お知らせ

「現地発・明日へブログ」は、2016年5月を持って更新を終了いたします。
長い期間にわたりご愛読ありがとうございました。
ブログを書いていただいたみなさんにも現地の今を伝えていただき、ありがとうございました。
復興に向けた、喜び、悲しみ、様々な思いがよせられた貴重な記録です。

東日本大震災プロジェクト事務局

佐々木高志

震災とガン

自然はあの時の大津波のように私たちに容赦がありません。
東日本大震災の復興もままならないのに、熊本県熊本地方を震源とする地震が起き、
今は「被災地」とは主に熊本県・大分県の一部を指す言葉になりました。
深刻な被害、大きな影響に心からお見舞い申し上げます。

さて、突然ですが、今回は最後の更新となります。
現在は取り壊された市内の施設の写真で当時のことを振り返りたいと思います。

2011年3月12日の夜明けの写真です。
市役所の4階の一室で蝋燭の光だけで一夜を過ごした私にはとても眩しい光でした。

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ここからは、2012年9月30日の写真です。
市役所の屋上に避難したお陰で私は助かりました。

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しかし、対面にある市民会館では、沢山の方が亡くなってしまいました。

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中央公民館、市民体育館でも沢山の方が亡くなりました。

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母が長く勤めた図書館も無残な姿。

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博物館の入口から撮影しました。写真正面に青い屋根の高田高校の校舎が見えます。
あの3Fの音楽室で母の遺体が発見されました。
自宅は校舎の前にありましたが、基礎しか残っていませんでした。
今思うと、母は校舎に祖母を連れて避難したのだと思います。
津波があと少し低ければ助かっていたかもしれません。

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博物館の受付には他の施設同様にお花が供えられていました。
お花には職員の方のメッセージが添えられてありました。

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テレビで熊本地震の報道を見ていると、自分の避難生活を思い出します。
私も当時、硬い床に段ボールと毛布を敷いて横になり睡眠をとっていました。
老人ホームの6人部屋に6世帯が寝泊まりしていました。
皆さん同じ地区の方々で優しくしてくださいました。
しかし、父と私の世帯以外は、仲が良い老夫婦の組です。
母を震災で亡くした父はその中でさぞ寂しかったろうと思うと、
今も胸が締め付けられます。
また、最近になって、私が母に、母の遺体が見つかった場所を報告する夢を見ました。
津波で流されたはずの自宅にいる夢を見ることもあります。
東京湾を船で観光したこともありましたが、海が怖くなって立てなくなったこともありました。
5年経っても震災を忘れるなんてことはできません。

私は、今、災害が起きている熊本・大分や今後の震災のためにも、
東日本大震災での良かった点だけでなく、悪かった点も反省し、
同じ過ちを少しでも減らすように伝えていくべきだと思っています。
東日本大震災でも、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震の教訓が生きたことも多々あります。
反省を積み上げてゆき、私も含めみんなで今後に生かしてゆくことが、
震災で亡くなった方々への一番の供養になると私は信じています。

今まで、NHK東日本大震災プロジェクト「現地発 明日へブログ」で
私のブログを読んでいただいてありがとうございました。
お世話になった方に読んでいただいたり、震災後にご縁ができた方に読んでいただいたり、
うれしくて心から感謝しております。
NHK東日本大震災プロジェクトの皆様にも大変お世話になりました。

炊き出し・物資の支援・瓦礫の撤去・遺体捜索、復興支援イベントなど
様々なボランティア活動をしていただいた皆様、積極的に被災地の商品を購入してくださった皆様、
私たちを様々な形で支援してくださった皆様、心より御礼申し上げます。

また違う機会にお目にかかった際も、どうぞよろしくお願いいたします。

私は、去年から高次脳障害のリハビリテーションをしながら社会復帰を目指していました。
今後も悪性脳腫瘍と闘病しつつも、仕事をこなせるようになるのが目標です。
震災とガンと背負ったマイナスからの再出発ですが、
命あるかぎり最善を尽くしたいと思います。


佐々木高志

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追悼すること、生きること

3月11日は、菩提寺の東日本大震災追悼の法要に参加し、母に祈りをささげました。

20160411_s01.JPG20160411_s02rere.jpg和尚様の御経では檀家で亡くなった方々のお名前全員を唱えるので、1時間ちょっとかかったと思います。
あらためて、犠牲者の多さを思い知らされます。

別な日には、震災とは別に亡くなった私の兄弟の法要を父と私で行いました。

20160411_s03re.jpg私と父にとって、気持ちが重くなる月です。


わが家の再建は、道路工事の都合で1年遅れており、今年も仮設住宅が現住所となりそうです。
この第一中学校仮設住宅の北側の住宅地では10軒くらい建築中の家が見えます。
1月より大分増えました。

20160411_s04.JPG20160411_s05.JPG20160411_s06.JPG
おなじ地区のおかあさんから、新鮮な生わかめをいただきました。
三陸では3月がわかめのシーズンです。
沸騰したお湯にくぐらせると、鮮やかな緑色に変わります。
歯触りもよく美味しい旬のわかめをいただくことができました。

20160411_s07.jpg20160411_s08.jpg20160411_s09.jpg20160411_s10.jpg
3月末には東京に戻り、通院を再開しました。
あの大津波の真っ只中で生き残った私は、
何のためにどうやって生きていくか、
もっと深く考えないといけないです。

20160411_s11_re.jpg※東京都大田区の城南島海浜公園にて(撮影:カンカンさん)

佐々木高志

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いわき市、久之浜/沿岸北方面の見学

地元の建設会社さんの事務所から撮影させていただいている景色も徐々に変わっていきます。
1月、私の住む仮設住宅がある第一中学校の北側の宅地も整備がされ、
早速1軒の家が建設されていました。

160212_s01.jpg1月23日、いわき復興支援・観光案内所さん主催の
「福島県いわき市 久之浜/北コース・スタディツアー」に参加してきました。
いわき駅から大型バスに乗り、各スポットを日帰りで見学する行程です。

160212_s02.JPG途中バスから、いわき米と書かれた白い建物が見えました。
ここでお米の全量全袋検査をしているそうです。

160212_s03.JPG久ノ浜町の「浜風商店街」は、震災にあった商店主の方々が立ち上げた仮設店舗の復興商店街です。
お母さん方の温かいお出迎えがありました。

160212_s04re.jpg 160212_s05re.jpg「久之浜ふれあい情報館」では、震災当時の写真を見ることができます。

160212_s06re.jpg私は懐中電灯・駄菓子と、丁度靴の底が割れていたのでシューズを購入しました。
私の足を見ただけで、サイズを25.5cmとピタリと当てた斉藤さん、流石です。

久ノ浜から四倉に国道6号線を南下していきます。

160212_s07.JPG四倉町の「道の駅よつくら港」は震災時の自衛隊の前線基地だったそうです。

160212_s08.JPG避難場所を確認してから昼食です。

160212_s09re.jpg四倉海水浴場も近く、ちょっと南国気分です。しかし、まだ防潮堤の工事中のようです。

160212_s10.JPG160212_s11.JPG160212_s12.JPG食後は国道6号線北上して、富岡町に向かいます。

富岡駅舎跡で下車すると、2012年頃に戻った感覚になり言葉を失いました。

陸前高田ではほとんど取り壊して無くなった「津波で壊れた家屋」がまだ存在しているのです。
この光景だけを見ても、いわき市の復興はまだ時間がかかることを実感します。
後方には東京電力広野火力発電所の煙が見えます。

160212_s13.JPG160212_s14.JPG次は国道6号線を北上し、楢葉町に向かいます。
天神岬のスポーツ公園では、展望台の望遠鏡から楢葉沖海上20kmに設置されている
洋上風力発電所を見ることができました。東京電力広野火力発電所の煙突も見えます。

160212_s15.jpg160212_s16.jpg160212_s17.jpgその後は久ノ浜に戻り、地元の被災者の方から当時のお話をお聞きしました。

160212_s18.jpgそこには、奇跡の神社と呼ばれる神社があります。
秋義稲荷神社は周りの建物は津波で流されたのに神社だけが残ったそうです。
昔の久ノ浜の大火事でもこの神社だけが焼失しなかったそうです。

160212_s19.jpgいわき市の復旧・復興の道のりについて今回のスタディツアーで感じました。
被災地でも復興の速度の違いが今後も顕著になるのだと思います。
私が住む被災地だけが復興すればいいと考えるのではなく、
東北の被災地全体が平安な日常生活を取り戻せる日がくることを切に願います。

佐々木高志

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復興工事が進む高田松原の防潮堤

12月5日は、岩手県主催の「復興の現場見学会in高田松原」に参加してきました。
前日までは雨と雪で天気が心配でしたが、当日は晴天に恵まれました。
コミュニティーホールで集合し、大型バス2台で移動します。
参加者は80名ほどで、地元の高齢者の方の参加が多いように感じました。
最初は旧・道の駅「高田松原」タピック45に行きました。数年ぶりにこの施設の屋上に行きます。
ここでは数名の方が屋上に避難してギリギリのところで助かっています。やはり、潮風が強く冷たいです。

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津波で流されてきたものがそのまま残っています。

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屋上からの光景です。手前にあるのは海ではなく古川沼で、
その先に防潮堤の第2線提が見えます。その向こうに広田湾が見えます。

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西側をみると川原川と古川沼の合流地点が見えます。

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工事事務所前には、防潮堤のブロックにメッセージを書くところがありました。
県と工事されている企業の皆さんに感謝です。

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バスに戻り、第2線提に移動します。北側には奇跡の一本松と希望の架け橋がみえます。
希望の架け橋(土砂用ベルトコンベアー)は役目を終えて撤去中です。

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工事中の第2線提の上から広田湾を見ると、高田松原となる予定の区画と第1線提が見えます。
日ごろは見ることができない光景なので「おおぉ!」と興奮気味です。

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第2線提を下り、第1線提にむかいます。第2線提用のブロックは遠くから見たより大きいです。

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第1線提まで来ました。震災前の砂浜が思い出され、感慨深いものがあります。

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第1線提の一部には、なんと自然に砂浜が出来ていました。
穏やかな波の音を聞いた後、私は急遽、砂をレジ袋に入れて持ち帰りました。
懐かしいさわり心地です。

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その後、バスに戻り、気仙川の河口にある水門の工事現場に行きました。

151216_s15re.jpg151216_s16re.jpg大きな水門が3式見えます。扉はまだ中央の水門にしか設置されていませんが、
最終的に5式連なる水門が河口を覆うようになるとの説明を聞き、大きさにとても驚きました。

最後に、工事に関わっておられる自治体の皆様と企業の皆様に感謝申し上げます。
見学会でもとても親切で説明が分かりやすかったです。

佐々木高志
 

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4年目の錦秋

さて、錦秋の季節になり、私の勤める印刷会社も喪中はがきと年賀状印刷のシーズンになります。
そこで、10月後半から11月・12月の間は陸前高田に帰り、
休職していた職場に仮復帰をすることにしました。
震災後は、市外の方がご支援のお気持ちで、ご注文をくださいます。
景気が厳しい被災地の企業としては、とてもありがたく思っております。
仮設住宅から会社に歩いていると、紅く実ったりんごが見えてきます。

151127_s01.JPGただ、検査や抗がん剤の治療・リハビリの通院のため、1か月に1週間は上京する必要があります。
その際、11月の通院で入院中リハビリを担当していただいた言語療法士の先生と偶然再会しました。
この先生は宮城県出身で、高校が被災地の石巻市だったこともあり、
震災当時の私の話をよく聞いてくださいました。このブログも読んでいただいております。
先生のように離れたところから被災地の人を心配されている方がいらっしゃることは、
被災地にとっては心強く感じます。

東京・仙台間の移動は新幹線より安い高速バスを使い交通費を抑えます。
のんびり、雄大な東北の風景を楽しみながらの移動です。

151127_s02.jpg陸前高田は10月後半、秋のイベントが目白押しでした。
寝坊してしまったり、交通手段が少ない都合で、行く事ができたイベントは残念ながら2-3件です。


(1)陸前高田市立第一中学校文化祭の演劇

私の住んでいる仮設住宅は、陸前高田市立第一中学校の校庭内にあります。
この数年、子供たちには不便をかけているとは思いつつも、
高台の住宅用地の造成をまたないとならない事情もあり、複雑です。
そのような状況でも、子供たちは逞しく育っていると思いました。
ある日の夕方、中学校の生徒会の生徒が元気に文化祭のチラシを持ってきてくれました。

151127_s03.jpg私は、初日の演劇を見に行きました。合唱は聞いたら泣いちゃいそうで…。


1年生は「たぬきと三平」
たぬきが主人公のお母さんに化けてるのか、見ている私も最後までわからず、面白かったです。

151127_s04.JPG2年生は「猿の手」
ミステリアスなシーンが一変する場面は見事でした。後半は「いじめ問題」に触れ素晴らしかったです。

151127_s05.JPG3年生は「ふるさと」
この演劇も転校生の勇気ある少女を通して、正面から「いじめ問題」をテーマにしています。
少女に友だち・理解者が増えていく過程がよく描かれてました。

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(2)産直の秋まつり
11月1日は、市内の産直恒例の秋まつりに行ってきました。

近くには気仙川。

151127_s07.JPG田んぼに案山子コンクールの作品が並びます。

151127_s08re.jpg名物、鮎の塩焼き。

151127_s09.JPG最後は恒例の餅まきです。そのまま食べてもやわらかく美味しいお餅でした。

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(3)復興工事
復興工事の正確な進捗率の数字は岩手県が定期的に発表しています。
私は、個人として外出したときに見た今の市内を紹介したいと思います。

鳴石団地から見た、本丸公園北側の住宅用造成地です。

151127_s11re.jpg両替漁港の防潮堤工事現場。

151127_s12re.jpg151127_s13re.jpg建設会社さんの事務所2階から撮影させていただきました。
仮設住宅から道路を挟んで、第一中学校北側の住宅用造成地が見えます。

151127_s14.JPG151127_s15.JPGこのように、復興工事は進んでいるものの、陸前高田は被害が甚大でしたので
工事も大規模で工期が長いです。待てずに市外に転居する方、仮設住宅で土地の造成を待つ方、
市内の災害公営住宅に転居する方と、迷いながら住まいの選択をしていると感じています。

佐々木高志
 

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仮設住宅と氷上山の東滝

仮設住宅団地内で親しい方々に挨拶してきました。
近所の方はミニトマトを栽培しているのですが、美味しそうな色の実を頂いてしまいました。

150901_s01.JPG人気者の犬のクッキーにも久しぶりにご挨拶です。
クッキーに癒やされている住民はかなりいます。

150901_s02.jpg150901_s03.jpg仮設住宅団地には週2回、日用品の移動販売車が来ます。
足の不自由な方や、車で自由に買い物にいけない方にはとても便利で、欠かせない存在です。

150901_s04.jpg150901_s05.JPGまた、高台にある住宅用の用地も少し見えます。
整地する前に、出土した遺跡の調査が必要なのですが終わったのでしょうか。

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8月17日は大雨でしたが、翌日は晴れたので、市内の滝を見てきました。
行った先は東滝というところです。

高田町の北端、大船渡市との境にある氷上山の南に東滝があります。
この名前は氷上村といわれた時代に竹駒町にある西滝と区別するために命名されたといわれています。
※参考文献:陸前高田歴史探訪(発行者:陸前高田市)

昨日の大雨のため、滝までの道はひどくでこぼこです。また、熊も出る可能性がある所なので少し怖いです。

150901_s08.JPG150901_s09.JPG東滝は普段は水量が少ないのですが、昨日の大雨が幸いして、
今日は迫力ある水しぶきを見ることができました。
滝壺には、寛政年間(1789年~1801年)に建立された不動明王像があります。
地区の有志の方々が整備した後だったので、美しい風景を見ることができました。
ありがとうございます。

150901_s010.JPG150901_s011.JPG150901_s012.JPG150901_s013.JPG150901_s014.JPG佐々木高志

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お盆休み

ブログの更新に数ヶ月、間が空いてしまいました。
1月に入院し、2月に脳腫瘍摘出手術、3月に放射線治療、その後4月に退院しました。
それから親戚のところに仮住まいさせてもらい、
1ヶ月に1回は診察と検査か抗がん剤の投薬で通院していました。
それ以外に、リハビリテーション専門の病院に週2回通院してリハビリに取り組んでいます。
また、販売に関する資格の勉強もして、7月には受験してきました。結果はまだわかりませんが、
自己採点ではギリギリのラインの得点で微妙なところです。
防災に関するセミナー・見学ツアー、福祉関係のワークショップ、
都内の観光など外出も頻繁に行い充実した生活をさせてもらっております。
放送当時は心情的にも見られなかった「あまちゃん」もDVDで本当に楽しく拝見しました。
地元の状況についても、ニュースやネットで知るだけで、もどかしい思いでした。
被災地出身で今は地元を離れて暮らしている方は、
こんなもどかしい気持ちなのかと少しだけ分かった気がします。
改めて、現地から発信される明日へブログとは大切なのかなと思います。

8月12日、お盆ということで2週間ほど陸前高田へ帰ることにしました。
昼の高速バスは1日がかりです。到着した翌日にはお墓参りに行きました。
子供の時は家族5人で来たものですが、今は父と2人だけです。
その後、天気の良い日に高田町のかさ上げ工事の状況を写真に収めてきました。

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まずは、仮設住宅団地のある第一中学校を南に下り、元は商店街だった道路を歩きます。

150825_s02.JPG市営災害公営住宅の団地が見えます。

150825_s03.JPG写真左の浄土寺には我が家のお墓もあります。津波は本堂の床上まできました。

150825_s04.JPG更に東に歩くとBRT「高田高校前」駅とバス停があります。
南にはかさ上げ工事がすすむ風景が一面に見えます。

150825_s05.JPG見晴台に上ると、東にホテルと県営災害公営住宅が見えます。こちらはまだ入居が始まっていないそうです。

150825_s06.JPG歩いてきた道を振り返ります。最初は変わった景色に驚いてしまいました。
地元を離れているうちに、かさ上げがずいぶん進んだものです。

150825_s07.JPG150825_s08.JPG150825_s09.JPG土砂を運ぶために使われたベルトコンベアーも見えます。

150825_s10.JPG150825_s11.JPG南の広田湾を見てみます。防潮堤の工事も着々と進んでいました。

こうやって歩いていると、あの日の光景が脳裏に浮かびます。
早く工事が終わり、新しい町が見ることが出来ればと思いました。

佐々木高志
 

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挑戦の年

今年度は色々な意味で挑戦の年となりそうです。

(1)退院しました

報告が遅れましたが、4月9日に退院いたしました。
2月2日に開頭手術により、腫瘍の大部分を摘出し、3月の間は放射線治療をしていました。
その後は定期的に通院して、診察をしていただいております。
2か月に一度は抗ガン剤の点滴があります。1年以上通院することになります。
またそれとは別に、4月から3か月間、リハビリ専門の病院にも毎週通院しています。
退院後の数日は一旦陸前高田に帰り、また東京に戻り、
病院の手続きをして4月が終わったという印象です。

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陸前高田市 仮設住宅からの眺め

(2)入院中に励ましていただいた方

入院中、アドバイスと励ましの言葉をいただいた方がおります。
宮崎県の都城から来られていた前田直亜樹さんです。
入院途中からベッドが私の隣に移動してこられて、
前田さんから声をかけてもらったことがきっかけでお話するようになりました。
前田さんはページェント病、多発性硬化症、
脊髄小脳変性症(木藤亜也さんのノンフィクション書籍「1リットルの涙」と同じ病気)
という3つの難病をかかえています。
でも、暗い気分になっている私を明るくしてくださり、
リハビリについてもアドバイスをしていただきました。
沢山の元気をいただいた方です。

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(3) 福島の桜フォトコンテスト

4月12日は、友達に退院祝いということで食事に誘われ、食事後は東京駅近くで開催されていた、
第3回NHK福島の桜フォトコンテストを見てきました。
どれも素敵な写真でしたが、やはり最優秀賞の作品は圧巻でした。
写真の紹介文にあるQRコードをスマートフォンで読むと、
写真を撮った場所の地図が表示され便利です。

150507_s04.JPG150507_s05.JPG150507_s06.JPG
(4)東京と住田町で陸前高田の復興のために尽力されている大先輩のご兄弟

仮設住宅のサポートをされている一般社団法人さんのシンポジウムが都内の大学でありました。
ここには、私が日頃お世話になっている方が来られるということだったので、聞きに行きました。
柳下八七さんは、陸前高田の隣にある住田町にある中上仮設団地の自治会長を
当初からされてきた方です。
講演では「被災体験と仮設での住民のくらし」というテーマで仮設住宅での暮らし、
自治会運営のお話をされました。
客席には関東で陸前高田の支援活動を続けられている、兄の柳下東一さんがいらっしゃいました。
東一さんは復興支援イベントで陸前高田関係の物産販売をしたり、
震災当時からの地元新聞の記事を展示し解説する活動等を積極的になさっています。

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150507_s09.JPG150507_s10.JPG真ん中が柳下東一さん

そして震災後から、陸前高田市を支援していただいている
住田町の下有住地区公民館長の金野さんと、
住田町役場東日本大震災支援室室長の千葉さんのお話は、
陸前高田市の一市民として大変ありがたいという思いで聞きました。

(5)  あまちゃん再ブーム

BSプレミアムにて「あまちゃん」が再放送されていますが、
それに合わせて私もDVDであまちゃんを見ています。とても楽しいです。
ショートカットのイメージの強いキョンキョンもデビューしたての頃は
天野春子の若い頃のように聖子ちゃんカットだったのですね。

佐々木高志
 

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想いと敬意と感謝と共に

2月2日に脳腫瘍摘出手術を終え、1か月が経過しました。
手術は無事成功しました。写真は翌日のランチの様子です。

150310_s01.JPGただ、腫瘍が圧迫していた正常な脳細胞が影響を受けたため、左腕・口の左部分のマヒと、
言語機能についてリハビリを続けています。左腕に力が入らず、ひらがな・カタカナが書けず、
パソコンでのローマ字入力も時間がかかります。
障害者の方のご苦労が少しだけ実感できていると思います。
手術前に先生からお話をお聞きしていたので覚悟はしていましたが、想像以上に大変なことでした。
しかし、私は社会復帰を目標に退院後もリハビリを続けたいと思います。


また、腫瘍細胞の病理検査の結果が悪性だったので、
計画通り、抗がん剤と放射線での治療を2月末より開始しております。
自分の顔に合わせたマスクを着け、頭部をしっかり固定して放射線で腫瘍を叩きます。
私の脳腫瘍はグリオーマという種類で、正常な脳細胞に染み込むように存在していて、
外科手術で全部摘出できないのです。

150310_s02.JPG3月8日、陸前高田市では追悼式が行われました。
入院治療中ゆえ、東京を離れることはできませんので、
外出して自分なりの追悼をすることにしました。


私は震災で母を亡くしましたが、母は私が子供の頃、
司書として陸前高田市立図書館に長く勤めておりました。
そこで、東京都立中央図書館で開催している特別ミニ展示
「大津波からよみがえった郷土の宝―陸前高田市立図書館 郷土資料の修復展―」を見てきました。
母が手に取ったかもしれない貴重な郷土資料が
東京都立中央図書館の皆様のご支援のお陰で復旧した姿を拝見すると、目頭が熱くなりました。
東京都立中央図書館の司書の方のご説明もとても親切でした。
修復に関わった皆様、本当にありがとうございます。

150310_s03.JPG3月8日の午前中は、NHK放送センターで行こなわれた
「ふるさとの食 にっぽんの食 全国フェスティバル」に行ってきました。
福島の川俣シャモのメンチカツとスープは美味でした。

150310_s04.JPG150310_s05.JPG150310_s06.JPG150310_s07.JPG展示コーナーでは、東北に関する色々なブースがありましたが、
女川町復興推進課様がブログ「変わりゆく町並み」で紹介されていた
女川町の復元模型を間近に見ることができました。
女川の方々ひとりひとりの想いが感じられるようでした。

150310_s07_2.JPG
午後は、岩手県のアンテナショップで銀座にあるいわて銀河プラザで、岩手県主催の
“第72回いわて学講座 語り部によるお話し「震災当時の様子や被災地の今」”に参加してきました。
今回の語り部さんは釜石市の藤井静子さん(釜石観光ボランティア会 夢ふれあい隊 幹事)でした。
お話を聞いていると、震災の時に釜石で何があったか目の前で見ているような感覚になりました。
そして、「釜石の奇跡」と言われる小中学生の賢明な自主避難を見習わないといけないと思いました。
震災前からカイドをされていたとのことで釜石の鉄の歴史にも詳しく、
退院したら是非釜石に観光に行ってカイドをお願いしたいと思います。

150310_s08.JPG岩手県釜石市といえば、
明日へブログでは佐藤和香子さん、山崎祐香さん、小笠原大志さんが書かれていますね。


夕食は、近くにあるインド料理店に行きました。こちらの店のオーナーであるG.M.ナイルさんは
岩手県が大好きな方で「希望郷いわて文化大使」でもあります。
お店のお米には岩手県産を利用して下さっています。幸運なことに、
多忙なG.M.ナイルさんが20分ほど店に来られたタイミングに居合わせて、
直接御礼を言うことができました。もちろん、カレーは美味でした。

150310_s09.JPG150310_s10.JPG東日本大震災から4年目は、故人への想いと、懸命に活動されている地元の方々への敬意と、
支援して下さる方々へ感謝と共に、迎えたいと思います。

佐々木高志
 

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手術前日

150202_s01.jpg私の住む陸前高田は、東日本大震災によって有名になりました。
おかげ様で、様々なご支援ご協力をいただいております。心より御礼申し上げます。
また、様々な方が陸前高田の現況を伝えております。しかし、入院してしまい、
現場にいない私に何が出来るのかという問いに対する答えがすぐ浮かびません。

陸前高田に住んでいないのだけれど、陸前高田の復興の役に立ちたいと思っている方が
たくさんいらっしゃいます。震災後、やむなく陸前高田から市外に避難されている方、
ご自身や親戚が陸前高田出身で市外に住んでいる方、市外からいずれは戻ろうとしている方、
震災を機に陸前高田を知ってくださった方。
私は、復興とは被災者ひとりひとりが生きる道を取り戻すことと定義します。
そういう意味では、被災者の私が治療の難しい病気を患い、
市外からどのように陸前高田の明日に関わっていけるのかということをブログでお伝えすることで、
何かお役に立てればと思っております。


この原稿を書いているのは2月1日、脳腫瘍摘出手術の前日になります。
午前中は検査もないので原稿に集中できます。
夕方までには陸前高田から父が来る予定です。
先日は、東京では珍しく雪景色を見ることができました。
病棟では、岩手県盛岡市出身の看護師さんがわざわざ声をかけてくださって、
ありがたく感じました。岩手県に対する郷土愛が嬉しかったです。

150202_s02.jpg入院に際して、戯れに三国志の諸葛孔明が使用していたことで
有名な白羽扇を持参したのですが、院内のエアコン設定温度が高めだったので、
意外と役に立っております。写真で見ると、諸葛亮のような威厳が全く感じられません。
体重を測ると震災前に戻っており、ズボンのきつさで何となく察していたのですが
改めてショックであります。

150202_s03.jpgふと、看護師さんの慌ただしい声と足音が聞こえます。
どうやら入院中の患者さんが痙攣をおこされたようで、ストレッチャーで運ばれました。
私も経験がありますので、身につまされます。

私の病気はグリオーマのグレード3と診断されました。
統計上は、5年生存率が33%、10年生存率が10%となります。
2008年の段階では、グレード2でしたが悪性化したということになります。
今回は覚醒下腫瘍摘出といって、私の意識がある状態で、身体機能を確認しながら、
正常な細胞を傷つけないよう出来る限り腫瘍を摘出することになります。
ただ、治療の本筋はこの手術ではなくその後の抗がん剤・放射線治療にあります。
手術で腫瘍の中心部を取り、その後、正常な脳細胞に染み込むように増えた腫瘍を治療で叩きます。
それでも、腫瘍の増殖が止まらない場合は、口や半身が動かなるなどの後遺症を覚悟で
再度手術で広い範囲の脳細胞を摘出します。延命する条件に身体機能を失うというのは、
言葉では言い表せない不安があります。口・手・足の順番に機能を失う可能性があるとのことでした。
それでも、私は先に亡くなってしまった家族の為にも生きることを選択します。

手術の説明は丁寧で、全く心配していません。私は、手術中に先生方へ
自分の身体状況のフィードバックを確実に行うことだけに集中したいと思っています。
SNSからいただいた沢山の励ましのお言葉、誠にありがとうございます。
そして、父をはじめ私を見守り支えてくださる大事な方に感謝申し上げたいと思います。

佐々木高志
 

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2度目の脳腫瘍の再発

高橋久子さんの「2015年がスタート」を読みました。
私が2年前に見た日和山とあんどん松の写真が掲載されていて、懐かしく拝見いたしました。
日和山からの光景は、私が行った時とあまり変わっていないように見えました。
復興事業は大変だと改めて感じます。

私は2013年10月に2度目の脳腫瘍摘出手術を行い、2ヶ月に1回、画像検査をしておりました。
昨年11月の診察での結果は、腫瘍が再び大きくなっているという内容でした。
一番最初に手術したのは2008年。再発まで5年の期間がありましたが、
今回は1年しかもちませんでした。やはり、ショックではあります。
ということで、今年1月から親戚の家に近い病院に転院し、手術に向けて検査を進めることにしました。
今まで通った主治医の先生もとても信頼できる方で、大変お世話になりました。
1年前に再発した際の、その旨をお伝えしたらすぐ入院・手術をすることになりました。

12月は年賀状のシーズンということで、父の経営する小さな印刷会社も忙しくなります。
この月だけは、不安を抱えながらも仕事に専念しました。
おかげさまで、あまり営業できなかったのにもかかわらず、忙しく仕事できてありがたいと思いました。

1月は4日から上京して通院を続けました。
私の脳腫瘍はグリオーマという種類なのですが、PET検査でその悪性度を再度確認しました。

0127_1.JPG


その結果、グレード2と3の間という診断で、良性と悪性の中間という事でした。
他の箇所に転移もしておらず、悪性でもないということで、少し安堵することができました。
その時考えていたのは、昨年11月にニュースで報じられていた悪性の脳腫瘍で余命宣告を受けて
尊厳死を選択されたアメリカ人女性の方の事でした。ご本人はとても苦しい選択をされたと思います。
日程調整の結果、手術の日程は2月2日となりました。
しかも、覚醒下腫瘍摘出手術ということで、今までのように全身麻酔をした状態ではなく、
私の意識がある状態で身体機能を確認しながら、腫瘍を摘出することになりました。
この感想については、後日ブログに書きたいと思います。
あと、同ブログを書かれている関谷様(大槌町・吉里吉里)からも
励ましのお言葉を頂きました。ありがとうございます。
 

私事ばかりで、陸前高田の現状を紹介できないのが申し訳ないところです。
あまり市内も移動できないので、近くの写真を何枚か紹介させて頂きたいと思います。
今年、西日本は雪で大変ですが、太平洋沿岸の陸前高田は例年通り雪が少ないです。
下の写真は、私の住む第一中学校校庭内の仮設住宅ですが、
1月もこのように積雪はほとんどありませんでした。
0127_2.JPG

 

中学校から東を見ますと、本丸公園裏に整備している住宅用高台の工事現場が見えます。
ここは、高田城(城といっても地方豪族のお館)があった場所で、掘削すると遺跡がでてきますが、
遺跡調査のために工事の進捗が遅れていると聞いています。
0127_3.JPG

0127_4.JPG

次の写真3枚はJRのBRT(バス高速輸送システム)から撮影したものです。
0127_5.JPG
 

商店街があったところです。再び商店街とするためにかさ上げ工事がすすんでいます。
0127_6.JPG

 

写真右側の青いフードの覆われた建物は、建設中の高田高校校舎です。
その横に高校の体育館が見えます。山だった斜面も木が切られて整備されてきていました。
0127_7.JPG

このように、市内の施設の復旧は徐々にではありますが進んでいます。
ただ、被災者自身はそれぞれ復興のスピードが違いますので、
一概に復興が進みつつあるとは言い難いという思いもあります。

佐々木高志

 

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2014年の個人的な総括

陸前高田は岩手の内陸よりも降雪量は少ないところです。
しかし、12/22の早朝は少し雪が積もりました。
ただ、翌日には道路上の雪はほとんど溶けております。

141225_s01.JPG関谷晴夫さんの「ふるさと吉里吉里通信 師走号」を読んでいたら、
今年食べた大槌町の「新巻き鮭」の味を思い出して、また食べたくなりました。
香ばしくてとても美味しいのです。

さて、2014年も終わろうとしております。今年1年欠かすことがなかったことの1つに、
通院と「いわて復興塾」への参加があります。
月末の土曜日は「いわて復興塾」に参加するため盛岡市に向かいました。
2ヶ月に1回は脳腫瘍の経過観察と薬の処方の為の通院のため、
復興塾終了後はそのまま東京に行きました。
陸前高田から盛岡の会場まで、公共交通機関だと片道約4時間かかります。
東京までは、交通費を抑えるため、なるべく高速バスを利用しましたが、8時間以上かかります。
このように、この1年の月末は、移動時間が多かったのです。

夜行バスで早朝、陸前高田に着いたとき、このような虹を見たこともありました。

141225_s02.JPG「いわて復興塾」は、岩手県内の行政・大学・企業・民間が協力し合い開催した塾です。
定款には下記のように書いています。

(目的)
第3条 当法人は、東日本大震災津波からの復興という空前の大事業に
岩手県民総力を挙げて立ち向かっている今、
岩手の復興に関わる者が復興について分野や組織の壁を越え、自由な個人として教え合い、
学び合う場を形成し、復興のための知識・情報の一層の共有化を図りながら、
復興推進の担い手、岩手の地域づくりのリーダーを養成していくとともに、
復興の早期実現はもとより、東北の復興を日本の再生につなげていくことを目的とする。


私は、東京に就職して11年故郷を離れて生活して、
2009年に陸前高田に戻り、父の印刷業を手伝っておりました。
その時、一番痛感したのは自分がいかに故郷についての知識がないかということでした。
震災後も、陸前高田・岩手についてもっと知見を広げなければならないと考えていた中で、
「いわて復興塾」というものが開催されると聞き、
このような機会はまたとないチャンスでしたので参加しました。
ただ、2013年11月に脳腫瘍の摘出手術をしたばかりで
1月から1年間参加できるか正直不安ではありました。

塾は、いろんな方にお会いしたりお話を伺うことができ、とても有意義なものでした。
欠席するのは勿体ないと思っていましたら、振り返ると全12回の講義に参加していました。
そのご褒美でしょうか、最後の修了セレモニーには塾生代表として
ご挨拶させていただくことになりました。
私などで良いのか迷いましたが、このようなことは二度とないだろうと思い、
やらせて頂くことにしました。

141225_s03.JPG以下、私の答辞の内容です。
「本日は私たちのためにこのように盛大な修了セレモニーを開いていただきましてありがとうございます。
また、先程は塾長である達増知事の最終講義をうけて、胸が熱くなる思いがしております。
本当にありがとうございました。
  東日本大震災で、私たちは家や仕事、そして、大事な家族や仲間の命を失いました。
あの時から約四年が経過しようとしている今日も、眠っている時に、
忘れ得ない悲しみが心に滴り落ち続けています。
  そんな中、いわて復興塾という学びの場を設けてくださりました。
塾生には、被災した沿岸に住む人や出身の人をはじめ、
被災地支援していただいている内陸の人・県外の人が沢山集まりました。
震災前には、直接関わりのなかった人々が、組織の枠を超えて復興という目的のために、
共に学び情報を共有するこの復興塾はとても有意義なものでした。
 講師の先生方も、日頃なかなかお話を聞けることができない方々ばかりで、貴重な経験でした。
それは、今の私たちの活動や考え方に大きな影響を与えています。
 私たちは過去にも困難な時を過ごしてきました。
これから先も、困難な時を経験するでしょう。
しかし、いわて復興塾で経験した学びをこれからも継続し、
岩手の復興推進と地域づくりの担い手として行動していきたいと思います。
 最後になりましたが、ご来賓の皆様、講師の諸先生方、
いわて復興塾の役員・運営委員会の皆様、そして、塾長の達増知事、本当にお世話になりました。
また、講義の予定がございました菅原文太さんのご逝去につきまして、謹んでお悔やみ申し上げます。
塾生を代表し、ここでもう一度心から感謝の言葉を申し上げ、答辞とさせて頂きます。
本当にありがとうございました。」


最後に、知事さんと記念撮影です。
食べすぎで、私の顔とお腹がたるんでいるのがとても気になります…。

141225_s04.JPG

達増知事(右)と


 佐々木高志
 

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陸前高田のお茶

同ブログ内の小笠原大志さん(岩手県釜石市)の「陸前高田の花壇の移植」
を読みました。
とてもありがたいです。私の住んでいる仮設住宅は花壇のすぐ近くの中学校にありますので、
たまに見て和んでおりました。その花壇には、その地区に住んでいた方も関わっているのですが、
津波で家族を亡くしております。どのような思いで花壇の手入れをされていたのかと考えると、胸が痛みます。


私の関東の知り合いにのぼのさんという方がおります。被災地の支援をしてくださっている方です。
そののぼのさんが休暇をとられて、東北にマイカーで旅行に来てくださる際に、
陸前高田でのお茶会に招待していただきました。本来は逆なのですが、ありがたい事です。
陸前高田市内には自家消費用の茶畑が点在しておりました。
父の話では祖母も茶畑を作っていたそうです。今も茶畑がわずかに残っているところがあり、
「北限の茶を守る気仙茶の会」という団体が保存活動をしています。
招待いただいたお茶会は、この団体が主催する「気仙茶の花見とお茶会」というイベントでした。
茶畑を見るのは初めてです。
なお、気仙とは気仙地方の意味で岩手県陸前高田市・大船渡市・住田町のことを指します。

11月9日の朝、集合場所に行くと気仙茶ののぼりがありました。

141127_s00.JPG全員揃ったところで開会式です。
「北限の茶を守る気仙茶の会」の菊池会長のお話をお聞きします。

141127_s01.JPG最初に見学した茶畑です。茶の木が竹林に埋もれていたので、
会員の方とボランティアの方々で竹を刈って茶畑が見えるようになったそうです。

141127_s02.JPG茶の実とお花があります。栄養が取られてしまうので、
管理されている茶畑では見ることができないそうです。

141127_s03.JPG141127_s04.JPG写真右手前には茶畑、左奥にはゆずの木、右上には柿の木がある光景。これもいいですね。

141127_s05.JPG次に見た茶畑です。東日本大震災で津波をかぶり枯れてしまいましたが、
根は生きていたため、枯れた枝を切って新芽を育てているそうです。

141127_s06.JPGお茶会は気仙大工左官伝承館で行います。市内のお勧めの観光スポットの1つです。

141127_s07.JPGまずは館内で伝統的な製茶道具の説明をうけます。

141127_s08.JPGお茶会では、3種類のお茶をいただきました。まずは手もみ茶です。
会長さんがお茶を入れてくださいます。樹齢100年以上の木から摘んだお茶だそうです。

141127_s09.JPG141127_s10.JPGお茶は台湾式だそうで、細長いお椀から、おちょこぐらいの大きさのお椀にお茶を移し変えます。
飲む前に細長いお椀で香りを楽しみます。手もみ茶は野趣溢れる味でした。

141127_s11.JPG141127_s12.JPGつぎは紅茶です。とても香ばしい味です。

141127_s13.JPG141127_s14.JPG最後は煎茶です。最初の手もみ茶と比較すると、かなりまろやかな味でした。
同じお茶の葉でも、製茶工程によりこんなにも味が異なるのかと驚きました。

141127_s15.JPG141127_s16.JPG141127_s17.JPG私がこうして気仙茶をいただけたのも、「北限の茶を守る気仙茶の会」の会員の方々や、
京都の龍谷大学の生徒さんをはじめとしたボランティアの方々のご尽力の賜物と深く感謝いたします。
こうやって、気仙茶が気仙地方と内外の人々との
コミュニケーションの架け橋になっていけばいいなと思います。

佐々木高志
 

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敬老会と被災地同士のつながり

ブログを更新しようしようと思いつつも、晩秋になってしまいました。
先ほど、同じ「明日へブログ」井上淑恵様の“津波避難タワー完成”を読んだところです。
「そして…この避難タワーが使われることがないように、津波が二度とありませんように…。」
というお言葉に共感するとともに、重く感じられました。

(1)敬老会

9月15日は市内のホテルの敬老会に行ってきました。
仮設住宅自治会としてお手伝いのため同行しました。
先輩方は皆さんお元気で、私も頑張らないといかん!と思う次第です。

141120_s01.jpg141120_s02.jpgこの地域をつくり、支えてきたのはこの先輩方です。
復興に若者の行動力は不可欠ですが、「新しく…をやろう」を良いアイディアを思いついたつもりでも、
大抵は先輩方が既に実行済みであることが多いのです。
先輩方への敬意と、地域の経緯(歴史)を教えていただく姿勢は常に忘れてはならないと感じました。

(2)新潟県長岡市 旧川口町

10月12日、新潟県中越地震の被災地に行ってきました。台風19号が九州に上陸していた頃です。
今年の3月に“新潟県中越での見学と交流”というタイトルで
新潟県長岡市の新潟県中越地震の被災地である越後川口に行ったことを記載しております。
今回も、前回同様、「任意団体・新潟よろず医療会・チームませう」さんにお世話になりました。
代表の県立がんセンター新潟病院内科部長 今井洋介様、
新潟大学医学部保健学科 准教授 坂井さゆり様をはじめとしたチームの方々はとても親切で、
仮設住宅の住民の方もありがたく思っております。
新潟県中越地震から10年目を迎える新潟県長岡市では、いろいろなイベントが開催されておりました。
12日は到着後にまず「越後川口みらい会議第1部」に参加しました。
長岡市長さんのご挨拶の後、
講演「災害の記憶・記録をいかに未来に伝えるか~世界の被災地の試み~(国立民族学博物館 林勲男先生)」
を興味深く聞きました。

141120_s03.jpg141120_s04.jpg震災遺構についではいろいろな議論があります。
その場所にそのまま残せば、間違いなく後世の人々に自然の破壊力をダイレクトに伝えることができます。
未来へ残す警句としてはこれ以上の方法はないのではないでしょうか。
しかし一方で、見世物となってしまうことで、
家族・親戚・友人・お世話になっていた方をその場でなくした私には複雑な思いもあります。
また、その土地の用途による都合もあるでしょうから、一概に決めることができないのだと思いました。

141120_s05.jpg越後川口みらい会議の第2部で、坂井先生・今井先生・
NPO法人くらしサポート越後川口 代表理事の水落優様からアドバイスをいただいているところ。

141120_s06.jpg越後川口みらい会議の第3部で、皆さんと陸前高田音頭を踊る風景。

141120_s07.jpg翌日13日、新潟県中越地震の震央(震源地の真上)に行きました。
正直なところ、旧川口町で観測された震度7の揺れというのは想像できません。

12日の空いた時間に宿泊先の近くの施設で盆栽展をしているのを見かけました。
中では立派な盆栽が陳列されておりましたが、入口の正面には東日本大震災の募金箱が置いてあり、
これはお礼をせねばと主催者の方を探したところ、石坂富雄様という方でした。
写真手前の盆栽が石坂様の盆栽です。

141120_s08.jpg141120_s09.jpg141120_s10.jpg石坂様は5年前から趣味の盆栽の展示会の企画を温めていて友人にも話をしていたそうです。
盆栽が本当に好きなのだと感じると同時に、
被災地で苦労されながら地道に準備されてきた意思の強さがとても魅力的な方でした。
石坂様の家がある地区は災害危険区域に指定されてしまったものの、
1995年に建てた住宅はまだローンがあるので、
全員が高台移転した地区に1世帯だけで質素に住んでおられるそうです。
電気はあるものの水道はなく、山の水を利用しているとの事でした。
かれこれ1時間ほどお話をうかがいました。
石坂様も被災者でありながら東日本大震災の被災者のことを
気にかけてくださっていることがとても有難かったですし、石坂様も東北の私と話せて喜んでいるようでした。

佐々木高志
 

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夏の祭りと観光

(1)気仙町 けんか七夕(8月7日)

「明日へブログ」で同じ陸前高田市の菅野さんが高田町の「うごく七夕祭り」を紹介しておりましたので、
私は気仙町の「けんか七夕祭り」を紹介したいと思います。
この祭りは寛永年間(1624-43)からのお祭りといわれており、
平成9年には「無形民俗文化財」に指定されています。
2町内会(震災前は4町内会)の山車(だし)は長さ20m前後のスギ太棒(かじ棒)が取り付けられ、
短冊やボンボリ・アザフなどで飾り、笛や太鼓を演じながら町内を回り、
やがて勇壮なけんか太鼓が打たれると、
山車同士がぶつかり合い(けんか)を演じるダイナミックなお祭りです。
私は、昼間は仕事をしておりましたので、夜に見に行きました。

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けんかの準備中です

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両陣営が綱を引いて、けんかが始まりました。

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山車が激突した後は、勇壮なけんか太鼓が響き渡ります。

(2)玉山金山遺跡観光(8月24日)

宮城県北部・岩手県南部には金山遺跡が多数あります。
陸前高田にも複数ありますが、一番有名なのは竹駒町の玉山金山遺跡です。
今回は、玉山金山ガイドをされている佐々木道夫さんの案内で観光をしてきました。

140918_s4.JPG

観光案内図です。

140918_s5.JPG

途中、検問所跡がありました。ゴールドラッシュで華やかな時代があったのですね。

金山遺跡ということで、玉山温泉から上は許可がないと入山できません。
各遺跡や伝説の説明をお聞きしながら、
(運動不足の私には)険しい獣道を歩いていくと「玉山神社」が見えてきます。

140918_s6.JPG140918_s7.JPG歴史が好きな方には大変面白い観光場所だと思います。秋には紅葉も楽しめます。
詳細は皆さん自身でご覧いただければ幸いです。

また、玉山金山温泉から車で数分のところには、高田町を一望できるスポットもあります。
カメラで拡大すると、私の住む仮設住宅や、ベルトコンベアーが見ることができました。

140918_s8.JPG(3)第一中学校仮設住宅 納涼祭(8月30日)

名古屋のミュージシャンの方々の団体「がんばっぺし☆なごや」さんのご支援で、納涼祭を行いました。
「がんばっぺし☆なごや」さんには何度も「みんなで唄う音楽会」イベントで楽しませて頂いております。

140918_s9.JPG140918_s10.JPG焼肉と音楽でとても盛り上がりました。この場を借りて御礼申し上げます。
こういったイベントでの交流は、仮設住宅で先が見えずに不安な方々には大きな癒しとなっています。

(4)明日へ-支えあおう-「震災から3年半 若い世代は今」

NHK総合 9月7日(日)に放送された番組の実況現場にお邪魔してきました。
と申しますのは、出演したのではなく、
私がお世話になったこのブログ前担当者の方が来られてたのでご挨拶に伺ったのです。
また、番組の司会をされた畠山智之アナウンサーとお話をさせていただき、
震災当時の事や現状のことをお伝えしました。
被災地のことをとても心配してくださっていて、とてもやさしい方でした。

140918_s11.JPG140918_s12.JPG佐々木高志
 

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「ひと」と「まち」の移り変わり

梅雨もあけ、岩手の湘南と言われる陸前高田も暑くなってきました。
私は今年の7月で仮設住宅に入居して丁度3年になります。
仮設住宅は税金で建設されておりますので、日常生活を過ごせるようになったことについて
全国の皆様に大変感謝しております。
さて、今回は市内でのイベント紹介と風景の移り変わりについて書きます。

(1)第7回復興グルメF-1大会

7月13日、高田小学校校庭で第7回復興グルメF-1大会が開催されました。
この大会は岡山のNPO法人AMDAさんの主催で岩手・宮城・福島の仮設商店街が出店するイベントで
約3か月おきに開催しています。前回は宮城県七ヶ浜町でした。

140806_s01.jpg140806_s02.jpg個人的には福島県相馬市の「小女子あんかけ焼きそば」がおいしかったです。
小女子の香ばしさとあんかけの柔らかさと焼きそばが一体となった味です。

140806_s03.jpg優勝は宮城県気仙沼市の「ごろごろイチゴのかき氷」でした。入場者数は約3000人。
午後3時には強い雨になってしまった事がとても残念ですが、沢山の方が来て下さいました。
出店者の皆様は、ご自分のお店の運営だけでなく、
仮設商店街イベントの企画・運営や復興後のまちづくりに携っていてご多用な方が多いはずです。
その中で、自分の店を閉めて、大会に参加されていることはとても大変な事だと思います。
本当にご苦労様でした。

(2)私の勤める会社について

私の勤める会社は父の経営する印刷会社ですが、4月より市より提供して頂いた仮設店舗に移転しました。
5年はここで営業することができます。だいぶ広くなり、徐々に設備を整えながらがんばりたいです。
売上はまだまだ厳しいですが、地元の企業さん・商品をより効果的にPRすることで
貢献していきたいという思いで動いています。

140806_s04re.jpg140806_s05re.jpg(3)市街地の移り変わり

8月より、市内中心市街地の盛土工事が本格的に始まりますが、
現在の市内の風景を何点か紹介させて頂きます。

開通して間もない、大船渡と陸前高田を結ぶ自動車専用道路です。
隣の大船渡市までの移動時間が5分ぐらい短縮されました。140806_s06.JPG
高台の高田町大隅地区から見た市街地です、中央に建設中の災害復興住宅が見えます。140806_s07re.jpg
高田小学校隣りの浄土寺さんから見た市街地です。
写真手前は荒町地区で盛土工事先行区域となっています。140806_s08re.jpg
浄土寺さんから見た災害復興住宅です。秋には完成予定です。140806_s09re.jpg
 山から土を運ぶベルトコンベヤーです。これが高田町内に徐々に張り巡られていきます。140806_s10re.jpg
上の写真を拡大して撮影したものです。土の左に津波後も残ったビルが見えます。
このビルの屋上まで津波がきました。店主さんは屋上で助かっております。140806_s11re.jpg
造成工事の看板です。先行区域以外は3月から着手するようです。140806_s12re.jpg
市街地から復興公営住宅を見たところです。後ろに高田小学校が見えます。140806_s13re.jpg
ベルトコンベヤーは「希望の架け橋」と言われています。夜にはライトアップされる日もあります。140806_s14.JPG140806_s15.JPG
7月12日早朝、津波注意報が発令された時の写真です。
津波到達予想時刻に、海面に白くなっている箇所が見えて、足が震えました。140806_s16re.jpg
たまに、震災前・震災後の町内の写真をみることがありますが、
色々なことを思い出してしまい見ていられなくなることがあります。
しょうがないことなのかもしれません。

佐々木高志
 

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梅雨×校庭×共助

1)梅雨

陸前高田も梅雨に入りました。天気の移り変わりが煩わしくもあり、変化が楽しくもあります。
6月13日は数日続いていた雨がやんで美しい青空が見えました。

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(6/12 陸前高田市立第一中学校の仮設住宅団地)

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(6/13 am4:00第一中学校から高田町内を撮影)

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(6/13 am10:52 第一中学校から高田町内を撮影)

3枚目の写真をご覧下さい。雑草が生い茂った平野は、津波で失われた町の痕跡です。
そこにはアスファルトの道路だけが残っています。海岸には建設中の防潮堤が見えます。
左側には盛り土工事の土砂。
右上には気仙町今泉地区の山林から土砂を運ぶベルトコンベアが少し見えます。
8月から高田地区被災市街地復興土地区画整理事業の先行整備エリアの盛り土工事が始まり、
完了は来年11月を予定しています。
どのくらい盛り土されるかというイメージは次の写真をご覧いただけるとイメージがつくと思います。

0618_4.JPG

(高田町大石地区にて撮影)

写真の右上に看板があり、この赤いラインまで盛り土工事される予定です。
こうして見ると結構高いですね。先行整備エリアは主に商業地・文化施設が対象となります。
盛り土をした土地に新しい町をつくるのですが、うまくいけばいいと思います。
ただ、盛り土をすることで商店街や住宅の跡地や、そこに植えた花畑などが見えなくなってしまうので、
写真に残しておこうと思いました。

0618_5.JPG(高田町大石地区にて撮影)

0618_6.JPG

(高田町荒町地区にて撮影)

2)学校の校庭にある仮設住宅

私は中学校の校庭にある仮設住宅に住んでいます。
この仮設住宅は2011年4月に震災後最も早く建てられました。
初代の自治会長は地元の飲食店を経営する熊谷さんで、消防団としても重い責任を果たしてきた方です。
NHKの番組や書籍でも震災当時のことを語られています。
熊谷さんは早期に仮設住宅に入居したものの、親子で4畳半2部屋なので、
余計な荷物を置くスペースは全くありません。
また、震災の年には支援物資を沢山いただきましたが、仮設住宅と中学校体育館の避難所とで分配し、
その後で配布を行うという作業が毎日続いて大変だったそうです。

私たちも早く校庭を子供たちに返したいのですが、写真でご覧いただいた通り、
まだ土地の造成工事が途中で、私の住む仮設住宅でも約一割の方しか住宅を再建できていません。
住宅用の土地が整備されても住宅ローンが組めるか不安な方もおられるでしょう。
仮設住宅のある学校の校庭はいつから使えるようになるのという意見を聞くと、とても複雑な心境になります。

3)地元から地元への寄付

私が勤める会社では、大手ゲームメーカー様のご支援のもと、名作ゲームのキャラクターを利用して、
陸前高田に関する商品を1年半ほどネット販売させていただきまして、
その売上の一部を「高田松原を守る会」に寄付いたしました。
陸前高田と言えば「奇跡の一本松」が有名ですが、
その松は高田松原という昭和39年に陸中海岸国立公園に指定された海岸林の一本でした。
その高田松原を松食い虫から防除するなどの活動をしていたのが「高田松原を守る会」です。
今は、奇跡の一本松の子孫や、防潮堤完成後に植樹する松を育てています。

0618_7.JPG

(5/28 地元の一般社団法人SAVE TAKATA事務所にて)
右奥が「高田松原を守る会」会長の鈴木さん、右手前が副会長の小山さん
左奥が私で、左手前が神戸出身、支援で来られた歌手の榎ありささん

ゲームメーカーさんを紹介してくれたのは同級生で東京在住の写真家上田聡さん。
彼も震災でお母さんを亡くしていて、陸前高田の写真展を国内と海外12カ国で開き、
震災当時の陸前高田のすがたを伝えてきました。
私の勤める会社自体はまだまだ経営が厳しい状況ですが、
地元や近隣の市町村との間で互いに助け合う活動を広めたいです。

佐々木高志
 

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竹駒神社初午式年大祭

久しぶりの更新となります。
3月から4月にかけては年度末の仕事と引っ越しでドタバタしておりました。
私は、父が経営している印刷会社に勤めております。全員で4名の小さなお店です。
震災で全壊し、2011年7月ぐらいからプレハブの店舗で営業していましたが、
今年4月より独立行政法人中小企業基盤整備機構様の仮設施設整備事業による
仮設店舗に引っ越しました。弊社の申し込みが遅かったのでこの時期となったのですが、
市内では一番遅い方だと思います。
当初は水道もなく仮設トイレだったプレハブの事務所と比較すると
とても快適に仕事ができ、本当にありがたいです。

140507_s001.jpg

引渡し式直後の仮設店舗(2014/3/6撮影)

市内では、イベントがいろいろ開催されているのですが、
持病の関係で移動がままならず、紹介しきれないのが残念です。
今回は4月19日に開催された竹駒神社初午式年大祭を紹介させていただきます。

140507_s002.jpg

140507_s03.JPG陸前高田市竹駒町には玉山金山遺跡があります。この金山は天平年間(729-49)に
僧の行基によって発見され、東大寺の大仏や岩手県平泉の中尊寺金色堂をはじめ、
多くの殿堂等の建立に多大の貢献をしたと伝えられています。
竹駒という町名の由来については、奥州平泉の藤原清衡が中尊寺金色堂を建てるとき
玉山金山を経営し、その折に玉山神社と竹駒神社を祀ったので、そこから竹駒と
呼ぶようになったと伝えられています。最盛期は金山で働く人や商人の町があったとされ、
当時の盛況ぶりを偲ばせる遺跡や記録があります。
このように、竹駒は陸前高田の歴史からも重要で興味深いところなのです。

140507_s04.JPG140507_s05.JPG竹駒神社の大祭は地元では七年祭ともよばれており、(数え年で)七年に一度開催されています。
午年(うまどし)が本祭で、中間年の子年(ねずみどし)に中祭を開催しているそうです。
震災後初めての開催となります。竹駒町は海に面していないのですが、
気仙川を遡上してきた津波により甚大な被害をうけた地域です。
現在は、市内の商業地の中心となっています。お祭りの開催には、
震災後から竹駒に様々な支援をいただいている逗子の方々の姿もありました。
ありがたいことです。お祭りでは大名行列や梯子虎舞(はしごとらまい)、
地元の方々の踊りなどが披露されてとても賑わっておりました。

140507_s006.jpg140507_s007.jpg140507_s008.jpg140507_s09.JPG
佐々木高志
 

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新潟県中越での見学と交流

東日本大震災から3年が経過しました。
家と会社を被災した私は、陸前高田の魅力を沢山の方々に知ってもらえるよう頑張っております。
住まいは仮設住宅で、経営者である父は更に借金をして会社を再建していて
私が雇ってもらっている状態。
決して楽な状況ではありませんが、
地域全体の復興も10年・20年の長期に渡るであろうと私は考えています。
これからも、ご支援を頂いたことが縁で知り合いになった方々と相互交流を深め、
長期的な視点で物事に取り組んでいくつもりです。
ただ正直なところ、この非日常的な環境では精神的に不安定になることもありますし、
脳腫瘍がいつ再発して余命がいつまでなのかと思うと何もしたくなくなる時があるのも事実です。
しかし、逃げることもできないし出来ることを行って前へ進むしかないという気持ちでいます。

3月1日と2日は新潟県へ見学と交流の旅に行ってきました。
今年は新潟県中越地震から10年目となります。
新潟県中越で復興に関わっている方々から直接お話を伺える貴重な機会です。

話のきっかけは、「非営利団体オープンハートの会」の代表の古市佳央様です。
古市さんは事故による大火傷で大変ご苦労をされていて、
同じように辛い境遇の方の力になり助け合あえるよう会を設立したそうです。
その古市さんが「任意団体・新潟よろず医療会・チームませう
(代表は県立がんセンター新潟病院内科部長 今井洋介様)」を紹介してくださいました。
「チームませう」の皆様は何度も仮設住宅に支援に来てくださっていて、
さらに今回の交流会まで提案・実施してくださいました。
出発は朝の6時。仮設住宅からは22名が参加しました。

140320_S01.JPG新潟市内で食事をした後、第二回「東北からの贈り物」連続講演会の交流座談会に参加しました。
主催は「新潟大学医学部保健学科・坂井研究室
(成人・老年看護学(緩和ケア学)准教授 坂井さゆり様)」さんです。
第一部は地元のお寺のご住職さんが避難所となったお寺について講演されていて、
私たちは第二部の交流座談会「陸前高田の皆様と中越の皆様」から参加しました。
交流の前に仮設住宅で支援団体の方々との仲介役をされた菅野さんの講演がありました。
私は、プロジェクターに画像を表示するお手伝いを行いました。

140320_S02.JPGそのあと、「NPO法人くらしサポート越後川口(代表理事:水落優様)の活動をお聞きしました。
中越震災後も10年間、市民と行政の間の橋渡しと地域活性化をされてきたお話を聞いて
活動年月の長さへの驚きと、地元でもそのような仕組みの必要性を感じました。
講演の後は6人単位で分けられたテーブルに移動し、私は震災時のお話をして、
中越の方からは地震と豪雨での水害についてお話を伺いました。
家の1階が浸水し2階に避難して助かったという話は、津波被害と共通しています。

講演のあとは、越後川口(長岡市内)のホテルに移動して支援団体の方々と交流会を行いました。
交流会の冒頭では、仮設住宅の佐々木栄さんがつくられた竹トンボとボトルシップをお渡しして
大変喜んでいただきました。
竹トンボには仮設住宅の人のメッセージが書かれています。

140320_S03.JPG交流会の進め方ですが、お坊さんがほら貝を吹くと
中越の方がテーブルを移動していろんな方とお話する形です。
私は、どのような活動をされてきたか質問をさせて頂きましたが、
復興とそれに伴う地域活性化には長い年月がかかっている事と
相互の調整が大事なのだと感じました。
最後に、全員で高田音頭を踊り親交を深めました。
私は踊りが苦手なので見るだけでした。この日はこのホテルで宿泊しました。

140320_S04.JPG越後川口に来てまず驚いたのは積雪量です。
新潟市では雪は見かけなかったのですが、いつの間にか豪雪地帯になっています。

140320_S05.JPG2日はまず「川口きずな館」に見学に行きました。
館内では新潟県中越地震の震源地であった越後川口の中越大震災記録年表が
壁いっぱいに展示されてあります。

140320_S06.JPG館内では東日本大震災の被災地の商品も陳列・販売していました。ありがたい事です。

140320_S07.JPGつぎは、山古志に移動して「やまこし復興交流館 おらたる」に行きました。
館内には山古志の震災前の美しい風景写真と震災時の写真、住民の方々の言葉が展示されています。
それをガイドさんが丁寧にご説明して下さいます(写真左オレンジのジャケットの方)。
地元出身の方で震災時は関東に避難していましたが
お子さんの山古志に戻りたいという言葉に心動かされて戻ってこられたそうです。

140320_S08.JPG館内の一室には山古志の白い模型があり、
プロジェクターが上から映像を投影して震災時の様子を写し出します。

140320_S09.JPG今回の越後川口・山古志への見学と交流会は、
復興のプロセスで調整役となる組織が必要になること、震災の記憶をどのように残していくか、
継続して取り組むことになる課題は何かという点で大変参考になりました。

最後に、新潟・越後川口・山古志の皆様が東日本大震災の際に
いち早くご支援して下さったことにこの場を借りてお礼申し上げます。


佐々木高志

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通院・仮設住宅集会所での出来事

(1)通院での光景

2月3日は喉の痛みがひどかったので、
会社を休み市内の岩手県立高田病院に行ってきました。
この病院は陸前高田市の平地にあったため、震災で甚大な被害をうけました。
その後、高台で再開した病院です。

140227_S01.JPG午後から通院したのですが、1時間ほどで診察・会計が終わりました。
病院の近くには3軒ほど薬局があるのですが、
病院内で処方箋を薬局にFAXしてくれるサービスを無料で行っていて驚きました。
高齢者の方には薬局での待ち時間が短縮されて便利ですね。
薬局までは徒歩で2~3分かかるのですが、
途中このような緊急時の避難場所を示した看板がありました。
看板に記載されている薬局は震災後にできたので、
震災後に地区の方が看板を製作したのでしょう。

140227_S02.JPG私は、薬局で薬を受け取った後、避難場所となっている雷神宮に行ってみることにしました。
病院がある米崎町はりんごの産地で、道路沿いにもりんご畑があります。

140227_S03.JPG雷神宮に行く途中の風景です、りんご畑の奥に浸水区域の高田町、広田湾が見えます。

140227_S04.JPG雷神宮につきました。水道・流し台も設置されています。
この地区の方の防災意識の高さを感じました。

140227_S05.JPG140227_S06.JPG140227_S07.JPG病院と薬局の間に、道路沿いの用水路に水車と人形があって、とても気になりました。

140227_S08.JPG水車をいじっている方にお話を伺いますと、個人で作られているそうです。
この時は水車の調整をされているとか。奥の人形も動くそうです。
楽しそうなので、動いているところを見てみたいですね。
病院の近くにはJRの高田病院駅(BRT)もあります。
冬の期間はルート変更がされていて使われていないようです。

140227_S09.JPG何気ない地方の光景なのですが、散歩してみると発見があって面白いですね。

(2)仮設住宅にて

2月9日。大雪で関東は大変な時期でした。
陸前高田も雪が降りましたが自治会の方・有志の方が雪かきをして
仮設住宅前は不便なく歩ける状態です。

140227_S10.JPG雪かきの後、集会所に行ってみると手巻き寿司パーティーというイベントを行っていたので
覗いてきましたが、皆さん楽しそうでした。

140227_S11.JPG140227_S12.JPG140227_S13.JPG140227_S14.JPG2月10日は19時から仮設住宅自治会の班長会議でした。
班長会議は月に1回のペースで開催しており、
自治会からの連絡・仮設住宅での情報共有をしております。

140227_S15.JPG今回の議題の1つに「山古志村交流会について」という項目がありました。
私どもは、新潟県長岡市の医療支援団体様からもご支援をいただいておりましたが、
このたび、山古志村の方々と交流会をして頂くことになったのです。
2004年10月23日の新潟県中越地震での体験・教訓を私もお聞きしたいので
参加することにしました。
この報告については後日のブログで記載したいと思います。


佐々木高志
 

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あまちゃんとアマノミクス 

1月26日は「いわて復興塾」の第1回講義に参加してきました。
第1回講義の課題提起は「復興の現状と課題」です。
これは、復興計画の立案に関わった方や復興事業の最前線にいらっしゃる方のお話を聞いて
岩手県の復興についての理解を深めるもので、勉強するつもりで参加を申し込みました。
講義も大変有意義なものでしたが、本題は「いわて復興塾」についてではありません。

講義がはじまる前、「関西あまちゃんオフ会」の代表の方々から、
「いわて復興塾」塾長である岩手県知事の達増さんへ
「関西のあまちゃんファンの寄せ書き」の贈呈式がありました。
「関西あまちゃんオフ会」は関西の「あまちゃん」ファンの方々の集まりです。
私はとても楽しく拝見いたしました。

140217_ST01.JPG下の写真右が達増知事です。あまちゃんと岩手に対する思いを熱く語っていました。

140217_ST02.JPG140217_ST03.JPG寄せ書きの贈呈式。
その中で、私が心打たれた言葉を紹介いたします。
・「関西あまちゃんオフ会」中森明夫さんの提言。
  「地元を作ろう」という言葉が、今後の指針になる。
  好きになった所が地元。「好き」が地元を作る。
  これが全国で進めば、地方から、日本は変わる。
  「あまちゃん」の続編は、日本中の「地元」で作られていく。

・「関西あまちゃんオフ会」中川大地さんの提言。
  「あまちゃん」続編をNHKに待望せず、僕たち自身が、
  あまちゃんをベースとした二次創作コンテンツや交流を、
  自分のできること・やりたい表現で創りだすこと。
  つまり、「あまちゃん2」以降は宮藤官九郎さんではなく僕らが創り出し合い楽しむ!

・達増岩手県知事。
  地方の「あまちゃん」ファン同士が直接つながるのは、
  復興支援で地方自治体同士が直接つながるのに似ている。
  地方間の人と人とのつながりがネットワーク状に広がり、
  集権的ピラミッド型日本とは別の日本が形成されていく。

<アマノミクスとは>
達増岩手県知事が提唱した言葉。
郷土料理・地方鉄道・地域産業や祭りなどの地元の宝物を
「海女」のごとく採ったり掘り出したりする人の姿を、
テレビやインターネットを通じて知った人がファンとなり、
相互に交流を深めることで地域振興に繋がるという
「好き」であることを支柱とする活動・取り組み。

「アマノミクス」は、陸前高田でも震災後にご支援頂いた全国の方との間で広がっています。
地元ではありふれた風景・古跡が、支援で来られた方から見ると
とても美しく貴重なものであることを私が教えられることが多々あります。
山・川・海と豊かな自然の風景、市内の寺院・民家に点在する観音様、
歴史上大きな役割を果たしてきた金山跡。
地元の「あまちゃん」となることが、地道な復興につながるのではないかと私は考えています。

140217_ST04.JPGこの写真は佐々木家の氏神様です。津波の被害を辛くも免れました。
その前は県立高田高校があった所です。普段はあまり気にしていないのですが、大事にしたいです。

佐々木高志
 

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全国障害者スポーツ大会2013

今回は、昨年10月の出来事にさかのぼってお伝えしたいと思います。

前々回のブログで書いた通り、
私は2回目の脳腫瘍摘出手術成功後の10月末に退院しました。
入院中、まず何をしたかったかというと、肉を食べたいという思いがありました(笑)。
病院食も美味しかったのですが、肉厚で濃厚なステーキが食べたかったのです。
そして退院が待ちきれず直前に外出し、その足で向かったのは日本橋駅近くのお店でした。
対応して下さった店員の武田さんという方の頭の傷が自分とそっくりだったので
気になりお声掛けしてみると、以前事故で頭に重傷を負って回復されたのだそうです。
私の病気のことも話したところ心配して下さって、帰る前に記念写真を撮影させてもらいました。
もちろん、ステーキも美味しく頂きました。

140203_ST01.jpg退院後、調布市で
「スポーツ祭東京2013/第68回国民体育大会・第13回全国障害者スポーツ大会」
が開催されたので観戦してきました。
イベントの看板冒頭に「東日本大震災復興支援」というタイトルを付けて頂いています。

140203_ST02.jpg(2013年10月14日撮影)

観戦のきっかけは私自身が病気と共に生きなければならない立場になることで、
障害を持っている方の活動に関心を持ったことです。
陸前高田市としても復興計画の中で
「ノーマライゼーションという言葉のいらない」町づくりを目指しています。

会場にはパネルが展示してあり、障害者スポーツについて紹介されていました。
スポーツというのは障害の有無に関わらず大事であることがわかりました。

140203_ST03.jpg140203_ST04.jpg会場を歩いていると、偶然にも岩手県代表の方にお会いしました。

140203_ST05.jpg写真右の菊池凌選手は卓球で銀メダルを獲得されたそうです。おめでとう!
地元の方にお会いできて嬉しかったので記念写真をお願いしました。
左の方は岩手県選手団コーチの新沼さんです。

140203_ST06.jpg競技場では陸上競技を観戦しました。
この写真は視覚障害部門で、2人が並走しています。
オレンジ色のゼッケンは伴走者です。

140203_ST07.jpgこちらの写真は、車椅子使用者の方の部門です。

競技では「レーサー」という競技用車椅子が使われています。
展示場では「レーサー」の紹介コーナーがあり、
私も乗ってみたのですが想像以上に腕力が必要でした。
なかなか乗る機会がないので貴重な体験でした。

140203_ST08.jpg障害あるなしに関わらず、
選手の皆さんが分け隔てなく一緒に競技・観戦・応援している姿がとても印象的でした。


佐々木高志
 

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私の身近な風景

おはようございます。

陸前高田市に住む私は、全国の皆様のご支援のお蔭で、
無事に新年を迎えることができました。本当にありがとうございます。

2011年7月に仮設住宅に入居して3回目の冬となります。
まだ「あけましておめでとうございます」と言ってもいいのか躊躇する気持ちも正直あります。

私は、昨年12月25日に病気療養していた東京から陸前高田に戻りました。
家業が印刷業なので早速、年賀状印刷の仕事を30日まで行いましたが
久しぶりの仕事でうれしいながらも忘れていることもあり、時間がかかってしまいました。

岩手県陸前高田市は、NHKの連続ドラマ小説「あまちゃん」で有名になった
岩手県久慈市よりだいぶ南に位置しており、お隣が宮城県気仙沼市となります。
岩手県の県庁所在地である盛岡市や内陸地方は降雪量も多いのですが、
沿岸地方は比較的気温も高く降雪量は少ないです。

140117_S01.JPGこの写真は私が住む仮設住宅です。
この道は、昨年7月5日に天皇皇后両陛下がご訪問時に歩かれた場所です。
私も両陛下をお迎えさせて頂いたのですが、
皇后陛下に直接声をかけて頂いて感激したのを覚えております。

140117_S02.JPG次の写真は北側です。奥には中学校が見えます。
ここは中学校の校庭にある仮設住宅なのです。

140117_S03.JPG駐車場に行くと、狭い道路で中学生がクラブ活動をしている姿が見えます。
仮設住民としては申し訳ない気持ちです。

140117_S04.JPG中学校は高台にあり、西側にある坂を下ると国道です。
撮影した時は、前日に雪が降ったために凍結して「つるつる」でした。
気を付けて歩かないと転びそうです。写真右上は高速道路を工事しているところです。

140117_S05.JPGこちらの写真は、南方向を見たものです。
左上には陸前高田市気仙町の山を切り崩して高台移転用の住宅地を整備している様子が見えます。
木も切られて、日ごとに市内の地形がどんどん変わっていきます。
徒歩で行動できる範囲内にコンビニもできていて便利になりました。

140117_S06.JPGこちらは、私の職場です。
プレハブの事務所で仮の仮の事務所という感じで、今年には移転する予定です。

140117_S07.JPG

事務所からの景色

服用している薬のために車が運転できず、身近な写真だけになってしまいましたが、
私はこのような場所で生活させてもらっています。ありがたいと思います。

ブログのネタは昨年からだいぶ蓄積しているのですが、更新できずにいました。
今年のブログは時系列が前後してしまいますが、テーマごとにも書いてみたいです。

どうぞよろしくお願い致します。

佐々木高志

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脳腫瘍による入院 

前回の続きです。
2008年4月に脳腫瘍が再発し、9月24日に前回手術した東京の病院に入院、
10月1日に開頭摘出手術をしました。
脳腫瘍はグリオーマ(グレード2)という脳細胞自体が腫瘍化したものです。
正常な細胞と腫瘍との境界が判別しにくいために腫瘍の全摘出をしようとすると
後遺症が出てしまう恐れがあり、腫瘍は一部残していました。
そのため再発する可能性はありましたが、思っていたより早くの再発、
ガッカリしたというのが正直な気持ちです。
幸いなのは、腫瘍は転移しておらず前回同様大脳の外側で外科手術しやすい場所にあることでした。

131126_s01.jpg手術では腫瘍の8割を摘出し、経過も良く10月中旬には退院できそうでしたが、
入浴中にけいれん発作ののち意識を失うというトラブルがあって、様子を見ることになりました。
頭を洗っていたところ、急にガクガク口がけいれんしたので、
目の前の呼び出しボタンを何とか押したところで意識を失いました。
気が付くとストレッチャーの上に寝かされていてCT検査の為に運ばれているところでしたが、
酷い頭痛がして辛かったことをおぼろげに覚えています。
病棟のベッドに戻る頃には頭痛も収まり、ホッと安堵しました。
手術後、まだ脳のむくみが残っており、その影響でけいれん発作が起きることがあるようです。

このような発作がありつつも、なんとか10月29日に退院することができました。
しかし、退院直後は問題なかったのですが、
11月11日の夜の外食中にもけいれん発作が起きてしまい、
救急車で近くの病院に運ばれ応急処置をされたのち、
入院していた病院に再度搬送されて1日入院することになってしまいました。
素早く的確な対処をして下さった、ご一緒していた福島県郡山市の方と東京の方、
お店の方々やお食事されていた方々にも改めて深く感謝いたします。
その後は、服用する薬を1種類増やして様子を見ています。

病棟は4人部屋でしたが、動脈瘤で開頭手術された64歳の方が
よくお話して下さってありがたかったです。
また、福島県浪江町出身の方が数日入院されて、
震災後のご苦労のことや浪江焼きそばのことなどをお聞きしました。
80歳ですが退院後は奥様を介護される方や、
私と同い年で放射線と抗がん剤治療で大変ご苦労されている方もいらっしゃいました。
病院は考えさせられます。

131126_s02.jpg10月27日には退院前の試験外出ということで、
第28回在京陸前高田人会「ふるさとのつどい」に少しだけ顔を出してきました。
目的は、4・5月に両国駅前での信州善光寺出開帳両国回向院での
販売ボランティア支援の御礼を述べることです。
会場へは伯母さんと一緒に行き、会長さんや事務局の方を紹介してもらいお礼を申し上げ、
物産販売を少し手伝って帰りました。
陸前高田市出身が東京在住の方で、郷土の支援をしたいという方は沢山おられます。
復興にはそのような方々のお力をお借りすることが不可欠であると私は考えています。

131126_s03.jpg佐々木高志
 

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伝えたいこと  

前回のブログの最後に書きましたが、
私は2008年に摘出手術を行った脳腫瘍が再発し、入院することになりました。
前回手術して頂いた先生にお願いしたところ、早急な対応をしてくださって
9月24日に入院し10月1日に手術することになりました。
手術前の土曜日は外出することにしました。

その9月28日、帝京平成大学池袋キャンパスにて、としまコミュニティ大学講座
「防災に向けて自分ができること〜東日本大震災の津波漂流体験から伝えたいこと〜」を受講してきました。
講師は宮城県東松島市の安倍淳さん、志摩子さんご夫妻です。
お二人はNHK総合テレビ「あの日わたしは〜証言記録東日本大震災〜」にも出演されています。

お二人は、川を7km逆流して奇跡的に助かりました。
最初は自宅と事務所と別れていたのですが、途中で近づいた時に事務所へ志摩子さんが移り、
事務所が砕けて板1枚で川の上流に流れ着いたそうです。
講演では、そのような壮絶な体験、数字に基づいた防災の説明、避難所運営でご苦労されたこと、
後世に伝えて二度と同じことが起きて欲しくないという想いと、
被災地から全国の方へ伝えたいことが全て網羅された素晴らしい内容でした。
また、あの震災を乗り越えてきた同じ戦友のような親近感を私は勝手に持ってしまいました。

131016_01.JPG131016_02.JPG講演の質疑応答では、ボランティア活動で陸前高田に来たという方がいらっしゃったので、
講演終了後、ご挨拶と御礼をしました。


9月30日は頭髪を剃り、手術の準備をします。
手術自体は前回のこともあるので全く心配していませんでした。
脳腫瘍の位置も大脳の外側で取りやすい場所にあります。
ただ、私の脳腫瘍はグリオーマという脳の細胞自体が腫瘍になったもので、
腫瘍と正常な脳の境界は識別が困難で全部摘出することは不可能です。
可能なだけ摘出して頂き、腫瘍を病理検査して今後の治療方針を決めることになります。

131016_03.jpg10月1日、家族親戚に見送られながら手術室に向かいました。
5年前は集中治療室に持っていく荷物について母と口喧嘩しながら向かったのですが、
今回は母も弟もいない。寂しいです。
手術台に横になると、すぐ全身麻酔です。この時だけは緊張します。
が、次に目が覚めると集中治療室のベッドの上で、先生と家族親戚が私のことを見ていました。
手足は先生がおっしゃるとおり問題なく動き、手術は成功したんだとぼんやり思いました。
父は最初私に何か語りかけていたらしいですが、
全身麻酔でボンヤリしていたようで、申し訳ないことに覚えていません。
その後17時から翌日10時まで集中治療室のベットで横になっていましたが、
どんな姿勢になっても腰がとても痛く、忍耐力が試されるとても長い時間でした。
鎮痛剤も効果なく、終始ウンウン唸っていました。
病室に帰ってお昼ご飯を食べた時は、頭の手術痕が腫れて痛んでいましたが、
腰痛が楽になったことに一番安堵していました。

佐々木高志
 

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気付かされたこと

陸前高田市では東日本大震災で事業者の8割が被災し、街としての機能が失われました。
現在は全国の皆様からの多大なるご支援、ご協力のおかげで、
日常生活を送ることができるように仮復旧した状態です。
これから街づくりをしていくにあたり、私達住民が何を大事にするかという点は、
ご支援頂いた皆様からも関心をもって見られていると思います。

8月31日、市役所で行われた「障がい者のためのノーマライゼーション研修会」に参加してきました。
私は下記のようなことをメモしています。

・国内で障がいをもった方は7%の800万人と最も多いマイノリティで、誰もが通る問題。
   社会や街をつくっている上で大事なヒントとなる。

・障がいでなくした体は変えることはできないが、社会環境は人為的に変えることができる。
   障がいの有無に関係なく住みやすい社会環境づくり。

・障がいを持つ方は外出に苦慮している。
   自家用車で買い物に行く際は近隣の障がい者の方を誘ってほしい。

130926_01.JPG130926_02.JPG9月7日、8日は奇跡の一本松近くの古川沼でご遺体遺留品捜索ボランティア活動に参加してきました。
今回は2回目となります。
古川沼は広田湾に面した高田松原海岸の近くにありましたが、震災後は海になってしまいました。
陸前高田市ではまだ216名の方々が行方不明となっています。
私の母と祖母は早く見つかりましたが、親戚や職場の先輩のご家族はみつかっておらず、
心の整理が出来ていない事と思います。
7日は大学、企業などの団体での参加が多く、
また戸羽市長さんが来られた方々に御礼のご挨拶をしていました。

130926_03.JPG130926_04.JPG朝礼が終わり作業現場に移動した後、砂を熊手で掘りながら捜索する作業を行いました。
近くで作業していた青年は神戸大学からきた木村さんという方で、
以前はこの辺りは海水浴場だったことをお話しました。

130926_05.JPGまた、この日は被災地で潜水捜索をされている門馬さんが作業をしていました。
潜水して水中を確認したのち、防潮堤工事をしている業者さんが重機で泥を書き出します。
土木業者さんが遺体捜索に協力していることも、もっと知ってほしいです。

130926_06.JPG130926_07.JPG 130926_08.JPG翌日は、建物の中の砂を掘り出して捜索する作業です。
トレーニングセンターだった建物は、震災前は防潮堤の内側にありましたが、
現在は海岸に面した場所になってしまいました。

130926_09.JPG130926_10.JPG130926_11.JPG私は、砂のバケツリレーで疲労困憊です。

130926_12.JPG前日から参加していた企業グループの中には
4月の善光寺出開帳両国回向院の物販で販売支援をして頂いた津田さんもおられました。
改めてお礼を述べるとともにグループの方に陸前高田についてお話させてもらいました。

130926_13.JPG作業の結果、携帯電話のような思い出の品などが見つかりました。
地道な作業ですが、市民として継続して参加したいと考えていました。
しかし、その夜に痙攣発作があり、病院で検査したところ
2008年に手術した脳腫瘍が再発したことがわかりました。
もちろんショックで落ち込みましたが、今は前向きです。
発作があったのは古川沼で遺体捜索をした日でした。
震災で亡くなられた方々が私の脳腫瘍が悪化する前に
「自分の体を大事になさい」と気付かせてくれたのではないかと思えてなりません。

ブログが更新される頃には既に入院して手術の準備をしていると思います。
手術後に更新したいと思います。

佐々木高志

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被災地めぐり  (宮城県亘理町・山元町・名取市閖上編)

8月7日は陸前高田市内で「けんか七夕まつり」と「うごく七夕まつり」が開催されました。
会社では「うごく七夕まつり」の会場でお土産販売のお店を出していて、
私は商品の搬送などをしておりました。

130826_01.JPG陸前高田市の七夕祭りは全国的にも特殊で、
七夕飾りをした山車を引いたり、ぶつけあったりと「動」の祭りとなっています。
楽しみにしている市民も多く、集客よりも自分たちで楽しむことに熱心な祭りと思っています。
山車は町内会単位で作るのですが、震災後は市内の仮設住宅団地に分散してしまい、
なかなか人が集まらないという状況で、祭りの準備をされた方々は大変ご苦労されたと思います。

8月10日から11日にかけては、宮城県の南の沿岸を見てきました。
近隣の被災地を直接見せていただくことで、考える視野を広げたいという目的があります。

まずは、亘理町の「鳥の海」です。
周囲には、全壊を免れつつも浸水した家がところどころに残っています。
家が取り壊されて何もない土地の隣に床上浸水した家がある光景というのは複雑な心境になります。

130826_02.JPG荒浜地区の鎮魂の碑で手を合わさせていただきました。

130826_03.JPG130826_04.JPG昼食は「鳥の海ふれあい市場」内の「フラミンゴ」さんで“とろ鮭いくら飯”を頂きました。
鮭がトロりとやわらかくて美味しい!
ご主人とも少しお話させていただきましたが優しい方でした。

130826_05.JPG130826_06.JPG次は山元町の渡邉正俊さんのいちご農園を訪問しました。
震災後、自力でビニールハウスを再び作り、
更に太陽光発電を利用したビニールハウスを増築された、いちご一筋のパワフルな方です。
お話を伺っていて本当にいちご栽培が好きなんだと感じました。
ご自身で栽培されたスイカを頂きながらお話をして、そのあとお花まで頂きました。
お盆に親戚知人に配るために栽培していたそうです。
余ったいちごを町内の保育園の児童に採らせる体験をさせるなど、
自分だけでなく周囲のことまで考える方だと心打たれました。

130826_07.JPG130826_08.JPG130826_09.JPGその後、山元町立中浜小学校近くにある千年塔に行き、手を合わせてきました。

130826_10.JPG11日は、名取市閖上に行きます。

閖上神社は日和山という小さな岡の上にあり、こちらから閖上を一望できます。
ここが住宅街であったとは想像できない風景でした。

130826_11.JPG130826_12.JPG近くには「閖上の記憶」という施設があり、
丁度、地元の語り部の方のイベントがあり、参加しました。

130826_13.JPG語り部のお母さんは丹野さんという方で、津波で息子さんを亡くされており、大変辛い思いをされていました。
丹野さんが代表の遺族会の働きかけで、
閖上中学校の構内には津波で亡くなられた児童の慰霊碑が建立されたそうです。
私も慰霊碑に刻まれた息子さんのお名前をさすり、手を合わせました。

130826_14.JPG帰る途中、閖上さいかい市場に寄ると、盆踊り大会の最中でした。

130826_15.JPGここでは、マルタ水産さんに寄り、お話を伺いました。
マルタ水産さんは、赤貝の手造り塩漬で農林水産大臣賞を受賞しております。
残念ながら貝類が食べられない私は断念したのですが、
カレイの一夜干しもとても美味しかったです。

130826_16.JPG技術力のある企業さんでも、被災というマイナスからの出発でご苦労されていました。
商品販売を再開しても、小売店の棚には大手他社の商品が陳列されていて
スペースを確保するのも大変です。
多額の設備投資もしていますし、これからも厳しい状況が続くのではということでした。
私も会社でこれからどうやって生き延びていくか考えている状況であり、
出口が見えない状況に暗たんたる思いになることがあります。
しかし、いちご農家の渡邉さんのように好きな仕事を頑張るしかないのかな、とも思っています。
宮城県南の沿岸の被災地は広い平野で、山が近くにある陸前高田は異なる地形でした。
内陸側の高台に避難するにも距離があり、避難中に亡くなられた方のことを思うと苦しくなります。
今後再び来るであろう津波では、被害が最小限に抑えられるよう切に願います。

130826_17.JPG渡邉さんから頂いたお花は、無事お墓にお供えすることができました。
写真は母方の祖母のお墓(永代供養)です。

130826_18.jpg佐々木高志

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被災地めぐり (宮城県女川町・石巻市・塩竈市・多賀城市編)

本題に入る前に陸前高田のイベントを紹介させてください。
8/7は、陸前高田市内でけんか七夕まつり(気仙町)とうごく七夕まつり(高田町)が開催されます。

130805_01.jpgこれは地区単位で七夕飾りを施した山車を制作し、
市民が長いロープで引っ張りながら町内を移動したりするものです。
山車の中には人が乗り、太鼓と笛による祭り囃子で盛り上げます。
「けんか七夕」は山車同士がぶつかり勝敗を競います。
しかし、祭りの開催は震災後年々困難になっています。
1つは、地区の町内会が震災によりバラバラになってしまい山車の制作・運営のための人が不足していること。
また、会場であった町が浸水区域で、土地整備工事の最中であることから
トラックの交通量が増し危険な点が多いことなど。
これらの問題を抱えながらも、有志の方が苦労されて開催する運びとなりました。

本題に戻ります。前回のブログの続きで、宮城県女川町からです。
「ママズサポーターズ」さんが運営している「うみねこハウス」。
こちらで「さんまnaたい焼き」を購入し、ぺろりと食べてしまいました。

130805_02.JPGお邪魔した記念に、私の勤める会社で企画・販売している風りんをお渡ししたところ、
喜んで飾って下さいました。
「うみねこハウス」では仮設住宅のお母さん方が製作している商品を販売しております。
私は会社でスリッパ代わりに利用できる布草履を購入しました。
これは実際に使っていますが、心地よい履き心地です。

130805_03.JPGある仮設住宅の区長さんのお話も伺いました。
こちらでも、まだ生きているウニを出して頂き、
申し訳ないと思いながらも生まれて初めて食べる新鮮なウニの濃厚な味に夢中になってしまいました。
醤油などの調味料を付けてないのですが、良い塩梅の塩味で美味しく食べられました。

130805_04.JPG区長さんからは、消防団活動でご遺体を捜索されたお話、今後の家業のお話、
地区の高台移転の話などを伺いました。
高台移転については地区の住民の合意が取れており、
移転先の具体的な地図が出来ているということで、
陸前高田より進んでいることから興味深くお話を聞きました。
 
蒲鉾本舗 高政さんの女川本店「万石の里」では、蒲鉾工場を見学しました。
高政さんは震災直後、出来立ての「揚げかま」を住民に無償で配ったそうです。
仮設住宅の区長さんもあの味は忘れられないと仰っておりました。
あの頃は、肉・魚はめったに手に入りませんでしたから、なおのことだと思います。
見学後は、笹かまをその場で焼いておいしく頂きました。

130805_05.jpg女川町のお隣は石巻市です。こちらでは、「がんばろう石巻」というモニュメントに行きました。
周囲は草原となっていて街があった場所とはとても思えません。
しかし、津波の高さを示すポールの高さが、被害の甚大さを物語っています。

130805_06.JPG石巻の方々の復興にかける強い意気込みを感じます。

130805_07.JPG道路向かいにはテントでお土産を販売されている方々がいます。
話をしてみると、もともとこの場所で衣料店をされていたそうで、
やはりここは街だったのだと思うと胸が痛みます。
また、石巻の商業も必死なのだと感じました。

130805_08.JPG帰りの途中、塩竃市のみなさんとお祭りも少し見ました。
何十隻もの供奉船が湾内に集まる景色はとても鮮やかです。

130805_09.JPG多賀城市では、平安時代から歌枕として有名な「末の松山」を訪れました。
百人一首でも「末の松山 浪越さじと」あり、今回の大津波でも越えなかったものの、
すぐ下の住宅地は浸水したということです。

130805_10.JPG現在は浸水の跡があまり見えません。
松山のすぐ下にある「スズキ酒店」さんのお母さんにお話を伺うことで、
ここまで津波が来たのだということを認識することができました。
「スズキ酒店」さんの店内には食品・日用品が所狭しと並んでおり、小さなスーパーのような感じです。
商品を見ていると福島産の桃や大船渡のさんまラーメンなど別の被災地の商品を扱っています。
同じ被災地として支援したいというお母さんの気持ちがとてもありがたく感じました。

佐々木高志
 

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被災地めぐり (女川編)

7月14日から15日にかけて、宮城県女川町に行ってきました。
同じ被災地である女川町を訪ねる目的は、3点あります。

・女川町で津波の犠牲となった方々に手を合わせたい。
・陸前高田と同じ被災地である女川町の状況を確認したい。
  それにより復興への手がかりを見つけたい。
・被災地で復興に取り組まれる方の姿を紹介したい。

陸前高田から車で出発し、ボランティア活動・復興支援活動で
お世話になっている方と石巻で合流後、女川に向かいました。
私は、女川に行くのは小学生以来となるのでボランティアで
女川に来たことがある方にガイド役をお願いしました。

女川に入ると、マリンパル女川という市場でちょうど「うに祭り」を
開催していて、駐車場も満杯という盛況ぶりでした。
新鮮な生うにが安かったのですが、当日持ち帰れないので断念しました。130724_01.jpgマルキチ阿部商店さんにて「リアスの詩」という昆布巻きを早速お土産に購入したところ、
阿部商店さんのお母さんから震災後に事業を再開した経緯など、お話を伺うことができました。

130724_03.jpg130724_04.jpg新鮮なうにも頂きました。まろやかな味にうっとりです。

お昼ということで、浸水区域を通過して「おかせい」さんというお店に行き女川丼を頂きました。
こちらも混んでいましたが、新鮮なネタを沢山使い、
さらに具たっぷりのあら汁も付いていて、おいしく頂きました。

130724_05.jpg

女川丼

130724_06.jpg2日間の滞在中、地域医療センター(旧町立病院)には2回行きました。

130724_07.jpg130724_08.jpg慰霊碑に手を合わせから、浸水区域を見回しました。
ここは高台にあり、津波が来ても大丈夫なように見えたのですが、
実際は旧町立病院の1階まで波が来たということを知って驚きました。
旧女川駅周辺も浸水しており、建物がほどんどなくなっていました。

130724_9.jpg

すぐ下には、土台ごとビルが横たわっていて、とても違和感があります。
被災地にいる私もこのような倒れ方は見たことがありません。
周囲の瓦礫は撤去されていますが、この建物が津波のおそろしさを語りかけてくるようです。

130724_10.jpgふと、魚を積んだトラックが通ると、ウミネコの集団がついていきます。漁港ならではの風景です。

130724_11.jpg敷地内には女川さいがいエフエムがあり、ご挨拶させていただきました。
ここはNHKのドラマの舞台にもなったところでご存知の方も多いと思います。

130724_12.jpgお話を伺うと、最近陸前高田災害FMを訪問されたそうです。
地域に密着した情報を提供する災害FMはこれから存続できるかどうか
課題であると聞いています。災害FM同士の連携が進み、
今後も存続できればよいなと私は思っています。

後日、女川に津波が襲った動画を見ました。
あの地域医療センターの駐車場の車が流され、港近くのビルが飲み込まれ、
とても恐ろしい光景としか言いようがありません。
しかし、この大津波が私自身の中でも風化しないよう、
私が逃げずに向き合わなければならないということを改めて感じました。

(つづく)

佐々木高志

 

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感謝を表現することについて

ブログの更新が遅くなってしまいました。
5月は心身のコンディションを崩してしまい、いろんな面に支障をきたしてしまいました。
やっと、少しずつリズムを取り戻しつつあります。

前回のブログで書かせて頂きました「東日本大震災復幸支縁 善光寺出開帳 両国回向院」での
両国長屋ストリートですが、4/27から5/19までの販売を無事終えることができました。
陸前高田からは14の法人・お店・プロジェクト・団体が参加して23日間を交代制で対応しました。

回向柱(えこうばしら)は陸前高田の気仙杉で作られています。私は手を合わせてお祈りしました。

130624_01.JPG私は、印刷会社勤務ですが震災後に物販をはじめており、
写真集・ポストカード・羊かん・風鈴を販売しました。

130624_02.JPG130624_03.JPG130624_04.JPG両国の南京玉すだれをブースの前で急遽行って頂いたのは面白いハプニングでした。
集客して頂いた上、集めていただいたお金を全額「奇跡の一本松保存基金」に寄付いただきました。

130624_05.JPG今回参加したお店は交通費・宿泊費・発送費と経費もかなりかかりましたが、
それ以上に価値がある成果を得ることができたと考えています。
まず、震災後から支援を頂いている関東の皆様に陸前高田の商品を直接販売することを通じて、
「お陰様で商業活動ができるまで復旧することができました」とお礼することができた点です。
津波により事業者の8割が被災した陸前高田市が、負けずに商業活動を再開し始めていますが、
支援として商品を購入頂いた事や沢山の募金を頂いたことを忘れてはいけないという気持ちを
一層強く思いました。

また、今回は両国駅前という立地で23日間販売するため、
販売する人手が地元だけでは足りずボランティアを募りました。
その結果、約70人の方々に助けていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
その中でも、関東在住で陸前高田出身の方々にも助けて頂いたことをとても大切に感じています。
在京高田人会の方々、同級生、関東にいる家族、
ウェブでの募集を見て応募された方々など沢山の方と交流することができました。
故郷のために何かしたいというお気持ちがとてもありがたく感じられました。

2月にこのブログでも紹介しました「陸前高田スタディツアー」に参加された方も来てくださいました。
河越さんという方とは、一緒にちゃんこ鍋をいただきながらお話をお聞きして楽しい時間を過ごしました。
この写真は河越さんから頂いたものです。

130624_06.jpg東京で働いていたときの先輩や、同級生も来てくれて、差し入れなども頂きました。
私が販売したのは3日間だけでしたが、大変濃い期間でした。
被災地と呼ばれるところに何年もいると、私は何だかどんよりした気持ちになり逃げたくなります。
しかし、今回の体験で勇気づけてもらいました。

佐々木高志
 

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