「村」のゼロ年 進駐軍、アメリカとの遭遇

天竜川沿いにある長野県上伊那郡旧南向村(現・中川村)。川に架かる坂戸橋からは、満州事変以降210人の開拓民と982人の兵士が送り出された。しかし、多くは再び帰ってこなかった。

再生

兵事係・平澤善吉の日記

戦争の深い傷跡を残した南向村の戦後がつぶさに綴られているのが、村の兵事係・平澤善吉(大正元年生まれ)の日記。家々に召集令状を届けるなど、戦争遂行に深く関わった平澤善吉は、敗戦の知らせに大きな衝撃を受けながら、その後に起きた村の出来事を日記に書きとめ続けた。戦前・戦後を通じて農村の変化を記した一級の資料。

平澤日記と証言 南向村年表 1945年8月〜1946年11月

1945年(昭和20年)

8月15日

昼に重大発表。畏くも聖上の勅論を煥発親しく放送遊ばさる。遂にポツダム会談宣言を全面的に承諾す。

ラジオで玉音放送が流れる。この日の朝から告知のあった「重大発表」は、ポツダム宣言の受諾、すなわち日本の敗戦を告げるものであった。

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    鶴岡さき子さん
    昭和2年(1927)生まれ。昭和18年から村役場の職員として働く。終戦後、命令を受けて動員書類の焼却に関わる。進駐軍のジープが村に来たときに、姉と一緒に山中に逃げた。

    鶴岡さき子さん終戦の日 村役場は静まり返っていた
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    小池嘉雄さん
    昭和5年(1930)生まれ。兄は病死、戦争中に父も亡くなり、10代で一家を支えた。戦後は深刻な食糧難に見舞われた上、農家に割り当てられた米の供出に苦しんだ。

    小池嘉雄さん本音は「やれやれ よかった」

8月17日

八時半より緊急村常会。軽挙妄動をいましむ。終日仕事も手につかず昼休二時半迄。四時迄登庁。動員文書を焼却。事変以来既に九年心血を注ぎし文書又一片の灰塵となる

戦勝国による戦争責任の追及を恐れた政府と軍部は、動員文書など兵事資料の焼却を指示。その命令が南向村にも届いた。

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    鶴岡さき子さん
    昭和2年(1927)生まれ。昭和18年から村役場の職員として働く。終戦後、命令を受けて動員書類の焼却に関わる。進駐軍のジープが村に来たときに、姉と一緒に山中に逃げた。

    鶴岡さき子さん敗戦の2日後 村役場で命じられたのは…
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    萩原里子さん
    昭和7年(1932)生まれ。村の帝国在郷軍人会の代表を務めた平澤一夫の長女。戦後すぐに父親は、在郷軍人会を解散し会旗を焼却する。「公職追放」の対象となる。

    萩原里子さん在郷軍人の父は たくわえたヒゲをそり落とした

8月23日

朝来、雨烈し。久しぶりに終日降る。海軍動員書類の焼却。連日書類の焼却す 他に庁内忙かし。兵隊順次戻る。

国内に駐留していた兵士たちは、兵役を解かれ、郷里に戻り始めた。

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    北澤正美さん
    大正15年(1926)生まれ。昭和18年に予科練に入り、特攻隊に志願した。出撃前、郡山の基地で激しい空襲を受けそのまま終戦を迎える。人目を避けて、村に戻った。

    北澤正美さん人目を忍んで故郷に帰った復員兵

8月31日

戦死者名簿の整備出来る。(略)米軍総司令官マツクアーサー上陸の日。

9月11日

三十有余年幾多先輩の血と汗と涙に依り輝く伝統を有する帝国在郷軍人会、解散の日。九時開式。会旗焼却の瞬間一天俄にかき曇り雨沛然と来る中メラメラと燃へ落つる会旗、誠に熱涙頬を流る。

村の兵事業務を支え、銃後の守りを主導した帝国在郷軍人会。この日、南向村では在郷軍人会の解散式が行われ、会旗が焼却された。

10月14日

婦人参政権決定。

GHQから民主化改革の要求が出され、女性の選挙権および被選挙権が認められる契機となった。

10月26日

終日雨模様の頭の重い一日。進駐軍兵三名青年学校銃器収芟の為来村す。

武装解除を目的として、初めてやってきた進駐軍のジープ。南向村に緊張が走った。

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    鶴岡さき子さん
    昭和2年(1927)生まれ。昭和18年から村役場の職員として働く。終戦後、命令を受けて動員書類の焼却に関わる。進駐軍のジープが村に来たときに、姉と一緒に山中に逃げた。

    鶴岡さき子さん“赤い着物は狙われる” 村に流れたうわさ
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    小池嘉雄さん
    昭和5年(1930)生まれ。兄は病死、戦争中に父も亡くなり、10代で一家を支えた。戦後は深刻な食糧難に見舞われた上、農家に割り当てられた米の供出に苦しんだ。

    小池嘉雄さん荷物まとめて姉と裏山に逃げた
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    萩原里子さん
    昭和7年(1932)生まれ。村の帝国在郷軍人会の代表を務めた平澤一夫の長女。戦後すぐに父親は、在郷軍人会を解散し会旗を焼却する。「公職追放」の対象となる。

    萩原里子さん父が連行されると不安を抱いたが…
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    大野武子さん
    昭和10年(1935)生まれ。村の帝国在郷軍人会の代表を務めた平澤一夫の次女。終戦を迎えた国民学校4年の時、教室にやってきたアメリカ兵の姿を見る。

    大野武子さん鉄棒にぶら下がった米兵の金髪

12月6日

進駐軍数名、午後ジープにて来る。中々朗かなるものである。

1946年(昭和21年)

1月6日

軍国主義二十七団体解散。指導者は公職より追放指令出る。政府政界官界に大旋風を起す。

帝国在郷軍人会など、戦争遂行に関与した村の組織の解体、および戦時中に代表を務めた村民に対する公職からの追放が命じられた。

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    萩原里子さん
    昭和7年(1932)生まれ。村の帝国在郷軍人会の代表を務めた平澤一夫の長女。戦後すぐに父親は、在郷軍人会を解散し会旗を焼却する。「公職追放」の対象となる。

    萩原里子さん追放された父 葬られたようでつらかった

4月10日

六年ぶり民主日本建設の為の衆議院議員選挙執行さる。第三投票所(葛島)投票管理者をなす。七時投票開始。午後六時迄。初の婦人投票にて賑はふ。

戦後初めての総選挙が行われ、村の女性の6割以上が投票。長野県では女性候補者がトップ当選した。

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    杉澤要さん
    大正15年(1926)生まれ。昭和20年5月に徴兵され、松本の演習場で終戦を迎える。戦後初めての総選挙の直前、村で開かれた立会演説会を聞きに行った。

    杉澤要さんおばあさんたちは 字を習って投票所へ
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    鶴岡さき子さん
    昭和2年(1927)生まれ。昭和18年から村役場の職員として働く。終戦後、命令を受けて動員書類の焼却に関わる。進駐軍のジープが村に来たときに、姉と一緒に山中に逃げた。

    鶴岡さき子さん投票所に長蛇の列 慣れない選挙事務

4月21日

米強権発動目前に迫り部落にても今日、愈々八十%迄供出。幣原内閣倒閣運動社会・自由党を中心に起る。

深刻な食糧危機により、政府は農村に米の供出を義務づけた。南向村でも農家ごとに割当が決められ、重い負担がのしかかった。

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    小池嘉雄さん
    昭和5年(1930)生まれ。兄は病死、戦争中に父も亡くなり、10代で一家を支えた。戦後は深刻な食糧難に見舞われた上、農家に割り当てられた米の供出に苦しんだ。

    小池嘉雄さん作っても作っても 手元に残る米はわずか

5月15日

山菜取り愈々白熱、食料危機目前に迫る。伊那町も欠配と聞ゆ。

6月5日

悲劇の満洲拓士、涙の帰村の日。(略)四家族八人戻り、四十有七の霊を持参。坂戸で弔迎。役場にて霊の安置。読経後、弔問其の他につき打合、夕飯をなす。(略)聞くも涙、佐々木さんも一家五名死去と。只一人 良夫君帰る。

満州への分村移民を進めた南向村では、ソ連参戦に伴い210人のうち137人が命を失った。この日、生き残った住民の帰国第一陣・4家族8人が、犠牲者の位牌(いはい)を抱いて村に到着した。

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    岩村芳雄さん
    昭和8年(1933)生まれ。6歳のときに家族で満州に渡る。終戦間近にソ連が参戦し、山中を逃げ惑う。家族10人のうち村に生きて帰ったのは兄と姉と岩村さんの3人だけだった。

    岩村芳雄さん帰国後も続いた苦難 満州での重い記憶

9月6日

マ司令により、今日 忠魂碑の取外しをなす。誠に感無量のものあり。

GHQの非軍事化の方針により、忠魂碑や奉安殿は軍国主義の象徴とみなされ撤去が命じられた。

11月3日

戦を棄てし平和国日本が再建の首途となるべき憲法発布さる。此の佳き日、此の意義ある日を、全村民運動会に依って寿ぎ祝ふ。

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    小池嘉雄さん
    昭和5年(1930)生まれ。兄は病死、戦争中に父も亡くなり、10代で一家を支えた。戦後は深刻な食糧難に見舞われた上、農家に割り当てられた米の供出に苦しんだ。

    小池嘉雄さん男女同権とスクエアダンス
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    杉澤要さん
    大正15年(1926)生まれ。昭和20年5月に徴兵され、松本の演習場で終戦を迎える。戦後初めての総選挙の直前、村で開かれた立会演説会を聞きに行った。

    杉澤要さん印象に残ったのは「戦争の放棄」