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今月の特集は「明るい農村」の後編です。この番組は、22年にわたってほぼ毎日放送されました。それだけに、日々変化していく日本の農林水産業の姿や人々の暮らしがきめ細かく映像に記録されています。食糧増産、減反、過疎、経済摩擦、農産物輸入自由化、食の安全…大きく揺れ動く産業構造と多様化する視聴者ニーズ。こうした中で「明るい農村」も変化し、様々な挑戦を繰り返していきました。
今回の「アーカイブス・カフェ」では、毎日番組を出し続けながら、重要な課題を深く掘り下げて大型番組へと発展させていったディレクターたちの取り組みを紹介します。「明るい農村」から生まれた大型番組は、「NHK特集」だけでも50本に及んでいます。
そして、情報番組のニーズが高まった昭和60年代に「明るい農村」が終焉を迎えたときの担当者の思いなどもお伝えします。
テレビ全盛期を築いた先輩たちから、次代を担う若い世代へ伝える番組制作の熱い思い、そして視聴者のみなさまに知っていただきたいNHKの歩み。今月も、ぜひお読みください。

![[第3回]アーカイブス・カフェ座談会
明るい農村座談会(2)
大きく変化する産業構造の中で](img/feature_1.jpg)
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原 安治さん(66歳、ディレクター) 昭和37年入局、昭和41年〜59年に担当。デスク、プロデューサーなど一貫して「明るい農村」のリーダーを務めた。その間「マッカーサー元帥への手紙〜農地改革30年〜」「再会〜35年目の大陸行〜」「人間は何を食べてきたか〜“食”のルーツ5万キロの旅〜」など30本あまりのNHK特集を企画、制作した。 |
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関 孝夫さん(63歳、ディレクター) 昭和41年入局、昭和44年〜60年に担当。特に昭和50年代初めの200海里をめぐる動きをめぐって、日本漁業のあり方を考える番組「NHK特集・吠える北緯60度線〜すけそうだら漁船同乗記〜」など多数企画、制作した。 |
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大橋昭喜さん(57歳、ディレクター) 昭和49年入局、昭和49年〜60年に担当。北海道の酪農家の負債問題を継続取材し、ラジオ「早起き鳥」、テレビ「明るい農村」、「NHK特集・北の大地にみた夢〜根釧パイロットファームの30年〜」へと発展させるなど、多様な農業、農村問題を扱った番組を制作した。 |
関 これから「明るい農村」をベースにして「NHK特集」などを作っていった話に入っていきたいと思いますが。当時は、特集提案の募集があると、徹夜してでも必ず一人が何本かは出すという不文律がありましたね。
原 「村の記録」は1370本あるんですけど、僕に言わせればほとんど失敗作ですね、作品としては。だけど勉強作ですよ。完成度はまぁ低い。しかし、そこからものすごく勉強したんです。だから、その失敗をもとにして「N特」とか、いろんな特集番組ができたんだと思いますね。
大橋 そうですね、確かに。ドキュメンタリーの「村の記録」ではうまくいかなかったけど、中継で良いものを作るというようなこともできた。例えば(昭和54年当時)月曜は「わが村わが故郷」が紀行番組、火曜は「われら田園家族」が中継番組、水曜は「村の記録」というドキュメンタリー、木曜は「現代たべもの読本」でスタジオ番組、金曜は「村を結ぶ」という各局リレー、というように「明るい農村」はいろんなスタイルの番組作りができました。だからディレクターは技量が広がるし育ったんですね。
原 わずか5分の「村を結ぶ」を作ったときの話だけど、偶然って面白いと思いますね。局に届いたハガキにね「うちの村に南画を書いて県展にも入選したような人がいるから取材に来てください」って書いてあった。それは長野県阿智村の郵便局長さんからだったんだけどね。それで阿智村に行ってその話題を取材したんです。で、そのときに郵便局長さんが「面白いお坊さんがいるからちょっと会っていかないか」って言って、お寺に連れて行ってくれたんですよ。身の丈150センチ足らずの小柄なお坊さんに抹茶をごちそうになっているうちに、半紙の束みたいなのを持ってきたんです。「それなんですか」って聞くと、きれいな字が書いてあって。「これはこの村から満州開拓に行って死んじゃった人の名簿だ」って言うんですよ。「何人行ったんですか」って言ったら、「333人行って288人死んだ」って。僕はそこで初めて「満州開拓」や、養蚕しかない貧しい伊那谷から大勢の人が大陸に行ったことを知ったわけです。それがのちにNHK特集の「再会(S55)」という中国残留孤児の問題を扱ったドキュメンタリーになりました。
関 当時、ぼくたちは「中2階から始めるな」っていう言い方をしましたよね。要するに、物事は1階から、もっと言えば土間からやっていかなきゃいけないわけね。ちょっと勉強したりね、人に話聞いたりすると、昨日までなんにも知らなかったのに、もう10年前から知ってたような感じになっちゃって。よく考えたら3日前に知らなかったことなんですよ。だからそこのところうっかりするといけないんですよ。謙虚でなければなりません。
原 農家の人と話しているとね、いろんなことを教わる。「この田んぼで何俵ぐらいとれるんですか」って聞いたら、稲の穂をピッピッて粒を数えて、「100あるからこれは7俵ぐらいだ」と言うんです。「15粒で1俵」だって言うんですね。広い田んぼからたった1本穂を引いてきて、それで実際そうだったということがある。それからハザカケってあるでしょう。稲を竹の棒に吊るして干すでしょう。それでね、稲束を半分ずつ分けると思うでしょう。違うんですよ。こっちへ7・3やったらその次は3・7、7・3っていうふうに分ける。そうすると風が入るんですよ。そういうのは、もうそれこそ現場へ行って農家の人にきちっと聞かないとわかりません。それでNHK特集で「人間は何を食べてきたか(S60)」という番組をやるときに、取材チームに言ったのは、「農家に泊まらせてもらって取材しろ」「その人たちと同じものを食え」「農作業を手伝え」ということでした。それはさっき言ったような「明るい農村」の経験で感じたことなんですよ。
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関 新奇なことをやれということじゃないんですね。1つの村に行って腰を据えて、キョロキョロしないで、ずうっと撮り続けるっていうことを、たまたま「人間は何を食べてきたか」ではオーストリアのマリア・ルッカウ村だとか、タイのアカ族の村でやったに過ぎないわけですね。これは普段の心構えです。
大橋 僕は、「村を結ぶ」っていうああいうネットワーク、(全国のディレクターが)誰でも参加しやすくてしかもスキルアップに繋がっていくっていう仕組みは捨てたものじゃないと思うわけです。地域医療とかワーキングプアのように全国で起きていることを各地域の現場にいるディレクターが汲み上げて大きな番組にしていくということはNHKだからできるっていうか、NHKがやらなきゃならない仕事だと思いますよね。
関 「明るい農村」はいろんなテーマやってきましたけども、一番最後の時代のテーマっていうのは、食糧自給率の向上だったわけですよ。だけどまあ、僕らの力も足りないし、問題がやっぱり大きいですからね、それに対するきれいな回答っていうのは書けなかったですよね。数字並べていくら議論してもだめじゃないかなっていうところまでは分かったけど、その先になかなかいけませんよね。
原 僕ら「明るい農村」始めた時は、何ていうかね、農業近代化っていうのが1つの旗印で、要するに化学肥料と農薬とそれから新しい農機具と、その3つが“三種の神器”みたいなもんでね、農業も楽になって農村も豊かになってこれから良い時代が来るっていうようなことで、そのお先棒を担いだみたいなものなんです。だけど、ある時期に、食品添加物の問題とか、農薬の公害だとかっていうのがだんだん分かってきたら、今度はこれを告発するような番組を作り続けたわけです。結局何だったんだと思う。最初は旗振ってその次は批判して、というとこがあったんですよね。その時はベスト尽くしているつもりだけど、欠けるところはあったなっていう感じがしますね。それで「明るい農村」が昭和60年の3月に終わった時にね、やっぱり限界だったんだよね、もう「明るい農村」っていうタイトルやそういう番組が…
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大橋 当時、やっぱり早朝もニュース情報が必要だとか、都会向けにもっと内容をあらためなければということで「にっぽん列島朝いちばん」に変わったんですけど、これも長続きしないで、結局ニュース番組になって…どんどん経済情報番組に傾斜していったんですね。それこそ部署の名称も農林水産じゃなくて生活情報番組とか経済・社会情報番組とかどんどん変わっていきました。要するにもう株価だ、為替だ、ニューヨーク市場がどうのっていう情報が大切なんだって言われた時に、もうそういうことで良いのかなぁとか疑問感じながら…悩みましたね。
原 茨城県の東村ってね、水郷でとても豊かな田園風景があったんだよね。それが僅か20年で世界最大の穀物輸入倉庫とか、鹿島臨海工業地帯とかに変わっちゃった。もはや農業だけでやっていける農家っていうのは全国にほとんどいないでしょう。そうすると、われわれの取材対象がアメリカの穀物メジャーがどうしたというようなことになっちゃうわけですよ。でも、今こそね、食とか農業の原点に立った本当のメッセージっていうのが必要なんじゃないかなぁって思いますよ。最近、日本中で恐ろしい悲惨な事件が毎日のように起こっていますね。母親が自分の子どもを虐待したり、子が親を殺すとか、いじめで自殺する子どもが相次ぐとか、それが特に地方、農村で頻発している。その根底に作物や家畜を育てる感動や喜びを忘れた食と農の荒廃があると、僕は思うんですよ。かつての「明るい農村」のような食と農の原点を日々見つめる番組というのが、今こそ日本のこういう状況の中でやっぱり必要じゃないかなあと思うんですね。
おわり


川口のNHKアーカイブスが、2月1日で開館4周年を迎えました!これを機会に、NHKアーカイブスのホームページも、装いを新たに情報満載のポータルサイトに変わりました。主なコーナーは次の3つです。
http://www.nhk.or.jp/archives/
![今月の主な放送予定[アーカイブス関連番組]](../../img/sche.gif)
※放送日時、内容は変更する場合があります。最新の番組表はこちら。
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NHKアーカイブス(毎週日曜放送) 3月25日(日)総合/23:40〜1:00 ■ きょうの料理「正月料理1」(25分/1978年) |
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■ 現代の記録「新中仙道」(30分/1962年) | |||
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あの人に会いたい(毎週日曜放送) 3月18日(日)教育/19:45〜19:55 ■ 夢路いとし(漫才師) |
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新日本紀行ふたたび(毎週土曜放送) 3月10日(土)総合/11:00〜11:39 ■ 「能舞の里〜福井県池田町〜」(1979年)より |
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蔵出しエンターテインメント(毎週月〜水曜放送)衛星第2/19:45〜20:32
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![今月のおすすめ[番組公開ライブラリー]](../../img/lib.gif)
卒業
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YOU 「“つるべ塾卒業式” 勉強は楽しかった?」 (1987年3月28日放送・60分) |
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連続テレビ小説 「水色の時」156話<最終回> (1975年10月4日放送・15分) |
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小さな旅 「雪と笑顔のおくりもの〜福島県只見町〜」 (1999年2月28日放送・28分) |
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土曜ドラマ 「十九歳(3)卒業!親不孝 終ってみると丸裸」 (1989年1月28日放送・60分) |

A:時事の事件を報道する場合には、その事件を構成する著作物であるか、事件の過程において見られ聞かれる著作物であれば、報道の目的上正当な範囲内で利用することができます。(著作権法第41条)
「事件を構成する著作物」とは、事件の主題となっている著作物のことです。例えば、美術品の盗難事件の報道の際にその美術品をニュースの中で紹介することやその複製物(例えばスタジオ解説用の模型など)を利用することは、著作権者の許諾なしに行うことができます。また、カメラ取材の過程で壁にかけた絵画がたまたま映りこんでしまったり、イベント取材で会場BGMが入ってしまった場合などは、「事件の過程において見られ聞かれる著作物」ですから、そのまま放送することができます。

放送番組が常に時代とともにあることは言うまでもありません。しかし、制作担当者が大きな歴史の流れの中における番組の位置づけや意味合いを冷静かつ俯瞰的に捉える機会はなかなか無いと思います。今回の座談会は「明るい農村」が放送史の中に占める位置を鮮明にしてくれました。これは、出席してくださった原さん、関さん、大橋さん、そして歴代の「明るい農村スタッフ」が常に真剣に番組と向き合ってきたからこそ語れることなのだと思いました。さて、次号は、放送開始から50年を迎え、今なお続く「きょうの料理」をとりあげます。料理から時代の変化が見えてきます。(N)
発行:2007年3月1日 第6号
〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
NHKライツ・アーカイブスセンター
発行人:菅野 栄/編集長:根本佳則
編集:MAXプロジェクト/SOCIALSOFT.INC
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