NHKは何を伝えてきたか
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ひとつのメダルに日本中が沸き返るオリンピック。1998(平成10)年、全国に熱狂が広がったワールドカップサッカー。NHKはこうした“国民的関心事”に総力をあげて取り組み、その都度新たな技術・演出を開発して、スポーツ放送でも興奮と感動を余すところなく伝えてきた。

オリンピック・ワールドカップサッカー 総力をあげて取り組んだビッグイベントの半世紀

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スポーツ中継はオリンピックとともに
 「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、すばらしい秋日和でございます」。北出清五郎アナの名調子で始まった1964(昭和39)年東京オリンピック開会式。日本でオリンピックが初めて生中継された瞬間だった。
東京オリンピック
東京オリンピック
 スポーツ最大の祭典、オリンピックは、36年ベルリン大会で「前畑ガンバレ!」のラジオ実況に日本中が熱狂した当時から国民的関心事であった。NHKは五輪放送を大きな使命としてきたが、そのテレビ時代の幕開けとなったのが東京大会だった。
 期間中、NHKは生中継を中心に1日10時間以上の五輪放送を実施。人々は世界的な大会を開催するまでになった日本復興の実感を共有し、女子バレーボール、体操男子の金メダルに日本中が沸いた。女子バレー決勝の視聴率は85%を記録。マラソンも全コースが初めて中継され、もはやテレビ無しのオリンピックはありえなくなっていた。
 冬季大会を国民的関心事にしたのは72年札幌大会だった。カラーテレビの普及率が50%を超えるなか、NHKは氷点下10度の悪条件を克服して、大会をすべてカラーで放送。1日8時間を五輪放送に充てた。カラー放送で魅力を増したフィギュアスケートで、ジャネット・リン(米)がスターとなり、後の伊藤みどりの登場への布石となった。70メートル級ジャンプで金銀銅を独占した“日の丸飛行隊”の雄姿は、その後のジャンプ人気を決定づけた。
  すべてを伝えるオリンピック放送
 NHKは民放1局が放送権を独占した80年モスクワを除く全大会を放送し、スポーツが生むドラマと感動を伝えてきた。さらに72年ミュンヘン大会では、選手村にパレスチナゲリラが侵入して14人が死亡した悲劇を受けて、特別番組を放送。政治と無縁ではないオリンピックの姿を描き出すなど、大会を取り巻く時代状況を伝えてきた。
 また衛星放送の開始に伴って、放送時間が飛躍的に増加。88年ソウル大会の総合テレビ・衛星第1・ハイビジョンの総放送時間は497時間、2000年シドニー大会では846時間となり、五輪放送は巨大な大会の一部を切り取るのではなく、今やそのすべてを伝えるものとなったと言える。

ワールドカップも国民的イベントに
 98年フランス。サッカーの日本代表が「ワールドカップ(W杯)サッカー」に初登場した。NHKはニュース情報番組で日本代表の動きを逐一追うとともに、日本戦は国際映像ではなく、総合テレビ・ハイビジョンの一体化制作によって、世界で唯一独自の映像による中継を敢行。日本戦総合テレビの視聴率は60%以上を記録し、W杯サッカーは一気に国民的関心事へと駆け上がった。世界最高のサッカーをと、78年アルゼンチン大会から放送を続ける一方、予選突破をめざす日本代表の苦闘を克明に追い続けてきたNHKにとっても、待ちに待った瞬間であった。


大相撲
プロ野球
Jリーグ
 テレビ最初のスポーツ中継はやはり“国技”「大相撲」だった。52年10月の大相撲秋場所。13日目と14日目のみ、カメラわずか2台の中継であった。87年からはBS2で、翌88年にはハイビジョンでも放送を開始。特にBS2では序の口からすべての取組を放送し、ファンの広い要望に応えている。
大相撲1950年代
大相撲1950年代
 野球中継の大革新は77年。中継のメインとなるカメラが、バックネット裏からセンター後方に変わった。よりダイナミックな映像となったが、当初セ・リーグは「サインが盗まれる」として反対。ようやく許可されたのは翌年だった。

プロ野球中継
プロ野球中継
 サッカーの放送は、日本リーグの時は年間数試合だったが、Jリーグとなってからは年間50試合近くが放送されるようになった。NHKは97年から放送試合数を約100試合に倍増。Jリーグは大相撲・プロ野球と並ぶ基幹ソフトとして定着した。
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