NHKは何を伝えてきたか
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浅間山荘事件

テレビ登場以来の50年間で日本人が一番テレビに釘づけになったのは、連合赤軍による人質をとっての籠城事件と警察による人質解放作戦だった。さながら市街戦のような警察と過激派との武器を使った攻防は、映画の戦闘場面を見るようであった。この展開中の事件にカメラを据えたまま、テレビは現場からの中継を中断すべきかどうか決断がつかず、連続10時間を超える長時間中継を行った。テレビもまたジャックされたのである。この事件はテレビ事業者にとって大きな教訓となった。

これがテレビだ。テレビの強さと怖さを知った

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10時間20分の長時間中継
 厳冬の軽井沢で連合赤軍の5人が山荘の管理人を人質にとった浅間山荘事件で、1972(昭和47)年2月28日午前10時、警察側は人質の救出作戦を開始した。事件の発生は19日で、テレビは連日おおがかりな報道をしていた。山場のこの日は、午前9時40分から午後8時20分までテレビ中継された。この間の平均視聴率は、総合テレビが50.8%、犯人逮捕・人質救出の午後6時から7時が66.5%、またNHK・民放を合わせたテレビの総世帯の最高視聴率は、午後6時26分に89.7%に達した。国民のほとんどすべてがテレビを見ているという空前の出来事が起こった。
浅間山荘事件中継
浅間山荘事件中継
 実はこの時期、ニクソン大統領が2月21〜27日の日程で、中国を訪問していた。日本にとって重要なニュースがほかにもあった。しかしテレビは、NHK・民放ともこの現在進行形の事件にカメラを向けたまま、途中で短かいニュースをはさんで連続10時間前後の長時間中継を行った。視聴者もそれを望んでいた。テレビもまた事件にジャックされたのである。

「劇場型」社会の進行
 人々が関心を寄せるニュースや出来事を報道するのは、テレビの原則である。しかし、テレビが人々の興味や関心のある「知りたいニュース」を報道すると同時に、人々の注目をいま集めなくても重要と考える「知らせたいニュース」を報道するのも、ジャーナリズムの責務である。
 68年の金嬉老事件では、犯人が自分の主張をテレビを通して伝えることを要求した。メディアを利用する「劇場型」社会が到来したのである。
  テレビは第1のメディアとなった
 テレビは誕生以来、20年あまりで人々に一番親しまれ、また最初にニュースを知るメディアとなり、娯楽・教育・教養に関しても、日々の暮しに大きな位置を占めるようになった。それだけに同時進行形で展開する事件や事故の報道は、興味本位の報道と紙一重という怖さもあるのだ。

映像信仰、現在信仰、感性信仰
 共同通信出身の原寿雄は、テレビは面白いことに傾斜した「映像信仰、現在信仰、感性信仰」のメディアだと指摘している。好奇心や面白さというのは人間の本性に基づくもので、極めて正直なものだ。ニュース報道をどう客観的で理性的な報道にするかは大きな問題である。

糖衣錠文化
 報道するネタ(話題やテーマ、人物)の選択からはじまって、人々が好奇心をもつテーマだけを追っていても、ジャーナリズムの仕事の半分もまっとうできない。
 また興味を引きそうな演出や展開をいつも考えていては、報道に「シュガーコーティング(砂糖をまぶす)」することになる。瞬間的興味、瞬間的視線と歴史的判断を合わせて行うのは、速報・生中継の増加する時代にジャーナリズムが避けて通れない永遠の課題であろう。

「今の時間」と「歴史的時間」
 ジャーナリズムは「今の時間」を「ありのまま」伝えると同時に、「歴史的な時間」「歴史的な視点」でニュースを伝える役割も担っている。

■変わるテレビの見方、変わるテレビの役割

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