発掘ニュース

No.243

2019.09.06

音楽

戦前戦後に大ヒット、灰田勝彦さんの歌声を動画で!

前回の発掘ニュースでも好評だった動画で発掘映像をご覧いただくシリーズ!
今回はこの方…!

鼻にかかった甘い歌声、高らかに響く裏声。昭和を代表する流行歌手、灰田勝彦さんです!今回の発掘ニュースは灰田さんのご家族から提供いただいた映像です。まずは動画から灰田さんの歌声をお聞きいただきましょう、どうぞ!

1973(昭和48)年放送の『歌のゴールデンステージ ―アロハ!夢のハワイ―』からご覧いただきました。いかがでしたか?

灰田勝彦さんはハワイのホノルル生まれ。そのため戦時中は色眼鏡で見られ辛い思いもしたといいます。しかし持ち前の反骨精神で乗り越え、常に明るい歌声を響かせました。

戦前、戦中、戦後と数々のヒット曲を出した灰田さん、動画の一曲目『森の小径』は1940(昭和15)年にレコード発売、この曲の思い出を1976年放送の『歌のグランドショー』の中で語っています。(こちらも灰田さんのご家族からの提供です。)

灰田さん「海軍の特攻隊が飛び立つ前に輪になって歌うときは全部この歌でした。」
山川アナ「もっと勇壮な歌を歌って飛び立っていったのかと思っていたのですが…」
灰田さん「いいえ、当時はどのグループもこの歌ばかりでした。みんな輪になってお酒を飲みながら。そして翌日、南の海で若い命を散らしていったんです…。」

灰田さんの明るい歌声とともに、心に残るお話です。戦時中のことをテレビで語れる人たちがお元気だった時代…、映像を発掘しアーカイブスに残す大切さを改めて感じます。

動画でご覧いただいた後半の曲『東京の屋根の下』は戦後の大ヒット曲。日比谷、上野、銀座、新宿と地名が登場し、恋人にとって夢の街・東京に暮らす幸せが歌われています。

『歌のゴールデンステージ』には毎回「今週のゴールデンショー」という特集があり、この日は「アロハ!夢のハワイ」ハワイ音楽の特集です。

ハワイアンが得意な灰田さんももちろん歌います!ゲストの高見山関の出身地・マウイ島のハワイ民謡「マウイ・ワルツ」、そして「プア・オケ・アロハ」どちらも灰田さんが歌う姿は貴重な映像です。

さて今回、動画をご覧いただいた『歌のゴールデンステージ』は、数本が発掘によってアーカイブスに残されているのみ。番組に関してNHK年鑑で調べてみると…

『歌のゴールデンステージ』総合(火)午後8:00~9:00新設。第1回放送48.4.8/歌謡曲界一流歌手の出演による総合娯楽番組。内幸町から6月に完成した新ホールに移り毎週4000人の観客を集める大型公開番組として定着。神戸、浦和など地方でも実施し、視聴者との交流を深めた。広い視聴者層にこたえるために、歌手は新進からベテランまで網羅し、演歌からフォーク、ロックまで取り上げている。

…となっています。司会の山川静夫アナウンサーは1973年度の1年間を担当。74年から中江陽三アナウンサーに交代。番組自体は3年間続き、終了後の1976年4月からはこちら…

灰田さんから提供いただいたもう一つの番組『歌のグランドショー』が新番組としてスタートしました。キャッチフレーズは“あなたがつくる歌謡番組”視聴者の皆さんからのリクエストとお便りをもとにつくられた番組で、こちらも山川静夫アナウンサーが司会。1977年12月まで2年間放送、山川アナは次の年からあの『ウルトラアイ』の担当になります。
(※1964~68年にも『歌のグランドショー』という同名の歌謡番組が放送されていました。)

1982年に71歳で亡くなられた灰田勝彦さんご家族から提供いただいたビデオテープからは灰田さんの素晴らしい歌声とともに、歌謡番組の歴史を知る上で貴重な映像が発掘されました。本当にありがとうございました。

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