このサイトについて
HOME 総論 放送番組全記録 年度別に見る 地域別に見る テーマ別に見る 番組公開ライブラリー よみがえった新日本紀行 今昔物語

Next

1/3

誕生のころ

昭和38年、『新日本紀行』は日本の高度経済成長のただ中で誕生した。

東京のビルの窓は、どれも夜遅くまで輝いていた。農村からは、中学を卒業したばかりの若者たちがSLの煙にむせながら上京していたが、先端を行く農家は、新しい栽培技術を手にして高収入を得ようとしていた。

日本中が熱気に満ち、新しい時代が訪れようとしていた。そんな中で『新日本紀行』は、『新・日本紀行』ではなく、『新日本・紀行』でなければならなかった。

テレビジョンの作り手も、伝統的な映画の作法から脱皮し、独自の手法を手にしようとしていた。美しい映像を求めながらも、カメラは神の目ではなく、取材者と被取材者のかかわり方をも映像化しようとしていた。ディレクターは、ナレーションを天の声ではなく、いわば地の声にしようと努めていた。

作り手たち

『新日本紀行』を制作していたのは、報道局の社会番組部(後に報道番組部)だったが、その担当者となることは、シャバン(社番)ディレクターたちの憧れであった。

取材・制作は、主として『新日本紀行』担当班のローテーションによっていたが、札幌・福岡などの当時の中央局に、それぞれ年間3本が割り当てられていた。地方局の若いディレクターは胸ときめかせ、全力で取材し、撮影済のフィルムとともに上京した。「キコー(紀行)」は、シャバンを目指す地方ディレクターの最大の目標であり、登龍門でもあった。上京したディレクターは、制作の過程でデスクや先輩たちから厳しく指導され、それは最良の教育の場にもなっていた。

東京も地方も、担当したディレクターたちは、時代と風土と人間を見つめ、それを一編の作品にしようと努めてきた。『新日本紀行』が19年という長寿を得たのは、作品性が高く、人の心を打つ多くの佳作があったからに他ならない。

このページのトップへ