市には、多くの町民が避難してきています。

 警戒区域が解除されても、これで問題が解決ではないということを多くの人たちに知って頂きたいと思います。

 立ち入り禁止から1年以上が過ぎ、町は当時のままの姿が残ります。
水田だった場所や家々の庭は一面雑草が生い茂り、とてもすぐに生活が出来る光景ではありません。
それ以上に、解除になったこれからが茨の道です。

 除染やライフライン復旧の大変な作業、生活をするうえで大切な経済活動の再興、
そして、住民がどれだけ町に戻ってきてくれるかという懸念。

 今まで日本が、いえ世界が経験しなかったことが、楢葉町にはこれから降り掛かって来ます。
 これまで以上に、たくさんの支援が必要です。

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警戒区域の指定が解除になり検問所が撤去(8月10日午前0時)

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雑草が生い茂るJR常磐線竜田駅

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町は至るところに雑草が生い茂り、
津波の被害を受けた集落は当時の姿のまま残る。

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天神岬から楢葉町南部を望むと緑に覆われているが、
これは雑草が水田に群生してしまったから。

高橋智裕

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一歩前へ 〜2年ぶりの・・・。〜

震災で大きな被害を受け、昨年は様々な催しが中止に追い込まれました。
あれから1年経った今年の夏、いわきの風物詩が帰ってきました。

今年の夏は、“2年ぶり”と冠がついてしまいますが、たくさんの笑顔が咲いています。

“2年ぶり”の、福島県内では唯一となった勿来(なこそ)海水浴場の“海開き”、
鹿島街道を閉鎖して行われる“いわきおどり小名浜大会”、そして10,000発の花火で彩られる“いわき花火大会”。

それぞれたくさんの観客でいっぱいでした。

津波と原発事故の影響はいまだに深い爪痕を残し、復旧復興もままなりませんが、
それでも夏の催しが開催出来るまでに至りました。たくさんの人たちの支えが今もたくさんあることに気づきます。

この“2年ぶり”という催しが、これからの復旧復興を後押しするものと信じていきたいと思います。
ただ、津波で大切な人たちを亡くされた方々や、家を失ってしまった方々は、これからも苦しい日々が続きます。
そんな方々を忘れず、常に「支えあう」気持ちで、歩んでいきたいものです。

これから続々と夏祭りが開催されるいわき市内、皆さんも足を運んでみては如何ですか?

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県内に数ある海水浴場の中で唯一海開きした勿来海水浴場(7月16日)

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例年通り鹿島街道を閉鎖して行われた“いわきおどり小名浜大会”(8月3日)

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10,000発の花火で彩られた“いわき花火大会”(8月4日)

高橋智裕

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一歩前へ 〜豊間小学校のプールサイド除染対策〜

豊間小学校では、何とか子どもたちをプールに入らせてあげたいという先生や保護者の想いで、
プールの除染対策を講じています。
何度も何度も高圧ガンや、ブラシ等でプールやプールサイドの除染を行ってきました。
それでも、プールサイドには基準値以下にどうしてもならない場所がありました。

そこで、豊間小学校に関わる人たちは様々な方法を検討し実験してきました。
そして辿り着いた方法が厚い鉄板でプールサイドを覆ってしまうという方法。
取り除くのではなく、閉じ込める。
プールサイドを50枚の鉄板で完全に覆い、子どもたちに触れさせないという考えの転換。
測定を試みると基準値を大幅に下回り、ほとんど検出されなくなりました。
この作業などで、プール開きは当初の予定よりも大幅に遅れてしまいますが、日程ありきではなく、妥協もすることなく、
子どもたちの安心安全を子どもを取り巻く大人たちが必死に考え、そして最善の策を取る。
少しでも子どもたちの想いに応えるという執念。本当に頭の下がる思いです。

豊間小学校のプールは、『県内一安全なプールを目指して』という様々な人たちの想いに包まれています。

そして、17日、2年ぶりのプール開きが行われ、子供たちの笑顔や歓声が戻ってきました。

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50枚の鉄板でプールサイドを覆う作業

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2年ぶりのプール開き

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2年ぶりに子供たちの笑顔や歓声が戻ってきた豊間小学校のプール

高橋智裕

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一歩前へ 〜支援の形〜

愛知県大府市の私立高校の先生や生徒、保護者で作られている「私学を良くする会」から、
“被災地の現状”を高校生に話してほしいと講演に招いていただきました。

講演では、高校生から鋭い質問も投げかけられ、今でも彼らは震災に関心を持ち続け、
支援の形を探っていることに驚かされました。

被災地の状況が変わることによって、その支援の形は変わってきています。

支援としてのボランティアや、イベントは誰のために行うのでしょうか?

色々な支援活動が被災地では行われていますが、それが自己満足になっていないか、
それが本当に被災者に喜ばれているのか、そんなことを今の時期だからこそ考えるべきではないでしょうか。

支援される側は、それがたとえ必要の無いものだとしても、拒むことはなかなかできるものではありません。
それは、支援をしてもらうことに感謝の気持ちや申し訳ない気持ちを持っているからだと思います。

以前、炊き出しの支援が過剰になっていた頃、ありがたいけれどどうしてもお断りしなければならない状況がありました。
そんな時、腹を立てて帰ってしまった団体がありました。

震災から1年以上が過ぎ、
被災地ではどんなことが起きたのかということを悲しい事に忘れてしまっている人たちが増えているように感じます。

支援の形は、時を追って変化していくということを、支援をする側が考えるべきではないでしょうか。
支援をする側は自己満足せず、支援する側が主役にならないよう注意した方がよいと思います。
それをもう一度しっかり考え、息の長い支援を心掛けたいです。

大府市の高校生たちは、阪神大震災以降、現在も義援金を毎年送り続けています。
それは、メディアなどに取り上げられていなくても継続しています。

高校生は3年間の在学なのでどれだけの生徒たちが関わってきたか、どこまでこの活動を語り継いできたか、
地域・教育現場・家庭が一体となって行ってきた結果だと思います。

震災がまだ1年しか経っていないのに急速な速度で風化されていく一方で、自己満足的な支援活動が増えて来ているということ、
支援は被災者の為に行うという基本的なことを忘れないように心掛けたいです。

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イベントに参加してくれた高校生

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息の長い支援活動を続けている高校生

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被災地から遠く離れた愛知県で被災地に想いを寄せてくれている方々


高橋智裕

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一歩前へ 〜宿泊活動〜

 今月14,15日、福島県の会津地方、会津坂下町にある県立会津自然の家で
豊間小学校の5年生が宿泊活動を行いました。
 去年の震災と原発事故以降、自然のなかで思いきり遊ぶことが出来ない状態だった子供たちは、
山に作られているアスレチックスに挑戦したり、冒険イベントを行ったりと自然を満喫しました。
 また、親元を離れて宿泊をすることが初めての子供たちも居ましたが、仲間と明かす夜に、
遅くまで語り合っていました。2日間という短い時間で、友情を深めることが出来たようです。
 何も不安を感じず近所の自然のなかを走り回っていた私たちが子供だった日々。
今の子供たちは常に放射線という見えない危険を気にしながら毎日を送っています。

 今を生きる子供たちが不安を感じず安心して自然と戯れることの出来る日々を取り戻せるようにすることが
何よりも最優先にしなければならないことではないでしょうか。

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アスレチックに悪戦苦闘しながらクリアする児童とそれを楽しそうに観ている校長先生。

120618_T02.jpgアスレチック1番人気の遊具!!

120618_T03.jpg必死にクリアに向けて身体を動かす児童。

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キャンプファイヤーは、火が消えるまで楽しんでいた。

120618_T05.jpg芝生の斜面をみんなでゴロゴロ。

120618_T06.jpg2日間を通して結束を固めた5年生。

高橋智裕

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一歩前へ 〜平穏な日常の生活〜

花の成長観察や給食の時間など、小学校での日常の風景。
当たり前に出来ることだと、当たり前に来る時間だと思っていませんか?

この子供たちは、震災が発生して以降、それが出来ない日々が続きました。4月から母校での学校生活が再開した豊間小学校。

津波の被害を受けた地域では、被災地以外の方々には何気ない光景でもそれがとてもいとおしく、
そして、こみ上げてくる程に輝いて見えます。
元気な子供たちの声、まぶしい程に輝いている笑顔、それらがとてもとてもかけがえのないものだと、今感じます。

私たちが小学生の頃、「地元のために」とか、「国会議員になって被災地を助けたい」とか、考えましたか?

「力強い子供たち」ではないのです。かわいそうな子供たちなのです。

小学生は、思いっきり遊んだり、やんちゃなことが自然な形なのです。

私たち大人は、震災以降、子供たちに本当に助けられました。
今度は、私たち大人が、子供たちに気を遣わせることの無いような生活を取り戻してあげなければなりません。

そんなことを思った小学校の日常の光景でした。

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種を植えた花が芽吹き、青空のもと観察会をしている4年生

120604_TakahashiTomohiro_03.jpg国語の授業中

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楽しみな給食の時間。今日のメインはソフト麺。私たちの頃はうどんだったが今はラーメンが出ている。

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ソフト麺を2等分して食べる工夫が微笑ましい。

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学校のある薄磯地区。まだ何も進んでいない。子供たちはこの町をバスで通り登校している。

高橋智裕 

 

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一歩前へ 〜2年ぶりの運動会〜

今月19日、いわき市でも最も甚大な津波被害があった薄磯地区に建つ豊間小学校で、
2年ぶりとなる運動会が行われました。
同校の学区の大半が津波の被害に遭い、
昨年度は近くの高久小学校を間借りしての授業を行っていました。

今年度から母校での授業を開始し、運動会も母校の校庭での開催になりました。
運動会は「復興祈念大運動会」と銘打ち、従来の紅白での組み分けではなく、
「真っ赤な太陽組」と「白い灯台組」に分かれて競い合いました。
開会式も復興を誓うセレモニーとして行われ、
児童全員が“太陽の赤”“海の青”名所の“灯台の白”の風船を大空に放ちました。

2年ぶりの運動会と、震災当時の学校の状況を思い出し、
ある保護者の方は「やっとここまで来ました。これからもっともっと私たち大人が
子供たちの為に頑張らねば。」と、
目に涙を浮かべながら子供たちの勇姿に温かいまなざしを送っていました。

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小学校の校舎で授業を行っている豊間中学校の生徒たちが
前日の大雨があがった後にベストなコンディションで運動会をと、
グラウンドを整備してくれた。

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豊間小学校が建つ、現在の薄磯地区。いまだに何も進んでいない。

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オープニングセレモニーで風船を放った児童。

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大空に浮かぶ風船を見上げる児童たち。

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小学校での初めての運動会に一生懸命な1年生。

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懸命にカゴに玉を投げ入れる児童。

高橋智裕

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一歩前へ 〜3校連合野球部「相双福島」〜

大きな津波と原発事故の影響でメンバーの多くが避難生活を強いられ部員が激減し、
単独での参加が厳しい県立双葉高校・県立相馬農業高校・原町高校の3校が連合チーム「相双福島」として参加している
高校野球春季大会相双支部予選が行われました。

大会は、4日決勝が行われ、見事「相双福島」が優勝を果たしました。

双葉高校の野球部は、いわき明星大学や近隣高校のグラウンドを利用して練習を続けています。

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部員が7人に減ってしまった双葉高校野球部

3校が揃って練習を行えるのは数日しかなく、日常は各校わかれて練習です。
それでも、生徒たちは野球が出来ることのありがたさを感じて、どんな練習も手を抜くことなく、そして何より楽しんで行っています。

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野球の出来る喜びを日々感じながら練習する部員

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入学したばかりのマネージャーも精力的に走り回っている

そんな彼らが相双地区第1代表として臨む福島県大会は17日から始まります。

野球が大好きで、野球の出来る喜びを身をもって感じている選手たちのこれからの快進撃に注目してください。

高橋智裕

 

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一歩前へ 〜御斎所街道復旧工事〜

昨年4月11日午後5時16分、
いわき市内陸直下、深さ10kmを震源としたM7.1、最大震度6弱の東日本大震災の余震がいわき市を襲いました。
いわき市と福島県南地区を結ぶ主要道「県道いわき石川線(通称:御斎所街道)」は、
2箇所で大規模な土砂の崩落が起こり寸断されました。

そして、4名の尊い命も奪われました。

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余震で崩落した現場-2011.4.12-

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1m以上ずれてしまった道路-2011.4.12-

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車の中で1人が亡くなった-2011.4.12-

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山が崩れ3人が亡くなった-2011.4.12-

この県道いわき石川線は、県南地区までを最短で結んでいる、交通量も多く物流にとっても大変重要な道路ですが、
険しい山あいに囲まれていて応急工事も昨年8月いっぱいまでかかり、現在も暫定道路で対応しています。

その道路の本格的な災害復旧事業が発震から1年を経過した今月25日、始まりました。

安全祈願祭と起工式が行われ、冒頭、参列者全員で黙とうをささげ、震災で亡くなられた方々の冥福を祈りました。
また、起工式の結びには万歳三唱を行うのが通例でしたが、犠牲になられた方々に配慮し、省略しました。

この事業は、来年度中の本格復旧を目指しゴールデンウィークも休まずに作業を行います。

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安全祈願祭

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鍬入れ

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切削開始のボタンが押され、工事開始

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これから大量の土が取り除かれる

高橋智裕

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一歩前へ 〜桜開花〜

 震災から1年1ヶ月が過ぎました。

 いわき市は、去年の4月11日に、内陸部を震源とする大きな余震が襲い、各地で山崩れが起こり、4人の尊い命が奪われました。
 津波注意報が発令された沿岸部の被災地では、避難所をでて家に戻った人たちが避難所に一時避難しました。震災で水道が不通になり、この日までに90パーセント以上復旧したものが、また、不通になってしまいました。津波で沿岸部の地区は壊滅、そして、この余震により、内陸部の地区にも大きな被害が出ました。

 去年は桜が開花したことにほとんどの人たちは関心を持つ余裕も無く、いつのまにか咲き、いつのまにか散ってしまいました。

 今年、4月13日、東北でもっとも早く開花宣言が出されました。例年よりもかなり遅い開花は入学式には間に合いませんでしたが、今年はたくさんの人たちに観てもらえるものと思います。
120416_TakahashiTomohiro_01.jpg120416_TakahashiTomohiro_02.jpg いわきで避難生活を送る、警戒区域の人たちも地元の桜は拝むことは出来ませんが、いわきの桜で少しでも癒されていただければと思います。

 今年の桜、たくさんの人たちがたくさんの想いを抱きながらご覧になると思います。
 満開はもうすぐそこです。

120416_TakahashiTomohiro_03.jpg高橋智裕

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一歩前へ 〜入学式〜

 今月6日、市内の公立小中学校で入学式が行われました。

  津波で町が壊滅的な被害を受けた薄磯・豊間地区が学区になっている豊間小学校でも。
 豊間小学校は震災以降、高久小学校で授業を行ってきました。たくさんの人たちの努力により、今年度から本校での再開に至りました。
 しかし、町が壊滅し、人々が市内の借り上げ住宅や仮設住宅で生活を強いられていて、本来なら30人ほどの新入生が訪れるはずでしたが、10人に留まりました。
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緊張の面持ちも・・・

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教科書を授与される新入生代表

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記念撮影

 そして、この豊間小学校と同地区にある豊間中学校は、校舎と体育館が津波で破壊されてしまい、校庭は周辺地区の瓦礫の置き場になっていて授業は困難なため、豊間小学校での授業になります。
 新入生は26人、普段なら豊間小学校を卒業した子供たちがそのまま同中学校に入学するのですが、それは叶いませんでした。

120410_TakahashiTomohiro_04.jpg小学校で再開する豊間中学校の入学式

120410_TakahashiTomohiro_05.jpg拍手で迎える在校生

120410_TakahashiTomohiro_06.jpg新入生は26人

 町が構築され、人々の日常が戻り、またたくさんの子供たちがこの学校に訪れる事を願っています。

 入学式を迎えた皆さん、おめでとうございます。

高橋智裕
 

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一歩前へ 〜1通の手紙〜

3月11日、イベントを行っている傍らで、喪服のまま涙を流し、自宅のあった場所のゴミ拾いをしていた方から、お手紙を頂きました。

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涙を流しながら、見物人が投げていったゴミを拾う遺族

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届いた手紙

『突然のお手紙失礼いたします。あの日(3月11日)私は声を掛けられた時、高橋さんだと分かるまでは正直身構えていたのです。
仙台から帰省する度、故人のものがまだないか探す私が目にするものは、真新しいゴミやタバコを吸いながら、笑いながら写真を撮る観光客。基礎しか残っていない、他人の家の敷地にズカズカと足を踏み入れる観光客でした。

 私は、臨月だった姉と幼い2人の甥をこの津波で亡くしました。私自身は仙台で被災しましたが、まさかこのような大きな津波が来るとは思わなかったし、命が失われることなど思い至りませんでした。
 私には幼い子がおりますので、自分たちの身を守ることでいっぱいいっぱいでした。姉らが行方不明であること、母が一緒に津波に呑まれながら救出されたということを知ったのは(2011年3月)12日でした。
 遠方ということ等に甘え、連日連夜家族を捜す兄を手伝うことも、言葉を掛けることも出来ませんでした。掛ける言葉も見当たりませんでした。
 あのような変わり果てた街(兄は”地獄だ”と言いました)に、兄をひとりにしたことを今でも悔いています。
 薄磯の、何でもいいから情報が欲しかったけれど、あのように甚大な被害を受けたにも関わらず、情報は多くありませんでしたが、見覚えのある薄磯の人たちの姿を、忘れてしまいそうな薄磯の街の写真をみました。
 その度に、堤防に集まっては海を眺めていた母をはじめとする近所のお年寄りと、そこで遊ぶ姉と甥の姿を思い出しました。
 障害のある長男の介護とやんちゃな次男の育児でいつだって疲れていたはずの姉は、私が弱音を吐けば「帰っておいで」と、言ってくれ、いつも「お帰り」と迎えてくれました。姉も甥もどんなに生きたかったか。どんなに怖かったか。
 私は、まだまだ姉たちの死を受け入れることが出来ずに生きています。
私だけではなく、遺族の方はみなそうかも知れません。育児で人との関わりがあまりない私でさえ「あんなところに住んでいたから」「すぐに逃げなかったからだ」「もう1年経つんだから立ち直らないと」等、面と向かって言われることがあります。
 今の私では無理ですが、私の大切な人たちを心ない人たちから守れるように強くなりたい、立ち上がりたい、と思います。
 そう思わせてくれたのは、優しく人の心をわかってくれる方たちの力があってのことです。

 私は、復興が叫ばれ普通の人間が普通の幸せを送っていた家庭や街が取り残され、忘れ去られてしまうのが怖いです。』

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袋いっぱいのゴミ。被災地はどういうところか忘れないで

 “復興にむかって明るく”というフレーズ。大切な人を失った人たちは、急なことに、現実を受け入れられない気持ちでいます。
 時間が経ったから、大型施設が再開したからと言って、決してすべてが前に進んでいるとは思ってはならず、もっともっと、ひとりひとりミクロ的なところで被災地を見て行かなくてはなりません。

 絶対に我々が忘れてはいけない、絶対に我々が目を向けていかなければならない、東日本大震災の今の本当の姿なのだから。

高橋智裕

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一歩前へ 〜あれから1年、自分たちのピアノ〜

 東日本大震災から1年の3月11日14時46分、いわき市内では各地で追悼のイベントが開催され、多くの人たちが被害を受けた沿岸部に足を運びました。

 集まったすべての人たちが黙祷し、犠牲になった方々のご冥福を祈りました。

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午後2時46分の黙祷

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多くの人たちが献花

 市立豊間中学校は、いわき市最多の犠牲者が出た薄磯地区にあります。学校は、津波の被害を多大に受け、体育館は破壊、校庭やプールはこの地区と豊間地区の瓦礫が積み重ねられている状態で、この学校での授業は出来ず、藤間中学校を間借りしています。

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豊間地区は、80人が犠牲になった

120313_TakahashiTomohiro_04.jpg子供たちも手を合わせた

 この体育館にあったピアノも津波に流され、砂だらけ傷だらけで置かれていました。それを、いわき市在住の調律師遠藤さんが引き取り、自費で修理をしていました。メーカーには、「絶対に修理は不可能」と修理を断られ、部品だけを取り寄せ10月から手作業で修理を続けていました。

 そのピアノは、去年の暮れに、応急的な処置をし、見事、音が出るようになりました。そう、紅白歌合戦で人気グループ嵐の櫻井翔さんが弾いた、あのピアノです。

 遠藤さんは、紅白歌合戦後も、「豊間中学校の生徒たちが、このピアノの伴奏で唱って、初めて完成だ」という想いで調整を続けてきました。

 そして、遂に卒業式の2日前の3月11日、それは叶いました。

 当日、藤間中学校には、生徒や父兄の他、合わせて100人以上の人たちが訪れました。生徒たちは、校歌を始め、4曲をこのピアノの伴奏で歌いました。

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豊間中学校の生徒たち

 遠藤さんの想いと、生徒たちの想いが1つになり、奏でた見事な合唱でした。このピアノの音色が、被災地の人たちの心を柔らかく包んでくれることを、震災の惨劇を後世の人たちまで伝えてくれることを願わずにはいられません。

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子供たちの未来が輝かしいものとなるように、おとなが頑張らなければ・・・

高橋智裕

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一歩前へ 〜まちを支える地元の力〜

 今回は、足をのばして、宮城県の気仙沼を訪ねました。気仙沼にはいわき市にゆかりのある漁師の方々などが多くいらっしゃいます。

 気仙沼市は、現在93地区3504戸の仮設住宅が点在しています。交通の便の悪いこの町には、ボランティアが訪れる機会も少なく、被災者が仮設住宅に入居してからほとんど支援が無くなっていたといいます。

 山中にある赤岩牧沢市営テニスコート仮設住宅は、約3分の2が70歳以上のお年寄りが独居生活をしていて、市街地まで出掛けることもままならない状況が存在し、また、西八幡前仮設住宅は、土砂災害警戒区域に指定されている場所に建てられています。

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多くの高齢者が独居生活を送る赤岩牧沢市営テニスコート仮設住宅

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山道を1.5kmほど歩かないと送迎バス停まで辿り着けない場所

高齢者には厳しい環境

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土砂災害警戒区域に建てられている西八幡前仮設住宅

 こんな厳しい環境に置かれている被災者の為に、自らも被災しながら支援活動を行っている方がいます。

 村上充さんは、自宅の1階が津波に襲われましたが、半壊だったし直すことが出来るからと、すぐに地元の支援を始めました。

 村上さんは様々な方法で、現状を市外の人たちに伝えたり、ボランティアステーションの菊田忠衛さんと連携を図ったりして、生活物資の調達や、医者などの巡回などを実現させて来ました。

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個人支援活動をしている村上さん(右)とボランティアステーション代表の菊田さん

 村上さんは、「高齢者の多い気仙沼は、独居生活を強いられているお年寄りがたくさんいます。孤独死が起きないように仮設住宅でのコミュニケーションを創るためにも支援活動は大切です。それに、ここ(気仙沼)は支援過疎地域です。まだまだ本当に支援物資が足りません。だから、私の出来ることはこれからもしていきたいと思います。」と、話してくれました。

 そして、菊田さんも、「仮設住宅では、コミュニケーションが大切です。それをしっかりサポートしていきたい。それと、行政は、仮設住宅のことでお金を使うなら、少しでも復興住宅の為に使って欲しい。高齢者が多い、この町では、これからローンを組んで家を建てられる人がすべてではないから、何とか行政に対策を講じてもらいたいです。そして、私は、少しでも多くの人たちに同じ過ちが起きないように震災で得た教訓を伝えてまわりたいです。」と、涙ながらに話してくれました。

 3月3日、村上さんの想いが通じ三重県鈴鹿市から、全国から募った約10トンの支援物資を運んだトラックが到着し、多くの被災者に喜ばれました。

 震災後、これだけのまとまった物資が届いたのは初めてのことだったそうです。

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鈴鹿市からの支援物資を受け取るみなさん

高橋智裕

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一歩前へ 〜音楽の力〜

 東京都交響楽団の皆さんが、音楽でいわきの子供たちを励まそうと「ボクとわたしとオーケストラ 〜音の輪でつながろう♪〜」というコンサートを企画し、いわき市の教育委員会を通じて市内の小中学校に参加希望を募り実現しました。

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子供たちを音楽で元気づけるために訪れた東京都交響楽団

 震災や原発事故の影響で、様々な学校行事が中止されているなか、いわき芸術文化交流館アリオスに約1,800人の小中学生が、午前と午後の2回に分かれ集いました。
 現在、インフルエンザが流行し、子供たちはみんなマスクをつけての参加でしたが、これだけの子供たちが一同に会するのは初めてのことでした。

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午前の公演に訪れたいわき市内の小学生で満席

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午後の公演に訪れたいわき市内の中学生

 また、震災後、子供たちを対象にしたオーケストラコンサートが開催されたのも初めてのことで、初めてオーケストラを観る子供たちが多く、熱心に鑑賞していました。

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間近でプロの音楽を熱心に鑑賞する中学生たち

  途中、「ビリーブ」という曲をオーケストラの演奏に合わせて唱うコーナーがあり、午前の小学生、午後の中学生とも元気な歌声を会場いっぱいに響き渡らせ、居合わせた関係者やスタッフ、そして、楽団の皆さんまでも、その子供たちの熱心に唱う姿に感動し、涙するという場面がありました。

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全員で「ビリーブ」を熱唱しました

 参加した小学生は、「かっこ良かったし、みんなで演奏に合わせて歌った時は、すごく楽しかったです。私たちのためにありがとうございました。」と、目を輝かせて話してくれました。

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子供たちに笑顔の花を咲かせてくれた東京都交響楽団の皆さん

  震災や原発事故を経験している子供たちは、私たち“大人”が考えている以上に、この体験を通して、様々なことを感じ、そして、成長していると感じました。
そして、震災や原発事故を収束させる為に訪れてくれた人たちへの感謝の気持ちもしっかり持っていると。
こんな子供たちが安心して暮らせる町を、私たち“大人”が真剣に創って行かなければならないと、屈託のない笑顔を観て改めて感じました。
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鑑賞を終え、みんな笑顔いっぱいでした

高橋智裕

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一歩前へ 〜被災地に震災後初の積雪〜

 東北一の日照時間を誇るという、いわき市は、沖を流れる海流の影響を受け、夏涼しく、冬は暖かいという暮らしやすい土地で、ほとんど雪が降りません。東京で降雪があっても、いわきは雨という日がたびたびあります。

 そんな温暖な、いわき市の海岸沿いに位置する被災地でも2月17日、震災以降、初めての積雪が観測されました。

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久之浜地区

 震災前なら珍しい積雪に、子どもたちがはしゃいで登校する賑やかな姿があったでしょう。雪を丸め、雪だるまを作ったり、友達にぶつけたりして登校する姿を想像してしまいます。

 しかし、この基礎だけが残る荒野となってしまった町にはまったくそんな生活の息吹がありません。波と風の音だけが被災地を覆い、真っ白になった被災地と相まって、悲しさを増大させるだけでした。

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豊間地区

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薄磯地区

 いつの日にか、またこの地に、賑やかな子どもたちの姿を観ることが出来るようになることを願わずには居られません。それが、1日でも早く訪れて欲しいと・・・。

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岩間地区

高橋智裕

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一歩前へ 〜江名地区に住む人たちの心意気〜

 この度、当サイトで執筆させていただくことになりました、福島県いわき市でフォトジャーナリストという仕事をしております高橋智裕と申します。

 私は、小名浜港のそばで、取材中に津波に呑まれ、死を間近に意識する体験をし、津波の恐ろしさを実感しました。そして、翌日から地元の惨状を多くの人々に伝えるべく取材・撮影をする毎日を送っています。これから日々動いている被災地の日常をいわき市を中心に伝えて参りたいと思います。宜しくお願い致します。

 原発事故以降、観光客の激減、いわき沖での漁の自粛、福島県産農産物の買い控えなど、いわき市を支える経済にも大きな影を落としています。そんななか、2月12日、第3回となるいわきサンシャインマラソンが、“復興祈念”大会と位置づけられ盛大に開催され、県内外、及び海外から約7,000人の参加者が集いました。

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いわきサンシャインマラソン

 コースの1部は、津波の甚大な被害を受け、今も爪痕が色濃く残っています。第1折り返し地点となる江名漁港は、毎年、地元の人たちが盛大にランナーたちに声援を送る、この大会の見どころでした。

 今年は津波の爪痕が深く、住民の多くも仮設住宅や借り上げ住宅で暮らし、約50世帯が、この地を離れていて、例年通り声援を送れるのかどうか、懸念がありました。また、「こんな状態でここをコースとするのは如何なものか」「震災被害は見せ物ではない」という声もありました。しかし、「大会を開催する以上、前回まで声援を送って来て、今回はやらないなんて、参加ランナーに申し訳ない」という想いで、例年通り声援を送る事にしたそうです。

 

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地元の人たちも例年通り応援

 大漁旗を掲げ、和太鼓の演奏、沿道には多くの住民の人垣。これが江名地区に住む方々の心意気でした。

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江名地区の心意気!和太鼓の演奏

 小学生の鼓笛は出来ませんでしたが、心のこもった、去年同様の盛り上げに、目頭が熱くなったランナーも多かったようです。
 別の場所で暮らしている多くの住民の人たちは、車で駆けつけました。幼い子供たちも懸命に声援を送りました。

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子供たちも応援!

 「全国からのあたたかなご支援ありがとう!!」そんな大きな手作りの立て看板がありました。

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手作りの立て看板でも応援

地元の人たちの想いが、たくさんのランナーの胸に深く残ったことでしょう。

この大会が、風評被害を無くす起爆剤となればと思います。

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地元の人たちの想いがこもった大会でした。

高橋智裕

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