平成14年度の放送
シリーズ戦争の記憶1 知られざる悲しみ
放送:7月28日(日)23:55〜翌1:40(105分)
第二次世界大戦末期、戦争に殉じた二人の日本人将校の
悲劇の裏側が明らかにされる「Uボートの遺書」。
終戦後フィリピンで戦犯として投獄され、後に特赦で帰国を遂げた人たち。
対照的な生き方を選んだ
二人の元死刑囚の心を見つめる「遥かなるモンテンルパ」。
戦争の不条理とそれがもたらした
悲劇と心の傷跡を描く二本のドキュメンタリー。

■ドキュメンタリー「Uボートの遺書」
 65分/1970年(昭和45年)
1945年5月、ドイツから日本へ向かったドイツ軍の潜水艦Uボートで帰国の途についた二人の日本人技術将校。艦内で自決したその死の真相が、残されていた記録と元ドイツ軍関係者の証言によって明らかになる。そこには日本よりも早かったドイツの敗戦によってもたらされた、国と国・人と人との思惑に翻弄され、命を殉じた二人の姿が浮かび上がるのだった。
遺族や国内外の証言と残された遺書をもとに歴史の裏側で密かに起こった或る悲劇を追い、戦争がもたらすものとは何かを問う芸術祭大賞受賞番組。

【一口メモ(1)】
日・独・伊三国同盟が結ばれたのは1940年9月。政治的・軍事的に援助しあうこととなり、庄司・友永両氏がイタリアとドイツに渡航した背景となっている。翼1941年12月8日、日本軍はマレー半島に上陸しハワイの真珠湾を空襲して太平洋戦争が始まった。

【一口メモ(2)】
ドイツの降伏は1945年の5月7日。庄司・友永両氏が自決したのは5月11日だった。
その後も太平洋戦争を続けた日本軍の敗戦は、その3か月後の8月15日。

【一口メモ(3)】
戦後25年の終戦記念番組として放送された。
昭和45年度、第25回芸術祭大賞を受賞した。
(テレビ部門、ドキュメンタリーの部)

語り: 鈴木健二
撮影: 村上匡広/田中邦彦
録音: 田中章夫
効果: 福島雄一郎
編集: 坂内三容
企画・構成: 山崎俊一

■ある人生「遥かなるモンテンルパ」
 30分/1971年(昭和46年)
終戦8年後の昭和28年7月、フィリピン、モンテンルパの刑務所に拘置されていた日本人戦犯108人が特赦によって帰国が許された。そのうちの56人は絞首刑を宣告され、いつ訪れるか知れない処刑を控えていた死刑囚だった。
長野県飯田市出身の代田銀太郎さん(57歳)もそうした元死刑囚の一人。帰国して18年、農業のかたわら地元の土建会社で黙々と肉体労働に勤しむ代田さんは、3年前から年若い人たちに混じって通信制高校に通っている。
同じく元死刑囚の伊藤正康さんは陸上自衛隊に入り、エリート自衛官として戦後を生きてきた。
一世を風靡した流行歌「あゝモンテンルパの夜は更けて」の作詞者と作曲者だった二人の元死刑囚の対照的な生き方を追う。
一緒に帰国した戦友たちでつくる「モンテンルパの会」に集まる人たちなどの思いを探り、戦後四半世紀を過ぎてなお拭い去ることのできない心の傷跡を覗く。

【一口メモ(1)】
モンテンルパ(Muntinlupa)はルソン島、首都マニラの南24km。ここにあったニュー・ビリビッド刑務所に日本人戦犯の多くが最長8年もの間収容・拘置された。

【一口メモ(2)】
番組中に出てくる歌「あゝモンテンルパの夜は更けて」について:
代田(しろた)銀太郎 作詞、伊藤正康 作曲 (二人とも元死刑囚)。
昭和27年6月、『是非歌って欲しい』と歌手・渡辺はま子あてにモンテンルパから譜面が届き、早速レコード化された。その年の暮れ、渡辺はま子は収容所を慰問に訪れ、戦犯たちの前でこの歌を歌った。翌年のフィリピン独立記念日にちなんだ特赦は、キリノ大統領がオルゴールに仕込まれたこの曲を聴いたことがきっかけだと言われている。

【一口メモ(3)】
特赦の内容は、有期・無期囚は全員釈放、死刑囚は無期にして帰国させるというものだった。 昭和28年7月帰国後、死刑囚たちはスガモプリズンに収容され、同年の12月30日に全員釈放となった。

語り: 石橋省三
撮影: 北口誠之
照明: 小沼 勇
構成: 高倉経和
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