
| 『のど自慢』をはじめとする公開番組は、全国の視聴者とNHKをつなぐ太いパイプである。ステージと客席が一体となって番組を盛り上げながら、「ふるさと」の温もりを全国に住む人々に届ける。 |
『NHKのど自慢』・公開番組:わが町・わが村、そして、わが祖国 |
| 戦後すぐラジオでスタート、 モットーは「明るく楽しく元気よく」 『NHKのど自慢』は1946(昭和21)年1月19日、『のど自慢素人音楽会』というラジオ番組として放送を開始し、48年3月23日に第1回の『NHKのど自慢全国コンクール 優勝大会』が開催され放送された。この時は、「独唱」「歌謡曲」「俗曲」の3部門で競われている。 53年にテレビ放送が開始され、ラジオとテレビで同時放送されるようになる。この頃は宮田輝アナウンサーが司会で『のど自慢』を支えていた。番組出身者には歌手の北島三郎、島倉千代子、美空ひばりなどの他に、俳優の里見浩太朗や倍賞千恵子、コメディアンの牧伸二、作曲家の遠藤実などがいる。 70年には、『のど自慢素人演芸会』から、ほぼ現在のスタイルである『NHKのど自慢』へ生まれ変わる。ゲスト歌手2人が加わり、出場者は25組となり、当日の合格者の中から「今週のチャンピオン」1組を、全出場者の中からゲストが「熱演賞」1組を選ぶ形式になった。司会も金子辰雄アナウンサーが担当するようになった。合わせて、年度末の『NHKのど自慢全国コンクール』が、『NHKのど自慢チャンピオン大会』に改められ、選抜された毎週のチャンピオンの中からグランドチャンピオン1組を決定するものとなった。日本全国津々浦々で公開放送されるようになり、のちのカラオケブームの追い風も受けて、毎回予選には3000通を超える申し込みが寄せられるようになった。 満50年を超え、海外でも実施 95(平成7)年には放送開始50年目を迎え、10月28日には『のど自慢50年〜笑顔と涙の同窓会』という記念番組も制作された。その間、司会は吉川精一アナウンサーを経て、現在の宮川泰夫アナウンサーとなり、84年には衛星試験放送で、96年にはハイビジョン実用化試験放送での放送もスタートする。98年にはブラジル移民90周年を記念して、ブラジルのサンパウロで『のど自慢』が実施された。この後、99年にはペルーのリマで、2000年にはアメリカのハワイで(生放送)、01年にはアルゼンチンのブエノスアイレスで、02年にはアメリカのサンフランシスコと中国の北京で生放送で実施された。 |
公開番組今昔 公開バラエティーコメディーの草分けである『お笑い三人組』は、1955年11月ラジオ番組としてはじまり、1年後にラジオ・テレビ共通番組に発展、更に60年4月からはテレビだけの番組になった。作者の名和青朗は「落語や漫才の要素を取り入れた演芸人によるバラエティーのつもりで書いた」と言っており、江戸家猫八、一竜斎貞鳳、三遊亭小金馬らの出演者が一生懸命誠意を尽くせば尽くすほど、持ち前の粗こつさから、失敗を繰り返して視聴者に親しまれた。 この公開コメディーが『お笑いオンステージ』へと継承されていった。『お笑いオンステージ』は、72年にはじまり82年4月までの10年間放送された。てんぷくトリオ(三波伸介、伊東四朗、戸塚睦夫)が中心となり、練り上げたコメディーを提供するとともに、「減点パパ」などで有名人の意外な素顔を紹介するなど人気を博した。 また、66年からはじまった『ふるさとの歌まつり』は、司会を宮田輝アナウンサーが担当し、古くから全国各地に伝わる郷土芸能・年中行事・風俗習慣を地元出演者とゲスト歌手によって生中継する番組だった。「おばんです!」という宮田輝の挨拶ではじまるこの番組は、72年まで8年間続くヒット番組となった。 その後こういった形の公開番組は、『ふるさと競演』『あなたの町で夢芝居』(梅沢劇団と吉幾三、前川清などが地元にまつわるコントを視聴者と共に再現する)、『ふるさと皆様劇場』(梅沢劇団と前川清が喜劇を演じるとともに、視聴者からのリクエストに応えての歌謡ショーを展開)と綿々と引き継がれている。 ※現在、NHKの全国放送公開番組は、1年間のべ1222本(02年度)に上る。NHKの公開番組・イベントに参加している人はおよそ1600万人に達している。 |
![]() 『NHKのど自慢』 |
![]() 『ふるさと皆様劇場』 |
![]() 『お笑いオンステージ』 |