| 放送日 |
タイトル |
あらすじ |
発掘者・寄贈日 |
| 1月7日 |
(1)「蛭が小島の流人」 |
1177年、伊豆の国に読書三昧の日々を送る流人がいた。平氏に敗れて配流された源氏の嫡流・頼朝(石坂浩二)である。流人生活も16年となった。そのころの伊豆では、北条氏ら小豪族が平氏打倒のため頼朝擁立に動き始めた。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 1月14日 |
(2)「恋文」 |
北条氏の当主、時政(金田龍之介)の長男・宗時(中山仁)は、頼朝擁立のため、自分の妹・政子(岩下志麻)と頼朝の結婚を画策する。政子は、兄の策略とは知らずに、頼朝と一夜を過ごし、頼朝への思いを募らせていく。 |
 |
| 1月21日 |
(3)「二人義経」 |
北条時政は、政子と平家の目代(=代官)・山木(長塚京三)との縁談を持ってくる。政子は反発、時政も政子と頼朝の仲を知って激怒する。しかし、政子の兄、宗時は、「父が反対しても頼朝と別れるな」と政子に助言する。 |
伊豫田静弘さん
2007.06.10. |
| 1月28日 |
(4)「政子略奪」 |
時政は政子と山木の婚礼準備を進める。宗時らは、政子に横恋慕している武士・伊東祐之(滝田栄)を利用して政子を拉致させ、頼朝の元へ送り届ける。利用された祐之は頼朝と北条氏へ激しい恨みを抱く。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 2月4日 |
(5)「婿殿,舅殿」 |
都では平氏が全盛期を迎えていた。後白河法皇(尾上松緑)が平清盛(金子信雄)によって幽閉され、清盛の孫が天皇に即位(=安徳天皇)した。そのころ、頼朝と政子の間には子どもも生まれ、幸福な日々が始まったが… |
 |
| 2月11日 |
(6)「密使は走る」 |
北条時政の次男・義時(松平健)が平氏方豪族・大庭景親(加藤武)の娘・茜(松坂慶子)と恋仲となる。そのころ都では、平氏の傍若無人ぶりに貴族の不満が高まっていた。 |
伊豫田静弘さん
2007.06.10. |
| 2月18日 |
(7)「頼朝起つ」 |
「平家討つべし」という都からの令旨を受け、頼朝は挙兵を決意した。頼朝の元には次々と坂東武者たちが集結する。頼朝軍は、当初、政子が嫁ぐ予定であった平家の目代、山木の屋敷を襲撃し、勝利を収める。 |
大原 誠さん
2009.6.01. |
| 2月25日 |
(8)「石橋山の合戦」 |
頼朝は大庭景親打倒を目指し、石橋山に攻め込む。しかし、大庭軍は頼朝軍の10倍の勢力、圧倒された頼朝たちは退却する。その途中、援軍を求めに三浦義村(藤岡弘)の元へ向かった宗時が、待ち伏せしていた祐之軍に殺される。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 3月4日 |
(9)「頼朝再起」 |
宗時が討たれ、弟の義時が北条の跡取りとなった。義時は茜と都へ行く約束を果たせなくなった。安房に逃げ延びていた頼朝は、軍勢を建て直し、新たな根拠地となる鎌倉へ向かった。 |
 |
| 3月11日 |
(10)「鎌倉へ」 |
鎌倉は活気に満ちた町。頼朝は「御所さま」と呼ばれるようになり、名実ともに東国武士の棟梁となった。頼朝が次の戦いのため鎌倉を出立した頃、頼朝の弟・義経(国広富之)も鎌倉を目指し、奥州路を駆けていた。 |
伊豫田静弘さん
2007.06.10. |
| 3月18日 |
(11)「兄の涙・弟の涙」 |
富士川に頼朝軍が着くと、水鳥が一斉に飛び立つ。平家軍はその羽音を頼朝軍の急襲と勘違いし、退却した。一戦も交えず勝利した頼朝は、陣屋で弟・義経と初めての対面を果たす。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 3月25日 |
(12)「飢餓亡者」 |
1181年、京は飢饉であった。苔丸(黒沢年男)たちの盗賊集団に加わった祐之の姿もあった。関東では鎌倉を中心に頼朝の地固めが進む。清盛の死が鎌倉に知らされたのはそれから間もなくのことだった。 |
 |
| 4月1日 |
(13)「若君誕生」 |
大姫(斎藤こず恵)が生まれて6年、政子が懐妊した。喜んだ頼朝は、捕らえた伊東祐親・祐清親子に恩赦をほどこそうとする。しかし、伊東親子はこれを辞退し、死の道を選ぶ。1182年夏、男子が誕生。のちの頼家である。 |
 |
| 4月8日 |
(14)「政子狂乱」 |
頼朝に亀の前(結城しのぶ)という愛人がいることが発覚。政子の義母・牧の方(大谷直子)の告げ口が発端であった。政子は激怒し、御家人に命じて亀の前の家を打ち壊させる。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 4月15日 |
(15)「愛のかたみ」 |
義時の留守中、頼朝は強引に茜と関係を持ってしまう。茜は鎌倉から姿を消す。1184年、頼朝は木曾義仲(加藤寿)の討伐を試みるが、義仲は和睦の証として息子義高を差し出す。その頃茜は、お腹の赤ん坊とともに京にいた… |
 |
| 4月22日 |
(16)「人質」 |
人質として鎌倉入りした義高(長谷川祐二)は、大姫をかわいがった。傍から見れば幼い夫婦のようであった。義仲軍は京に入ると略奪暴行の限りを尽くした。たまりかねた後白河法皇は、頼朝に義仲追討を要請する。 |
伊豫田静弘さん
2007.06.10. |
| 4月29日 |
(17)「義経出陣」 |
義仲追討の先発隊の大将は義経。宇治川で行われた戦いは頼朝軍の勝利で終わる。後白河法皇から平家追討の院宣を受けた義経は、一の谷で、断崖の背後から平家軍を攻める奇襲作戦で勝利する。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 5月6日 |
(18)「亀裂」 |
一の谷の論功行賞で、義経は戦功をアピールするが、頼朝はいい顔をしない。事前に義経について「独断が多すぎる」と報告されていたからである。そんな時、後白河法皇は義経に美しい白拍子・静(友里千賀子)を引き合わせる。 |
山口いづ世さん
2009.05.09. |
| 5月13日 |
(19)「京の白拍子」 |
政治的に抜け目のない頼朝と、未熟だが天才的な軍略家の義経、この両者を引き裂くために後白河法皇が暗躍する。義経は、自分を評価してくれない兄にやりきれない気持ちを抱えながら、静への愛にのめり込む。 |
 |
| 5月20日 |
(20)「壇ノ浦」 |
義経は平家の根拠地、屋島を撃破し、長門国の海上、壇ノ浦が最後の決戦の場となった。平家に勝ち目はなく、女たちは次々と海に身を投げた。戦いの最中、義時は茜と再会するが、茜も海に身を投げる。平家は滅んだ。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 5月27日 |
(21)「義経凱旋」 |
義経は意気揚々と京に凱旋する。しかし、鎌倉では、勝利をすべて自分の手柄のように報告する義経に対し、諸将も激しい不満を持つようになった。「義経はおれと肩を並べるつもりか」~頼朝は怒った。 |
伊豫田静弘さん
2007.06.10. |
| 6月3日 |
(22)「鎌倉の刺客」 |
義経は鎌倉入りを拒まれ、京に戻り、後白河法皇に頼朝追討の院宣を迫った。明らかに義経の謀反である。頼朝は刺客を京に向けるが失敗。次は義時を京に向かわせる。京で義時は、因縁の伊東祐之と再会する。 |
 |
| 6月10日 |
(23)「都の盗賊たち」 |
祐之は、盗賊の頭となっていた。仇である義時が義経の勢力に捕らえられた時、何故か祐之は義時を助ける。やがて頼朝による義経追討が始まり、義経は都落ち、静も頼朝軍に捕らえられる。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 6月17日 |
(24)「静の舞」 |
鎌倉に送られてきた静は、頼朝に強要され鶴岡八幡宮で舞うことになった。義経を慕う歌を舞ったことに対し、頼朝は不快感をあらわにした。静は義経の子を身ごもっていた。頼朝は「生まれた子が男だったら殺す」と決める。 |
山口いづ世さん
2009.05.09. |
| 6月24日 |
(25)「頼朝上洛」 |
静は男の子を産んだ。ただちにその子は由比ガ浜で殺された。それから3年後の1189年、奥州衣川で自害した義経の首が腰越へ届けられた。奥州を平定した頼朝は上洛したが、征夷大将軍の地位は認められなかった。 |
伊豫田静弘さん
2007.06.10. |
| 7月1日 |
(26)「法皇崩御」 |
1192年、後白河法皇が崩御した。法王亡き後の朝廷では九条兼実(高橋昌也)が実力者となり、頼朝は念願の征夷大将軍に任ぜられる。そして1ヵ月後、政子に男子が生まれる。のちの実朝である。 |
 |
| 7月8日 |
(27)「義時の妻」 |
北条の館に曽我祐成(三ッ月清隆)・時致(原康義)の兄弟が訪ねてくる。兄弟は父の仇・工藤祐経を討つ決意を胸に秘めていた。それから間もなく、義時は頼朝の官女・野萩(坂口良子)と結婚することになった。 |
 |
| 7月15日 |
(28)「富士の巻狩」 |
富士の裾野で開かれた盛大な巻狩。その夜、曽我兄弟によって宿舎が襲われる。兄弟は工藤祐経を討ち、父の仇を晴らすが、さらに弟の時致は頼朝にも襲いかかる。裏で指示していたのは伊東祐之だった。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 7月22日 |
(29)「曽我兄弟」 |
時致の頼朝襲撃は失敗に終わった。明らかに謀反であったが、頼朝は自分が襲われたことには取り合わず、「この度の曽我兄弟の仇討ちは孝道の鑑」とただ一言言い下しただけであった。 |
 |
| 7月29日 |
(30)「大姫錯乱」 |
都から、大姫(池上季実子)を帝の后にという話が持ち上がる。朝廷と鎌倉をつなぐため、頼朝はこの話に乗る。しかし、亡き義高を忘れられない大姫は重い病にかかってしまい、容態が回復しないまま20歳で亡くなった。 |
伊豫田静弘さん
2007.06.10. |
| 8月5日 |
(31)「黒いつむじ風」 |
朝廷では土御門通親(仲谷昇)が権勢をほしいままにしていた。頼朝は通親の勢いを止めるため、次女の三幡姫(谷川みゆき)を後鳥羽上皇の後室として入内させようと決断する。そんな矢先、頼朝が落馬し、意識不明に… |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 8月12日 |
(32)「頼朝の死」 |
頼朝が死去し、家督は長男・頼家(郷ひろみ)に継がれた。間もなく、頼家に男子が誕生し、頼家の妻の父・比企能員(佐藤慶)が鎌倉での発言力を増す。これをよく思わない政子は、自ら政務に関わることを決心する。 |
 |
| 8月19日 |
(33)「姫君毒殺」 |
三幡姫の入内が正式に決定するが、三幡姫は毒殺される。通親の差し金だった。その頃、政務から遠ざけられた頼家は、腹いせに非常識な命令を乱発し、あげくの果てには、御家人の妻を強引にさらってしまう。 |
伊豫田静弘さん
2007.06.10. |
| 8月26日 |
(34)「頼家乱行」 |
妻を返すよう嘆願する御家人に対し、頼家は代わりに領地を与えて解決しようとする。御家人はこれを蹴る。腹を立てた頼家は、御家人の館を襲わせようとしたが、政子の介入で戦いは回避される。 |
 |
| 9月2日 |
(35)「梶原景時の滅亡」 |
頼家は女と蹴鞠にうつつを抜かす毎日。そんな折、梶原景時が、讒言者として失脚、一族も滅亡する。この事件は、鎌倉の御家人たちの間で繰り広げられる権力抗争の始まりだった。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 9月9日 |
(36)「悪禅師全成」 |
権力独占を狙う能員は、頼家の周囲を一族で固め始めた。これを憂慮する政子を助けるため、北条氏は比企打倒の計画を進める。しかし、比企方はこれを察知し、頼朝の弟・阿野全成(伊藤孝雄)が捕らえられる。 |
 |
| 9月16日 |
(37)「北条の陰謀」 |
全成は比企一族に謀殺された。そんな矢先、頼家が血を吐いて倒れ、危篤状態となる。このままでは、頼家の長男、一幡が跡継ぎになるが、義時らは、頼家の弟・千幡(後の実朝)擁立に動く。 |
Y.Kさん
(東京都)
2009.03.03. |
| 9月23日 |
(38)「比企滅亡」 |
北条は巻き返しに出た。時政は能員をおびき出して殺害、一族も滅亡に追い込んだ。しかし、何と頼家が奇跡的に息を吹き返した。妻や子を殺されたことを知った頼家は、その怒りを北条一族と母・政子に向ける。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 9月30日 |
(39)「頼家追放」 |
京から、千幡に対し、征夷大将軍の宣旨が届いた。それと前後して頼家は出家させられ、伊豆・修禅寺に追放される。千幡改め3代将軍実朝は、12歳と幼少のため、時政が幕府の初代執権として実務を仕切るようになる。 |
伊豫田静弘さん
2007.06.10. |
| 10月7日 |
(40)「修禅寺」 |
修禅寺に幽閉された頼家の運命は風前の灯となった。北条氏は頼家暗殺のため、三浦義村を差し向ける。その頃、鎌倉では実朝の縁談が進められていた。政子の意志に反し、実朝は京の公家の娘を妻に望む。 |
Y.Kさん
(東京都)
2009.03.03. |
| 10月14日 |
(41)「華燭」 |
1204年、頼家は殺害される。23歳の若さであった。一方、実朝の妻には、京の坊門家の音羽姫(多岐川裕美)が決まる。しかし、迎えに派遣された者が急病死したため、その責任をめぐって、新たな抗争と陰謀の動きが… |
 |
| 10月21日 |
(42)「畠山討伐」 |
牧の方は、自分の息子が急病死したのは、同行していた畠山氏のせいだと思い込み、畠山一族が謀反を企んでいるという話をこしらえ、夫・時政に追討の命令を出させた。義時は畠山氏の根拠地、武蔵に大軍を送る。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 10月28日 |
(43)「父と子」 |
畠山一族は、謀反の濡れ衣を着せられ、滅亡した。しかし、牧の方と時政による陰謀が明らかとなり、鎌倉御家人の反感を買った時政夫婦は自ら出家し、伊豆に下る。2代目の執権には義時が就いた。 |
伊豫田静弘さん
2007.06.10. |
| 11月4日 |
(44)「後鳥羽院頌歌」 |
実朝が子宝に恵まれず、和歌にばかり夢中になって武士の棟梁としての自覚がないことは政子にとって大きな心配の種だった。そんな中、朝廷では、後鳥羽上皇(尾上辰之助)が、実朝の呪殺を企てていた。 |
 |
| 11月11日 |
(45)「小夜菊」 |
義時は、頼朝挙兵以来の重臣、和田義盛(伊吹吾郎)の追い落としを謀る。その頃、托鉢僧として祐之が鎌倉を訪れ、北条方に捕らえられる。祐之の養女、小夜菊(松坂慶子=二役)の姿を見た義時は驚く。 |
 |
| 11月18日 |
(46)「和田合戦」 |
和田と北条の対立に実朝は心を痛めるが、ついに戦いが始まる。三浦義村の裏切りもあり、和田一族は滅亡した。一方、小夜菊の嘆願により祐之は牢から出るが、義時によって両目を潰されてしまう。 |
大原 誠さん
2009.06.01. |
| 11月25日 |
(47)「幻の船」 |
和田一族の滅亡を境に、実朝は仏教の教えにのめり込む。宋の仏師から渡宋を勧められ、大船を建造するが失敗する。その頃、京へ修行に出されていた頼家の次男・公暁(堀光昭)が、復讐の思いを秘めて鎌倉に帰ってきた。 |
 |
| 12月2日 |
(48)「船霊」 |
帰ってきた公暁を政子は温かく迎える。一方、義時は、子に恵まれない実朝の世継ぎとして、皇族から将軍を迎える計画を進めていた。自分が将軍になる余地がなくなってしまうと悟った公暁は、実朝殺害を決意する。 |
伊豫田静弘さん
2007.06.10. |
| 12月9日 |
(49)「実朝暗殺」 |
源氏の正嫡が自分の代で絶えてしまうが、せめて家名を上げて父祖の霊に応えたいと、実朝は官位昇進を願い出る。右大臣に叙せられることになり、その拝賀の式が行われた鶴岡八幡宮で実朝は公暁に暗殺される。 |
伊豫田静弘さん
2007.06.10. |
| 12月16日 |
(50)「三浦義村の策謀」 |
公暁は執権の座を狙う三浦義村を頼った。しかし、公暁が義時を討ちもらしたのを知ると、義村は公暁を殺してしまう。鎌倉の動揺に乗じて、後鳥羽上皇は幕府との対決を決意する。 |
Y.Kさん
(東京都)
2009.03.03. |
| 12月23日 |
(51)「承久の乱」 |
朝廷との対決に臨み、政子は「鎌倉を守ろう」と涙ながらに訴えた。幕府方が勝利した後のある日、琵琶法師となった祐之が鎌倉を訪れ、『平家物語』を吟じた。諸行無常の思いが政子の心に満ちていた… |
大原 誠さん
2009.06.01. |