発掘ニュース

No.009

2014.05.30

情報番組

美空ひばりさんの秘話を発掘!

昭和を代表する歌手・美空ひばりさん。「悲しい酒」を歌うひばりさんは大粒の涙をこぼし、後ろを振り返りハンカチで涙を拭いたかと思うと、次の曲は笑顔で…アーカイブスに残る美空ひばりさんの映像の数々を見て、その偉大さをあらためて感じます。

その美空ひばりさんを今も感じられる場所の一般公開が今週(5月28日)から始まりました。ひばりさんが16年間暮らした東京・目黒の自宅です!

一般公開に先だって夕方の情報番組「ゆうどき」で生中継があり、「ひばりさん秘話」を発掘すべく現場に行ってきました!


                         (これが簡易中継装置です!)

閑静な住宅地にある自宅は『東京目黒 美空ひばり記念館』という名前で公開されます。
記念館に入る前にまず驚いたのは、生中継の放送スタッフや機材の少なさでした!以前は必ず中継車や大勢のスタッフで行われていた“ナマ中継”ですが、いまはこれだけ!

もちろんNHKでは中継車や衛星伝送車を使った生中継も行われていますが、こうした簡易中継装置は緊急報道や海外からの中継でも活躍しています。

さて、ひばりさんが晩年暮らした自宅はというと、こちらです!

緑あふれる庭を通っていくと、外から見えるのは大きなガラス窓の洋室。

中には、紫色のグランドピアノ!紫色はひばりさんが大好きな色だったそうです。
その横には…

応接セット。ひばりさんが座っていたソファをはじめ、そのままの形で残されています。鉛筆も削らず当時のままだそうです。(この部屋は一般公開の際は窓からの見学です。)

そして、お客さんのおもてなしをしていたという場所がこちらです!

居間です。ここは一般公開で入ることができます。

この場所がひばりさんの定位置。掘りごたつ式になったテーブル、そしてご本人が座っていた座布団です。

放送では、この居間でひばりさんが大好きだった「すいとん」を山本哲也キャスターがご馳走になりました。

作ってくださったのは、住み込みで料理を作り続けた辻村あさ子さん。ひばりさんのお母様から味付けを教わったそうです。

煮物や焼き魚など素朴な味が大好きだったひばりさんの思い出を語ってくださいました。

真ん中に座っているのはひばりさんの長男の加藤和也さん。「1年365日のうちの200日会えなくても、誕生日や記念日を祝ってくれるたった何回かの愛情で簡単に埋まってしまうんです。」…母親としてのひばりさんの素顔を語る言葉が印象的でした。

辻村さんは、今も朝・昼・晩、それにおやつをひばりさんのために作り続けています。私たちが訪ねた日のおやつは水ようかんと、ひばりさんが好きだったスポーツドリンクでした。

そんな辻村さんの宝物は、ひばりさんが入院していた病院から送ってくれた色紙です。

「ひばりさんが自分のことを認めてくれた」そう感じた辻村さんは、嬉しくて嬉しくて…と話してくれました。

生中継では、一般公開で来た人たちにもてなされる「麦茶」と「ところてん」を紹介しました。麦茶は一度火で煎りなおして香ばしく、ところてんは酢をあまりきかせないなど、ひばりさん好みの味を楽しむことができるそうです。

ナマ中継、直前の一枚です。中継を担当した上條麻里奈リポーター、そして左はNHKのOBで当時、音楽番組を担当していた矢島敦美さん。同い年のひばりさんからは『やじさん』と呼ばれ、紅白歌合戦はじめ、美空ひばりさんがNHKに出演する番組に関して窓口となっていました。この自宅にも何度も足を運んだことがあるといいます。辻村さんとも久しぶりの再開で昔話に花が咲いていました。

最後に、今回の訪問でもうひとつ目にとまったのがこちらです。

『真摯な精進 歌謡曲を通じて 国民に夢と希望を与えた功』と書かれています。

ひばりさんがこの世を去ったのは1989年、四半世紀がたちました。自宅を訪ねて感じたのは、夢と希望を与えてくれた偉大な歌手・美空ひばりさんの親しみのある素顔、そしてひばりさんの面影がまだ息づいているという不思議な感覚でした。 NHKのアーカイブスに残されているひばりさんの数々の番組が「夢と希望」を再び与えてくれますように…。

★『東京目黒 美空ひばり記念館』の問い合わせ先
住所:東京都目黒区青葉台1-4-12
電話:0570-000-868(完全予約制です)

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