2016年11月09日 (水)動画でたどる、坂本龍馬の旅(京都 薩長同盟・寺田屋・近江屋)


1867年11月15日に幕末の志士・坂本龍馬は暗殺されたといわれています。今回は、2010年に放送された「古地図で巡る龍馬の旅」から、京都で龍馬が暗殺されるまでの足跡をたどります。

※動画でたどる、幕末の志士・坂本龍馬の旅 はこちら⇒

「古地図で巡る龍馬の旅」 出演:石原良純

坂本竜馬と地図

改正京町御絵図細見大成1868

■京都・薩摩藩邸跡 龍馬、薩長同盟を仲立ち

薩長同盟

幕末に政局の中心となった京都。この地で土佐の志士・坂本龍馬は、当時犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩の同盟締結に奔走します。


これは、明治維新直前に作られた、幕末の京都を記した地図です。

京都藩邸地図

・幕府は、御所の西側に将軍が滞在する二条城を、また治安維持を担う京都守護職を構えていました。

・討幕を狙う長州藩は御所の東に、薩摩藩は御所の目の前に藩邸を構えていることがわかります。

薩摩藩邸跡

薩摩藩邸跡の碑があるのは、京都市上京区今出川通にある同志社大学の敷地。

長州藩邸跡

長州藩邸跡の碑は、京都市中京区河原町御池にあります。


1866年。薩摩藩邸で西郷隆盛と、長州藩の桂小五郎との"首脳会談"が実現します。しかし10日余り経っても、会談は一向に進展しませんでした。修復不可能と思われた薩長の関係を正し、同盟に導いたのが龍馬だといわれています。



■伏見・寺田屋 龍馬に忍び寄る刺客

京都市の南部、伏見。ここには龍馬が拠点としていた旅籠「寺田屋」がありました。

地図寺田屋

史蹟「寺田屋」には、旧宅にならう形で「寺田屋」が再建されています。

寺田屋

薩長同盟の締結の後、龍馬は「寺田屋」で幕府の役人に襲撃されます。俗に言う「寺田屋事件」です。龍馬はどうやって難を逃れたのでしょう。

その時、龍馬は三吉慎蔵と共に2階でくつろいでいました。しかし既に寺田屋は、幕府の役人や捕り方たちに包囲されていたのです。深夜の襲撃。龍馬はピストルで応戦し、三吉と共に寺田屋から逃走します。寺田屋を飛び出した龍馬と三吉は、隣の家の雨戸を蹴破り、室内を抜けて水路の方へ逃れます。

水路を確認する石原良純さん

地図材木屋

川沿いを上った龍馬たちは、ここで逃げ切れないと思ったのか、地図上の青い点の場所にあった材木小屋に逃げ込んだそうです。

材木小屋

このルートで逃げたのには訳があります。川の対岸には、伏見の薩摩藩邸があったのです。薩長同盟の立役者だった龍馬は、すんでのところで薩摩藩に救出され、九死に一生を得たのです。

伏見薩摩藩邸



■近江屋  龍馬、非業の死

大政奉還を実現し、理想の国づくりに奔走する龍馬に、死の影が忍び寄ります。

地図近江屋

その頃龍馬は、河原町通りの賑やかな三条と四条の間に拠点を置いていました。醤油商・近江屋です。土佐藩邸の目の前にあり、いざとなれば、逃げ込むことも可能だった場所でした。

龍馬遭難の地

坂本龍馬と中岡慎太郎 遭難の地の碑

大政奉還の翌月、1867年11月15日。突然、刺客が龍馬たちに襲いかかります。近江屋の2階に居合わせたのは、龍馬と同志の土佐陸援隊長・中岡慎太郎でした。龍馬たちはここで壮絶な最期を遂げるのです。坂本龍馬、33歳。明治という新しい時代を迎えるおよそ2か月前の出来事でした。

坂本竜馬

投稿時間:13時00分


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