2016年11月02日 (水)動画でたどる、幕末の志士・坂本龍馬の旅


11月15日は幕末の志士、坂本龍馬が生まれたとされる日。11月は龍馬ゆかりの地で様々なイベントが開催されます。2010年に放送された「古地図で巡る龍馬の旅」から、回にわたって龍馬の足跡を動画でたどります。

龍馬と古地図

高知城と石原良純さん

「古地図で巡る龍馬の旅」 出演:石原良純



■和霊神社 龍馬の脱藩ルート (高知市神田)

動画 和霊神社

現在の高知市上町に生まれた坂本龍馬。1862年に脱藩を決意し、決行の日に高知市内にある和霊神社を訪れます。和霊神社は坂本家の守り神。水さかずきを供えて、龍馬は脱藩していったと言われています。龍馬が28歳の時でした。

(土佐国絵図 1700年)

土佐国絵図1700

土佐国絵図ルート

脱藩した龍馬は追っ手を恐れ、和霊神社→須崎→梼原と80キロメートルの険しい山道を、僅か一昼夜で移動します。そして3日目には伊予の国(愛媛県)に達し、海を渡って長州を目指したのです。(脱藩ルートには諸説あります)



■神戸海軍操練所  悲願の海軍創設を目指す (神戸市中央区)

龍馬が神戸を訪れたのは、脱藩の翌年、29歳の時でした。勝海舟から世界情勢と海軍の必要性を説かれ感服した龍馬は、勝に弟子入りします。そして、勝とともに神戸に赴き、まず海軍の養成機関、操練所の建設にあたったのです。

龍馬と勝海舟

開港神戸之図1868

「開港神戸之図(1868)」は開港とほぼ同時に作られた地図です。湾岸に押し寄せる多数の外国船や欧米の領事館など、国際都市へ発展していることが分かります。

地図内の船着場

古地図の南東方向に描かれている港の船着場。この辺りに「神戸海軍操練所」がありました。しかし反幕府的な色合いが濃いとされた海軍操練所はわずか一年で閉鎖されてしまいます。

海軍総練所跡

現在は、神戸市南部の神戸港のすぐ近くに、海軍操練所の碑が立っています。



■長崎『亀山社中』 日本初の商社 (長崎市伊良林)

長崎に入った龍馬たちは、出島から1キロメートル余り離れた亀山に拠点を置きました。日本初の商社といわれる「亀山社中」の誕生です。

長崎細見図1851

地図かめ山

長崎の中心地から険しい坂道を登らなければ、亀山社中には行けません。なぜこんな不便な場所を龍馬は選んだのでしょう。ここは長崎港が見渡せる情報収集の適地でした。また亀山周辺は、当時は奉行所の管轄外でした。脱藩していた龍馬にとって都合がよかったのかもしれません。

「亀山社中の跡」には、建物が当時に近い形で残されています。

亀山社中内部

亀山社中内の石原さん

亀山社中の貿易業は、外国から軍艦や銃器を買い付け、国内で販売することでした。幕府の目の届きにくい場所で会社を興した龍馬の活躍が、ここから始まったのです。



■長崎・グラバー邸 イギリス人貿易商と龍馬の交流 (長崎市南山手町)

写真 長崎の町並み1864

(長崎の町並み 1864年)

長崎の海岸から少し入った小高い丘に、幕末の日本を動かしたイギリス人が暮らしていました。龍馬と取引をしていたトーマス・グラバーです。1863年に建てられたグラバーの邸宅は、木造洋風建築では日本最古といいます。

グラバー邸前の石原さん

トーマス・グラバー

龍馬の三つ年下のトーマス・グラバーは21歳の若さで来日しました。グラバーは「グラバー商会」を起こし、母国イギリスに緑茶を輸出して、長崎へは軍艦や大砲、銃などの武器を輸入しました。グラバーは龍馬をはじめ、倒幕の考えを持つ志士たちと交流を深めます。

グラバー邸

グラバー邸は幕府の目の届きにくい、いわば治外法権の場でした。

龍馬とグラバー

(肥前長崎図 1859)

龍馬とグラバーの強力な連携は、日本の歴史を変えることになります。龍馬は、およそ数千丁もの最新式の銃や軍艦をグラバーから買い求め、それらの軍備は、やがて幕府軍に壊滅的な打撃を加えることになるのです。

※動画でたどる、坂本龍馬の旅(京都 薩長同盟・寺田屋・近江屋) はこちら⇒

投稿時間:10時00分


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