発掘ニュース

No.132

2016.12.02

情報番組

将棋・羽生7冠への軌跡を発掘!

今回のテーマは“将棋”です!現在、総合テレビでは将棋のアニメ『3月のライオン』(毎週土曜23時~)が放送中、また伝説の棋士・村山聖さんの人生を描いた映画が公開されるなど、このところ将棋が何かと話題になっていますね。

1996年、将棋界では前人未到の偉業が達成されました。羽生善治7冠の誕生です!
その“羽生7冠”誕生の軌跡ともいえる将棋番組が発掘されました。

まずはこちら、さかのぼること1994年6月…

羽生さんは、すでに棋王・王座・棋聖・王位の4つのタイトルを持ち4冠で迎えた第52期名人戦です。3勝2敗で迎えた第6局。

86手までで羽生さんが勝ち新名人に!この時23歳、これで5冠に。
「名人というのは棋士を目指してからの一番大きな目標ですし、夢だったので本当に嬉しいです。」

相手は50歳にして名人として活躍した米長邦雄さん。50歳の名人は今も破られていない最年長記録です。

BSでは名人戦をはじめとした将棋と囲碁のタイトル戦を生放送で中継する番組がありました。しかし、この時期のBSでの生放送番組はほとんどNHKに残されていません。
この発掘映像は、放送時間内に決着がつかず、その日の夜10時45分から15分間放送したダイジェスト番組のものです。

解説を担当したのは佐藤康光竜王(当時)。次に6冠を目指す羽生さんのターゲットとなったのが、その佐藤さんです。

半年後、勝負の時はやってきました!

1994年12月、羽生5冠の3勝2敗で迎えた第7期竜王戦・第6局。やはりこの対局も生中継の放送時間内には決着がつかず、夜10時50分から10分間のダイジェストの映像です。

山形県の天童市で2日間にわたって行われた対局は、夜7時過ぎ先手番の羽生5冠が121手で勝ちました。将棋界史上初の6冠達成です!

解説の田中寅彦八段(当時)いわく「素晴らしい将棋ですね。芸術品が出来上がりましたね。」と、歴史に残る一局であることを語っています。

7冠を目指す羽生さんにとって残るは“王将戦”のみになった瞬間です。

さて現在、NHKの将棋番組というと毎週日曜日の「NHK杯トーナメント」「将棋フォーカス」がお馴染みです。

かつては加えてタイトル戦の生中継の他、毎週BSで放送していた「囲碁・将棋ウィークリー(ジャーナル)」がありました。将棋や囲碁のファンに嬉しいニュースや映像が盛りだくさんなのですが、この番組もほとんど残されていません。羽生さんが6冠となった1994年12月のウィークリーの発掘から…

こちらはタイトルのうち王座の就位式。一般のニュースではなかなか取材しない映像です。あれっ?王座は羽生さんこの時点ですでに持っていたのでは?と思われた方もいるかもしれません。

実は一年を通して7つのタイトルの棋戦が別々に行われているので、新しいタイトルを目指すのはもちろん、保持しているタイトルを防衛し続けなければならないのです!これは3期目(3年連続)の王座防衛の就位式でした。

将棋や囲碁で7冠を達成することの難しさは“勝ち続けなければならない”、そこにあります。羽生さんは…

「つい先日、6つ目のタイトル(竜王)を取ることができまして…、今までは7冠王になるというのは“夢のまた夢”というような気持があったのですが、これで少し現実味を帯びてきたかなという風に自分自身でも思っています。

ただこれも一つ(タイトル戦で)負けてしまえば、またチャンスが無くなってしまうので、どこまで続くか分かりませんが自分自身の限界、ベストを尽くしていきます。」

そして、この年の大晦日に放送された「囲碁・将棋ウィークリー スペシャル」では…

ついに7冠目への挑戦権となる王将戦のリーグ戦で、プレーオフの末、羽生6冠が勝ち抜けて谷川浩司王将との7番勝負が決定したことを伝えました。

さらに羽生6冠への単独インタビューも…

「一年間タイトル戦を勝ちっぱなしでいかないといけないんで、言うのは簡単なんですけど実際やるとなると大変だと思っています。これも体力的に続く20代、30代のうちじゃないと不可能だと思いますので、可能性がある限りは目指します。」

年明けの1995年1月、羽生さん7冠目への挑戦がスタートします。滋賀県彦根市で行われた王将戦の第1局。同じく「囲碁・将棋ウィークリー」の中で紹介されていました。

しかし第1局は谷川王将の勝ち。その後、7番勝負はフルセットの熱戦となり、谷川王将が羽生さんの7冠を阻止することになります。1995年といえば阪神淡路大震災が起きた年…神戸出身で被災した谷川さんにとっては執念の7冠阻止でした。

ということは…羽生さんが7冠を達成するためには、次の1年間、他の6つのタイトルを全て防衛しながら、さらに再び王将戦の挑戦者になるためリーグ戦を勝ち抜かなければなりません。考えるだけで気が遠くなりそうな道のりですが、なんと羽生さんは成し遂げてしまいます!

6つのタイトルを一年間守り続け、再び王将戦の挑戦者となり谷川王将との決戦に!

結果は羽生さんの4連勝でついに7冠達成となるのですが、今回の発掘では2連勝で迎えた第45期王将戦 第3局の2日間の生中継が残されていました!

三重県の鳥羽市で行われた2日間の対局のうち、合計約4時間15分の生中継録画のテープを提供いただきました。

1996年2月、三重県の鳥羽市で行われた第3局。解説は田中寅彦九段と、斎田晴子女流三段、司会は吉川精一アナウンサー。会場のホテルには将棋ファンがいっぱい!

とにかく放送時間はたっぷり、色々な棋士の皆さんが壇上にあがり局面の解説をします。こちらは冒頭にご紹介した、名人戦で羽生さんに敗れた米長邦雄九段です。

時には席を中座している様子も画面に!タイトル戦の持ち時間は7時間、あるいは5時間など長時間。対局者が長考して局面が進まない時は、昼食や“おやつ”のメニューまで細かく紹介することも…。

そして…

2日目の午後6時過ぎ、羽生6冠の最後の一手が指されました!

『3三銀打』

この手を見て10秒ほど…
『王将』5連覇目指していた谷川王将が「負けました」と静かに告げました。

生中継ならではの緊張感、臨場感が伝わってきます。ビデオで見ているのですが、対局場のすぐそばで見ている気分です!将棋ファンの皆さんがタイトル戦の生中継を見たいという気持ちが分かりました。

生中継のカメラなど関係無しに対局場になだれ込んでくる報道関係者たち。一部始終を見られるというのは面白い!と素直に思いました。

このあとインタビュー、そして感想戦(戦った一局を最初から並べ直して振りかえる)など放送が終了したのはおよそ50分後でした。

10日余り後に行われた第4局も羽生6冠が勝ち、史上初の7冠王が達成することになります。

いかがでしたか?7冠達成の瞬間はニュースなどアーカイブスにも残っていますが、そこに至る軌跡にも様々な発見や驚きがあります。

今回のビデオテープは富山県にお住まいの頓宮さんから提供いただきました。本当にありがとうございました!

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