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環境問題の変遷 ▲目次トップ
| 2.大量消費社会 | 3.明らかになった化学物質の危険性 | 4.高まる地球環境問題への関心 | 5.見つめ直される日本の自然環境 | 次へ>>
1.高度経済成長時代−公害病の発生
 1960年代日本は高度経済成長時代を迎えました。工業は発展し、国民の生活は飛躍的に豊かになりました。しかし、経済優先の考えはひずみとして公害を発生させ、工場排水や大気に含まれた有害物質により人間の健康を脅かしました。
1 日本の公害の原点―水俣病
 日本の公害の原点と言われる水俣病が公式に確認されたのは、1956年のことでした。水俣病は、工場の排水に含まれていた有機水銀が原因で引き起こされ、熊本県水俣市の周辺で多数の被害者が出ました。奇しくも同じ年、日本の経済白書は「もはや戦後ではない」と記し日本は高度経済成長時代へ向けて走り始めていました。
 「日本の素顔 奇病のかげに」(1959年)は、まだ知られていなかった水俣病の実態をテレビが初めて全国に伝えた番組です。番組は、水俣病の症状、地元への影響、そして次第に明らかになってきた原因を描き、当時の状況がよくわかる貴重な記録になっています。水俣病患者は、全身にけいれんを起こし、手足の感覚がまひする深刻な肉体的被害ばかりでなく、地域の中でいわれなき偏見と差別に苦しめられました。「特集 村野タマノの証言」(1972年)は、1人の女性患者の半生を通して水俣病患者の苦しみを描いています。
 国が水俣病の原因を工場から流れ出た有機水銀と断定し、水俣病を公害病と認定したのは、1968年のことでした。公式確認から12年が経っていました。なぜ原因の究明が遅れ、これほど被害が広がったのでしょうか。「ドキュメンタリー 埋もれた報告」(1976年)は、当時の国や熊本県の担当者を徹底的に取材し、国が必要な時期に排水の規制や漁獲を禁止するなどの対策を怠ったことを明らかにしています。
 2004年に最高裁判所が水俣病について判決を下しました。判決は、水俣病の被害者を幅広く救済する立場から、これまで国が定めた基準では水俣病と認定されていなかった人達を水俣病と認めました。この判決の後、国に救済を求めて水俣病の認定を申請する人達が相次ぎました。しかし、国は現在の基準を見直す考えはないとして、双方の主張は対立したままです。
 公式確認、半世紀が経過しても水俣病は解決していません。
2 全国で発生する公害―日本の四大公害病
 公害による病気は、水俣病以降日本列島各地で発生しました。1965年に新潟県の阿賀野川流域で水俣病と同じ有機水銀を原因とする新潟水俣病が発生しました。熊本の水俣病の重い教訓は活かされませんでした。⇒「ふるさとネットワーク 阿賀野川激流の20年 〜新潟水俣病の軌跡〜」(1985年)
 富山県の神通川流域では、鉱山から流れ込んだカドミウムが原因でイタイイタイ病が発生しました。患者の骨がもろくなり、骨折してイタイイタイと苦しみながら亡くなるという悲惨な被害を生みました。⇒「ドキュメンタリー 原告小松みよ」(1971年)
 三重県四日市市では、石油化学コンビナートからのばい煙により深刻な大気汚染が引き起こされ、住民がぜんそくに苦しめられました。四日市ぜんそくです。⇒「ある人生 公害係長」(1967年)
 水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく。この四つの公害を日本の四大公害と呼んでいます。かは、世界中で大きな課題なのです。
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