お知らせ

「現地発・明日へブログ」は、2016年5月を持って更新を終了いたします。
長い期間にわたりご愛読ありがとうございました。
ブログを書いていただいたみなさんにも現地の今を伝えていただき、ありがとうございました。
復興に向けた、喜び、悲しみ、様々な思いがよせられた貴重な記録です。

東日本大震災プロジェクト事務局

岩手県宮古市

宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 号外編

写真部3年 村上 和希

先日、AKB48の岩田華怜(かれん)さんが私たち写真部の部室を訪ねてきてくれました。
当日は和気藹々としたムードの中、岩田さんに私たち3年生の写真を見ていただき、大いに盛り上がりました。
岩田さん自身も写真を撮るのが好きということもあり、すべての写真にとても興味を示してくださって、
皆で喜んだり笑ったりしながら素敵な時間を過ごすことができました。
岩田さん、これからも写真好きでいてくださいね。
そして来て下さって本当にありがとうございました!!

私の活動は、10月の県高校総合文化祭への出品を最後に引退となります。
今回は笑顔が素敵な私の祖母をテーマに応募したいと考え、準備しているところです。
これまでの活動を振り返ると本当にあっという間だったように感じます。
初めの頃はただ写真を撮るだけ、といった感じでしたが次第に「見た人の心に残る写真を撮りたい」
「誰かにこの思いを感じ取ってほしい」と願うようになりました。
写真が私を成長させてくれたのだと思っています。

震災後約4年半が経過する中で、町の復興の様子もたくさんカメラに収めました。
カメラのレンズを通してみることによってわずかな変化にも気づくことができ、
一歩ずつ着実に復興が進んできていることが分かります。
しかしまだ道半ばであり、今でも傷の癒えない方々がおられます。
私は震災後、常に地元に目を向け写真を撮り続けることを心掛けてきました。
それは「震災そのものを風化させたくない。自分の撮った写真について後々まで語り続けたい。」
という願いからです。

写真と出会ったおかげで多くのことを知り、また人とのつながりを築くことができました。
言葉では表現するのが難しい思う感情も、写真の形で見る人たちに伝えることができたように思います。
写真を通じてできた友人たちと自分の中に培った自信は、これからもきっと変わることのない一生の宝物です。

私は卒業後地元の大学へ進学し、将来も地元で働きたいと考えています。
生まれ育った地域がさらに盛り上がるよう、力になりたいのです。
私はこれからも大好きな宮古市の写真を撮り続け、復興の担い手の一人として努力し続けていきます。

今、写真部に入部して本当に良かったと心から感じています。
部員のみんな、最高の日々をありがとう!

(写真3枚目:向かって右端が筆者)

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宮商写真部より、届け!この思い~高校生の視点から~ 第27回発信

写真部1年 吉田 繭

宮古市の松月浜と呼ばれる小さな海水浴場です。
ある日の土曜日にボランティア活動で浜の清掃にやってきました。
思った以上にゴミが多く、びっくりしました。
ささやかな活動でしたが、少しでもきれいな宮古をとりもどしていけたらいいな、と思います。

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写真部1年 山根 あかり

宮古市内は復興が進み、新しい建物も建ってきました。
しかし震災前よりも町が閑散とした印象を受けます。
以前に増してにぎわいのある町になってほしいという願いを込めて撮りました。

150716_02.jpeg150716_03.jpeg宮古商業高校写真部
 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第26回配信

写真部2年 大蔦 麻代

宮古市磯鶏です。少しずつ復興が進んでいますが、まだまだと思える部分もあります。
5月13日に東北地方で大きな地震がありました。幸いにも津波の心配はありませんでしたが、
改めて誰にも止めることのできない自然災害の怖さと、ある意味人間の無力さを感じます。
私たちにできることは少ないのかもしれませんが、できることを一つ一つやっていこうと思いました。

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写真部3年 中居 捷哉

宮古市磯鶏のヨットハーバーです。本校のヨット部もここで活動しています。
震災当時は艇庫もヨットも甚大な被害を受けましたが、
全国からの支援により従来どおりの活動ができるようになりました。
10月には、セーリング全日本大会が当地で予定されています。
いただいた支援への感謝を忘れず、宮古の未来に向け力になってゆければ、と思います。

150519_m02.jpeg
 

宮古商業高校写真部
 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第25回配信

写真部2年 大蔦 麻代

150326_m01.jpeg宮古市田老です。4回目の3月11日を迎えました。
いまだに手つかずの場所もありますが、少しずつ復興が進んでいます。
元の風景、地域が戻ってくることを願います。
私たち若者から率先的に動いていかなければと、改めて思い知らされます。


写真部2年 村上 和希

150326_m02.jpeg宮古市田老地区の「万里の長城」とも呼ばれた防潮堤です。
高さは10mで、昭和三陸大津波で破壊された防潮堤を再建したものですが、
東日本大震災津波の最大の高さは20mと言われており、
津波はこの防潮堤を乗り越えて田老の町を襲いました。
この場に実際に立ってみると、改めて津波への恐怖感を覚えます。
田老地区はまだまだ復興したと言える状況ではありませんが、
あの日あの時あの瞬間を次の世代に語り継ぎ、一人ひとりの意識に訴えたいと思います。
救われるべき大切な「命」のために、どうかこの震災を忘れないでください、と。


写真部2年 前川 心

150326_m03.jpeg宮古市田老です。奥に見えるのは震災遺構とされる観光ホテルで、2階部分まで破壊されています。
まわりにあった多くの建物は今は一切ありません。
実際に歩いて田老の風景を見て回るのは久しぶりでした。
町中の方は車の交通量も増え、復興の進展ぶりを感じることができます。


写真部1年 島崎 弘

150326_m04.jpeg宮古市の浄土ヶ浜にほど近い場所で撮りました。
震災前に民家のあったところは整地が進んでいますが、
この場所のように人目に触れにくいところはまだ手つかずの状況です。


写真部1年 越田 優希

150326_m05.jpeg宮古市鍬ヶ崎地区です。新しい道路がどんどんできてきており復興が進んでいます。
震災前と風景が変わってくるのは少し寂しい思いがしますが、
これからどんな町並みになってゆくのか楽しみでもあります。


写真部1年 渡辺 佳太

150326_m06.jpeg高台から宮古市立鍬ヶ崎小学校とその周辺を撮ったものです。
津波がどこまで迫ったのかがおわかりいただけると思います。
当時の悲惨な風景が思い出されます。
 

宮古商業高校写真部
 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第24回配信

写真部3年 野崎 帆夏

150312_m01.jpeg祖母に笑顔が戻ってきました。
3年間仮設住宅での生活を続けてきた祖母。
昨年6月から町営住宅に引っ越して、新たな生活を始めました。
祖母はこれまで大きな地震や津波を何度も体験してきました。
東日本大震災が起こってからのこの4年間、祖母は心の奥底でどのようなことを思ってきたのでしょう。

私は、多くの命や住宅を奪っていった震災に対して、怒りややるせなさを感じていました。

しかし私以上につらい経験をしている祖母の、生活の中で笑顔が戻ってきた姿を見て、
私の中でも少しずつですが前向きに生きていこうという気持ちが大きくなりました。
今では、笑顔で過ごすことができている何気ない毎日に感謝するようになりました。
  
このブログを見ていただいた方々に、被災地に暮らす人々の前向きに生活する姿が伝わって、
皆さんにも前向きに生きてゆく気持ちを強くしていただけたらうれしいです。


写真部1年 加山愛望・木村 渚

150312_m02.jpegこの写真は宮古市鍬ヶ崎(くわがさき)・光岸地(こうがんじ)地区のものです。
もうすぐ震災から4年が経ち、少しずつですが建物がたち並んできています。
復興がさらに加速することを願っています。


写真部3年 前川 美穂

150312_m03.jpegこの写真は、宮古市田老の防波堤から撮影しました。
この防波堤付近では宮古観光協会の方々が、
震災の教訓を伝えるべく防災エコツアーを行っています。

東日本大震災から4年が経過し、私自身も宮古商業高校を卒業することとなりました。
写真部に入部し、日々の活動の中で「被災地」の写真を撮り、
NHK「現地発 明日へブログ」にアップするという活動そのものは
ただの私たちの自己満足なのではないか、と考えたことがあります。
しかし、ブログを見て下さっている方々からコメントを頂いたことで
私たち自身の思いが一方通行ではないことを知りました。
春から私は宮古を離れ、大学へ進学します。
今までのように写真を撮る活動を通じての復興への関わりは難しくなるでしょう。
とはいえ、写真以外にも復興に関わる方法があると思います。
どんな形で岩手に貢献できるのかについて、大学での勉学やボランティア活動などから学びたいと思います。
私たち3年生のNHK「現地発 明日へブログ」への投稿はこれで最後になります。
今までありがとうございました。

150312_m04.jpeg150312_m05.jpeg150312_m06.jpeg150312_m07.jpeg宮古商業高校写真部
 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~第23回配信

宮古商業高校 写真部2年 前川 心

141023_1.jpegこの写真は宮古市鍬ヶ崎・光岸地(くわがさき・こうがんじ)地区のものです。
津波により大きな被害を受け、しばらく前までは何も残っていませんでした。
久しぶりに足を運んでみると、区画整理事業の工事が着々と進められていました。
早く完成予想図のように整備されることを願っています。


宮古商業高校 写真部2年 大蔦麻代

141023_2.jpegこの写真も宮古市鍬ヶ崎地区のものです。大きな被害のあった地区ですが、着実に復興が進んでいます。
ここには有名な魚市場や、商業施設である「シートピアなあど」(「いかがですか」の意)があります。
魚市場は一度なくなってしまいましたが、再建を果たしています。
「シートピアなあど」の壁面には、津波の浸水した高さが線で示されています。
少しずつ少しずつ、復興が進んでいます。


宮古商業高校 写真部2年 中居捷哉

141023_3.jpeg宮古市鍬ヶ崎にある商業施設「シートピアなあど」の周辺です。
建物自体は再建され、イベントなども行われるようになりました。
しかし道路はいまだに修復中のところも多く見受けられます。
完全な復興にはまだまだ多くの時間がかかりそうです。
少しでも早い復興、そして街の発展を願っています。

宮古商業高校写真部
 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第22回配信

宮古商業高校 写真部2年 坂本 優貴奈

140903_m01.jpg東日本大震災以後、宮古市内では色々なところで修復工事が行われていますが、
このようにまだそのままになっているところも残っています。
復興は進んでいるようにも見えますが、まだまだという思いを抱きます。
今後さらに復興は進んでいくことを期待しています。前よりもっと発展した町になればいいなと思います。


宮古商業高等学校2年 前川 心

140903_m02.jpg久しぶりに宮古市中の浜キャンプ場に行きました。
震災後行くのは初めてで、キャンプ場はなくなっていましたが地面は整備され、新しく石碑が建っていました。
津波の怖さを後世に伝えていくためのものでした。近くには破壊されたトイレがそのまま残っていました。


宮古商業高校 写真部2年 中居 捷哉

140903_m03.jpg私は宮古市田老の信号を撮りました。
黄色が点滅するだけで本来の役割を果たしてはいませんが、震災の被害の深刻さを伝えています。
私は今でも震災前の田老の町を思い出します。あの町並みはいつまでも決して忘れません。
震災後3年が経ち、今春三陸鉄道が再開されましたが復興は終わっていません。


宮古商業高校 写真部2年 山﨑 美沙季

140903_m04.jpgこの写真は去年私がブログに載せた写真と同じ場所で撮った写真です。
去年はがれきもあり道路もなかった場所が、撤去が進み新しい立派な道路ができていました。
去年写真を撮って以来1度も足を運んでいませんでしたが、この道路を見て、
こうやって少しずつ復興していくんだなという実感が沸きました。
これからも元の町に戻れるよう、復興を願っています。


宮古商業高校写真部
 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第21回配信

宮古商業高校 写真部2年 大蔦麻代

140813_m1.jpgこの写真は宮古市磯鶏(そけい)で撮ったものです。
震災から3年がたち、三陸鉄道は全線開通しましたが、JR山田線の宮古~釜石間は未だ復旧していません。
復旧には時間とお金がまだまだかかりそうです。

140813_m2.jpg宮古市田老は、震災で甚大な被害を受けました。
この写真の右手は、家を建てるために山を切り崩し高台を作っているところです。
暑い中の工事はとても大変そうです。
岩手県沿岸部は着実に復興が進んでいますが、まだ手つかずの所もたくさん見受けられます。
これからも写真を通じて復興の様子を随時お伝えしていきます。

宮古商業高校 写真部
 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第20回配信

写真部1年の村木です。私が所属する商業研究グループは、
11月27日~29日に千葉市で行われた第21回全国高等学校生徒商業研究発表大会において、
県勢初の最優秀賞、文部科学大臣賞、産業教育振興中央会賞を受賞しました。

盛岡市の「花月堂」とロールケーキの共同開発を行い、
「新たなる挑戦~商品開発の先にあるもの~」というテーマで研究を行いました。
東北の復興を願い、岩手県産の材料にこだわっています。
小麦「ゆきちから」「岩泉ヨーグルト」「ブルーベリー」を使用したロールケーキ
「meruci pour tout(メルシーポート)」です。
この名前には感謝の気持ちが込められていて、売り上げの一部が、復興支援のために使われます。
普段はネットでしか販売していませんが、盛岡市や東京都内で対面販売も行い、
商品管理や販売促進、接客の難しさを実感しました。
大会ではネット販売の顧客評価分析に加え、
販路拡大を目指した対面販売の課題を盛り込み、密度の濃い発表が評価されました。
開発したロールケーキについては、「メルシーポート」で検索してみてください。

140128_M01.JPG写真右から、関口琴乃さん、西舘藍さん、湊敦美さん、小平澤知里さん、私です。

1年 村木美月

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140128_M02.JPGこの写真は、12月の写真部で行ったクリスマス会の様子です。
3年生との最後の行事になります。プレゼント交換やビンゴゲームなどを行い、
とても楽しいものとなりました。1年生男子は、サンタの格好をして、
皆を楽しませてくれました。クリスマスの楽しさが、部員の笑顔から伝わってきます。
次の行事は、お花見になると思います。
そのころには、新入部員が入部している事でしょう。
とても楽しみです。  
   
2年 前川 美穂
 
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140128_M03.jpg修学旅行に行ってきたときに撮った写真です。
(一番右端が私でその隣が写真部の部長です)
場所は、京都の伏見稲荷大社です。
他にも奈良では東大寺や薬師寺に行きました。
薬師寺ではお坊さんの法話を聞きました。
とてもおもしろい法話でした。
大阪では、大阪城やUSJなどに行きました。
USJのアトラクションが楽しかったです。
とても貴重な経験ができました。  
           
2年 野﨑 帆夏
 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第19回配信

今回は岩手県の高等学校総合文化祭写真展で入賞した写真を3枚、紹介します。

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1-1 村上和希 「翔」

この写真は、第36回岩手県高等学校総合文化祭写真展で、最優秀賞に選ばれました。

131112_01.JPG波しぶきをあげ、海に飛び込む瞬間を一つの画面上に壮大に写し出すことによって、
夏の「爽快感」を表現しました。
一般的に、飛び込む写真は前から撮る事が多いのですが、あえて後から撮る事で、
宮古市の美しい景観「浄土ヶ浜」を背景に、
両足裏からのびた波しぶきもきれいに撮ることができました。

納得がいくまで何度も繰り返し、努力の末に撮ることができた、とても思い入れのある一枚です。
浄土ヶ浜も大震災で津波が直撃し、大好きだった景色も失われました。
ですが、たくさんの人々が、ガレキ清掃などでもう一度美しい浄土ヶ浜を取り戻すために
活動を行い、人々の声に応えるように浄土ヶ浜も元の美しい景観を取り戻しました。

これからも地元の良いところを、写真で伝え続けていきたいです。

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3-4 福舘瑞姫 「修羅場」

131112_02.jpg私はこの「修羅場」がまさか高等学校総合文化祭に入賞するとは思ってもいませんでした。
なぜならこの写真はウケ狙いで提出したようなものだからです。
実際これは修羅場でも何でもありません。
春に花見も兼ねて、宮商写真部で公園に写真を撮りに行きました。
その時に、ブランコに男子を乗せたくて、左右の女子が腕を引っ張っているというだけです。
それが見ようによっては「1人の男子を取り合う2人の女子」にも見えると思い、
この題名をつけました。
警察の人に高校生がたくさん公園にいるということで不審がられてしまったことや、
宮商写真部の花見と、この「修羅場」の写真は私にとって思いで深いものです。

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3-4 大森暁子 「悲劇三秒前」

131112_03.jpg我が家のワンコ君は、1週間に一度は何かをやらかしてくれるので、
その一部を切り撮ってみました。
 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第18回配信

2年4組 沼崎龍聖

131004_01.jpg自分の家がある村の津波の被害が酷かったところです。
自分の家は何ともなかったのですが、
この写真のとおり津波の破壊力を思い知りました。


2年4組 横田竜二

131004_02.jpgヨットハーバーから、ガレキの山を撮ったものです。
以前にも同じ場所を撮ったのですが、そのときよりもガレキの量が減っていて、
宮古市が復興しているのを感じました。


2年4組 藤田茂樹

131004_03.jpg山田の海です。この日は曇りでしたが、海のおだやかさがとても心地よかったです。
沿岸の海を皆さんも見てはいかがでしょうか。


2年4組 山根 力

131004_04.jpgドラ(地元スーパーマーケット)近くの橋と手作りの人形を撮りました。
彼は、とても背景とにあっていると思います。


2年4組 濱崎賢也

131004_05.jpg放課後の帰り道に撮りました。
僕は、哀愁を感じずにはいれられませんでした。

 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第17回配信

1年1組 中居捷哉    「被災地に咲く花」

130711_01.JPG海水に浸った場所に咲いた花です。
津波で被災した場所に咲いて生命力が強く生きようとがんばっていて、
震災に負けないという気持ちが感じられました。
人間だけでなく、植物も生きようとしているように見えました。


1年1組 村上和希    「被災地の空」

130711_02.JPG魚市場の近くで撮った一枚です。
その日は夕暮れで、雲と空の色の対比が鮮やかで
心を打つものがあり、シャッターを切りました。
震災当時、この場所は海の目の前だったため、直接被害を受けました。
そのときは、空が暗くくもりがかっていて心を沈ませていたのを
今でも強く覚えています。
この写真に心をひかれたのは、あのときの心を沈ませる空とはうって変わって、
心に感動を与え、勇気をくれる…、そんな心温まる空にひかれたからだと思います。
復興は何年もかかるものですが、自分にできる精一杯のことを
これから先も積み重ねることで、次の世代へと引き継いでいきたいです。
被災地の空は、今日も私達を温かく包み込んでくれています。


1年1組 前川 心    「進む復興」

130711_03.jpg海の近くで撮りました。私がこの写真を撮ったのは、
東日本大震災から2年が経ち震災からの復興も少しずつではありますが進んだと思ったからです。
さっぱ船は、震災当時津波で流されました。
しかし、今はたくさんのさっぱ船が並んでいて漁に出て三陸の海産物を取っています。
この写真を見て、私達の住んでいる町が復興していることを少しでも知っていただければと思います。


1年1組 大蔦麻代

130711_04.JPG6月24,25日に行われた体育祭の競技で勝利した瞬間です。
この戦いでは、相手チームと競って勝利したので皆で喜んでいました。
着ているTシャツは、クラスの皆でデザインしたオリジナルのTシャツです!
まだまだ、完全に復興しきれていませんが、私達も元気にやっています!
これからも、復興の事や宮商のことを伝えていきたいです!


1年2組 坂本優貴奈

130711_05.JPGこの写真は、陸上部がミニハードルを使って練習をしているところです。
大会に向けて日々の練習に取り組んでいます。


1年2組 村木美月

130711_06.JPG陸上部の練習風景です。大会に向けて、日々の練習に真剣に取り組んでいます。
ミニハードル、ダッシュ、筋トレなど様々な練習を行い、大会にそなえています。
昨年度は、400メートル東北大会出場、400×4メートルリレー東北大会出場という結果を残しています。


1年2組 山﨑美沙季

130711_07.jpg震災から2年経ちますが、私達の住んでいる側では瓦礫の撤去はすぐに終わりましたが、
道路の修復などはまだ進んでいません。
完全に前のように戻るのにはあとどのくらいかかるでしょうか。できるだけ早い復興を願っています。


宮古商業高等学校
写真部
 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第16回配信

4月14日に宮古社会福祉協議会で行われたユースみやっこベース主催の
『高校生プレゼン大会』が開催されました。

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「高校生サミット」に参加した高校生

高校生プレゼン大会とは、前回のブログにも載せた『高校生サミット』の発展型です。
チーム毎に宮古の活性化について、高校生サミットの時より現実的に考え、
そして高校生である自分たちが宮古の活性化のためにどう行動していくかを企画し、
約50人の前で発表しました。
発表したチームは5チーム。
全チーム発表し終わった後は、5チームのうちどのチームの企画が良かったか、
自分たちと来ていただいた約50人の人達に投票してもらい、
一番票の多かったチームの企画をこれから実行していくというものでした。

メディアの人も多く、宮古市長も来て頂いていたので、
発表を控える高校生はみんなとても緊張していました。
しかし、発表になるとどのチームも自分たちの企画を、
一生懸命工夫を凝らして発表していました。
どのチームも宮古のことも本当に大切に思い、考えていることが伝わってきました。

プレゼンが終わり、投票の結果一番票数が多くグランプリに選ばれたのは、「チーム地元“愛”」。
高校生の視点から宮古の市街地にマップを作り、地元の人などに宮古を見つめなおしてもらうというものです。

130425_02.JPG

 グランプリに選ばれた「チーム地元”愛”」

私のチームはグランプリに選ばれなかったのですが、
今後も宮古の活性化のために協力していきたいと思っています。

高校生サミットの段階であったチームは3チーム。
高校生プレゼン大会に参加したチームは5チーム増えました。
この事から宮古のことを愛し、これからの宮古をどうしていくかを考えている高校生が多いことが分かります。
私は、高校生もしっかり地元のことを考えているという事を知ってほしいと思います。

3-4 福舘瑞姫

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第15回配信

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「第2回高校生サミット」 3月20日撮影 宮古市社会福祉協議会

これは3月20日に宮古社会福祉協議会で行われた「第2回高校生サミット」の写真です。
高校生同士で3つの班に分かれ、宮古の「活性化」について話し合いました。
高校生に出来ること、高校生だからこそできる事を現実的に考えて発表し合いました。
この「高校生サミット」から参加した人達皆から地元愛を感じました。

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福舘 瑞姫

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「自然の恵み」  3月11日撮影   鍬ヶ崎小学校近くの神社にて

この、木がたくさんそり立っている写真は、私の母校である鍬ヶ崎小学校の近くにある、
小さな神社で撮りました。

東日本大震災の時、家の水道から水が出てきませんでした。
この神社の下の方に天然水が流れているので、その水をよくもらっていました。とても感謝しています。

学校からの帰り道で、この神社をよく歩きます。
自然がいっぱいで、とても好きな道の一つです。

宮古にはたくさんの自然があります。
この自然豊かな宮古が、少しでも早く元通りに復興することを願っています。

1-4 山根 力

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「かえり道」 3月11日撮影 中里団地付近

この日は春らしい天気でぽかぽか暖かかったことを覚えています。友達との帰り道の途中で撮影しました。
この写真を撮ったのは、雰囲気が好きだったからです。うまく言えませんが、好きです。

今、思い出したのですが、僕は小学生のときにも友達と一緒に帰っていました。
でも小学生のときに見ていた景色と違っています。
何というか、小さくなっていました。成長したんだな・・・と思います。

震災がありました。この近くの高台から海や鍬ヶ崎の街を見ることができます。
将来、この場所から見る景色が、ガレキなどの景色ではなく復興した街になることを願います。

この写真のお陰で懐かしくなりました。

1-4 浜崎 賢也

 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第14回配信

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「流されて途切れたままの鉄橋と大煙突」 3月8日撮影  宮古橋より

これは、宮古橋から撮った写真です。
午後になり、今から日が沈むという時に撮りました。
太陽の日差しが宮古のきれいな海に反射し、とても神秘的な一枚となりました。
この写真で、やはり、ふるさとが宮古で良かったと改めて強く思いました。

そして、今年で東日本大震災から2年が経ち、
徐々に瓦礫などが撤去され復興に向けて一歩一歩前進し、頑張っています。

岩手県民だけでなく日本中、世界中の皆様、
ぜひ、この人々が温かく、きれいな景色が多い宮古に一度でも足を運んでください。
宮古市民はいつも温かく皆様をお待ちしております。

1-4 藤田 茂樹

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「黄色とオレンジ色と砂ぼこり」      3月12日撮影 宮古市磯鶏(そけい)にて

僕は、復興しているなあと思える写真を撮りたく、この写真を撮りました。
ただ瓦礫を撮った感じかもしれませんが、この写真にはある意味があります。
それはショベルカーより何倍もの大きさの瓦礫が今なおあることです。

東日本大震災が我々日本人に多大な被害を及ぼしました。
ですが、着実に瓦礫が減り、復興に近づいています。
黄色、オレンジ色、何台ものショベルカーが瓦礫を撤去しています。
2年前、この写真の中の何倍もの瓦礫がありました。
全国の多くの皆様のおかげで当時より進みました。

時間が経つにつれ、震災の記憶が風化しつつあると思います。
そのため何らかの方法で風化を防がなければならないのだと思います。

最後にこれからも復興への道のりは長いと思います。
でも少しずつ少しずつ、近づいていると思います。
この風景は復興を感じるなあと思い撮りました。

1-4 芳賀 希望  

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「ガレキの山」   3月5日撮影  ヨットハーバーにて

昨年撮影した場所と同じ場所で撮影しました。
昨年はガレキが山のように積んでありましたが、今はガレキの量が昨年よりも減りました。
昨年は壊れた船や鉄クズなどの大きな物が目立っていました。
一年近くたって、復興が進んで目立っていた壊れた船や大きな鉄クズも少なくなり、
ガレキの山自体が小さくなりました。
この写真は遠くからしか撮ることができませんでしたが、近くで見たらすごく大きい山だと思います。
一年近く経ってここまでガレキの量を減らすことができたのは、
被災地である宮古の復興が進んでいるからだと思います。
早くこのガレキの山がなくなってほしいです。

1-4 横田 竜二

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「二年間」   3月11日撮影  崎鍬ヶ崎にて

自分の部屋の窓の外の風景です。
窓の外を見るといつも停まっている、フィアットのプントのスポーツモデルが気に入っています。

私は被災し、家を流失しました。
震災直後は祖母の家、その後は仮設住宅で暮らしていましたが、
昨年の年末に新築が完成し、今を過ごしています。
最新の住宅の設備や機能には感心しました。
また、近所の家もほとんどが新築で、それも震災の被害に遭い土地を買った人達です。
住宅地一つを新築だらけにしてしまうほど被害が大きいのだと、目に見て実感することができました。

震災から二年が経ちましたが、瓦礫はすっかり片付いているように思います。
しかし、一年前の時点でも瓦礫はすっかりありませんでした。
この一年でいったい何が変わったのか目に見えないので、少なくとも私には分かりません。
人は、ほとんどの情報を目から受け取っています。
目に見えるからこそ、実感できるのだと思います。
目に見えて、復興を実感し、心のケアもできるのだと思います。
つまりは、形のある復興をした方がいいと思います。

震災は失うものが多いですが、失うものばかりではありません。
特に、今命ある被災した人たちは二年間の中で色々なことを考えたと思います。
その中で大きなものを手にしています。

波は、見方次第では、味方です。

1-4 高橋 侑雅

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第13回配信

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 「津波に倒されたカーブミラー」12月9日撮影  鍬ヶ崎にて

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「ガレキが片付いた鍬ヶ崎にも冬がやってきました」12月9日撮影 鍬ヶ崎

3・11から1年9ヶ月が経過し、「復興」という文字とともに街のガレキが少しずつ姿を消しています。

この写真は、津波で倒されたカーブミラーです。
ガレキは少なくなった鍬ヶ崎にも、まだ津波の爪痕がしっかりと残っています。
何もかもが津波で壊され、流され、ガレキだらけだった街。
自分達の生きた証が壊れてしまうのも悲しいけれど、自分達の生きた証が無くなってしまうのも悲しいです。

前はガレキの山だらけで遠くの景色も見えなかったけれど、
今はガレキの姿も無くなり、すっかり見晴らしが良くなってしまいました。
人々が「居た」はずの証となっていた物は流され、そもそも誰もいなかったのかと思わせるような有り様です。

もう一度「人々が生きている証」を何らかの形で創っていきたいです。


前川美穂

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第12回配信

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「伝えていきたいこと」 12月7日撮影 ヨットハーバーにて

この写真は磯鶏のヨットハーバーで撮った写真です。

この写真は震災のすごさを物語っていると思います。
横たわった案内図、ぐにゃぐにゃになった鉄の棒のような物体、
本当は立っていたはずの電柱、ひびわれてしまった赤レンガ。

この写真の中だけでこんなにもひどい状況を見ることができます。
この写真に写りきらなかったあまりにひどく、悲しい状況。
この案内図には、避難場所案内図と書いています。
この案内図が倒れてしまっていること、たったそれだけのことが、
私に何か伝えているような気がしたのです。
言葉として私に伝えているわけではないので正しくは分からないけれど、
この震災を生き残った私にできること、
そして、海の近くの人だから伝えられることがあると思います。

この写真を見た人に伝えたいこと、私が感じたことをこの場で伝えたいです。

「海の怖さ・命の大事さ」です。

せっかく生き残れたのだから、これ以上の被害者をだしてはいけません。
若い私たちだからこそ次の世代にもこの出来事を伝えることができます。
実際の被災地を見ていない人や知らない人へ伝えられるように、
この出来事を忘れません。

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同じ場所で5ヶ月前に撮影(7月6日)

1-2 野﨑 帆夏

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  「慣れてしまう前に」   山田駅付近

この特に何もない写真は、山田駅があった場所です。
それを、国道45号線を走るバスの中から撮りました。

震災が起きてから一年と9ヶ月が経とうとしています。
一年以上過ぎた今、復興はなかなか進んでいるように思えません。
今や震災前の街並みがなかなか思い出せなくなってきています。

大槌では鉄道の代わりにBRTを走らせる工事が始まった様です。
山田はBRTも鉄道の工事も始まっていません。
出来る限り鉄道を復旧してほしいですが、
しかしそれ以上に交通手段が少なく、困っている人はたくさんいます。
それを考えると、鉄道の復旧工事もBRTの工事もしないというのは、
一番復興にもつながらないし、いけない事なのではないでしょうか。

私はふと山田駅があった場所に目をとめて考えると、
なかなか進まない復興と、この街並みに慣れてしまった人々・・・。
これを思うと複雑な気持ちを抱かずにはいられなくなるのです。

※BRT・・・バス高速輸送システム

写真ガールズ3 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~第11回配信

「祖母はなにを考える」   11月5日撮影   小本の仮設住宅にて

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昭和2年生まれの祖母は現在85歳、昭和8年の三陸地震、昭和35年のチリ地震、
そして、あの大震災と数々の大きな地震・津波を経験している数少ない体験者です。

千年に一度の大津波、高さ10メートルくらいある防波堤を越えて津波は家々を襲いました。
海のそばにあった父の実家も昨年の大震災で思い出の写真が1枚も残ることなく土台だけを残し、
家を津波に奪われ、着の身着のままで津波から逃げました。

目の前で起きている地獄のような現実を祖母はどのような気持ちで捉えていたのでしょうか。
震災後の安否が不明のまま数日が経過し、避難所にいることがわかり、
父が雪の残る山道を越えて迎えに行き、私の家に避難しました。

現在は、四畳半一間の仮設住宅に一人で暮らしています。

話を聞くと、なかなか進まない復興への苛立ちがくみ取れます。

そんな祖母が今現在何を思っているのか、皆さんに考えていただきたく写してみました。

国の一向に進まない復興でしょうか。
幾度も大地震・津波を体験した自分自身の運命でしょうか。

 
野﨑 帆夏

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 「雨上がりの通学路」 11月2日撮影 山田駅付近にて撮影

通学途中で見つけた虹です。
雨上がりの登校時、青空によく映えるきれいな虹でした。
秋も深まってきて、空も澄み渡り、すがすがしい朝の一枚です。 


写真ガールズ2 

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 「宮商デパート」10月27日撮影  宮古商業高校体育館にて

10月末に行われた「模擬株式会社 宮商デパート」の写真です。
昨年に続き、震災の影響で、不便な点は多々ありましたが、無事に終わらせることができました。

来年度も精進して頑張りたいです。


写真ガールズ7

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ボランティアと地域の絆

宮古市内には応急仮設住宅団地は62箇所あります。
そのうちサロンと呼ばれる集会所や談話室が併設されている仮設団地は半分の31箇所にとどまります。
小規模の仮設団地にはサロンは建設されませんでした。

比較的規模の大きい仮設団地のサロンでは毎日のようにボランティア団体が何かしらのイベントを開催していますが、
サロンのない仮設団地では交流の場もなく被災者の皆さんの引きこもりがちな生活が心配されています。

そのような中、京都の立命館大学の先生や学生諸君、それに大学職員がチームを結成し、
地元の大工さんの協力を得て本州最東端にある宮古市重茂(おもえ)の千鶏(ちけい)の13世帯が暮らす仮設団地のそばに
集会所を無償で建設しました。

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もう少しだ

昨年の夏から計画し、仮設に暮らす方々や地域住民の皆さんの意見を聴きながら、
サッカーボールを半分にしてかぶせたようなとてもユニークな形をした集会所が完成したのは今年1月でした。

竣工式ではミュージックライブ、屋台イベントなどを多くの地元住民と一緒になって開催しました。

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夕暮れのODENSE1号

完成以来、その仮設集会所は「ODENSE1号」と名付けられ地域の人達に愛され利用されています。
ODENSEとは宮古地方の方言で、“遠慮なくおいでください”という意味です。

また、8月には京都から2人のシンガーソングライターが再び駆け付け、
地域の皆さんが作詞、シンガーソングライターが作曲した重茂の歌「群青の海を想え」が披露され、みんなで合唱しました。

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2人のライブ

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完成おめでとう

被災直後にはタレントや映画俳優、歌手の皆さんなど、
いろいろなボランティアの人々が毎日のように訪れて元気づけてくれました。
しかし、時が経つにつれてその数も少なくなり、地道に活動を続けるボランティアも少なくなりました。

集会所を提供した立命館大学の先生、学生諸君、大学職員の皆さんは集会所の建設だけではなく海岸の清掃活動や
仮設住宅を訪れて交流しながら大変息の長い活動を今も続けています。

いろいろなボランティアの皆さんの活動を目の当たりにしてきましたが、
地域と密着した息の長い活動は被災者や市民にとってとても親しみのあるボランティア団体となっています。

今日も仮設団地などで地道に活動を続けているボランティアの方々には本当に感謝しています。

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ODENSE2号

そして、この夏には鍬ケ崎(くわがさき)地区に「ODENSE2号」が完成しました。


佐藤省次

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~第10回配信

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「ずっとお休み中なのですね」  豊間根にて

震災から1年半経ちました。いろいろな所で生活が元に戻りつつあります。
でも、いつまで経っても全く変化が見られない所があります。その一つが線路です。
震災前は、夜寝ていると、列車の走る音がしました。でも、もう列車が通らないので音も聞こえなくて、寂しい気持ちになります。
今はもう、遮断機も抜かれ、線路には草がたくさん生えてしまっています。それを見ると悲しくなってしまいます。
多くの人の生活に役立ってきた列車が、いつか元通りになる日を楽しみにしています。
いつになるかは分からないけれど、また列車が走る姿を見たいです。そしてその音が聞ける日が楽しみです。

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写真ガールズ6

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「走」  旧宮古橋にて

私たちが高校1年生の時(現在2年生)に復旧した宮古橋。
そこから見える景色も変わりました。少なくなった建物が増えて、明かりも多くなりました。

学校から帰る時、毎日この場所を通ります。日が沈んでいく姿、海風も香ります。
その道を自転車で走り抜けると、とても気持ちいいです。

ここから見る分には復興が進んでいるように見えます。ですが、まだまだ復興したとは言えません。

私たちは全国の方々のご支援のもと、頑張っています。感謝を忘れず、これからも写真を撮り続けていこうと思います!


写真ガールズ4

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 「宮古花火大会」  宮古駅付近より

この写真は宮古の花火大会での帰り道に撮ったものです。
去年は花火大会が行われず、今年はやるということで楽しみにしていました。
この花火は海上から打ち上げられ、たくさんの人たちがみていました。
私自身も友達と花火を見にいきましたが、とてもきれいだったし、やっぱり夏の風物詩だなと思いました。
そして去年やらなかった分、とてもうれしかったし、楽しかったです。
帰り道で見えると思わなかったので、思わず撮ってしまいました。

来年も花火大会があったら、夏を感じつつ風景も楽しめたらいいと思いました。


写真ガールズ1

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「宮古市のシンボル」  宮古駅付近より撮影

この写真は、宮古市にあるラサ工業のラサの煙突を撮影したものです。
宮古市は震災の影響で被災し、町中瓦礫だらけになってしまいました。
わたしはいつも通っていた通学路が一瞬にして瓦礫だらけとなってしまい、その光景にとてもショックを受けました。
家を失ったり、家族を失ったりしてしまった方々は深い悲しみを負ったことだと思います。
今では町にあった瓦礫は集積所に集められ、宮古の町並みは草が生い茂った空き地となってしまいました。
皆さんの心には「必ずや復興する」という強い気持ちがありますが、
現状は瓦礫が片付けられ、そこからは時間が止まってしまっていると思います。
この写真の曇っているところ、日が暮れかかっているところにそんな今の宮古市の表情が出ていると思います。
ですがそれだけではなく、雲の切れ間から射すきれいな夕日や、空を突き抜けるように立つラサの煙突が、
未来の宮古市への期待や希望の現われのようでした。


沢田絵未菜

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~第9回配信

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「本校ヨット部 本日も海へ」  ヨットハーバーにて

これは、私の学校のヨット部の活動を撮影したものです。
去年の3月11日、ヨット部は活動中で、なんとか津波から逃れたという話を聞きました。
その後、他県からの支援があり、普段通りの部活動が始まったそうです。

「いつも通り、普段通り」の生活が再開できるまでに、いったい何ヶ月かかったでしょう。
電気も水も食料も手に入るようになってずいぶん経ちますが、この写真を撮影したとき、
津波で崩壊した建物や、ガレキの山々が目をひきました。

その中で、「普段通り」の活動をしているヨット部がいました。
普通、あんな恐ろしい思いをしたら海に近づきたくはない、と思うかもしれません。
でも、ヨット部の部員は前向きに部活動に取り組んでいました。

ヨット部の前向きな活動に、心を打たれ、私も頑張らねば、と思いました。

前川 美穂

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「約60艇がお世話になっていた旧艇庫、現在の姿」 ヨットハーバーにて

これは磯鶏(そけい)という地域にあるヨットハーバーにある建物なのですが、見ての通り原型をとどめていません。
もちろんこれは津波によるものなのですが、
(ヨットハーバーという名称から海の近くにある建物、ということはわかりますね。)現在も修復されていません。

今でもこうして修復されなかったり、取り壊されなかったりしている建物がまだあるのです。

早野 諒 

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「命を大切に」  宮古市老木にて

この、男の子か女の子かわからない小学生の人形。私はこの人形を見ると道路をいつも以上に注意して渡ります。
震災で多くの方が亡くなりました。
震災後だからこそ、事故や自殺で命をおとしてほしくありません。
当たり前のことですが、自殺や殺人はいけないことです。
当たり前とは分かっていても、ニュースではほぼ毎日のように取り上げられます。
だからこそ命を大切にしてほしいです。生き残った私たちの役目だと思います。

野﨑 帆夏 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~第8回配信

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「変わらない景色」 6月30日撮影  鍬ヶ崎にて

4月にも同じ場所から写真を撮りましたが、4月の状態からほとんど何も変わっていません。
季節は変わって、家があったところから草が生えてきたことくらいしか変わっていません。
お店などは、何店かは仮設店舗で営業を再開しているところは増えてきていますが、
家や道路などの復興についてはほとんど決まっていません。
早く前のようにたくさんの人が生活していて、前よりも災害に強い町に復興してほしいと思います。

山中 萌

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「復興ナウ」 7月6日撮影 ヨットハーバーにて

復興中のリアス式海岸です。津波で防波堤が壊れてしまっているところで重機を使って作業しています。
宮古は今、たくさんの場所が直され、ゆっくりですが 元通りになりつつあります。
私も、伝えることを通じて、復興の手助けをしていきたいです。

大井 ちふみ

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「前へ 前へ 進むはず?」7月10日撮影 宮古橋にて

これは、かつて宮古~釜石間を繋いでいたJR山田線の閉伊川に架かる鉄橋の一部です。
ご覧の通り、未だに修復されていません。
何故、この重要な路線が分断されたままかというと、
復旧に関して地元自治体とJR東日本側の間で意見のすれ違いが起きているからだそうです。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、自治体側や首長らは震災前と同じように鉄道を復活させたいと考えています。
それに対して、JR側はBRT(Bus Rapid Transit)というシステムで「仮」復旧をさせたいらしく、
意見がまとまらなければ復旧工事に進めないのです。

自治体は、仮復旧に資金や労力をかけずに鉄道の再生に集中することを望んでいます。

私は、復旧させるのであれば資金がどうこうと言わずに、鉄道であろうがなかろうが、
とにかく早急に路線を繋げた方が良いのではないかと思います。

おそらく、この鉄橋が途切れているが故に生活に不便を感じている人間が大勢いるはずです。

進展のない話し合いを続けるより、まずは1歩大きく踏み出した行動を起こしてこそ、更なる復興に繋げていけるのだと思います。

匿名男子 

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「道」  5月14日撮影 宮商校門前

私の通っている高校は津波の被害をうけませんでした。ですが、多くの生徒たちが家を流されたりして被害をうけました。
去年は他校の生徒が私たちと同じ校舎で勉強していました。今は地震対策のために耐震工事が行われています。
震災から1年4ヶ月を過ぎ、余震も少なくなってきました。
いつ、どんな時でも迎えてくれる校舎に感謝したく、この写真を投稿しました。

写真ガールズ4 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~第7回配信

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「変わらぬ花」  5月11日撮影 山田町豊間根にて

あたたかい季節になって、外が草花で明るく鮮やかになってきました。
私の家の周りでも色とりどりの花が咲き、とてもきれいです。それは見るだけで幸せな気持ちになれるほどです。
去年の今頃も同じように草花が咲いていましたが、震災の直後だったので、
あまり、心に余裕がなかったのかもしれないけれど、周りの美しい景色を全く意識していなかったなと思います。
だけど、こんなに人の心を癒し、元気を与える美しく素晴らしい自然があるのは、とても幸せなことだと思います。
色々な美しい自然を通して、震災から1年経った今でも、
心に深い傷を負った人たちが少しでも幸せな気持ちになったらいいなと思います。

写真ガールズ6

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「頑張ろう田老!!」  5月13日撮影 宮古市田老にて

この写真は、田老の町を撮りました。この写真を見てのとおり、家などの建物は残っていません。
残って建っているのは、田老観光ホテルと「頑張ろう田老!!」と書かれたプレハブだけです。
そんな殺風景な中、一輪のチューリップが咲いていました。そのチューリップはとても力強く咲いていると私は思いました。
普通にどこにでも見るチューリップの花なのに、どこか他の花とは違う雰囲気を出していました。
写真の真ん中あたりに家の基礎の部分があります。
家が流されたのにも関わらず、チューリップは花を開いている、このチューリップは被災地の方々の気持ちと重なって見えました。
あのような思い出したくないつらい出来事があっても
「頑張ろう田老!!」とお互いを励ましあって復興へ一歩ずつ歩んでいることが分かります。
そんな強い心がこの写真のチューリップと重なります。
このように被災地の人が頑張っているのに何もしないことは失礼なことです。
なので、少しでも復興につながるように、この写真を見た人が被災地に目を向けようと思ってくれるように思いを込めて撮りました。

少しでも早く復興が進み、笑顔になる人が増えて欲しいです。

1-2野﨑 帆夏

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 「ガレキ撤去中」 5月15日撮影 鍬ヶ崎小学校付近

この写真は、鍬ヶ崎小学校付近で撮った写真です。この写真はガレキを撤去しているショベルカーを写しました。
僕は、この写真を見て、ここには家族が楽しく過ごしていた家庭があったと思うと、胸が痛くなります。

しかし、3月11日の震災でその暮らしもなくなってしまいました。
僕の家は無事でしたが、友達や知り合いには被害を受けたりしている人がたくさんいて、
普段の生活がこんなにも幸せなんだなと感じました。

そして、今まで当たり前だと思っていた事は、当たり前ではないと思いました。

被災者の皆さんは,被災してもあきらめずに幸せだった生活に戻ろうと、必死に努力しています。
僕達も、被災者の力になるために募金など自分ができる事から始めていきたいと思います。

今の宮古は、復興にはまだ遠いですが、宮古の人たちなら、この壁を乗り越えられると僕は信じています。
そして、いつか賑やかになった宮古の風景を写真におさめたいと思います。

1-4藤田 茂樹

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「定点観測」 5月16日撮影 宮古市ヨットハーバーにて

この写真は宮古市のヨットハーバーで撮った写真です。
先月にもこのヨットハーバーを撮りましたが、ガレキの山は変わっていません。
一度失ったものを元に戻すにはとても時間がかかるのだと思いました。
この宮古市は自分の生まれた町であり、この町で自分は育ってきました。
その町が大震災で壊されたりして、それがガレキの山となっているところを見ると、とても悲しいです。
早く震災前の平和な町に戻ってほしいです。自分の友達で、この震災の津波のせいで家を流されてしまった人もいます。
この津波は自分が生まれて初めてのとてつもなく大きな津波でした。
自分はその時中学生で、中学校の校舎にいました。そのときに地震は起きました。
地震はあまり大きくは感じませんでしたが、高台に避難したときの津波に驚きました。
川がものすごい勢いで逆流しているところが見えました。
下校しているときには警察の人たちが車道を封鎖しているのを見て、とても大きな津波だったのだろうと思いました。

この震災で失ったものは大きいと思いますが、一日も早く復興して欲しいと思います。

1-4横田 竜二

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 「帰路」  4月20日撮影 宮古市藤原付近

今回の写真は友達と自転車で帰っている最中に撮りました。震災当時はこの道路には色々なものが転がっていました。
今でも小さなガラスのかけらや木片が落ちています。

学校を出てすぐ、海の方にガレキの山が見えます。遠くから見ても分かるような量です。
まだまだ解決していかなければならないことがたくさんあります。日本全国で色々な事件や被害がおきています。
ですが悪いことばかりに目を向けず良いことに目を向けて見るのも一つだと思います。
私もこの帰路のように少しずつでも良いことを見つけていきたいです。

写真ガールズ4

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~第6回配信

 先日、私の母校である崎山中学校にて体育祭が行われました。
 この崎山中学校では入学式前日に台風により体育館の屋根の一部が吹っ飛ばされるというアクシデントが
あったのですが(現在は修復されています。ご安心を)体育祭は無事に開催されたようです。
 ちなみにこの体育祭は体育祭というよりも運動会のそれに近いです。ところで、この写真で行われている競技は
騎馬戦です。いいですよね、偉そうなカブトをかぶった大将とそれを必死になって守る兵隊という構図が。
男のロマン(女の人に失礼か?)といった感じがします。
ちなみに、タイヤ引きという競技がおもしろそうだと思いました。

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「男のロマン」5月20日撮影  崎山中学校にて

3-1 早野 諒

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「漁師の熱い心」 5月15日撮影 宮古市鍬ヶ崎にて

 この写真は僕の家と近い海岸から撮った写真です。
 私も、3月11日に地震を経験しました。当時は流されてきた家で道がふさがり、近い海にも行けないほど大変でした。
それと道がふさがれたことにより、買い物にも行けない状態でした。それと、停電で電気が使えず、ロウソク生活でした。
一番大変だったのが、水です。水が使えない状態だったので、お風呂にも入れませんでした。
とても助かったのが、近くに天然水が出る所があった事です。そこに、毎日水をくみに行きました。

 宮古は漁業がさかんでした。しかし、震災でその明るさも無くなりかけました。しかし、漁師の皆さんは、
また海に出たいと思い、この写真のように船がまた本戻りになりました。漁師の心は熱いなあと思いました。
僕たち学生も、負けないように、勉強をしっかりやっていかなければならないと思いました。

 宮古はまだ復興には遠いけど、それでも少しずつ進んでいると思います。最初は大きな事じゃなくてもいいから、
小さい事から、前の宮古の姿に戻していけたら良いなと、私は思います。

1-4 山根 力

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「ちりもつもれば 山できる」5月17日撮影  宮古市神林の海付近

この写真は、宮古市の藤の川海岸近くから撮ったガレキです。これでも、前よりは小さくなりましたが、
まだまだ山と呼べる代物です。地震などで崩れないことを願いますが、どうすることもできないようなので、
まだしばらくは片付きそうにありません。発掘すれば、何か良いお宝が出てくる気がします(笑)。

写真ガールズ7

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「華」5月16日撮影 山田町船越にて

 この写真は、仮設住宅の裏に咲いていた華です。
 この華を見て、自然の物は震災を受けても、一年後にはすっかり美しい華を咲かすのに、
人工物は1年経っても、震災直後からあまり変わらない姿を見て、
人工物の儚さ、自然の物の生命力の強さ、力強さを感じました。

写真ガールズ2  

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「思い出の・・・」5月12日撮影 宮古市鍬ヶ崎にて

 この写真は、鍬ヶ崎の祖父母の家があった周辺で撮りました。
 祖父母の家も津波で流されてしまいましたが、その周りにあった家も全部流されてしまいました。
 このあたりは、小さい頃からよく通っていた家や遊んでいたところだったので、
震災直後はこのあたりへ行くと吐きそうになってしまうくらいショックでした。
 今では、もうガレキは片付き、家があったところからは花が咲いています。
少しでも早く、家があったところに家が建ち、前のような町に復興してほしいと思います。

1-2 山中 萌

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第5回配信

宮古商業高校 写真部 1-2 前川 美穂

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「再び、海へ」 5月13日撮影 測候所より

これは、測候所から宮古湾をうつした写真です。

3月11日に大津波をもたらした海は、あの日と違って穏やかです。見ると、船が何艘か漁に出ていました。

この写真を撮って思ったのが、あの3月11日から、誰も立ち止まっていないということです。
大切なものを、地震や津波によって奪われ、海に憎しみさえ感じたこともあったと思います。
そんな中でも、復興を目指し、再び海へ出る人々をすごいと思いました。

私自身も、復興のために、何かひとつでも活動していきたいと思います。

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宮古商業高校 写真部 1-4 高橋 侑雅

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「頑張ってます!!鍬ヶ崎」 5月15日撮影 鍬ヶ崎にて

私は鍬ヶ崎で生まれ、14年間鍬ヶ崎で育ちました。
しかし、3月11日数多くの物を失いました。その中にはお金じゃどうにもならないものもありました。
しかし、鍬ヶ崎にあった『建物』が流されようが、『鍬ヶ崎』が流された訳ではありません。
鍬ヶ崎で流された店が同じ場所でプレハブの店を再開したり、
家が流され、ガレキも無くなった場所に植物を植えていたりと、鍬ヶ崎を愛する心が見られました。

そして、5月になり、鍬ヶ崎を歩いていると、これを見つけました。

「頑張ってます!!鍬ヶ崎」

これを見て、心にくるものがありました。私も元(笑)鍬ヶ崎住民として、頑張っていきたいと思いました。
私はもう、他の所に家を建ててしまうので、鍬ヶ崎に住むことはなくなってしまうだろうとは思いますが、
鍬ヶ崎の住民であり続けたいと思っています。そして、これからも鍬ヶ崎を応援していきたいと思っています。 

また、植物を植えていたのが、鍬ヶ崎の私の友達で、その話を聞いたときに、自分も植物を育てようという気になりました。
また、その友達は「植物を育てる人に悪い人はいない」と言っていました。全くその通りだなと思いました。

日本が抱えている問題は、震災の件だけではなく、地球規模で考えて「地球温暖化」も挙げられると思います。
なので、やはり、植物を育てるのに悪い気はしませんでした。・・・明日から植えます!

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宮古商業高校 写真部 1-4  濱崎 賢也

120529_miyasho_03.jpg「今年こそは・・・?」 4月28日撮影  宮古二中付近

この写真は、僕の卒業した中学校の近くで撮りました。 

以前、この場所では、夏にお祭りが開かれていたのですが、昨年は震災が原因でお祭りが開かれませんでした。
なので、昨年は何か物足りないような気がしました。

ちょうどこの場所には、金魚すくいの屋台や、わたあめの屋台、おもちゃの屋台などがありました。
僕は、小学校の頃によく友達と一緒に遊びに行ったりしたのでとても楽しかったことを覚えています。
機会があれば、また友達と一緒に遊びに行こうと思っていたので、とても残念でした。

僕は被災しませんでした。昨年、お祭りがなかったのは、屋台の人たちが被災したからかもしれません。
そうではなくても、被災した人たちのことを思って止めたのかもしれません。

被災者の胸の傷は癒えるのに時間がかかると思います。
ですが、またお祭りのあの賑やかで楽しい雰囲気で、
被災した人もしなかった人も、みんな楽しく笑える日が来るといいと思います。

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宮古商業高校 写真部 写真ガールズ6

120529_miyasho_04.jpg「変わらない景色」 5月4日撮影  山田町豊間根にて

3月11日に巨大な地震と津波があり、今までとはまったく違う景色になってしまっている場所がたくさんあります。
時がたつにつれて、どんな景色だったのかも思い出せなくなりつつあります。
新しい建物がどんどん建っていき、震災前のその場所とは違う新しい景色に変わっていっています。
建物などの人間が人工的につくってきたものたちはカタチを変えてしまったり、なくなってしまったりしたけれど、
自然はまったく変わっていないなと感じます。
被災地は、いろいろと変わってしまったけど、震災から1年以上経った今でも震災前から変わらない景色があるのは、
とても嬉しいことだと思います。

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宮古商業高校 写真部 写真ガールズ1

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「色彩」 5月13日撮影 臼木山にて

この写真はたくさんの花が咲く森林で散策したところを撮りました。
この日は、とても天気が良く暖かかったので、春のぽかぽか感が出て、木の緑が夏の感じが出て、季節感が出て良かったです。
また、たくさんの色で華やかさが出て、真ん中にいる女の子二人で調和できたと思います。

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宮古商業高校 写真部 写真ガールズ2

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「帰り道」 5月17日撮影 山田町役場付近

この写真は学校の帰り道で撮ったものです。
最近、日が暮れるのもずいぶん遅くなり、暖かさも増してきました。
被災地は特に変化はありませんが、気候などは常に変化し続けています。
何もなくなった被災地に夕日がきれいに映えているのがキレイでした。
いつも気にせず帰る道ですが足を止めて改めて見てみると、いつもと違った風景に見えました。
これからは、いつもと同じだけど、少しずつ変わっていく景色を見ていきたいです。

被災地だからと言って敬遠せずにどんどん被災地のことを知って、たくさんの人に現状を知っていってもらいたいです。

 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第4回配信

宮古商業高校 写真部 1-4 高橋 侑雅

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 「僕はそう、信じたい」 4月25日撮影 鍬ヶ崎小学校職員駐車場より  

私は、去年の3月に地震の被害に遭いました。
地震がきたときは、標高の高い中学校にいたので、津波が来ているとも知らず、友達と笑いながら話していました。
地震がきたときに泣いている子もいました。今思えば、あのとき笑っていた自分がばかばかしく思えます。
あの時の地震だけで誰も怪我をしなかっただけでも、良かったとは思っています。  

しかし、私はその後日、津波により自分の家が流されたことを知りました。
そして、それから約2週間、母の捜索をしました。
ある日、遺体安置所に行ったときに、母らしき遺体があるのを見つけました。最初は認めたくありませんでした。
しかし、母とともに流された姉がかろうじて生きていたので、母が救ってくれて、かわりに母が犠牲になってくれたんだと思います。
その時に母が抱えて逃げた愛犬の「コニー」は、未だ見つかっておりません。
でも、まだどこかで生きている・・・少なくとも僕はそう信じたいです。  

今は仮設住宅に住んでいます。もうそろそろで家が建つので、早くそちらに住みたいです。  

この写真は、あのとき体験したことすべてを思い出しながら撮りました。
場所は「宮古市立鍬ヶ崎小学校」の職員駐車場です。
真ん中に見える、青い屋根の建物の裏側が、以前僕たちの家があったところです。
本当は、新しくできる家より、昔の家で暮らしたいです。  

津波は確かに多くの被害を出しましたが、僕にとっては悪いことばかりではありませんでした。
あの時までの自分は「人間の屑」を通り越して人間未満でした。
あの震災があった日から「自分が変わった」と思えました。まるで「今までの自分」を洗い流してくれたかのように・・・。

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宮古商業高校 写真部 1-4 山根 力

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「街灯すらありません」 4月25日撮影 鍬ヶ崎付近

3月11日、僕は東日本大震災を経験しました。当時は学校にいたので安全でした。

この写真は、僕の母校の近くで撮った写真です。その学校も3月11日被害を受けました。

この写真はスプレーでガレキ撤去と書いてあります。残念ながら家はありませんが、遠くに家の光がついています。
今はまだ、家もなく、空っぽの土地ですが、いつかは家が建てられ、家の光が増えると思います。

僕の家は高い所にあり、津波の被害は受けませんでしたが、友達や親戚は津波の被害を受けました。
その人たちの気持ちを考えると、悔しく、悲しいと思います。
しかし、人々はそこでめげずに前を見て、元の生活に戻ろうと頑張っています。

僕は被害を受けていません。しかし、被災者が頑張っているのを見て、僕たちも頑張らないといけません。
復興をさせるのは僕たち、被害を受けていない人々がやることだと思います。
何年、何十年かかるか分かりませんが、僕が覚えている本当の宮古の姿を見たいと思います。 

この写真は家が無く寂しいけど、いつか家がたくさん建っている所をまた、撮りたいです。

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宮古商業高校 写真部 1-4 濱崎 賢也

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「桜の咲く場所から見られる景色」 4月25日撮影 鍬ヶ崎小学校付近

これは僕が卒業した小学校の近くで撮った写真です。

この小学校も昨年の大震災で被災してしまいました。6年間通った学校だったので悲しかったです。
この小学校には、とても綺麗な桜の花が咲きます。残念ながら、この写真を撮ったときは、
晴れていなく、曇りだったせいで、桜の花の鮮やかなピンク色を写真におさめることができませんでした。

そして、以前この場所からは、鍬ヶ崎の町並みや住宅を見ることができたのですが、
今は建物も住宅もほとんどなく、ただただ何もなく、平野が広がっています。

ここには、友達の家に遊びに行ったり歩いたりしたので、思い出 がたくさんあります。
そして、友達の家が流されたり、今までの自分が知っている鍬ヶ崎の町並みがもうなかったりすることに、
どこにもぶつけることのできないいら立ちも感じます。

数年後、僕たちがいつか大人になったら、この場所から見る景色が平野ではなく、
少しでも元の鍬ヶ崎の町並みに戻っているように、今は学業に専念して、力をつけたいです。

そして、いつか鍬ヶ崎の町並みが元に戻るように貢献したいです。

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宮古商業高校 写真部 1-2 前川 美穂

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「いつもどおり」 4月25日撮影 向町、津波で流されたガレキ付近

あの東日本大震災から1年以上が過ぎました。
長い年月が経った今でも、痛々しい数々の傷跡はそのまま残ったままです。

私が撮影した写真は、津波で流された瓦礫の中から花を咲かせたタンポポです。

「いつも通り」の日常から一変したあの日。
そして、一年以上経った今でも、「いつも通り」の日常を取り戻すことができず、不便な暮らしを強いられています。

そんな中でも、「いつも通り」に瓦礫の中で花を咲かせているタンポポがいました。

荒れた土地の中で、あきらめる事なく、懸命に花を咲かせようと、太陽に向かって生きています。

これからの復興に向け、諦めたくなったり、投げ出したくなったりすることもあるかもしれません。
でも、私たちよりもとても小さいタンポポが、明日へ向かって一生懸命に生きています。
私もこのタンポポのように、明日へ向かって懸命に生きていきたいです。

被災地の復興が一日でも早く進みますように。

 

 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第3回配信

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「電柱・・・お辞儀?」  撮影 野﨑 帆夏  4月26日撮影 鍬ヶ崎付近

120517_miyasho_02.jpg「桜と仮設住宅」 撮影 野﨑 帆夏  4月26日撮影  長町付近

震災から1年以上が過ぎました。でも、被災者は未だに仮設住宅暮らしです。

震災直後は被災地のことを考えて日本が動いていました。
しかし、今の状況を見ているとガレキをかたづけて仮設住宅をつくっただけだと思います。
この先のことを考えていくと仮設暮らしの人をちゃんとした家に住まわせることを考えた方がいいと思います。

なので、震災直後を思い出して被災地にもっと目をむけて欲しいと思います。
物を大切に使ったり、節水したりすることに取り組まなければいけないと思います。
普通に暮らしているのが当たり前になってはいけないと思います。

そうして少しずつ復興を早めていかなければならないと思います。
日本が早く復興すれば日本に笑顔が増えると思います。日本人はあの出来事を忘れてはいけないですが、
被災地からは震災がなかった状態に戻さなければならないと思います。

被災地にもっと目を向けて、復興に日本中が取り組もうという想いを思い出してもらうためこの写真をとりました。
この写真を見て少しでも被災地に目を向ける人が増えればうれしいです。 

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120517_miyasho_03.jpg「宮古橋から見た夕焼け」 写真ガールズ4  2011年9月7日撮影 宮古橋より

この写真は私が学校から家へ帰る途中に見ることができる景色です。撮影をしたのは昨年の夏の終わり頃でした。
ちょうど夕日が沈む直前、青からオレンジへのグラデーションがとても綺麗に思えて撮影しました。
東日本大震災があり、瓦礫がたくさんあった昨年ですが、支援してくださった皆様のお陰でだいぶ少なくなりました。
支援してくださった方々ボランティアに来てくださった方々へ感謝の気持ちとこれからの東日本復興への第一歩の景色として、
この写真を選びました。

これからも東日本の、岩手の良いところを撮影していきたいです。

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「ガレキ ガレキ ガレキ」 横田竜二 4月24日撮影 ヨットハーバーにて

私は被災地の写真を撮るときに、どこの写真を撮ったらよいか悩んでいましたが、
学校の帰り道にふとヨットハーバーの方を見ると、
去年の3月11日におきた津波で壊れてしまったがれきの山や船が積み上げられていました。
あの3月11日に起きた津波でこんなに被害があったのかと、とても驚きました。
私の友達にも家を流されてしまった人や、家の中に海水が入り込んでしまった人がいます。
いつも通り普通に暮らすことができない人がいるのがとても残念です。
少しでも早く以前のような暮らしに戻ればいいなと思います。
あのガレキの山の中にあった船だって、持ち主は大切に使ってきたのだと思います。

この震災で失った物は大きいと思います。得た物もあると思いますが、少しでも早く復興してほしいです。

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「母校」 早野諒 4月29日撮影 崎山小学校

この写真にあるプレハブ小屋は崎山小学校にあるものです。
崎山小学校は私の母校ですが、震災があってからしばらくの間は避難所として使用されていました。
そして、避難所として使用されてきた日々が過ぎ、崎山小学校はより構造を強固なものにするために解体作業を始めたのです。
解体されるということは、一時的にだが、学校はなくなる。
つまり、このプレハブ小屋(というにはちょっと大きいような気もするが)が現在の学校というわけです。

復興に向け、これからも頑張ってほしいものです。

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「仕事していないフェンス」

120517_miyasho_07.jpg「この先、まだ立入禁止」

120517_miyasho_08.jpg「無題」 写真ガールズ5  4月26日撮影  松原公園

震災から一年とちょっと。着々と復興が進んでいる(と思いたい)宮古市。その一画の海の近くの公園でこの写真を撮影した。

グニャグニャになったジャングルジム、全く仕事していないフェンス、枯れてしまった桜、
異様に曲がった滑り台など、津波の爪痕が今も鮮明に残っている。
街が元の姿に戻っていく一方、
今も一年前のまま「危険、立入禁止」のテープが張り巡らしてあるだけのこの公園のような所もある。

「宮古市は、必ず、復興します」
市長が事あるごとにしょっちゅう言っている言葉だが、「します」ではなりゆきまかせな気がする。
老若男女問わず前進していく事が、今の日本に必要なんじゃないかと思うんだが、どうなんだろうか?

 

 

 

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宮商写真部より、届け!この思い ~高校生の視点から~ 第2回配信

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「桜とジャングルジム」  撮影 大井 ちふみ   4月26日撮影 松原公園 

私が撮った写真は、宮古市の海の近くにあった公園で奇跡的に生きていた桜と、元ジャングルジムだったものです。
海水にも負けず、今年もたくさんの花をつけてくれた桜の木を見て、
私たち人間も、前に進むための元気と安らぎをいただくことができました。
震災に負けず、がんばって生きている私たち宮古の市民の意志を、桜にのせて、この写真を撮影しました。 

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「菜の花ガール」 撮影 写真ガールズ1  4月29日撮影 山田町大沢の公園の近く

この写真は春の訪れとして菜の花をメインにいとこの女の子を撮りました。
撮った日がとてもいい天気だったのでたくさんの花が咲いていてとてもきれいでした。
撮影場所は津波が来る前は木の根が生えていた場所でしたが、
菜の花の種がどこからか、波と一緒に流されてきて、咲いたようです。             

この写真で伝えたいことは、被災したけれど花は枯れず、蕾をつけて、生き、自然界での命の強さです。
そして、女の子が明るく元気に遊んでいることで、被災しても頑張っていることを感じてもらえたらいいなと思います。

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「桜日和」 撮影 写真ガールズ2   5月1日撮影  山田町役場の近く

5月に入り、穏やかな日々が続き被災地にも春がやってきました。特にここ最近は20度を越す日も増えてきました。
天気の良い日が続くと眠くなって、のんびりと過ごしたくなりますね。

この桜の写真は、私の家の近くで撮ったものです。
被災地として迎える春は二度目ですが、今年も桜はキレイに色づき、
荒野となってしまった被災地に鮮やかなピンクを咲かせてくれました。
少しでも被災地の人の心を和ませ、たくさんの観光客を呼ぶ力となってほしいです。
植物の力は強く、人々が変わっても、変わらずそこに咲き続けます。
これからも被災地の復興を助ける支えとして咲き誇ってほしいです。

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「変わらぬ姿」 撮影 写真ガールズ3 4月30日撮影 山田町浦の浜付近

東日本大震災から、もう少しで1年と2ヶ月になります。
震災があってから1年以上経つのに、現状は全くと言っていい程変わっていません。
この写真は、私の家の近くのガレキ置き場で撮りました。霧が出ていた事もあって、変わらない今がとても悲しく思いました。

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宮古商業高校 写真部 1-4藤田 茂樹

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「まだまだ・・・」 撮影 藤田 茂樹  4月26日撮影  宮古市田老にて

この写真は、田老で撮った写真です。 

昨年の3月11日、僕は学校で授業中でした。
地震がおきたとき、みんながパニックになり、何をしていいかわからない状況でしたが、
先生がみんなを落ち着かせ、なんとか学校から出て、安全を確保しました。
しかしその時、僕の父は海の近くにいて、津波からギリギリで逃げたそうです。
電話もつながらず、家族の安全もわからないまま時間が過ぎ、不安でいっぱいでした。
夜中になり、親が帰ってきてとても安心しました。この時改めて家族の大切さを感じました。
この苦しかった日々の後には、世界中の方々から支援を受け、とてもうれしい気持ちでいっぱいになりました。

今現在でもこの写真のように片付いていない場所があったり、苦しんでいたりする人たちもたくさんいます。
僕は社会人になったら、家族だけでなく、被災された人たち全員を助けられるような人間になりたいです。

 

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宮商写真部より、届け!この思い~高校生の視点から~

宮古商業高校 写真部 1-4 沼崎龍聖

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「津波によって破壊された堤防と山田町のシンボル大島」  2012年4月24日撮影

僕はこの写真を撮るときに、被災地なのだからどこを撮っても同じだろうと、軽く考えていました。
しかしいざ撮ろうとよく見てみると、レンズを通して真剣に考えてみることで、どこもまったく同じではないと気付きました。
いつもは何気なく見ている風景も写真でじっくり見ているといろいろ感じることがありました。

津波があったとき、この風景を見ていた人は何を思っていたのか、
そして何より津波によって亡くなってしまった方はその瞬間何を思っていたのか。
そのことを知ることはできませんが、せめてあの津波でこんな風になってしまったということを、
一人でも多く知ってもらいたいと思いました。

僕の母親の実家も津波によって流されてしまいました。
僕は小さい頃からその場所を知っていたので、かなり衝撃的でしたが、
母親はそれ以上に悲しかったようで、言葉が出ていませんでした。
そんな母親を見て更に悲しくなりました。その実家がある山田町は全域に渡って津波の被害を受けました。

今回写真におさめたのは、船越浦の浜から山田町のシンボルである大島を壊れてしまった堤防と一緒に撮りました。

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宮古商業高校 写真部 1-2 山中 萌

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「友達の家から見た鍬ヶ崎」 2012年4月25日撮影

この写真は鍬ヶ崎の友達の家から撮りました。

震災から一年が経ち、がれきなどは片付けられ、震災直後と比べるととてもきれいになりました。

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「鍬ヶ崎に今年も桜が咲きました」 2012年4月25日撮影

時が過ぎ、今年も桜の咲く季節がやってきました。時間は経ちましたが、まだ復興は全然進んでいません。

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「復興に向かって、パワーアップ!ショベルカー!」 2012年4月25日撮影

以前まで家があった所は更地のままだったり、ショベルカーがあったり・・・
ここに家があって、たくさんの人たちが住んでいた所だとは思えません。
ずっと前からこの街を知っていた私でも「ここはどこだろう」と思うこともあるくらい変わってしまいました。

震災直後からは良くなったとは言え、前の街のように、家があり、たくさんの人が住める環境ではありません。
復興にはまだまだ時間がかかるとは思います。だけど、少しでも早く復興してほしいです。
いつまでも何もないままの街はいやです。
私も自分にできることは、どんなに小さなことでもやって、復興の役に立ちたいと思います。

本当に少しでも早く、前のような街に戻って欲しいと思います。

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仮設団地に絆を運ぶ

宮古市内には応急仮設住宅団地は62箇所あります。市街地にあるもの、市街地から遠くにあるものなど、設置された場所は様々で、生活に便利な場所や、買い物も満足にできない不便な場所に暮らす人たちも多くいます。

そんな中で、移動販売車による仮設住宅への巡回販売が好評です。実施したのは宮古港の出崎地区にあった「出崎地区産地直売施設」の組合です。

津波により施設は被災し建物の外郭だけが残ってしまいました。それでも組合の方々は、なんとかこれまでどおり新鮮な野菜など提供したいという思いから、市街地の被災した店舗を借り、修繕して被災から2か月経た昨年5月、営業にこぎつけました。

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被災店舗を補修して再開

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産直店内

そして、被災者が応急仮設住宅に入居を始めた昨年8月から、青空にミツバチが描かれた車で移動販売が始まりました。

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移動販売車

一日に、10箇所程度の応急仮設住宅を巡回しています。移動販売車のまわりには人だかりができ、買い物客でにぎわいます。でも、移動販売車は商品を売るだけではありません。「絆」を運んでいるのだと思いました。

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まわりには人だかり

気候の挨拶に始まって町の中の様子やお互いのことを話し合うなど、移動販売車の周りは交流の場になっています。

ある女性は、移動販売車がくるのがとても楽しみ、そして町の様子やほかの仮設団地の様子も聞くのも楽しみと言っていました。ふだんは出不精の一人暮らしの高齢の女性も笑顔で話しに加わります。

とかく仮設住宅に暮らす人のなかには、なかなか外出することもなく、孤独に生活している方も多いと聞きます。みんなが移動販売車を通じて自然な形で会話ができ、やがて孤独を感じることなく明るく暮らしていくことが出来るようになるに違いありません。

このような移動販売車は宮古市だけではなく各地の被災地でも同じようなことがおこなわれていることでしょう。運ぶのは「絆」。一日も早い平穏な日常に戻ることを祈らずにはいられません。

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運ぶのは「絆」

佐藤省次

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