発掘ニュース

No.003

2014.04.11

ドラマ

「赤ひげ」発掘物語 其の2~視聴者・鶴吾郎さん編

“医療時代劇”の名作「赤ひげ」、NHKに残っている半分以上は実は鶴吾郎(つる ごろう)さんという一般の視聴者からの提供によるものです。

その鶴さんを訪ねてきました!
「赤ひげ」のファンということだったので、もっと年配の方を想像していたら…お若い!!

都内で高齢者介護施設を経営している鶴さんは56歳。
ということは「赤ひげ」の放送時は15歳!なんと中学生から高校生にかけて、「赤ひげ」の大ファンだったそうです。

元祖「テレビっ子」は幻の歌手だった!?

鶴さんの家に初めてビデオデッキ(1/2オープンリール)がやってきたのは1969年(昭和44年)12歳の時。NHKの番組をこよなく愛する、まさに「テレビっ子」として育った方です。

もともと原作者である山本周五郎の本が大好きだった鶴少年。お父様に勧められて見始めた「赤ひげ」は鶴少年の心をとらえました。当時は高価だったビデオテープでしたが、新聞を見てタイトルが「面白そうだった」5本を録画してとっておいたそうです。その後、録画機材は飛躍的な開発が進み、1/2オープンリールで収録された「赤ひげ」は現在DVDで鶴さんの手元に保存されています。

その鶴さんの意外な素顔!それは…かつて歌手だったということです!
大学生の頃、作曲家の市川昭介さんに誘われて歌手デビュー。『学生時代だけプロの歌手として活動する』という信念のもと、わずか2年間の歌手生活ののち、卒業とともに歌手を引退します。まさに「幻の歌手」だったわけです。

これぞ、鶴さん流『テレビの楽しみ方』!

今の何よりの楽しみは、自分で録りためた昔のテレビ番組を休みの日にゆっくりと観ることだそうです。「先日も昭和59年の紅白歌合戦を見ましたよ。都はるみさん引退のあの回です」と話して下さいました。

「赤ひげ」もこれまでに見た回数は数え切れず、何百回と観たそうです。特に最終回のセリフは今もスラスラと出てくるほど覚えていらっしゃいます。

長崎へ西洋医学を学ぶために旅立つ前の保本(あおい輝彦)が後任の医師が長崎行きを羨むのに対して、「長崎で教えないことをこの養生所は教えてくれます。患者の医者に対する信頼ということです。…(中略)私は貧しく無知な患者の「まじない紙(*)」でありたいと思います。」…と、セリフを熱く語ってくれました!

ただし、この映像はモノクロで(「赤ひげ」はカラー放送でしたが録画機材がモノクロだったため)映像の劣化が激しいのが現状です。放送できる画質に出来る限り近づけられるよう技術の進歩に期待しています!

「赤ひげ」をこよなく愛してくださる鶴さん、ここまで大切に何度も見ていただける番組は幸せです!今回、アーカイブス番組の楽しみ方を教えていただいた気がいたします。これからもNHKの番組が、鶴さんのライブラリーに「宝もの」として仲間入りできますように!

(*)当時、祈祷やまじないを施した紙を「まじない紙」として薬の代わりに飲み、病気を治そうとしていました。

※「赤ひげ」を是非見たい!という方は、NHK公開ライブラリー(無料)で第19話「ひとり」を見ることが出来ます。詳しくはこちら

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