こちらで紹介する番組は、全国の「
番組公開ライブラリー
」に設置されている専用端末でご覧いただけます。
差別と人権 ドキュメンタリー「文字をおぼえて夕焼けが美しい 〜人間解放と識字〜」
初回放送/1990年3月31日(60分)
人間にとって文字はどんな意味を持つのか。文字を学ぶ識字学級は、20数年前、筑豊の被差別部落から始まり、今では全国600か所以上。義務教育を受けられなかった人は、およそ200万人にのぼるという。高知の北代色さんは70歳で初めて出した手紙に、「字をおぼえて、ほんとうに夕焼けが美しいと思うようになりました」と書いた。国際識字年のこの年、和歌山、大阪、福岡など各地の識字学級の取り組みと、識字で自分の誇りに目覚めていく人々を描く。
CIE・USIS映画「清らかに美しく」
制作/1949年1月1日(21分)
戦後GHQが日本の民主化を促進させるため、CIE(民間情報教育局)が全国の自治体に配布し巡回上映した教育映画。東京中野区の中学校の生徒たちが「学校の周囲に柵がほしい」と学級会を開き、PTAの集会で父母や教師に訴えた。そして「大人に任せておけない。自分たちの力で柵を作ろう」と決意し全員で柵を作り始めると、父母も協力するようになった。教師たちは生徒たちの姿に心打たれる。(徳島県立文書館・提供)
新日本紀行「歌が生まれてそして ~長崎県奈留島~」
初回放送/1976年4月12日(29分)
1974年、歌手・荒井由実(松任谷由実)さん作曲の歌が、高校の愛唱歌に採用された。音楽の教科書にも載った「瞳を閉じて」である。
きっかけは、当時ユーミンがDJをしていたラジオ番組に宛てて、長崎県五島列島奈留島に住むひとりの女子高生から「自分たちの校歌を作って下さい」との手紙が届いたことであった。それに応えてユーミンが作った曲には、優しい潮風に包まれる美しい風景と、都会に出てゆく級友たちへの思いが込められていた。
番組は、自然溢れる五島の風土と、離れても互いの心に生き続ける歌、そして、たくましく生きる若い人々の姿を綴っている。
新日本紀行「現代若衆宿 〜三重県鳥羽・答志島〜」
初回放送/1970年4月2日(29分)
三重県鳥羽市答志島(とうしじま)では、中学校を卒業した若者が、結婚して一人前になるまで、他所の家で共同生活をする、「若衆宿」と呼ばれる慣習があった。
若者たちは、宿の主人と杯を交わし、生涯義理の親子として付き合っていく。先輩達からは、日々の生活の中で、島の伝統や一人前の男になるための作法を学ぶ。
この年もまた、新たに11人の若者が若衆宿で生活を始める。その一方、一人の若者が島の女性と結婚し、若衆宿から独立する。
番組は、当時15ほどあった答志島の若衆宿とそこに暮らす若者たちの姿を記録していく。
新日本紀行「種子島・屋久島 〜鉄砲伝来と海亀のふるさと〜」
初回放送/1964年6月15日(29分)
鉄砲伝来の島種子島では、平家の子孫である種子島家の30代当主を数える今も武家の末裔らしく、弓の行事がおこなわれている。
農業の島である種子島の主な産物はサツマイモとさとうきび。台風の通り道にある島には台風を観測するレーダーがあり、警戒を怠らない。
隣の屋久島には、千メートル級の山が連なる。人口のほとんどが海沿いに暮らすが、山林労働者たちの部落だけは、山深くにあり、屋久杉の手入れや伐採を行っている。
島の最南端にある部落の中学生たちは、海亀が産卵する時期、学校に寝泊りし、海亀の上陸を待つ。明治の時代から、海亀の卵を採り、売ってよいのは島の若者のみと決まっている。
新日本紀行「雪ん子のたより 〜石川県珠洲市〜」
初回放送/1982年3月3日(30分)
能登半島北東端にある珠洲市(スズシ)。その山あいに戸数15の南山(ミナミヤマ)地区では、冬の間、一家の大黒柱が出稼ぎに出て、老人と子どもたちで過ごす家庭が多い。働きに出た親への便りを届ける出稼ぎ組合長や春を待ちながら留守を守る雪国の子どもたちのくらしを描く。
新日本紀行ふたたび「自画像の歳月 ~広島県安芸高田市吉田町~」
初回放送/2005年4月16日(39分)
2005年4月から始まった「新日本紀行ふたたび」は、1963年から1982年まで放送され、全国各地を紹介してきた「新日本紀行」で訪れた土地を改めて取材し、移り変わりとともに、日本の風土のすばらしさ、人の心の温かさを改めて見つめる番組。 広島県安芸郡高田市吉田町にある吉田小学校。この学校では、卒業を控えた6年生は、毎年自画像を描いている。1979(昭和54)年に放送された「新日本紀行 自画像の歳月」のなかでも、自画像に取り組む6年生の姿があった。 そして26年が過ぎた。卒業生たちの幾人かは今も吉田町でくらしている。自画像の横に書かれた将来の夢は実現されたのだろうか。番組では、久しぶりに自画像と対面するかつての小学生の姿を追う。
新日本紀行ふたたび「潜水士のまち ~岩手県 種市~」
初回放送/2007年10月27日(34分)
2005年4月から始まった「新日本紀行ふたたび」は、1963年から1982年まで放送され、全国各地を紹介してきた「新日本紀行」で訪れた土地を改めて取材し、移り変わりとともに、日本の風土のすばらしさ、人の心の温かさを改めて見つめる番組。
潜水士が漁をする"南部潜り"の伝統が100年以上続いてきた岩手県種市(たねいち)。ここに日本で唯一の潜水士を育てる学科を持つ県立種市高校がある。昭和49年、新日本紀行は南部潜りの岩谷さん親子を取材。当時高校生だった岩谷多加夫さんは卒業後、潜水士として水中工事の現場で活躍してきた。そして2007年、特別講師として母校へやってくる。南部潜りの伝統を守り、受け継いでいく人々の潜水にかける思いを描く。
戦争を知っていますか ~子どもたちへのメッセージ~「母の国が戦場だった ~フィリピン・パナイ島逃避行~」
初回放送/1988年8月5日(45分)
戦争体験者がスタジオで子どもたちに過酷な体験を伝えるシリーズ。宮城春子さんの父は出稼ぎ先のフィリピンで出会った女性と結婚。昭和16年、父の国と母の国が戦争。収容所生活、日本軍による解放、ゲリラ戦。やがて父はフィリピン人ゲリラに殺される。日本軍の敗退とともに始まった悲惨な逃避行。そして再び収容所へ。「思い出したくない辛い話だけど、子どもたちに少しでも戦争のことを分ってもらえれば」…宮城さんの言葉である。
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