雑音混じりにラジオから流れる玉音放送とともに、戦後ゼロ年は幕を明けた。ある人は家を焼け出されて路上で、またある人は刑務所の独房で、敗戦の報せを受け取った。鮮烈に刻まれた、その日その時の記憶・・・

杉浦正男 場所:横浜刑務所(神奈川県)

その日、刑務所内は異様な空気に包まれていた。向かいの独房にいる囚人が、宙に一文字ずつ書いて知らせてきた。「ニホン、センソウニマケタ」。

大正3(1914)年生まれ。労働運動に加わり、治安維持法を犯した罪で1943年に逮捕され、収監される。

岡村房江 場所:中島飛行機工場(群馬県太田市)

玉音放送の後、工場は統制が崩壊。みんな隠していたものを職場から持ち出し始めた。「日本は負けてない。ダメだよダメだよ」と泣きながら止めようとした。

昭和2年(1927)生まれ。昭和18年に中島飛行機に就職。軍需工場をねらった米軍の相次ぐ空襲を生き延び終戦を迎えた。

嘉藤 長二郎さん 場所:疎開先の宿舎(宮城県白石市)

家族から引き離されて送った疎開生活。終戦を知らされ、悔しさとともにわき上がったのが「両親のいる東京に帰れる」という安どの思いだった。

昭和8年(1933)生まれ。東京都内の国民学校から、宮城県白石に集団疎開していた。終戦時 国民学校6年生

小久保 福治さん 場所:皇居 近衛師団賢所衛兵所

「『無条件降伏 あそうですか』なんて人間は一人だっていませんよ」。玉音放送の阻止などをめざすクーデター未遂事件が起こるなど、皇居は混乱の中で終戦を迎えた。

大正10年(1921)生まれ。昭和17年に近衛師団に入隊。天皇に忠誠を誓い、皇室と皇居を護衛する任務についていた。