発掘ニュース

No.117

2016.08.05

情報番組

“浪花のおかん”ミヤコ蝶々さん 出演番組発掘!

漫才師として戦後の上方喜劇界をリードし後年は女優としても活躍、その名を広く知られたミヤコ蝶々さん


ミヤコ蝶々さん

今回、1974(昭和49)年と75年に蝶々さんが出演したトーク番組などの貴重な録画テープが発掘されました!

テープが見つかったのはこちら!大阪府箕面市にある「ミヤコ蝶々記念館」。蝶々さんの自宅を改装して2008年に開館しました。中はというと…

蝶々さんがコレクションしていた200着以上の着物などが保管・展示されていたり…

トレードマークの眼鏡やサングラス、カラフルな帽子の数々も。ミヤコ蝶々さんの面影を感じることができる空間です。

館長は蝶々さんのご子息・日向利一さん。手にしているのは発掘に繋がった2本のUマチック・テープです。
「番組発掘プロジェクトから連絡をもらって物置きを捜索してみたら、録画テープの入った箱を発見したんです。以前にはオープンリールの類もいっぱいあったんですよ。でも、ケースにも入れられずに箱に突っ込んであるような状態で。ボロボロになってしまっていたから結局処分してしまいました。惜しいことしたなあ、と思います。」
それは非常に残念です…(涙)

Q テレビ番組の録画はどなたが?
「蝶々でも私でもありませんでした。松竹芸能の社員さんが録画したものを送ってきてくれていたのではないかと思います。処分してしまったオープンリールもそうですね。デッキも無かったですし、結局テープを見返すこともなく、しまい込んであったわけです。」

記念館で眠っていたビデオテープの中から発掘された貴重な“お宝”、まず1本目から!
1974年2月7日放送の「ひるのプレゼント」です。

大河ドラマ「太閤記」(1965年)「樅ノ木は残った」(1970年)などの脚本を担当した茂木草介さんや、ドラマ「現代人間模様」(1959~61年)を手掛けた藤本義一さんなど、第一線で活躍する脚本家・放送作家の方々を連日スタジオにお迎えした「作家登場」。
全5回シリーズの第4回、登場したのは…

「上方漫才の父」とも呼ばれる漫才作家 秋田 實(みのる)さんです。

そして、秋田さんにゆかりのゲストとして一番目にスタジオに招かれたのがミヤコ蝶々さんでした。当時53歳です。

Q 蝶々さんと秋田さんのこれまでのお付き合いは大変長いと思いますが、どれ位ですか?
秋田さん「ずいぶん長いし、今ではもう蝶々さんとは一生の茶のみ友達ですね。」
蝶々さん「茶のみ友達て、言わんといて欲しいわ先生。そりゃもう私は全然“娘”です。私、“お父さん娘”ですからね。」
冒頭の挨拶から蝶々節が炸裂します!

“大阪人が2人集まれば、日常会話でも漫才になるんだ”
秋田さんがたびたび口にしていたという言葉…。夢路いとし・喜味こいし、海原お浜・小浜の“秋田一家”2組もスタジオに加わり漫才を披露します。

「皆さんが20歳前後の頃は、毎日一緒に団体で、仕事か遊びかわからん感じで一日中ワイワイ賑やかにやっていました。今思い返すと、懐かしいことばかりですね。」

最近の若手漫才について皆さんはどう思われますか?という問いかけに対し、答えを求められた蝶々さんは…
「現役でないということはやっぱり弱いですね。漫才やれるかって言われたら、今はやれませんからね。(漫才は)難しいものです。」

続いて2本目の発掘番組がこちら!

1975(昭和50)年2月28日放送の「この人と語ろう」です。
「この人と語ろう」は、1973年11月にスタート。棟方志功さんや手塚治虫さん、岡本太郎さん、松下幸之助さんら各界の著名人が登場し人気を博したトーク番組です。

鈴木健二アナウンサー司会のもと、視聴者代表として全国から集った様々な職業の老若男女からの質問にゲストが答え、語り合います。
鈴木健二アナウンサー「実は私も、ミヤコ蝶々さんにはたった1度しかお目にかかったことが無いのですよ。」

スタジオには、日本画家やレストラン経営者、ふとん店店主、麻雀クラブ経営者など、大阪と東京から集合した様々な職種・年齢の視聴者ゲスト、男女計9人の皆さん。

まず、貴重な写真の数々と共に蝶々さんの歴史が紹介されていきます。(鈴子は蝶々さんの本名です。)蝶々さん、実は生まれは東京・日本橋!4歳の時に関西に移り住んだそうです。

こちらの写真はミヤコ蝶々さんと南都雄二さん。二人は夫婦漫才コンビとして、民間ラジオ放送草創期を彩った人気番組「夫婦善哉」の司会を務めました。

東京でふとん店を営む視聴者ゲストから、『見ていると江戸っ子として分かり合える部分がある』と指摘された蝶々さん

「やっぱり私はハーフなんですね。お父さんが全然大阪弁を使わないで亡くなったくらいの江戸っ子でしたからね。江戸っ子というものがどこか身に付いているようです。

大阪の人が『大阪人は大阪弁を使わなきゃいけない。ミヤコ蝶々はなんで江戸弁を使うんだ。気取りやがって。』とか言うんですよね。気取ってるわけじゃないんです。別にどこの言葉使うんでもええんやと思います。今や、もうこんなに近いんですし。出来れば私は英語でやりたい。」
スタジオは爆笑に包まれます。

『共通語での蝶々さんの芝居はいまいちしっくり来ない』と言う大阪のレストラン経営者に対しては…
「相手役の方が全部共通語でしょ。そのあいだの言葉を上手く使い分けないと、水と油になっちゃうわけです。年齢の差がある夫婦がひとつになろうとするのと同じように。言葉も近寄ろうとする努力がお芝居の中にもあっていいじゃないのかと。」
芝居での秘訣を語っているようで、日常生活でのコミュニケーションのコツもさり気なく示してくれているようです。

舞台女優として、共演者と呼吸を合わせる秘訣を問われ、『相手役』と『自分』、『お客さん』との三つの“間(ま)”が大事、と漫才との共通点を語ります。
「あくまでも私は、芸というのは“間”だと思います。」

蝶々さんのお話は本当に楽しく時間を忘れてしまいます。そしてなんといっても人間的な魅力にあふれています!

「ミヤコ蝶々記念館」で40年以上に渡って眠り続けていたビデオテープ。
今回ダビングされてよみがえった映像を見た息子の日向さんは…

「2000年に亡くなって16年、ミヤコ蝶々を知らない世代も出てきました。礼儀、礼節にうるさくて、あんなに小柄とは思えないほどの大きな声。芝居やしゃべくりをやらせたら右に出る者はいませんでした。そんな“おばはん”の姿を見て、何かしら感じ取って頂けたらと思います。」

(※)「ミヤコ蝶々記念館」入館料: 1000円(館長・日向さんによるお話と館内の案内付き)2日前までの完全予約制です。電話: 072-723-2001

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