- 主な出来事 昭和56年4月〜昭和57年3月
- スペースシャトル「コロンビア」打ち上げ成功(4月) ホテル・ニュージャパン火災 死者33(2月)
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沖縄県与那国島の春はさとうきびの取り入れで忙しい。その中で女性たちは、わずかな時間をみつけてはドタテと呼ばれる麻布織りやビロウの葉を使った民芸品を作っていた。 |
終戦後、樺太や北方四島から多くの人たちが北海道奥尻島に移り住んだ。この島で生きる決意を固めた老人、夫の死を契機に島を離れる女性。各々が試練と向き合いながら実直に生きていた。 |
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番組からの一言台湾まで120km。 |
番組からの一言「オクシリ」とはアイヌ語で「向こうの島」。 |
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秋田県大曲市の夏の夜は、全国から集まった花火師たちの豪華で華麗な花火の競演で締めくくられる。その中に、新しい花火作りにこだわり続ける地元の農民花火師がいた。 |
「石切さん」の名で親しまれる「石切剣箭神社」には、年間100万人もの参詣者が訪れる。何故、これほど人々の心をつかむのか。門前町の賑わいやお百度を踏む人たちの姿を通して伝える。 |
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番組からの一言「私で4代目ですが、 |
番組からの一言「毎月一日必ずお参りしてる。 |
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高野山麓の新城地区は過疎化の深刻な山里。伝統ある小学校の廃校を阻止しようと、西日本で初めてという里親運動を始めた。過疎に悩む山里の現状と暮らしを密着取材。 |
庄司フジさんは、終戦後女手一つで7人の子供を育てた。その苦労を、故郷の長崎県福江島に伝わる千鳥姫の伝説に重ねたのか、島に観音像を建立した。フジさんの故郷を想う心を追った。 |
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番組からの一言忘れかけていた懐かしい暮らしぶりが、まだ多く残っているところです。 |
番組からの一言やさしさは 喜び |
今から26年前、私は『新日本紀行』のリサーチで北海道の奥尻島に行った。番組のテーマにしたいと考えていたのは、「さいはての風景」だった。島の西のはずれの集落に行くと、そこはとても海のきれいな浜で、アワビ漁の最盛期、国後島、択捉島からの引き揚げ者たちが作った村だった。あまりに絵葉書のような風景だったので「違う」と思ったが、やることもなく、岩場で昼寝した。
気がつくと夕方だった。太陽が今にも水平線に沈もうとしていた。風景が一変していた。空も陸も海も、何もかも赤く染まっていた。広大な千畳敷と呼ばれる浜は、死後の世界に見えた。浜からは女たちが歌う「女工節」が聞こえてきた。「ここがさいはてだ」と思い、ここで番組を作ることを決めた。
それから、4半世紀。番組の出演者も亡くなり島は奥尻島沖地震の津波被害を受けた。村の人々が今でも番組をビデオで繰り返し見ているという話を聞き制作者冥利に尽きると思った。

























